32、こどもの言い分
ところで。
「陛下、こんなに遅くまでお仕事ですか?」
そう、もう外は夜も更けて、惰眠好きのわたしとしては既におやすみなさいの時間に差し掛かろうとしている。
陛下が私室へ引き揚げてきたのはそれくらいの晩い時間だったのだ。
「ああ」
「・・・激務ですね」
「そうでもない」
「そうでもないですか」
「そうでもないだろう?」
「激務ですよ、たぶん」
「・・・そうか」
「毎日こうなんですか?少し控えたほうが」
体が資本だよ、陛下。
他人ながらもちょっと気になったわたしのお節介な進言に
「好きでやっているところもあるからな」
飄々と言ってのける陛下。
わお。ワーカーホリックめ!
信頼できる部下がいないわけじゃなかろうに。
余計なお世話と知りながらもつい、わたしが再び口を開こうとした時、
「自分の目で見ておきたいものもある」
タイミングよく陛下がそう呟くので、わたしは思わず言いよどんでなんだかそのまま口を閉じてしまった。
それでもなにか言おうと試みるんだけど、適当な言葉が見つからなくて結局口をぱくぱくとさせるわたし。
小学生のときクラスで飼っていた金魚をちょっと思い出した。
微妙で中途半端な行き場のない空白が空く。
それを破ったのは陛下だった。
「子供はもう寝る時間だ」
だと!
一瞬喧嘩を売っているんだろうかと思ったのだけれど、
陛下はそれこそ子供に言い聞かせる親のような優しげな雰囲気を含んだ双眸をわたしに向けてた。
え
「わたし、またここで寝るんですか?」
「そうだが?」
「陛下はどうするんですか?」
問えば無言でちらりと机を見る陛下。
うげ
「駄目、駄目ですよ!」
二日連続の貫徹は駄目!
この際、勘違いされていること間違いない年齢を訂正するのは後回しだ。
わたしはつい無意識で、咄嗟に陛下の腕を両手で掴んでいた。
・・・あー
掴んじゃったもんはしょうがない。
そのまま怪訝な表情の陛下を知らん顔でぐいぐい引っ張って。
ぼふ、と二人揃ってベッドの上に転がる。
わたしが寝転んだまま陛下のほうに体を向けると、陛下は頭痛がするといわんばかりに渋い顔で天井を見ていた。
そりゃ、いきなり引っ倒して悪かったけどさ
そんな顔するほどでもないと思うのよ。
こうしたのにはわたしなりにそれなりの理由があるんだ。
「母が一度過労で倒れたことがあるんです」
あれは怖かった。
ほんとうにこわかった。
わたしの呟いた声に陛下は少し体をこちらのほうへ傾けるとわたしと目を合わせた。
それに対抗するようにじっと黙って陛下を見つめ返していると、わたしの顔を観察していた陛下は根負けしたのか溜め息と一緒に手を伸ばしてきてわたしの頭に触れた。
「・・・わかった」
了承の言葉にわたしもほっとしたような勝ったような。
そんな気がして知らず顔が綻ぶ。
「ありがとうございます」
それから思い当たることがあってふふ、と小さく笑ってしまうと目敏く陛下がなんだ、と訊いてきた。
「懐かしいなあって。よく兄とこうして一緒に寝ていたんです」
中学生になってからはなかったけど。
わたしは構わないよって言ったのに、兄さんはなんだか寂しそうな顔をして、僕が構うんだよって断られてしまった。
隣に人の温もりがあるって懐かしい。
わたしが布団に潜りこむ時間、ほとんど母は仕事に出ていたから、その多くを埋めてくれたのは兄さんだった。
「兄がいたのか」
「いたんじゃありません。いるんです。」
何故か過去形なのがちょっと気になった。
わたし、まだ日本に帰るの諦めてないのよ!
「自慢の兄です」
囁くように、けれどはっきりと声にすると陛下は少し間を空けて
「・・・そうか」
とわたしと同じように囁いた。
その目がどこか遠くを見ているようなのがなんだか心に残った、異世界二日目の夜だった。