47、樹上鳥
わたしはふたりを顧みた。
アメリもサンファルさんも、驚いているのが手に取るようにわかる顔でわたしを見ている。
彼らの表情は、いっそわたしが気の毒になるほどありありとしたものだった。
押し黙っているふたりにつられるように、わたしの口もじわじわと閉じられる。
そのなかを、さわさわと風に揺られた葉摺りの音がやたらと爽やかに鳴った。
意図せず三人の間に沈黙が訪れた。
・・・というのも、事の発端はわたくし佐藤 識がバルコニーから隣の木へ決死の大ジャンプを行ったことにある。
その小鳥を見て、赤い羽根かと思われたそれを血液だと真っ先に断定したのはサンファルさんだった。
怪我をしていると教えてくれたのはアメリ。
呼応するようにピィ、と鳴いたのは当の小鳥。
で、よっこらせとバルコニーから木へと飛び移ったのがわたし、だ。
碌に考えもせずの行動だったのだけれど気付いたら体が動いていたのだということにしておこう。うん。勝手に体が動いたのだから致し方あるまいよ。深くは言及すまい。
えいっと、踏ん切り良くジャンプをしたとき、ひらりと青いワンピースの裾が翻るのがわかった。
幸いだったのは太い木の枝がバルコニーの縁まで伸びていたことだ。
おかげでわたしの運動神経でも無事、枝に手が届いた。
後になって思い返せば、自分の身体能力の限界を知っているだけに我ながら少し恐ろしい。
不安定な足場にぴくぴくと震える筋肉を叱咤して、なんとか枝に腰掛けるような姿勢をとったわたしは、そこで一息ついてバルコニーを顧みた。
と、今ちょうどここらへん。
「・・・あなたねえ、」
沈黙を真っ先に破ったのは流石というか、やっぱりというか、サンファルさんだった。
彼は2、3回瞬きをして、深く、それはもう、呆れましたよ!と告げるがためのため息を一度零すと、頭が痛いとばかりに右手の指先を軽く額に触れさせて頭を振った。
アメリに至っては、二の句が継げないと見える。
彼女は大きな瞳をさらに大きくさせて瞬きを繰り返していた。
「そんな驚くことでもないような・・・」
ふたりの反応がわたしには大袈裟にも思えてそう呟くと、サンファルさんは、ほう、と片眉を上げた。
「隣にいた人間が突然何も言わずに手摺に足をかけて2階のバルコニーから跳んでみせるのはそんなに驚くようなことでもないのね。2階のバルコニーから。」
「・・・そんなふうに言われると、」
なんとも言い返せないわけだけれど、2階2階、2回も言わなくても。
渋面をつくったわたしに、負けず劣らずサンファルさんも苦い顔をする。
結果ふたりでしかめ面を突き合わせるような感じになったわたしたちにアメリが驚きから自分を取り戻したようで、スィキ様、と小さく呟く声が風に乗ってわたしの耳に届いた。
途端、悪いことをしたという確実な意識はないけれど、同時に明確ではない申し訳なさがじわりとしてくるような気もする。
渋面を先に解いたのはサンファルさんだった。
「なんでもいいから、こっちに戻ってきなさい」
と彼はバルコニーの縁に立ち、わたしの方へ両手を差し出し、
「地面に叩き付けられたいなら別だけど」
ついでに恐ろしいことまで言ってくれる。
思い付きで飛び移ったのはいいものの、再びバルコニーへ跳んで戻る自信はよくよく考えてみればなかったわたし。考えなしもいいところである。
だからサンファルさんの申し出は大変ありがたいのだけれど、
「待ってください。先にこの子を、」
そう本題のこの子を忘れちゃいけない。
少し離れた枝の上、手を伸ばせば届く距離に小鳥はいた。
この近さで人間を見て逃げようともしない。違う、逃げられもしない、のだろうか。
ただじいっとわたしを静かに見ていた。
その瞳を見ていると、自分がひどく矮小で情けなく、恥じ入るべき人間であるかのように思えてくる。実際、それこそが事実であるのかもしれないけれど。
その小さな双眸に、生きたいか、と聞いて答えが返ってくるものでもないから、わたしはゆっくりなるべく穏やかに腕を伸ばした。
小鳥は、そうする気力もないのか、身動ぎどころか小さく鳴くこともしない。
それをいいことにわたしは鳥を掬い上げるように両手に収める。
と、その時、開けた窓の向こう、俄か、廊下の方が賑やかになった。
アメリとサンファルさんがほとんど同時に廊下を振り返る。
つられてわたしも両手で鳥を抱えたまま開きっぱなしの大きな窓を見た。
窓とは反対側、廊下をはさんだ向かいの壁の装飾に射した光が眩しい。
賑やかとはいっても幾人かの足音と騒がしくない程度の話し声だ。
それがどんどん明瞭になって耳に届く。どうもこちらに向かって歩いてくるらしい。
舌打ちをしたのはサンファルさんだった。
視線を移せば明らかに面倒くさそうな顔をしている。
「サンファルさん?」
声をかけると、彼は溜息をついた。
「私としたことが、忘れていたわ」
「なにを?」
「この時間、ここを煩いのが通るのを」
「・・・煩いの?」
首を傾げるばかりのわたしに、なにも言わないアメリは訳知り顔で苦笑する。
そんな二人の真意を計りかねたわたしが眉根を寄せて、
その間にも足音が近くなる。
「・・・シキ?」
朝に聞いたきりだった声がわたしを呼んだのはその時だった。
新年、というかもう寒中御見舞ですね。
とにかく。
遅くなりましたが、この場を借りてご挨拶申し上げます。
昨年はこんなたどたどしい文章にお付き合いくださりありがとうございました。
稚拙なうえ遅筆で最近は更新停滞も続いておりますが、今年も広いお心で見守っていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。
はしおでした。