第9話 梁田調教師
調教を終え、いつものように厩舎に帰って来た。
事務室に入ろうとし、応接椅子に座る人影に気が付いた。少し面長の顔、そして特徴的な切れ長の目、最近薄くなり始めた髪。
目が合った瞬間に、高山はくるりと踵を返した。
「おい! どこ行くつもりだ。お前の厩舎はここだろうが! 毎回毎回、人の顔を見るたびに逃げ出そうとしやがって。感じの悪いやつだな」
「や、梁田さん、今日はどうかされたんですか? 俺はここのところ怒られるような事はしていないと思うんですけど」
「筆頭調教師だからって、別に俺は誰彼構わず説教かましてるわけじゃねえよ」
目の前の男――梁田助行とは、どうも相性のようなものが悪い。そもそもその顔が嫌味ったらしく感じている。
歳は高山とは父と子ほど離れており、祖父は伊級調教師で薄雪会の隆盛の礎を築いた梁田隆助。父は呂級調教師だった簗田助夫。そんな関係から、現在三代目として助行が筆頭調教師を務めている。
高山の師である石川正弘とは簗田助夫厩舎の兄弟弟子。石川もこの梁田を無駄に偉そうと言って酷く嫌っている。
当然、厩務員時代何度も顔は合わせている。その都度、態度が悪いと言っては説教をされ、挨拶が無いと言っては説教をされ、無駄口が多いと言っては説教をされてきた。
しかも調教師になってからは、何かにつけて苦情を言ってくるようになった。厩務員の教育がなってないだとか、先輩調教師への挨拶がなってないとかとか。自分だけに言うならまだしも、厩務員にも説教をかますものだから、厩務員たちも蛇蝎のように嫌っている。
高山からしたら、厩務員時代からの天敵が目の前にいるという感覚なのである。
その梁田が出された茶を啜り、湯飲みを机に置き、高山をギロリと睨んだ。
「小田原の本社から聞いたよ。新会長たちとペヨーテに行ったんだってな。で、何の目的で行ったんだ?」
「本社の人から聞いてないんですか?」
「そこまでは知らんと言われた。会長、秘書の遠山、それと北国牧場の大石場長たちで行ったとしか聞いてないってな」
その時点で本社内では極秘事業扱いなのだと思うのだが、何でそれをこの人は聞き出そうとしているのだろう?
高山としては特に口止めされているわけでは無いから喋ってしまっても良い。相手がこの男でなければ。
「俺、牧場を見に行った事が無くて。それを話したら、北国牧場に連れて行ってくれたんですよ。そうしたら場長が牧場に新しい血を入れたいから、買い付けに付いて来てくれって」
「で、ペヨーテに行く事になったってか? どうせ嘘を付くならもう少しマシな嘘を付いたらどうだ?」
ハナから嘘と決めつけるこの態度。本当に腹が立つ。
「なんで嘘なんてつかないといけないんです? それとも何か聞いたんですか?」
「今年のお前の厩舎に入った竜の一頭、あれペヨーテ産だよな。本当は無理やり付いて行って向こうで竜をおねだりしてきたんじゃないのか?」
下衆の勘繰りだという言葉が喉の奥まで出てきていたが、ぐっと堪えた。それでも出てきそうになり、お茶で無理やり流し込んだ。
「残念ながらあれは売れ残りです。それをうちにおまけで付けてくれたんです。梁田さんも知っての通り、外国産の竜は新竜の重賞と世代戦の重賞に出せないんですよ。うちからしたら単なる不良資産でしかないですよ」
「いい加減な事を言うんじゃない。あんな良さそうな竜が売れ残りのわけが無いだろ!」
「そんなに疑うんなら大石場長に聞いてみたら良いじゃないですか。場長だって事情を知ってるんですから。それとも聞けない理由でもあるんですか?」
明らかに気分を害した顔をする高山に、梁田は少し焦ったような顔をした。
「なるほど。じゃあ場長に話を聞いてみる事にするよ。それで話に齟齬があった時は、どうなるか覚悟しとけよ」
「どうなるというんです? そんなくだらない事で会派追放でもしますか? 俺はそれでも構いませんよ。同期の奴にでも話をして次の会派に移るだけですから」
ギロリと睨んだ高山から視線を反らし、梁田はそそくさと立ち去ろうと応接椅子から立ち上がった。
「ああ、そうだ。とりあえず蒔田先生に一報だけ入れておきますよ。筆頭調教師に会派追放をちらつかされたってね。双竜会の足利会長から急に移籍の話をされたら成田会長はどう感じるでしょうね」
「待て待て! 早まった事をするなよ。俺はあくまで不正が無いかを確認するだけなんだからな」
まるで逃げるように梁田は厩舎を後にした。
「……小さい野郎だ」
その背中に唾でも吐きかけるように高山は呟いた。
そこまでのやり取りを黙って聞いていた倉賀野主任が、梁田の湯飲みを片付けにやって来た。
「で、どうなさるんです? 蒔田先生には連絡するんですか?」
「そんな事になったら会長だけじゃなく相談役も黙っちゃいないよ。梁田を追放すると喚きたてるだろうね。梁田と仲の良い競竜部の職員も異動させられるかも。そんなゴタゴタが他に知れてみろ、薄雪会から開業しようって調教師はいなくなっちまうよ」
ここはぐっと我慢だと言って高山は最後に残った湯飲みのお茶を飲み干した。そんな高山に倉賀野は微笑みを向けた。
「そういえば、来月から新竜戦が始まりますね。『ペンケ』も『ラヨチ』も良い竜ですから、どんな結果になるか楽しみですね」
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