11、トロール
空中庭園こと、シエル・ガーデンは豊かな草原と森の自然の中にある。
いや、庭園のなかも豊かな自然だったけれども。
巨大な庭園をすっぽりこれまた巨大なガラスがドーム状に覆っていて、唯一の入り口らしいガラス扉の前に門番が二人。周囲を歩く警備が数人。
神秘的な庭園は外を出れば意外と物々しかった。
というのは、サンファルさんと空中庭園のある高台を下るまえにちらっと見たときの印象。
わたし、さっきここを山とか崖とか表したけど、よくよく考えれば丘陵といったほうが適切なのかもしれない。
街を見下ろした時に随分高く感じたからそう思い込んでいたけど、崖というにはなだらかだ。
坂の多い町に住んでいたわたしの健脚が言っている!
街がずっと平地だからなおさら高いように感じるのかもね。
何故穏やかな傾斜だとわかったかというと、なぜもなにも、空中庭園から下界へはなっがい、これまた白石の階段が続いていたからです!
この階段は流石に自力で下りると主張して、ここでサンファルさんとひと悶着あった!勝った!
山だろうが崖だろうが丘陵だろうが、この帝都で一番高いところで眼下の景色が壮大であることに違いはない、ということにしておこう。
地形なんて地理選択者じゃないからよくわかんないよ!
わたしの学校は生徒が地理と日本史どちらかを選択して授業を取っていた。
テストのだいたい一週間前。
地理選択者の友達が地図と睨み合いを続けていたとき、わたしは日本史選択者の友人と日本だけでなく、必修だから仕方ない、ええいっ世界も交えてしまえ!と「マルクス=アウレリウス=アントニヌスっ」とか「アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスぅ」とか「ひた?がく、がく、た、おう・・・?」「ぬかたのおおきみ!」とか呪いの呪文を叫びあっていたのだ!
言わせてもらおう!
ギリシア似たような名前多すぎ!
日本史漢字の読み方なんて音読に統一すればいいじゃない!
と!
なまじ、テスト前は世界史と日本史をごちゃまぜにして、とにかくやたらめったら多い人名をひたすら暗記しようとするせいで何が日本史でどこまでが世界史で、今叫んでいる名前の人物がどっちの科目に登場してくるのかさえ一瞬わからなくなってくるのだ。
とんだ学生泣かせである。
前もってちゃんと勉強してればいいじゃない、とか。
それは言ってはならない、禁句中の禁句であるのは言うまでもない。
と、階段を下りきってサンファルさんの背中の上に乗らせていただき数分経ったここにきて、何故わたしが空中庭園のことを明瞭に思い出しているのかというと簡単だ。
空中庭園と今わたしがいるここ。相違点といえば。
人!
そう!ヒューマン!ピープル!ビーイング!
「これから人が少しいるわよ」ってサンファルさんに言われた時から嫌な予感はびりびりしてたんだ。
そんなごったごったいるわけじゃないけど、只今美人におんぶされてるわたしには辛い!
今まで人目がないからと押し込めていたものが我慢を越して爆発しそうだ!
「め、目線が、いたい」
ちくちくするよ。わたし、だめなんだって、ほんとこういうの。
掠れる声で呟いたわたしに
「あんたが気にしてるほど人はあんたを気にしてないわよ」
飄々と言うサンファルさん。
サンファルさん、あなたからあんたになってます。めんどくさいなあ感がばりばり漏れてますよ。
人がいるからか、ひそひそ小さな声でサンファルさんが言うのに倣って、わたしもつい声を潜めてしまう。
「うそだあ。だってあの女の子こっちガン見じゃないですかあ」
普段なら、きゃ!生メイド服!ってなるけど今のわたしにそんな気力はないよ。
日本の自然現象でいえばHP3って感じ!あれ、これ自然現象じゃない?文化?あれ、文化?
「だいじょうぶ。あの子は私を見てるの」
「そうですよね!イケメンサンファルさんをつい目で追ってしまうんですよね!でもそれどっちにしろサンファルさんを視界に入れたら否応にもわたし付きですよ!」
私的に陛下もサンファルさんもイケメンより美人って感じだけど!
「いけめん?」
「イケてるメンズです!」
「・・・シーキ、説明になってない」
私的にイケメンよりハンサムとか美人のほうが好き!
そしてそれより美女が好き!
さらに美少女が好き!
ハンサムってかなり久し振りに聞いたよ!
「この場面ではそんななにかを揺るがす重大な意味はありませんから」
聞き流してくださいね。
「ねえシーキ、さっきとあなたなんか違うけど。なに、対人恐怖症?」
ねえシーキって、一瞬、ねえムーミ〇思い出す。わたしだけ?
