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藍色の疾風  作者: 黒詠
プロローグ
1/10

春のとある日

 風の強い日だった。

 中学生になりたての(あかる)が慣れない鞄の重さに耐えていると、唐突に肩にかかる重さが消滅した。振り返ると彼の姉であるあかねが、にっと笑いながら鞄を持ち上げている。

「相変わらずだなぁ、明は」

「……この鞄が重いだけだよ」

「ほら、持ってやるから貸しな」

「うん、ありがとう」

 素直に鞄を降ろし渡す。あかねは軽々と2つの鞄を担いで歩き出した。

「今日はどうだった、明? 体育あったんだろう?」

「別に。……どうせ、姉さんは越せないよ」

「それは当たり前だ。何せ私は、桁外れの身体能力らしいからね」

 あかねはそう言って苦笑した。“らしい”……それは、あかねにとっては普通のことだからだろう。 生まれつきの身体能力の高さ故に、あかねは幾度となく偏見にさらされてきた。同時にその頭の回転の速さも、明のその記憶力の良さも。

 人造人間。

 響きが陳腐で個人的には嫌いな言葉なのだが、あかねも明もそう呼ばれる人種だった。

 No.014<暁>、No.015<夜>。国のプロジェクトから与えられた名はこの2つ。014が羽狐(はこ)あかね、015が羽狐明だ。

 本来なら個体名に合った瞳を持つはずだったのだが、2人の場合は少し特殊であかねが藍色、明が紅の瞳だった。

 そんなこと、明たちが普通に暮らす分には何も関係ないのだが……放っておいてくれない人種も、当然後を絶たない。

「……プロジェクトの個体だな?」

 不意に男が物陰から現れ、あかねにそう尋ねる。あかねはにやりと笑って挑発的に言い返した。

「違う、と言ったらどうする?」

「……いいや、お前もそのチビも、014と015で間違いない。瞳の色が藍色の少女と紅い少年、だろう?」

「……今日くらいは早く帰りたかったんだが……明、今何時?」

「4時15分。研究所にお客さんが、5時に来るって」

「リミットは5分か……面白い。来なよ、お兄さん。生憎私は手加減しないよ?」

「はっ、ほざけ!」

 喧嘩は……と言いかけて、やめる。既にあかねは易々と男の懐にもぐりこみ顎に見事なパンチを炸裂させていた。

「私に喧嘩を売ろうなんて100年早いよ、お兄さん」

 道路のど真ん中に大の字に伸びた男に向かってあかねはそう言って、くるりと明を振り返った。

「……いつも言ってるでしょ、姉さん。暴力はやめてって。逃げれば済むじゃないか」

「……いや、ごめん。でもさ、始めに仕掛けてきたのは、」

「姉さん。あっちは声掛けてきただけでしょ」

「……でもやっぱり、私は悪かったとは思わないよ。でなきゃ、私は逃げ切れても明が捕まるだろう?」

「……僕だって、そんなに足遅くないよ」

 バカにされたように感じて思わずむくれると、あかねは笑いながら近寄ってきて頭をくしゃっと撫でた。

「言い方が悪かったな、ごめん。ただ私は、明とあまり離れて居たくないんだ。……でなきゃ多分、手加減が出来なくなるからね」

 感情に特化したあかねはそう言って笑い、理性に特化した明はため息をつく。確かに、あかねの言うことは正しかった。

 2人で居て初めて、あかねと明は完結するのだ。感情に特化しているあかねは喜びも人一倍なら、怒りも同様に人一倍だ。そこにあかねの理性である明が居なければ、まず手加減は出来ないといって良い。逆に、明の感情であるあかねが居なければ、明は笑うことも泣くことも怒ることも出来ないのだが。

「まぁ、とりあえず帰ろう。客を待たせるのも悪いし」

 からりと笑い歩き出したあかねに慌てて追いつきながら、明はあかねにばれないように苦笑した。

 強く勝ち気なあかねも誇りに思うが、時々妙に子供っぽいあかねも同じように大好きで、願わくはこんな生活が寿命まで続いて欲しいと思う。

 平均寿命が120歳とありえないほど延びたこの国で、たったの25年の寿命……あかねが側に居ても、それが悲しいことだとも思わなかったし憤りもしなかった。それが明という人間だった。

