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51、無知の理想

「子供の我儘だ」


と、陛下はその笑みを浮かべたままでわたしの考えを一蹴した。


そう言われてしまえばぐうの音も出ない。

割り切ってしまった浅慮だという自覚はあったから、稚拙な考えと諭されれば強く言い返すことはできなかった。


自然と顔が俯いていく。


バルコニーの上で微かに影が揺らめいて、見えなくても頭上で雲が空をゆったりと流れていくのがわかった。


「・・・そりゃ、幼稚かもしれませんけど、」


半ば言い訳めいたものがだらだらと口から漏れる。


羞恥心にも近いそれに、


「幼稚というか、お人好しの理論だな」


言葉を更に被せられて、わたしがうっ、と詰まるのと、

だが、と小さく陛下が呟いたのはほとんど同時だった。


「間違っているとも、思わない」


思わず顔を上げたわたしの頭を、すっと伸びてきた陛下の広い手が、掴むようにわしゃわしゃと撫でていく。


それは乱暴でもなければ、優しいものでもない。

端正なその容姿には似つかわしくない、幼い子供にするような素朴な触れ方だった。


陛下の手は意外にも大きい。


その手が離れていくのをひとりでに目で追う。

おかしな話、一瞬郷愁のような念が胸の奥を走った。

兄の触れ方は陛下よりもずっと優しく、母の手は陛下よりもずっと小さい。


ところで陛下の手相とかちょっと凄そうだ。

手相占いの心得がわたしにはないので確認することができないのが残念な限りだが、生命線くらいは確かめてみたい。

うわ、短かったらどうしよう。


頭上にあった手が離れれば、陛下はあっさりと身を翻してバルコニーを出ていく。

廊下には、すっかり失念しかけていた、貴族と思われる皆さんが行儀よく並んで陛下を待っていた。


「王宮付獣医には私から話を伝えておく。あとは好きにしろ」


去り際、背中を見せながら言った陛下の言葉に、わたしは咄嗟にアメリの手の中にいる小鳥に顔を向ける。


なんだかんだで長いこと放置してしまうことになったけれどだいじょうぶだろうか。


そんなわたしの視線に気づいたアメリが柔らかく微笑む。

どうやらだいじょうぶらしい。


安堵の息が零れた傍ら、視界の隅が翳ったような気がしてアメリからそちらの方に視線を動かす。

いつの間にやらサンファルさんがわたしの隣に立っていた。


「サンファルさん」

「・・・偽善でも、ね」


わたしの先程の言葉を口に転がしながら意味深長にサンファルさんが小さく笑っている。


人に指摘されると尚更恥ずかしいものだ。


「・・・大きな声で笑ってくださって結構ですよ」


あれだ。

気を遣われて無言でいられるよりいっそ豪快に笑ってくれた方が気が楽ってやつだ。


自ずと声音が低くなるわたしにサンファルさんが首を振った。


「わらわないわ」


と。


それに拍子抜けしたのはわたしで、思わず黙り込んでしまう。


さっきから耳に届く物音といえば葉を揺らす風が、穏やかな午後を駆ける音だけだ。

それがやたらと静かに思えて落ち着かない。


その中を、どこかよそよそしい咳払いが落ちた。

見ればトルナトーレ公爵、その人である。


「恐れながら、」


公爵は一度わたしと瞳をぶつけた後にすっと目を伏せる。


「あなた様のお優しい御心は大変お美しいですが、あのようにご無理をなさっては、」


そこでタイミングよく上手に言葉を濁して公爵は苦笑した。


お茶を濁したようなこの塩梅は、どこか生温くて奥ゆかしい日本式の嫌味に似ている。


つまりこうか。

下手なお節介しやがって、品性がないんだよ、ガキ、ってことか。


・・・どうもわたしはこの公爵とは相性が良くないらしい。

彼の言動をどうしてもわたしは咄嗟に穿って見てしまう。


「ご心配、おかけしたようで」


余所行きの笑顔でわたしがそう言うと、陛下とサンファルさんが小さく噴き出したのがわかった。





結局のところ、「子供の我儘」の論理でも陛下は小鳥の件についてわたしに承認を与えてくれたのだ。


と、遅ればせながら気付いたのは陛下も貴族の皆さんも、ついでになんだかんだで獣医さんの所まで付き合ってくれたサンファルさんも去って行った医務室の中だった。


医務室というのはもちろん獣医さんの医務室である。


いったいいつの間に話が行っていたのかは知らないが、わたしたちが訪れた頃にはすっかり治療の準備を整えて獣医さんことノーマン=アダムス先生は迎えてくれた。


王宮付獣医とだけあってアダムス先生の処置は素人目にもわかるほどテキパキと無駄がなく、気が付いたらタオルを敷き詰めた浅いバスケットのような入れ物の中に小鳥はちょこんと入れられてこちらを見ていた。


少なくとも一日は、様子見でアダムス先生が預かる、とのことだ。


バスケットを医務室の出窓に置いて、その近くの椅子に腰かけたわたしを、ちろちろと小鳥が見上げてくる。


小動物らしいその動きは可愛らしく、だからこそ先程までアダムス先生の治療を受けていたのだと思うと胸が痛んだ。

頑なに強い光を放っていた瞳はいまだに輝きながら、しかし安定して、医務室や窓の向こうの景色を行ったり来たりする。

治療の痕があるのを除けば痛々しい姿とは程遠い。


アダムス先生は優秀なのだろう。


医療に関しての知識は全くないのだけれど、小鳥の様子だけで彼の手腕が窺い知れるようだった。


そのアダムス先生はといえば、これまた手際よく使った器具の片付けを行っている。

忙しなく動く手元をまじまじと追っていると、気付いたアダムス先生が柔和な笑みをこちらに向けてくれた。


まだ若く、知的で整った顔をしている。

なんなんだ。顔が綺麗じゃないと王宮にはいられないのか。そうなのか。わたしアウトじゃねえか。


陛下を筆頭にサンファルさんといいアメリといいアダムス先生といい、とことんこの世界の人たちはわたしの劣等感を煽ってくれる。

まったく、ありがたいね!


はあ、と虚しい溜息をついたわたしに、ずっと傍にいてくれたアメリが首を傾げた。


「どうされました?」

「いや、ちょっと遺伝子の神秘をね」

「いでんし?」


なんでもないのよ、と首を振るわたしを不思議そうに見つめていたアメリはふと思い出したように笑ってみせた。

どこか女の子らしいおちゃめな笑顔である。


どうしたの?と今度はわたしが彼女に尋ねる番だ。

その笑顔は議場から帰ってきたわたしを「必要になりましたでしょう?」と迎えた時の笑みに似ていた。


「いえ、お二方とも素直に仰ればよろしいのに、と思って」

「アメリ?」


なんのことやら理解しかねるわたしにアメリがどことなく楽しげに言葉を付け足す。


「陛下とカミーユ様が仰っていたことです」


というと、


「地面に落ちる云々?」


はい、とアメリがそのままの笑顔で頷く。

そういえば陛下もサンファルさんも地面に叩き付けられたいのか、とかバンジージャンプを楽しむ趣味でもあるのか、とか似たようなことを言ってたっけ。


ん?でもそれを正直にって、どういうこと?


尚も首を傾けたままのわたしの心情を察してアメリはにこにこと口を開いた。


「危ないから降りて、ということですわ」


目を見開いたわたしの顔にはもちろん思いっきり苦笑が浮いた。


「・・・まっさかあ」



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