ムー〇ン好きよ。ス〇フキンもっと好きよ。知ってた?〇ーミンって妖精なんだぜ。
みいこちゃんが言ってた。16歳のときに知った。16年目にして衝撃の真実だった。
「人は好きです。・・・ただ、恐怖症ってほどじゃないですけど、注目されるのはちょっと」
わたしの心は強くないのです。
残念ながらふわふわな毛は現在生えていないのです。
ところでみいこちゃんとは高校に入ってからの友達だ。
人間壁の一人である。
気になって〇ーミンの公式サイトで調べてみたけど、正確には妖精でもないらしいよ!
結局なんなのかよくわかんなかった!でもそれがムー〇ンらしくていいと思う!
〇ーミンはムー〇ン!
あれ、これなんの話だっけ
よしよし。いいかんじで気が逸れてるぞ。
ああ!そこのお嬢さん!わかります。わたしなんかより可憐なあなたのほうがサンファルさんの背中にはふさわしいですよね。わかります!
だめだ。やっぱぜんぜん逸れてない。
「そう。じゃあ顔でも伏せてなさい。」
「・・・そうさせてもらいます」
「なるべく急ぐから」
どこに?
とは口にはせずに、ありがとうございますと言ってわたしは視界を閉じた。
サンファルさんはほんとうに急いでくれたらしい、気づけば静かなところにいた。いい人だ。
ってここはどこだ。いつのまに屋内に入った。
顔をあげて見回すと、どうも廊下のように思える。たぶん廊下、なのだけど、
「ご、豪華」
「王宮だからね」
そうでした。王宮でした。
わたしの呟きにくれたサンファルさんの返答にやっと思い出した。
ここ王宮だった!室内がこれだけ豪奢なら外観もさぞや見物でしょうな!
わたしなんでさっきそれに気づかなかったの!見逃した!
今、サンファルさんとわたしが行く廊下はすっと直線に伸びているのに突き当たる壁が見えないほど長い。
延々磨きあげられた窓が続き、冷たそうな石の床を夏の陽射しが照らしていた。
壁は気分を害さない程度の穏やかな模様が浮かび上がり、まるでそれ自体が芸術品であるかのようだ。
カメラ。カメラ、欲しいよ!
アメリカ人の日本人に対する印象の中に、「なんか知らんけどいつもデジカメ持ってる。いつも撮ってる。」っていうのがあるって聞いたことがあるけど、中学校の修学旅行で京都の町並みをぱちぱちやってたわたしとしてはなんとも言えんな。
なんて考えていたら、サンファルさんがひとつの扉の前で止まった。
この扉もまた細部にいたるまで繊細な模様が描かれたり刻まれたり飾られたり。
取っ手に触れるのもためらわれるのだけど、あっさりサンファルさんは扉を開ける。
おお、さすが違うわ。
言うまでもなく、部屋の内部も凄かった。
床は厚い絨毯が敷き詰められ、その上にわたしには高価すぎて価値もよくわからない家具が鎮座している。
まるで彼らのための絨毯と部屋のごとし。
この絨毯ふかふかだ。踏んでないけどわかる。ぜったいふかふか!
ひどく余裕のある造りになっていて日の射す大きなフランス窓が五つ、優雅なバルコニーが覗く。
佐藤家の間取り全部足しても適わないかもしれない。
か、格差社会がここにも!
唖然としていると、はい到着、と高貴なソファの前でサンファルさんが屈んだので恐る恐るソファに足の裏をくっつける。
し、沈んだ!ふわんふわんしてるよ!
「・・・・・・・・」
「・・・シーキ、ソファの上に突っ立ってないで座りなさい」
「うあ、はい」
いかん。あまりのふわんふわんに眉根を寄せて足元を睨んでいた。足踏みしてた。
あ。
「サンファルさん!」
「なあに」
扉に向かって歩き出したサンファルさんに焦って声を掛けたのだけど、彼はなにやら少し扉を開けてすぐに閉めてしまった。
あれ?出て行くんと違うの。ま、いいや。
「あの、運んでくれてありがとうございました」
お礼はちゃんとしないともやもやする。
何故って他でもない。小さい頃から、兄さんとお母さんに叩き込まれたからである。
あれだ。恐怖のあまり体が覚えたってやつだ。おかんもおにいも怒ると大変恐ろしい。
頭を下げるとサンファルさんの呆れたような声がした。
なんか、わたしあんまり呆れられると自分がそういう人間のように感じてきたんだけど、今までそんな呆れられたことはなかったはずだと自負しているんだけどなあ。
あんまり突拍子もない展開に常ならぬ行動が多くなっているのだと思うのだけどいかがか。
「お礼はわかったから、座りなさい」
そうでした。
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス
ローマ皇帝。最後の五賢帝
・アイスキュロス
三大悲劇詩人。「アガメムノーン」など。
・ソフォクレス
三大悲劇詩人。「オイディプス王」など。
・エウリピデス
三大悲劇詩人。「メディア」など。
・額田王
ぬかたのおおきみ(諸説有)女流万葉歌人
悩んだけれど一部伏字に変更しました。
でも、伏字ってこれでいいのかな・・・