「……遅かったな、014、015」

「つまらない輩に絡まれてね。それで、“父親役”さんは送ってくれるのかな?」

「それが所長命令だからな。仕方ない。……まったく、こんなのを引き受けて」

「それは“母親役”さんのことか……。なるほど、そのように思っていたんだね、“父親役”さんは。でも生憎、あの人は私たちを手放さないだろうと思うよ」

 微かに翳を含んだ笑みをあかねはその頬に浮かべた。

 明にも見せない、夏場もずっと、上半身だけは長袖で……打撲、かさぶた、火傷が、その下にあるはずだった。母親からずっと受け続けている虐待の証拠が。

「そうだろうな、仕方ない。だがあと12年もすれば終わる、だろう? 014」

「とっとと死ねと言われているようだね。私は最後の最後まで足掻くつもりなのだけれど」

「……無駄なおしゃべりは終わりだ。乗れ」

 “父親役”はそう言って一足先に運転席に乗り込み、エンジンをかける。あかねと明が同じく乗り込んでドアを閉めると同時に、“父親役”は車を発進させた。

「……姉さん……」

「ん? ……あぁ、大丈夫だったか? 私は言われ慣れたから何も思わないが……明にはきつかっただろう」

「僕は平気だよ。でも、姉さんが」

「言ったろ? 言われ慣れてる。偽人と言われる事にもね。明も今のうちに慣れた方が良いかもしれないが……まぁ、明に対しては私が言わせないから安心しな」

 そう言ってきれいに笑い、くしゃっと明の髪をかき混ぜる。そんな問題じゃない、と食い下がろうとしたが、あかねは完全に切り替えた顔でさて、と言った。

「お客さんはどんな人なんだろうね、“父親役”さん」

「……お前達と同類だ。それ以上は私も知らないがな」

「同類、か……明、何か分かるか?」

 同類と言われて思い出したのは関西に1人と九州に1人だった。明は思い出すままにあかねの質問に答える。

「関西研究所のNo.016、朝日理央くん……小学5年生と、九州研究所のNo.017、川端那由多ちゃん小学3年生。共に金髪で、理央君は茶色の、那由多ちゃんは蒼の瞳。だからすごく目立つんだとか」

「金髪碧眼の少女と金髪に琥珀色の瞳の少年ね……。日本人が好きそうな組み合わせだ。そこの所長の趣味かな?」

「さぁ、そこまでは分からないけど……」

 どういう子だろうね。楽しみだ。と不敵に笑い、あかねは窓の外に視線を移した。人通りも車通りも少なく、緑が多いといえば聞こえは良いが要は手入れのされていない草木が溢れている。

「……明、お前は将来についてどう思う?」

「……さぁ。ただ僕は、姉さんと一緒に居られればそれで良いよ」

「いや、そうじゃなくて。……都会に出たいとか、何か理想とか」

「……僕はそういうものに縁が無いから。姉さんはあるの?」

「私は……」

 唐突に父親役がブレーキを踏み、あかねと明は同じようにつんのめった。

「着いたぞ。早くしろ」

「……最近母親役さんに似てきたね、父親役さん」

 あてつけのようにあかねが明るく言い、父親役はあからさまに嫌な顔をして舌打ちした。ドアを開け外に出ると、あかねの長い黒髪が風に弄ばれる。

「ここから先は私は来るなとの命令があった。帰りは自力で帰って来い」

「了解したよ、父親役さん」

 ここから自力で帰ろうと思ったら、家に着くのは明日の夜になる。それを分かった上で、双方ともそう言っているのだろうなと思った。ただあかねの方には、何か案があるのだろうとも。

