3、大地に帰る
ちょっと足場が不安定なのでお辞儀ではなく浅く頭を下げるだけになったのはご了承いただきたい。
「・・・異世界、な」
美形さんは視線を横に逸らして、溜め息とともにそう仰った。
「信じがたいですよね」
「俄かには」
「ですよね、わたしもです」
ばりばり信じがたいですよ
これが、目が覚めたら異世界でした、なら、なんだどっきりか?!誘拐か!?と疑えるんだろうけど、何の因果か、わたしは意識がはっきりとしている状態でいつのまにかここに来ていた。
床に座っていたのに、瞬きしたらここにいた、という次第。
疑う希望もない。
唯一は、たいへん出来のよろしい夢か!?の選択肢だけか。
わたしに異世界トリップ願望はなかったはずだがな。
さて確認といこう。する必要もないような気がするけれど、セオリーだ。
本来なら口にする機会が滅多にないような質問だし、折角だからノリに乗っていこう。
いざ!
「あの、日本という言葉に心当たりは?」
「ないな」
ズバリですね。即答でしたよ。取り付く島もないわ。もうちょっと考えてあげて!日本涙目!
「アメリカ合衆国、中華人民共和国もしくはチャイナ、ロシア連邦、イギリス・・・ユナイテッド・キングダムは?」
「悪いが、ない」
「じゃあ、最後に。地球」
「チキュウ、な」
「ご存知ありませんか」
「残念ながら」
「・・・そうですか。」
おおう。有名どころの列強が形無しどころか、我らが青い地球までもが。
確定なのかな、なのだろうなあ、これは。
うあ、くらあってきたよ!生まれてこのかた健康優良児見本市の末席にいたわたしが!
「わたしは、地球の日本というところから来ました」
「チキュウが国名か?」
「いえ、地球は」
そこでちょっと口を閉じる。
惑星で伝わるのかな。
「地球は、わたしたちの世界を表す最も一般的な呼称の一つです。国名は日本のほうです」
告げると、美形さんはわたしから視線を外して、何かを思案し始めたようだ。
置いていかないでー。
段々冷静になってきて、そろそろわたしも限界なのだ。
仕方ない。思考を邪魔すること承知で言ってしまおう。
「あのう」
まっこと、申し上げにくいのですが
「なんだ」
わたしの幾分か弱々しい声に顔を上げてくれる美形さん。
良かった。小さくて声が届かないかもしれないと思っていたんだ。
「手を貸していただけませんか」
「何故?」
「もちろん降り方がわからないからです」
そう、実はわたしはいま、というかさっきからずっと、何百年と生きたような何かの巨木のたくましい枝に座っているのだ。
これがなかなか、結構な高さなのである。
おかげさまで、これまでの会話の間、わたしはずっと木の幹に、思いっきり伸ばしてもどうやっても幹の半分にも届かない両手を回している。怖いから。
あれ、これだとまるでわたしの腕が短いよ、な表現にならないか?
違うぞ。わたしが伝えたのは幹がそれだけ太いってことだよ。
「飛び降りればよかろう」
なんて恐ろしいことを言うのだ、この人は!
この高さを見よ。なかなか結構、なかなかな高さじゃないか。それ以前に
「5段階絶対評価の2取得者、馬鹿にしないでください」
わたしの通っていた高校は文武両道が基本だった。
が、比較的真面目な生徒が多い校風だからか先生方の評価は良心的なものだったのだ。
真面目に取り組めば3は取れるといわれているのに2!
「絶対評価?」
「それは機会があれば出来る限りの範囲で説明します。詳しくないですけどわたしも。言ってしまえば5点満点中2点ということです」
今はそれどころじゃない。段々高さが身に染みてきて、そろそろ持ち上げている手も中途半端に捩った腰も痛くなってくる。
高所恐怖症でないまでも足場の心許ない場所でうやっほーできるほど得意でもない。
「バスケのシュート練習が終わったあと体育の武田先生に『佐藤、わかった。おまえの努力は受け止めた。これまでは先生が悪かった。おまえはよくやったよ』と言われ、それから評価が3になったわたしの気持ちわかりますか!安心したような、先生ありがとう!なような、穴を掘って掘りまくってジャンピング・インしたら通りかかった人にすみませーんそこの土をかけてくれませんかーと底から叫びたいと一瞬でも頭を過ぎるようなあの感情の奔流!」
あれ?なんか頭の中のことがいま口からだだ漏れたような!
口を閉じると美形さんが瞬きをひとつ。
「要するに絶望的な身体能力だ、と」
「骨は折れます。確実に」
真面目な顔で頷けば、はあ、と溜め息をつく美形さん。
つかせてるわたしが言うのもなんですけど、幸セ逃ゲルヨー
「手を伸ばせ」
「て?」
なになに?
「手を貸してやるから、おまえも手を出来る限り伸ばせと言っているんだ」
ええー
「出来る限りって言うんなら、無理です」
幹から手を離すなんてそんな!バランス取れない自信がある。ありありですよ。
「じゃあ、無理にでも伸ばせ」
「急転直下ですよ!」
「ちょうどいいじゃないか」
「骨ぱっきんが!?」
「そっちじゃない。降りたいのだろう?」
うう、確かにいつまでもここにいるわけにはいかない。人に助けを求めておいて尻込みしているのは失礼だよね。よし。
「わたしが落ちても受け止めてくれますか」
「・・・わかった」
言ったね?わたしの体重プラス落下に伴う重力だぞ?
「・・・わたしの命、預けますからね」
「大袈裟な」
大袈裟じゃない。
わたしには小さい頃、ジャングルジムのてっぺんから落っこちた痛い記憶がある。
人の体は賢いもので、危ないことは避けるように出来ている。特に昔の痛みはなおのこと。
恐る恐る幹から手を放して、伸ばされた手のほうに差し出していく。
あれ、でもこれ、めいいっぱい伸ばしても、手、届かないよね?
とか、考えたのがいけなかった。
グラッと前屈みになったかと思ったら、すとーんと落ちていく感覚。
いわんこっちゃないよ!
咄嗟に目を瞑ったせいで、手首を強く掴まれたような気がしたけど、よくわからなかった。
優秀な体が激突の衝撃を身構えて、
気づいたら、思ったよりもたくましい胸の中でした。
お、おお?いま、なにがどうなった?
呆気にとられていると、とん、と降ろされた。
足の裏が安定した地盤にぺったりとくっつく感触。
おお!母なる大地よ、ただいま!