40、宮廷談義(1)
「う、うそだあ」
思わず呟いたわたしに、アメリはあら、という顔をした。
「嘘ではございませんわ」
王様のお部屋を出てからの会話になるわけだが、
延々と伸びきった廊下を二人でてこてこと行きながら、アメリに教えてもらったことといえば、
その王様のお部屋が王様のお部屋でなかったという事実だ。
いや、王様のお部屋で間違いはないのだけれど、わたしの認識が甘かったのだ。
つまり、わたしが陛下の私室と思っていたあの高貴な部屋は、陛下の私室という巨大な氷山のほんの一角に過ぎなかったのである。
どうりで1LDK。
「今、陛下とスィキ様がお使いになっているお部屋は皇帝陛下の小城館、その小寝室のひとつでございます」
アメリの足取りは如才ない。
一方わたしの頭は与えられた情報整理で、自分なりに精一杯奔走中である。
この冗談のように広大な敷地に広がる王宮において、陛下の私室とは、王宮内に数多と連なる建造物のうちのとある建物丸ごとひとつを示す、というのだ。
つまり私室ではなく私城となるわけだ。
シエル・ガーデンを除くと、王宮の最奥部にして王宮の中心、それが皇帝陛下の住まうお城、通称・皇帝陛下の小城館、これが陛下の私室の全貌である。
要するに、わたしが今まで陛下の私室と思い込んでいたあの部屋は、陛下の私室のほんの一部に過ぎなかったのだ。
わかりやすく変換してみると、永田町の首相官邸やら総理大臣公邸やら、これらの位置づけに当たらずとも遠からず、ということになる。
そりゃ、一国の統率者なわけだから、冷静に考えてみれば別段驚くところでもないのかもしれないけれど、一般庶民として家族3人と日本の狭い敷地で膝を突き合わせて暮らしていたわたしとしては、肌で体感すればするほど、納得しがたい広さである。
王宮見学、というわけで、アメリはバスガイドさんよろしく、丁寧にわかりやすく王宮について話して聞かせてくれているのだ。
「皇帝陛下の小城館には、そうですね、用途指定のない広間、用途限定された広間、控えの間、執務室、政務室、補佐室、用途別閣議の間、応接室が数種類、衛兵の間、普段は閣僚の翼棟でそれぞれ働かれているので頻繁に利用はされませんが各務長官室、先程までスィキ様がいらっしゃった小寝室、これもいくつかございますね。浴室もそれぞれ配置されていますし、あとは寝室と、それから前庭、中庭、主庭園がございます。」
信じられるか?これを彼女は淀むことなくすらすらと言ってのけたんだぜ。
わたしはなんだか馬鹿馬鹿しくなって、途中から指折り数えるのを諦めた。
そんなに部屋がいるんかいな。
だいたい執務室と政務室ってどう違うの。
もしかしてこの上更に、一般には知らされていない秘密の部屋とかあるんだろうか。
これはもう、見学とか浮かれていないで、神経を集中して道順を覚えることが先決のような気がする。
そこまで考えて、あれ、と思った。
わたしがさっきまで居たのが小寝室、で、寝室があって、あれ?
でも、その小寝室で陛下も寝起きしたことになる。
城主は正寝室で寝るものじゃないの?
「アメリ、陛下は寝室で眠らないの?」
半歩後ろを行くアメリに顔を向ける。
彼女は両手を品よく重ねて歩いている。
わたしには到底真似できない技だ。
「寝室は宮廷の中枢なのでございます」
「・・・?どういうこと?」
首を傾げてばかりのわたしに、アメリは呆れるでもなく、笑うでもなく、
すっと、表情を改めて足を止めた。
それに習ってわたしも立ち止まる。
既視感だ。覚えがある。
サンファルさんともこうやって廊下の真ん中で立ち止まったばかりだ。
この長い廊下は立ち止まるのにちょうどいいのかもしれない。
「寝室は盛儀寝台のお部屋でございますから」
厳かなものに触れるような丁重さで告げるアメリの姿は凛々しい。
「せいぎしんだい?」
にも関わらず、上手く脳内で漢字変換ができなかったわたしといえば、間抜けに鸚鵡返しをするだけだ。
余談だが、アメリのこんなシュッとした表情を正面から拝んだのは始めてである。
「王の公的、かつ正式なベッドでございます。歴代の皇帝陛下がそこでお過ごしになられた、いわば、カサランサスの歩んだ歴史全て」
いまいちよくわからない。
顔に出ていたのだろうか、アメリはさらに噛み砕いた解説を付け加えてくれた。
「即位の数日前や、戦争の出立前日など重要な日をお過ごしになります。」
ふむふむ。
「そして、」
そこで少し言いよどむ彼女。
どうしたの、と目で問えば、困ったような顔をされた。
「恐れ多くも、ご遺体を安置する場所でもございます」
・・・ああ
「ごめん、アメリ」
なにを思ったわけでもないけど、わたしの口からぽろりと謝罪の言葉が漏れた。
これはわたしの予想でしかないけれど、今までのことを顧みて思うに、
皇帝崇拝の気がどうも否めないこの世界において、ましてや宮廷に使える女官のアメリには、皇帝の遺体とか、口にするのも憚られたのだろう。
わたしにはいまいち理解しがたいが、彼女には言いにくいことを言わせてしまったのかもしれない。
眉尻を下げて本当に恐れ多いといわんばかりの体で呟いたアメリを見ると、わけもわからず謝らなくてはいけないような気がして口を突いて出たわたしの謝罪に、アメリはぱちくりと目を瞬かせた。
それから例のにっこりとした笑顔がアメリの顔に浮かべられたときわたしが安堵したのは言うまでもない。
しかし、考えれば考えるほど、あまり心地よい話だとは言いがたい。
何代も、何代もそうやって
歴代の王様たちが繰り返してきたんだろうか。
何体もの死体がその寝台に横たわって
あるいは、出立前に眠った王様が、そのまま戦場で息絶えてしまったりしたんじゃないのか
想像を巡らせれば巡らせるほど、わたしとは全く無縁の世界に、少し、ぞっとした。