「さ、行くよ明。客人がお待ちだ」

「……うん」

 2人して車に背を向けた瞬間に、車のエンジンがふかされ遠ざかっていった。

「やれやれ……これでも一応私達はVIP扱いのはずなんだけどね……」

「親らしいことも何もしないしね。まぁ、研究者にそれを求めるのもおかしいかも知れないけど」

「確かにな。……やぁ、原田さん。所長はどこか分かるか?」

 たまたま通りかかった研究員、原田(はらだ)和樹(かずき)は、あかねと明の姿を認めるとにっこりと笑い会釈した。

「あぁ……こんにちは、014。所長なら研究室5に、お客さんと一緒に居ましたよ」

「ありがとう」

 あかねはにこりと笑い返し、明は軽く会釈をして、教えられたとおり研究室5へと向かう。道中、色々な研究員とすれ違うが、原田のように笑いかけてくるものはむしろ稀で、視線すら合わせようとせずそそくさと去っていくのがほとんどだ。

「……だからここは居心地が悪いんだよな」

 あかねの呟きに明も無言で頷いた。だがそれでいうなら、気の休まる場所など存在しはしない。

 家ならば常に母親役、父親役に監視され、学校ならば人気者として周りを大勢に囲まれ、研究所ならば崇高な研究の結晶と畏怖され、人外のモノと蔑まれる。

「……姉さん……」

「もう慣れたさ。ほら、先に入りな」

 あかねは明るく言って扉を開け、明が通れるように道を開けた。

「遅かったな。待ちくたびれたぞ」

 入るなり所長にそう呼びかけられ、あかねと明は顔を見合わせた。明はあかねよりも早く所長に向き直って口を開く。

「条件的に無理があると思いますが。父親役さんはそんなにスピードを出しませんし、僕と姉さんが通う中学からはどう頑張っても30分はかかります」

「それに、私達に客の知らせが来たのは下校途中だった。そこから走って帰れば別だったかもしれないが、また邪魔が入ったものでね。あの手の輩もいい加減消えて欲しいんだが」

「さよか。そらお疲れやったなぁー。まぁ座り、羽狐姉弟」

 客の方からそう言われて若干戸惑いつつ、素直に椅子に腰を下ろす。正面の椅子には金髪の少年と少女が腰掛けていて、明と目が合うとそれぞれにこやかに笑って会釈してきた。

「紹介遅れたわ、まずアタシが関西研究所所長・早蕨(さわらび)千代(ちよ)。で、こっちの男の方がNo,016朝日(あさひ)理央(りお)。女の子の方は九州から預かってるNo,017川端(かわばた)那由多(なゆた)。これからちょくちょく会いに来るかも知れへんし、仲良うしたってなー」

 早蕨はそう言うと、あかねと明に向かって小さくウィンクをした。それに苦笑しつつ、明の横に居たあかねは言葉を返す。

「御紹介ありがとう、関西所所長さん。私は御存知の通り、No,014<暁>羽狐あかねだ」

「僕はNo,015<夜>羽狐明です」

「堅苦しいわー。関西所所長、とか誰も呼ばへんで。ちぃさんか早蕨さんのどっちかや」

「……では早蕨さんとお呼びしよう。理央くんと那由多ちゃんの保護者はあなたが?」

「そ。那由多の方はちょい訳ありでなー。最初は理央1人の母親役やってんけど、まぁそんなに大変でもないし。那由多えぇ子やからな」

 言いつつ那由多の頭をくしゃりと撫でるその仕草は、付け焼刃でなく本当に常日頃からそうしているのが見て取れた。あかねが明を撫でるときと同じ表情で、けれど少しあかねよりも優しい手つきで。

「……さて。それじゃアタシらは少し席を外そうか、国立の所長さん?」

「私は構わん。014、終わったら連絡しろ。……父親役は?」

「すぐに帰って行ったよ。帰りは自力で帰って来い、だそうだ」

 あかねがさらりとそう答えると、所長は大きく溜息をついた。

「仕方が無い。原田に近くまで送らせよう。家の前まで行ったら014、お前がきついんだろう?」

「まぁね。でも痛みに耐える術も悲鳴を噛み殺す術も身につけたし。どうせ待遇は変わらないから家の前で良いさ。……この身体で良かったと思うのはこういうときだね。痛みに多少強いから人に言われるほど辛くは無い」

