30、異世界の城窓から
サンファルさんが出て行き、アメリとわたしだけになった静かな部屋のなかを、本を捲る音だけがぺらぺらと間抜けに響く。
テーブルの上、数冊重ねられた本。
そのなかから確認もせず手にとった二冊目を、目も通さずに機械的に捲っていく。
アメリに頼んで持ってきてもらったこの本なんだけど、最初に手にしたものを少し読んでからあとは碌に読むでもなしにただ、ぺらぺら、音を出すだけの楽器と化していた。
というのも、わたしが、さっきまでのことを思い返す行為に耽っていたからだ。
「だから特一級に付いた一番有名な通り名は、皇帝陛下の拾得物」
部屋に響いたのは、本ではなくてサンファルさんの声。
ぱちぱち。
わたしの瞬き数回分の間が空く。
「・・・こうていへーか、の」
「拾得物」
我ながらたどたどと呟くと、ご親切にもサンファルさんがわたしに人差し指を向けながら続きを紡いでくれた。
・・・サンファルさん。人を指差すのは失礼なんですよ。
「なんで、そんな、大仰なものに」
慄いたわたしの鼓膜に、
「都合がいいからでしょ」
サンファルさんのあっけらかんとした声がぶつかった。
都合?
「例えば?」
「特一級は陛下直属の部下だから、他の部署の干渉とか圧力を受けにくい」
な、
「なるほど」
「あと監視しやすい」
あ
「そうでした!」
わたし、そういえば、そうだった!
いまの今まで忘れてたよ!
思わず叫んだわたしにサンファルさんがなんか言いたそうな顔をしてるけど、見えないね!
だって、後ろめたいことなにもないもの、うっかり忘れてたっていいよね!
仕方ないと思うの。うん。
「・・・それに、」
絶妙な間を空けて話を再開したサンファルさん。
あ、まだあるんですね。
「はい」
相槌を打ちつつ彼を見る。
「シーキにも悪い話ばかりじゃないわ」
そこで綺麗なサンファルさんの碧い目とぶつかった。
「・・・サンファルさん」
悪い話ばかりじゃないってことは、悪い話があるって前提ですよね!
「特一級は、選任から使役、もちろん罷免まで、その他あらゆること全権を皇帝がひとりで有する。基本的にはね。・・・存在の有無でさえ、全てを把握し得るのは皇帝と、法務大臣だけ。」
「法務大臣?」
って、えっと、ほら、あの人だ。
・・・マルタンさん?
「国財保護法適用者は、特一級も、全員当代の法務大臣によって登録をされないと、適用者と見なされないって決まってるの。特一級に関しては皇帝に口を出せるのは法務大臣だけってことね。一応の保険よ」
「・・・保険」
そりゃそうだよね。
おうさまだって、にんげんだもの。
それで、
「悪いことばかりじゃないって、なにがですか?」
首を傾げたわたしを、サンファルさんはじっと見ながら口を開いた。
「特一級は皇帝の手と足。彼らへの妨害は帝国への反逆よ。」
今朝わたしが開けてそのままにしてあった窓からは生温い風が訪れて、サンファルさんとわたしの髪を揺らしていく。
「・・・そんな、大袈裟な」
「大袈裟じゃないのよ、それが。前例を見るとね」
薄く笑うサンファルさん。
南中も過ぎたのだろう、太陽は一層力強く燦々と世界を照らし、早朝の過ごしやすい空気はじっとしていても少し汗ばむものへと姿を変えていた。
「だから、シーキ。あなたを害することは陛下に喧嘩を売るってこと。そんなの、そうそうできることじゃないわ。大半は。」
きれいに話をまとめてしまってから、今度はいつものように、いつもって言えるほど一緒にいたわけではないけど、幾分見慣れた、にっこりとした笑顔を浮かべてみせるサンファルさん。
でもしっかり、大半は、ってそれこそ保険掛けるの忘れないですよね!
大半ってことは、その大半に入らない人たちがいるってことで。
皇帝に喧嘩売りにいけるその大半じゃないやつらのほうが心配の種だと思うんですけど!
