35、赤いリボン
「うわっぷ」
ぺちゃり、と額に何かが乗せられる感覚。
ずり落ちるそれに慌てて手を伸ばせば大雑把に畳まれた布が取れた。
陛下が水に濡らしたタオルを、頭突きをかまし頑張ったわたしの額くんに乗っけてくれたらしい。
「・・・ありがとうございます」
無愛想で無機質なその布は、けれど手で触れると品が良いのがよくわかる。
全く、王宮は怖いところだ。
「まだ痛むか?」
ソファに腰掛けたまま若干上を向くようにして、もらった冷たいタオルを赤くなったおでこに当てると陛下が訊いてきた。
そりゃね!
頭突きとか普段とんとご無沙汰だったから鍛えられていない未熟なわたしの額は結構なダメージですよ!
「・・・陛下は痛くないんですか?わたし、わりと手加減なくやらかしましたけど」
額に重ねた布の隙間からちらりと見れば
「もう引いたな」
となんでもないと言わんばかりに言う陛下。
「・・・石頭」
小さくぼやくと、こつんと陛下に頭を小突かれた。
そのままわたしの向かいのソファに座る。
「私が悪いわけだが、なんで頭突きなんだ」
と問う陛下にまさかバカ正直に答えられるはずもないわけで。
その質問は聞こえなかったふりでわたしは別の質問で遮ることにした。
「あれ、癖なんですか?」
あれって、なんでもかんでもベッドに引き入れるあれだ。
あ!この言い方なんかいやらしい!
陛下は幾分げんなりとした顔をした。
「大の男があれが癖だったら気味が悪いだろう。・・・子供の頃までだ」
今朝は、自分でも驚いた
だとか陛下は渋面をつくる。
ほんとかよ。
寝ぼけてて覚えてないんじゃないの。
とか考えたのが顔に出てしまったのだろう。
陛下は憮然とした表情でほんとうだ、と腕を組んだ。
「・・・子供のころまでの癖、ですか」
「ああ。・・・5才になる前くらいか」
随分前の癖だな!
「覚えてるんですか?」
「人に聞いた話だ。今朝まで半信半疑だった。」
と再び渋い顔をなさる。
あらら。
でも、わたしに非はないはずだ。
「5つくらいのときになにか変化でもあったんですか?」
世間話もいいところで、若干ないがしろに尋ねながら、そろそろ温くなってきた布を額から下ろした。
乱雑に畳まれていたそれを、額に接していた部分を避け、まだ冷たさが残る面を表にして端を合わせるように折りたたみなおす。
そのわたしの一連の動作を見るともなしに陛下は視線を遣りながら、
「・・・剣を持つようになった」
聞こえるか、聞こえないかの声だった。
「・・・・・」
わたしが思わず無言で顔を上げて陛下を窺ったのは、わたしの耳に届いた言葉をほんとうに陛下が口にしたのか自信がなかったからだ。
それくらい、たったいま、つい思い出したといわんばかりのぽつりとした呟きで、ほんとうに独り言に他ならず、陛下はわたしに聞かせるつもりはなかったのだろう。
そもそも、声に出てしまったのも無意識のうちだったのかもしれない。
わたしがじっと見つめ続けると、陛下はどうしたと問いかけるようにわたしに視線を重ねた。
このひとは、もしかして、考えたこともないんだろうか
たとえば、赤いリボンを首に飾ったチョコレート色のテディベアだとか。
言葉は無意識にぽろりと口から出ていた。
「・・・陛下」
「なんだ」
「あの、かわいいふわふわのくまちゃんとかが、よろしいかと思いますよ」
「・・・何が」
「夜のお供に」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
しばしの無言のやり取りの後、陛下は盛大な溜め息をついて脱力したようにソファに背を預けた。
「・・・おまえはな」
「はい」
「真面目な顔をしてなにを言うかと思えば、・・・なにを言っているんだ。そもそもどうしてそう気色の悪い言い方をする」
「え、なにか問題でも?」
え、え、わたし、なにか変なこと言ったっけ?
「自覚がないならなお悪い。だいたいどうしてここでくまが出てくるんだ」
「ぬいぐるみといったらテディベアだからです」
「わけがわからん」
ぎゅっと眉を顰める陛下。
なんだかどこかで聞いたことのあるやり取りだ。
いつのまにか折角丁寧に畳んだ布を握り締めていたわたしは、なんとはなしに皺を伸ばして額に乗せなおす。
布の隙間から陛下が投げやりに窓の景色へ視線を遣るのが見えた。
「いったいおまえの頭にはなにが入っているんだ」
「明日への希望とかですかね」
「・・・昨日を振り返って反省を重ねることも人生には必要だぞ」
「前向きに検討してみます。」
「ぜひそうしてくれ」
陛下とわたしの間を、窓から入って駆けていく朝の涼風が一陣。
コンコン、と、聞き覚えのある非常に上品なノックの音が響いたのはそのときである。
ノックの主が名乗りをあげる前に、相手が誰であるのかわかっているかのごとく遮るように陛下は、入れ、と言った。
極力静かな音で扉が開く。
その人物が入ってくるのと同時にわたしは頭の上の、正確にはおでこの上のタオルを取った。
扉を、いっそ静謐じみた動作で閉めると、何十年と染み付いて馴染みきったような一礼を深々としてみせた人を見たわたしが思わずアメリのときよろしくソファから立ち上がったのは言うまでもない。
わたしは叫んだ。
白髪混じったグレーの頭に、丸い眼鏡と隙が見当たらない執事服。
そう。このひとの名前はこれしかないに違いない。
「セバスチャンさん!」
「ハワードでございます」
違った!
閲覧、お気に入り、ほんとうにありがとうございます。はしおです。
番外編にもまたひとつ上げさせていただきました。
仕方ねえ、読んでやんよ!
って言ってくださる方、どうぞ目を通してみてやってください。
小さいころの陛下のおはなし。