「それでも一応、後で検診を受けていけ。……やはりあそこに預けたのは失敗だったな……私が結婚していれば、お前達を引き取ることも出来たのだが」

「……客人の前でそういう話は、しない方が良いんじゃありませんか?」

 関西の所長も、座っている少年少女も痛ましい表情であかねを見つめている。それを見かねて明が口を挟むと、所長もあかねも慌てて表情を取り繕った。

「……関西の所長には話しておくが、良いか? 014」

「構わないよ。どうせこの子達にも私から話すし。……聞いて楽しい話ではないけどね」

「……後で話さんか? あかねちゃん。アタシとサシで」

 早蕨の申し出にあかねはニッと笑って頷く。日頃の仮面のような微笑とは違う、本当に楽しそうな……しかしどこか皮肉っぽい笑み。

「さぁて、国立の所長さん。ここの設備案内してぇな。最新の機具いっぱいあんのやろ?」

「あぁ。ではまず向こうから案内していこう」

 所長2人はそう言って出て行き、後には未成年だけが残された。

 すなわち、人造人間だけが。

「……で、話っていうのは?」

 最初に口火を切ったのはあかねで、偉そうでもなく、だからといって猫なで声でもなく、ごく普通に友達と話すトーンだった。それに安心したのか、金髪の男子の方……朝日理央が答える。

「別に、そんな大した事でもないんかも知れんけど……偽人、て言われたこと、あかねさんはある?」

「……しょっちゅう言われるよ、私は。明は言われてないと思うけど」

「さよかー……俺、この間初対面の人間にいきなり言われてん。あぁ、お前偽人か。って」

「……意味としては間違っていないけどな。確かに」

 あかねの悲しげな笑み。その意味はきっと、本当のところでここに居る“人ならぬ人造人間”である明達にしか理解できないだろう。

 人に造りだされた“人”。ただそれだけで、人々の明達を見る視線は驚くほど変わる。

「……普通に生きとって、ちゃんとまっとうに暮らしとるはずやのに、なんで俺らだけ、そない言われなあかんのやろな」

 そう言ってやはり淡く悲しげに笑った理央は、もう大人のようだった。否、そこらの“大人”よりは余程大人だろう。あかねや明とは違って生まれた時から精神年齢まで設定されていたわけでなくとも、理央は―――恐らく那由多もだろうが―――大人にならざるを得なかったのだ。

 「偽人」であるが故に。

「……頭が良いね、君は。私の周りは幸いにも、露骨に言ってくるバカが居ないから楽なんだが……理央君、それはバカの戯言だから、聞き流すしかないよ。私にもどうにも出来ない。ただどうしても苦しかったら、そのときはいつでもおいで。私でよければいくらでも話を聞こう。話をするだけでも大分スッキリするし。……それよりもひとつだけ、おまじないをしておこうか」

 あかねはそう言って身を乗り出し、楽しそうに笑った。引き込まれるように、理央も那由多も、そして明も身を乗り出し、顔を寄せ合う。

「羽狐兄弟と仲良くなったんだ、と言ってごらん。私達の知名度はそこらの政治家より余程だし、私の気性の荒さは全国民が知っているからね。君や那由多にもし危害を加えたら、私が黙っていないと言外に告げるのさ。……それでも駄目なら、直接私が出て行っても良いし」

 物騒なことを言いながら、あかねの笑顔は一点の曇りもなく朗らかだ。その雰囲気に釣られたように、那由多がふにゃりと笑った。

「あかねさん、かっこいいねー!」

「ありがとう、那由多ちゃん。……もちろん、強制はしないよ。これは君の問題だ、私が出る幕じゃないと君が思うなら、私の言ったことは忘れてくれて構わない。……明、お前はどう思う?」