とは、なんだか口には出せず。
はあ、と生返事をしたままティータイムを再開し。
それからあまり時間も経たないうちに部屋を出て行こうとしたサンファルさんへ素朴な疑問を投げかけてみた。
「あの、サンファルさん、帝国の拾得物なのに、皇帝の拾得物にしちゃっていいんですか?」
だって、なんとなく違和感ないか?
国財保護法の最上級がなんで個人の拾得物になるのか。
わたしは不思議だったんだけど、サンファルさんは
「いいもなにも、皇帝は帝国だもの」
だと。
心からそう思っているんだろう。
なにかおかしいことでも?
そういわんばかりの表情を残して去っていったのだった。
と、ここまでがわたしの回想。
皇帝陛下は帝国そのものなんだってさ。
そこがよくわからないんだよなあ。
わたしは一応民主主義国家の生まれだから帝政はよくわからん。
やっぱり、もしかしたら、ここのひとたちとわたしとでは、根本的に違ってしまう考え方とかもあるんだろうか。
あ、思想といえば。
「ねえ、アメリ」
さっきまで全く声を発していないから皆さん存在を忘れかけていたかもしれないけれど、回想から今までずっと、アメリはわたしと同じ部屋にいてくれたのだ。
メイドはむやみやたらと口を挟んではいけないとか、そういう教育がされているのかな。
サンファルさんとわたしが会話をしている間ずっと彼女は静かに適度な距離でもって佇んでいた。
しつこいようだけど驚くべきことに彼女は16なのだ。
わたしと一つしか変わらない。
それも年下。
アメリはすぐに、はい、とソファに座っているわたしの近くまで寄ってきてくれる。
ねえ、アメリ座ろうよ
立ちっぱなしだと夕方になって足がむくんじゃうぜ!
「アメリ、カサランサスでは女性が公的な立場に立つのはいけないことなの?」
不意にやってきた質問にアメリは小首を傾げる。
下から見上げても彼女は可憐だ。
「政事で公に女性が動くということは確かに多くはありませんが、まったくないというわけでも・・・」
「そうなの」
「はい。少なくとも、法でなにか決められているということは無いはずですわ」
「・・・そっか。変なこと訊いてごめんね」
議場のあの視線。
サンファルさん曰く、特一級に女性が登録されたということがだいたいの理由らしい。
もしかしたら、
と思ったのだけど。
「スィキ様」
ぼんやりとしていると珍しい、アメリのほうから声をかけてくれた。
惜しいなあ。呼び捨てだとなおよろしいのに。
「様はいらない。けど、はい。なあに?」
アメリが淹れなおしてくれた紅茶を、折角なので頂くべくカップを手に取ってアメリを見ると、彼女は少し眉を顰めた。
諦めの悪い奴とか思われたかも。
でも、もしかしたらいい傾向かもしれない。
「敬称は必要でございます。・・・先程からずっと読書をなさっているようですが」
「あ、うん」
と頷いてみせたものの、前述の通り、目を通したのははじめの一冊、冒頭部分だけだ。
「耳で聞く音はだいたい同じみたいだけど、文字のほうはどうかなって思ってさ」
ちょっと気になってアメリに本を見せてもらったけど、ぱっと見、アルファベットのままみたいだ。
正直ほっとした。
日本語だともう、文句なしなのにね!
「・・・そうでございますか」
「うん」
カップを両手で包み込むようにして持つ。
覗き込めば、艶やかな琥珀色に自分の顔が映っては緩やかに波が揺れていく。
開いた窓から心地よい音と共に風が部屋を駆けていった。
「静かだねえ」
「そうでございますか?」
「うん。なんだか、すごく静か」
昨日のお昼より、一際静寂に包まれているような気さえする。
優雅なティータイムだ。
「スィキ様」
「様はいらない。けど、はい。なんでしょーか」
顔を上げると、その頬をまた、風が撫でていく。
アメリの優しい栗色の前髪が揺れた。
「敬称は必要です。・・・ご本が逆でございますわ」
「・・・・・・・・・あ」
あまりに不親切なので、意を決してあらすじっぽいものを付け足しました。
あらすじ書くのって凄く恥ずかしいなって思いました。
でもこんな文章曝しておいて今更じゃないのかなとか考えました。
あれこれ作文。