39、タラの風
「王宮にいる女性が男装をするなんて、聞いたことがありません!」
と叫んだのはアメリ。
いや、相変わらず驚いた顔もかわいい。
朝っぱらからアメリが叫んだのは、わたしの服装に関してだ。
今日も昨日の如く、かわいらしいドレスを持ってきてくれたアメリ。
わたしが昨日頼み込んだのを覚えていてくれたのだろう、比較的簡素なものを、多少不満気ながらもちゃんと持ってきてくれた。
けれどこの佐藤 識、夏はだいたいTシャツかノースリーブに短パンだったもんだからいかんせん違和感が容赦ない。
そこで勝手ながらも何気なくこうお願いしたのが発端だった。
動きやすいズボンとか、駄目かな?
と
アメリの回答は大きな瞳を更に大きくして言った冒頭である。
どうもこちら異世界
人々の意識レベルでの男女区別が、なんだかんだいいながらも比較的良くも悪くもXジェンダーといえなくもない世代に突入して幾分経つ現代日本で育ったわたしには少々濃いまでにはっきりしているようだ。
これはまあトリップ物にはそこそこよくあるパターンで想定の範囲内だからあまり動揺はしない。
なんだか逆に反抗心が芽生えるというものである。
わたしは、キリッと真面目な顔をして厳かにアメリに告げた。
「だいじょうぶ。わたしが新時代を開拓する。」
キリッ
部屋に広がるしばしの無音。
アメリは春のそよ風のような微笑で、
「・・・あら、こんなところに素敵なドレスが。スィキ様、どちらになさいますか?」
もともと両手に抱えていた各々のドレスを問答無用といわんばかりにぐいっとわたしへ差し出し、それから愛らしく小首を傾げてみせた。
わたしの渾身の真面目顔なんぞは、過ぎ行く春風を頬に受け流すように見事なスルーである。
うむ、実に隙のない対応だ。
「マーホントステキナドレス!」
下手に大真面目な顔をこしらえたわたしはここまで鮮やかに無視を決め込まれると、思わず両手で顔を覆ってカタコトでそう答えるしか他にない。
オー!アメリ!
「・・・アメリってさ」
予想の範囲を超えてやってきた彼女の対応に脱力したものの、予想ってつまりだいたいもう少し彼女がわたしの相手をしてくれるだろうなと思っていたのだ気心の知れた高校の友達のようにボケとツッコミっぽい小気味よい会話まではいかなくとも動揺じみた会話例えば「なにをおっしゃっているんですか!?」とかそんな感じの会話だけどそれくらいは出会って日の浅いわたしとでも成り立つよねとか思っていたのにボケもツッコミもすっとばしてまさかこんなにすっぱりスルーというスキルを見せ付けられるとは思わなんだうにゃうにゃ。
とにかく。
気を取り直して顔を上げ呟いたわたしの前に
「はい」
にっこりと美少女の有無を言わせぬ笑みが立ちはだかる。
完璧な笑顔だ。
・・・・・・・・。
「・・・いや、うん。・・・右にする」
「かしこまりました」
るんるんと仕度をはじめるアメリにわたしは確信した。
アメリのわたしに対する位置づけやら対応やらが着々と構築されつつある、と
結局、爽やかな初夏を思わせる鮮やかなブルーのワンピースに袖を通したわたしは、今度はアメリの紅茶を喉に通した。
なんだか次第にわたしの体は紅茶漬けにされていくようだ。
贅沢はいえないが、誰かもしお持ちのようなら緑茶を恵んでいただけまいか。
グリーンティープリーズ!
ところで
正直に言おう。
会った時より昨日、昨日より今日、
そう、アメリのわたしへの態度は着々ゆっくりわりと軟化傾向にあるような気がする。
例えば?と訊かれると具体的にはっきりどうとは言えないのだけれど、少なくとも会ったばかりの当初でついさっきのようなスルースキルが発動されることはなかったはずだ。
それを考えると彼女とわたしの空間は柔和になってきているといって過言ではないはず。
繰り返す、正直に言おう。
うれしい
大変に嬉しいのだが、
「なんだろう、この敗北感」
「あら、紅色がよろしかったですか?」
「いいえ、もちろんこちらで結構でございますとも!」
紅色というのはさっきアメリが左手に抱えていたワンピースのことだ。
右に青、左に赤を持って部屋に入ってきた彼女に思わずわたしは思った。
今流行の3Dですね。わかります。
なにはともあれわたしにあんな挑発的な真紅は着こなせない。
ああいうのはスカーレット・オハラ、彼女こそが颯爽と着こなすべきだ。
この無気力にさせられるような敗北感はあっちのドレスのほうがやっぱりよかったなあ、とかではもちろんなく、アメリの華麗なスルーに起因しているのである。
すっかり馴染んだソファの上で、手持ち無沙汰、ならぬ足持ち無沙汰にひょこひょこぶらつかせている自分の足を見る。
機能性をまるで無視した白いレースシューズだ。
昨日の純白のワンピースは、裾へかけてふんだんながらも清純に、密やかで完璧な比率でもって格調高いレースがあしらわれていたのに対し、今日のワンピースはいうなればしっとりすっきりとしている。
ただ恐ろしいのはそのぶん目の覚めるような鮮明深海の青であることだ。
はたして自他共に日本人十人並みもいいところの顔立ちと認めるわたしはこの色に負けて完全に埋もれてしまっているのではないのかと甚だ疑問であるが、アメリは満足なようなのでここはあえて気にしないことにする。
早々に諦めという能力を行使して
「アメリ、お願いがあるんだけど」
別の話題を提供したわたしへ
「はい。お命じください」
上品に微笑んでアメリが小首を傾げる。
こんな風に笑う子は、少なくとも日本にいたころのわたしの周囲にはそう滅多にいない。
「陛下が、歩き回っていいよって言ってくれたから、王宮見学したいんだけど」
案内してくれると助かります。
お願いすればアメリが快く、というのを体現したかの如く
「伺っております。お望みのところへ可能な限りお連れいたします」
とやっぱり笑うので、わたしはカップを静かにソーサーへ置いた。
ティーカップを手に持つときも、そりゃちょっとは厳かな気分に心持なるけれど、小刻みに指が震えるのはなくなった。
人間、ちょっとすれば大方のことに慣れていってしまうものだ。
心苦しい。
ちょうどいい時間帯なので、早速と部屋を出ることになる。
若干足の届かないソファから、恐々と毛並みの揃った絨毯へ立ち上がる。
日本にいたわたしなら、
「スィキ様?」
それから足元を見たまま、まんじりとしないわたしをアメリが不思議そうに振り返るのに
「なんでもないよ」
とわたしは笑い返して彼女を追った。
こんな華奢で芸術的なレースシューズなんて、絶対に履いたりしないのだ。