「……点数で言うなら70点てとこかな。理央君、失礼を承知で聞くけど、君の能力は?」

「……俺は、絶対音感。那由多は瞬間暗算やけど……そんなに体動かす方でもないし」

 言いつつも伏し目がちなのは、それでもテストの点数が良いからとやっかまれるせいだろう。

 偽人のくせに、と囃し立てる奴らの声が聞こえるようだ。

「僕も能力自体は何の役にも立たない……というと失礼ですね、すみません……でも、日常生活ではむしろ邪魔になる。僕のも、姉さんのも」

「……世界視に、霊視って聞いたな、そういえば」

「そう。だからどちらかと言えば、君らよりも化け物に近い」

 不意にあかねの表情が凍りついた。感情に特化したあかねを宥めるように、あるいは抑えるように軽く手を握りながら、明は先を続ける。

「その分、僕らは多分君らよりも酷い環境に居るのかもしれないけど、経験もそれだけあるから。こういうときにはどうしたら良い? って迷ったら、僕か姉さんに訊いてくれたら多分答えられるよ。でもそれよりも手っ取り早く君達を守れるのが、さっき姉さんが言った案なんだ。僕だって強制する気はないけど、同じ仲間をむやみに傷つけたくは無いし」

 明の言葉が終わるとほぼ同時に、ふっとあかねの肩から力が抜けた。どうにか爆発を抑えられたらしい。あるいは明の言葉の何かが琴線に触れたのかもしれない。

「……残り30点分か? 明」

 くしゃりと明の掻き混ぜながらあかねはそう言って笑った。と、理央君がそれを見てにこりと笑う。

「……実はちょっと不思議やってん。あかねさんかて俺らと同じ偽人やのに、何かちょっと雰囲気違うよなって」

「……えぇと。周りの扱いとか、そういうことかな」

「そういうのもあんねんけど……あかねさんは、人に好かれる性質なんやろな。多分、根本的に。そやからドラマとか映画とか、出る奴全部ヒットすんのやろ?」

「……そこは努力の賜物だといって欲しいね」

 苦笑しつつも、あかねは嬉しそうだった。と、その手が伸びて、理央の柔らかそうな金髪に乗る。

「でも、それは私だけではないよ。君や那由多ちゃんだって人気者だろう? この無愛想な明でさえ人気者なんだから。な、明?」

「……しょうがないじゃないか。僕は理性に特化してるんだし」

 あかねは笑ったがそれには答えずに、また理央と那由多に向き直る。

「そういう嫌なことを言ってくる奴も居るけれど、まずは自分の周りの味方を探してごらん。早蕨さんも私も明も、君達のことがとっても好きだし、君達の周りの……学校の子達も、多分君達が好きだから」

「……分かった。やってみるわ」

 おまじないもな、と笑顔で付け足す理央はやはりただの小学生ではない。こっちは……と明は那由多の方を見るが、こちらは何が何だか分かっていない様子だった。

「……那由多ちゃんは今の話、分かる?」

「いや、那由多はええねん。俺が守ったる。可愛い妹やからな」

「……甘やかしは良くないよ? ま、良い心がけだ。私もそこまで他人の事は言えないし。な、明?」

「……本当に。少しくらい分けてくれても良いのにと思うよ、姉さん。僕だって言うほど幼くないのにさ」

「そう言っているうちは子供だよ」

 明が少し唇を尖らせつつ言うが、あかねは軽く笑って明の髪をかき回しただけだった。そして改めて、理央と那由多に向き直り微笑んでみせる。

「良い兄貴を持ったな、那由多ちゃんは。大事にしなよ?」

「言われんでも」

「するー!」

 口々に言われた肯定の言葉に満足げに笑んで、さて、とあかねはいきなり話題を変えた。

「さっきの話はどうしようか。理央くんはともかく……那由多ちゃんも、本当に聞くかい?」

「もちろん。……あかねさんが嫌やなかったら、でええけど」

「……明、余計なこと言うなよ?」

 ちらりと笑って見せてから、あかねは淡々と話し出した。

 俗に言う虐待が始まったのは3歳ごろだったこと。

 それ以来、母親役さんは家事を一切しなくなり、研究所に入り浸って変な薬を作ってはあかねに飲ませること。

 父親役さんもそんな母親役さんと共に、日毎あかねに暴力を振るうこと。

「……でも本当に言うほど大したことはされてないんだよ? 暴力ったってまぁ……2、3発殴られるか蹴られるかくらいで」

「でも火傷の跡もあるよ」

「……あーかーるー? 余計なことは言うなと……」

「……それに加えて、他の研究所とかから変なのが襲ってくる、と。なんでそんなん国に言わへんの?」

「1度だけ、言ったことはあるのだけどね。……さらにエスカレートしただけだったよ。あれはいじめと同じだ。告発されたらその分、深いところに入り込んでますます陰湿になる。それに下手に抵抗したら明にまで同じことをされそうになったからね。仕方が無いのさ、あの人たちは」

 そういうあかねの表情には確かに微塵も陰など見えないし苦痛などないように見える。しかし明は毎日そばで見ているのだ。あかねが痛めつけられるさまを。

 眉間に皺を寄せ唇を噛み締め、必死に悲鳴を押し殺す様を。

「……ごめん、姉さん」

「明、違うよ。これはあの人たちと私の問題だ。理央くんも那由多ちゃんもね。それに元はといえば、私があの人たちに最初に喧嘩を売ったんだよ」

「……喧嘩?」

 それは明も初耳だったので聞き返す。と、あかねはそう、喧嘩。と楽しそうに笑った。

「というか、挑発に入るのかな、あれは。『わたしがこううまれたのはわたしのせいではなく、こうつくったあなたがたのせいでしょう? なのにどうして、あなたがたはこのひとみをけぎらいし、このかおをきひするのですか?』……だったかな。記憶力にはあまり自信が無いけど……確かそんなことを、3歳になったときに言ったはずだ。それからだよ、あれが始まったのは」

 考えてみれば幼かったね、私も。と笑うあかねの表情にはやはり翳も曇りもなかったが、理央は怒りを通り越し唖然とした表情だった。

「……何で、たったそれだけのことで……っていうか、それまでも毛嫌い? とか忌避? とかされてたん?」

「まぁ、多少はね。でもそれまではそんなに酷くなかったんだよ。明の前では一切そんな素振りを見せなかったし。お陰で明に妙な心配をかけずに済んでいたのに……本当、時が戻せるのならあの時に戻って私の口を塞ぐね。ま、今更言っても仕方の無いことさ。それを除けば、私の生活はそれこそ幸せ以外の何ものでもない。明も居るし、私の周りは良い人ばかりだからね」

「……もしそうやとしても、辛いのに代わりはないやろ」

 低い理央の声にまるで自分が責められているような気がして、明はぐっと唇を噛んだ。

 あかねがどれほど辛い思いをしているか、明には想像しかできない。少しだけでも分けてくれたらと思うのに、頑なで心配性なあかねは全てを自分一人で背負おうとするから。

 ……でもそれも結局は言い訳にしかならないだろうな。と明が自嘲めいた笑みを微かに頬に浮かべたとき、不意にあかねの手が明の頭をひっぱたいた。後ろからいきなりで反応できずもろにダメージを食らう。……とはいえあかねも手加減はきっちりしてくれたようなのでそこまで痛くはなかったが。

「お客の前だよ、明。辛気くさい話をした私も悪いが、お前がそんな表情をしててどうするんだ? 失礼だろう?」

「……そうだね」

 そうだ。今はいつもと違ってあかねと二人ではないのだ。その事を失念するほど明は考え込んでいたらしい。

 明は理央と那由多に向き直り苦笑してみせた。

「ごめんね。面倒くさい姉弟で」

「……いや。羨ましいわ」

 羨ましい、なんて言われると思っていなかったので耳を疑ったが、あかねも怪訝な表情で、聞き間違いでは無かったのだと分かった。……ますます意味が分からない。

「……この関係が、ということかな」

 探るようにあかねが理央に尋ね、理央は笑いながら頷いた。訳が分からずあかねの袖を引っ張ると、振り向いたあかねは少々困ったように、あるいは少々照れたように微笑む。

「……私たちの関係は、端的に言うならば補い合う関係だろう? 二人で一人……お前が居なければ私は理性を保てず暴走するだろうし、私が居なければお前は感情の片鱗すら見せない人形のようになってしまうだろう。……要は、互いに必要とし必要とされる私たちが羨ましい、とそう言っているんじゃないかな。違うかい? 理央君」

「さすがあかねさん。……っていうか実は能力人の考えを読むとかちゃうん?」

 ここまできっちり当てられるなんて思ってなかったわ。と楽しそうに理央が笑った。初対面とも思えないほどに打ち解けたように見える二人に結構疎外感を覚えて那由多を見ると、ちょうどこちらを見ていたようで那由多とばっちり目があった。

「……えーと、那由多ちゃんは瞬間暗算だっけ」

 咄嗟に何か言おうと口を開いたは良いものの、でてきたのはそれだけで内心明は頭を抱えた。

 しかし那由多は嬉しそうにふにゃりと笑って頷く。

「そうよー。なゆた、暗算はすごく得意なんだ。お母さんからも褒められるんだよ!」

「そっか。すごいね」

「でしょー?」

 明るく微笑む少女に、まだ幼かった頃のあかねを思い出した。もちろんその頃にはもうアレが始まっていたし、こんな風にふにゃりと笑った顔など見たことは無かったけれど。

 ……そういえばその頃から、あかねは人に弱みを見せることをしなかった。弱みや隙を一切見せず、ほんの少しも気を抜かず、いつも勝ち気な、ニヒルな笑みを浮かべて颯爽と歩くのだ。もちろん、周りの人達への気配りも欠かさずに。

「でもなゆた、明さんの方がすごいと思うな。幽霊が居るっていうのもなゆたには分からないのに、幽霊が見えるんでしょ?」

「……うん。見えるし、話せるし、触れるよ。僕が触ろうと思えば、だけど」

「やっぱりすごいよー。なゆたも明さんと同じが良かったなぁ」

 この子は何も知らないのだ、と思った。いや、自分自身が人造人間だということ、そしてここにいる全員がそうだというのは知っているだろう。けれどどうしてあかねや理央、明がこうして話しているのかは、分かっていないようだった。

 ……無理もない。明とて生まれたときに年齢設定がなされていなかったら、この子と同じように何も知らないまま、あかねに守られるだけだっただろう。

 理央はあかねと同じかそれ以上に上手く立ち回り、那由多を守っているのだ。人々の悪意無き憐れみの視線や、悪意のこもった言葉から。

 でなければ、霊視が良かったなどと那由多が言うはずが―――というか、言えるはずが―――ない。余程の変わり者でない限り。

「……っと。014、7時になりましたよ。明日も学校では?」

 ノックの後顔を覗かせたのはさっきこの部屋を教えてくれた原田だった。言われたあかねは部屋の時計に目をやり、原田の言ったとおり……むしろもうすぐ30分になろうかという時間だと確認して二人に向き直った。

「すまないが、今日はこれくらいで失礼するよ。理央君と那由多ちゃんはどうするんだい?」

「さぁ……母さんに訊いてみんと、何とも」

「あ、早蕨さんなら今日はここに泊まると仰ってましたよ。確か明日、二人の学校の創立記念日だそうで」

「とはいえ、私たちはこれでお別れだろうね。また何かあったらいつでも連絡しておいで。はい、これ名刺」

 あかねは慣れた手つきで懐から名刺入れを取り出し理央に渡した。家の電話はあかねが使うことが出来ないので、書いてあるのは携帯の番号とアドレスだけだ。……つくづくあの家が嫌になる。

 理央は興味深げにもらった名刺をのぞき込んでいたが、一通り目を通したのだろう、顔を上げてあかねに尊敬の眼差しを向けた。

「さすがやなぁ。名刺持っとるなんて」

「まぁ、たまに必要になるからね。アドレスとか教えてって言われたときに、携帯を持っていないことも多いから」

 その割に、あかねの携帯には少なくない数のアドレスが入っている。今までに共演した人達があかねをとても可愛がってくれていて、たまにご飯などに誘ってくれるのだ。明も何度か一緒に行ったが、年下だからと子供扱いせずに気さくに話してくれる人が多くて嬉しかったのは記憶に新しい。

「じゃあ、今日の夜に早速連絡するさかい、登録しとってな」

 そう理央は言って名刺をひらひらと振った。あかねが満足げに頷き立ち上がったので、つられるように明も立ち上がる。

 あかねが手元の画面を操作し、所長に連絡をとる。……この時間では検査は無理だろう、と明が思っていると、案の定入ってきた所長は残念そうな……やや心配そうな顔だった。

「今日は無理だな。また近いうちに連絡を入れよう。……原田、頼めるか?」

「えぇ。大丈夫ですよ。……それじゃ、行きましょうか」

 原田に促され、名残惜しげに理央と言葉を交わしていたあかねは渋々踵を返した。明は二人に対して軽く手を振っただけであかね同様に踵を返す。

「あ、明さん!」

 自分だけ呼び止められてやや怪訝な顔で振り返ると、なんだか複雑な表情の理央と目があった。

「できたらまた、那由多と話してやって欲しいねんけど……ええ?」

「……姉さんに頼んで、僕の携帯のアドレスを君宛に送ってもらうから。話したくなったらいつでもどうぞ」

 僕で良いなら。と付け加えるつもりだったのだが、二人が揃って顔を輝かせたので思わず飲み込んだ。……明自身がこうして懐かれることはあまりないので正直くすぐったい。

「良かったな、明。……じゃ、理央君、那由多ちゃん、またね」

 明と共に振り向いていたあかねは明の髪をくしゃりとかき回した後、そう言って理央と那由多に手を振り背を向けた。後に続いて歩きながら、明は小さく笑む。

「……ねぇ、姉さん。いい子達で良かったね」

「あぁ。……そうだね」

 私が関わるにはもったいないほど、純粋でいい子達だ。とあかねは少し苦しそうに笑う。その表情に、何もできない自分の無力さを改めて突きつけられて、明はぐっと唇を噛み締めた。

「……あかねさん、明さん、と呼んでも良いですか?」

 原田に案内され乗り込んだ車の扉を閉めると同時に、不意に原田が言った。明は別にどちらでも良かったので素直に頷いたが、あかねは訝しげに首を傾げる。原田はそれをミラー越しに見て苦笑した。

「今更? ……という顔ですね」

 確かにそれはそう思う。もう原田と出会ってから二年は経っているはずだ。初対面のときならともかく、今それを訊くのは不自然だろう。

「……所長や父親役さんには、言わないで欲しいんですが」

 歯切れ悪く、原田は切り出した。

「僕だって研究員である前に人間ですから、仲良くなりたいなというのは初めて会ったときから思っていました。けれど僕は研究員です。……所長や父親役さんが番号で呼ぶ二人を、僕だけ名前で呼ぶのは気が引けたんですよ。いくら僕が研究員の中でも優秀で弾き出されていても、僕は基本的に小心者ですし」

「……それでも今日言ったのは、理央君と那由多ちゃんが僕達を名前で呼んでいたからですね」

 明がそう助け舟を出すと、あかねの徐々に鋭くなっていく視線に身を小さくしていた原田は安堵の表情を浮かべ頷いた。

「……僕は一向に構いません。むしろそちらのほうが、ちゃんと人間扱いしてもらっている気がするので……」

 あかねの眼光がふっと緩み、明に静かな瞳が向けられた。

「明……そうだね。そうかもしれない。私も構わないよ、原田さん。……というか、それならいっそ敬語も敬称もなくていいんじゃないか? 私もほら、生意気にもタメ口だし」

 おどけたように明るく言って、あかねはな? と明に同意を求めてくる。明はそれにわざとため息を吐いてみせた。

「姉さんは度が過ぎるよ。共演者さんとかには普通に敬語なのにさ」

「え? そうなんですか」

「……まぁ、一応。芸能業界は縦社会だしね」

 居心地悪そうにあかねが言ったのが面白かったのか、意外だったのか、それを聞いた原田は思い切り吹き出した。慌てたように咳払いでごまかしつつ、あかねと明がシートベルトを締めているのを確認して車を発進させる。

「……じゃあお言葉に甘えるよ。あ、俺って言っても平気?」

「……僕じゃなかったんだね。原田さん。イメージ的に素でも僕かと思っていたよ」

 楽しそうにあかねが茶化し、まぁね。と原田が飄々と返す。

 ……今、時が止まれば良いのに。そう、明は二人を見ながらぼんやりと思った。

 処女作の直しです。これの前のバージョンは作者のHPにありますので、興味をもっていただけましたら是非ご覧下さい。

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