第8話 鎮静運動
会議室にペヨーテ土産がこれでもかと置かれている。だが目新しい物は無く、誰もがペヨーテに行ったら買ってくるであろう豆菓子ばかり。それに手も付けずに厩務員たちは高山を無言で見つめている。
「先生がペヨーテに行っている間に竜が二頭怪我をしました。幸い怪我はそこまで重いというわけでは無く、俺と平林君で検討して対処、調教計画は白紙としています」
倉賀野主任がそれ見た事かと言わんばかりに報告。思わず倉賀野から視線を反らしてしまう。
「先生がペヨーテに行く前に出走を登録した四頭ですが、最高で六着でした。手応えは前走と全く同じ。どれも力負けという印象を受けます」
蒲生騎手が淡々と報告。それはそれで責められているように感じて、さらに顔を反対に背ける。
高山が黙っていると筆頭厩務員の豊島が手を挙げた。
「先生。厩務員の間に不満の声が出始めていますよ。八級に来て五か月、未だ勝ち星無し。その状況で先生が北国や海外に遊びに行ったと聞いて、俺たちはこんなに毎日頑張ってるのにって」
「いや、俺もね、厩舎の成績を少しでも上げようと思って、北国やペヨーテに行ったんだよ。『遊びに行った』はいくらなんでも酷くない?」
「先生がどう思っているかはこの際関係ありません。厩務員がどう感じているかの話を俺はしています」
ぴしゃりと反論を封じた豊島に、高山も心が折れそうになってしまった。
豊島は平均年齢の低い高山厩舎にあって最年長で唯一の四十代。もっとも落ち着きがあり、物事の分別も一番付いている。倉賀野や平林の発言とは言葉の重みが違う。
「遊びに行ったのでは無いというのなら、何かしらその土産というものを見せてもらわないと」
「こ、この、豆菓子じゃ駄目かな?」
「真面目にやってください」
気持ちをほぐそうと思って冗談を言ったのだが、豊島は表情一つ変えずに叱責してきた。一応、蒲生と平林は笑いそうになってくれたが、倉賀野に睨まれ、すぐにバツの悪そうな顔を作った。
「さっき二頭故障したって言ってたよね。実は八級に上がってから気になっている事があるんだよ。仁級の時に比べて疲労の回復が遅いんだ。何とかその糸口がないかって探っていたんだよ」
高山は北国の牧場、そしてペヨーテの牧場で気付いた事を話した。特にペヨーテで聞いた餌の話と鎮静運動について。
「鎮静運動なら今も調教後に引き運動をさせていますけど、それとは別に何か追加で行うという事ですか?」
「うん。脚を前と後ろに引っ張って腱を伸ばして欲しいんだ。最初は嫌がるだろうから、暴れられて怪我させられないように複数人でやってもらう」
「先生、厩務員の不満が高まっている中、仕事を増やしたら不満が爆発しちゃいますよ」
その豊島の懸念の言葉に、高山は何か奇妙な感覚を覚えた。その感覚が何かはわからないが、何か胸中がモヤモヤとしている。
「最初は俺が指導するから、勝つ為だと思ってやってみて欲しい」
「わかりました」と答えた豊島の顔は明らかに渋々という顔であった。
翌日、早速調教の後で厩務員たちを呼び寄せて、鎮静運動として両脚の腱を伸ばす作業を追加してもらった。
一人が竜を宥めながら、もう一人が反対側で脚を前に引っ張り、そのまま脚を抱えたまま二十秒ほどして戻す。十秒ほど脚を少し揉み、今度は後ろに脚を引っ張る。
八級の竜は二足歩行で、その大きな脚から繰り出す脚力によって時速十二里(五十キロメートル弱)ほどの速度が出せる。そのせいで片足だけでもかなりの重量がある。
「重いから腰を痛めたり、嫌がって蹴られでもしたら大怪我するから、ちゃんと防護の装備を付けてやってね。くれぐれも無理強いはしないように。慣れれば竜の方から協力してくれるから」
この日の調教は『キンバイ』という七歳の牡竜と『チセ』という五歳の牡竜の二頭。高山が鎮静運動の見本を見せたのは『チセ』の方で、豊島の次に年齢が上の厩務員伊佐治と二人で行った。
次に最年少の中山と葛貫という二人で『キンバイ』の方の鎮静運動を行ってもらった。「これは思った以上に重労働だ」と中山たちが言い合う。だが嫌がるのは初回だけで、二回目には少し心地良さそうな顔をしていたと笑い合っている。
「三人とも初回とは思えないほど上手だね。さすが毎日竜の世話をしているだけの事はあるよ。俺、これペヨーテで教わりながらやったんだけどさ、竜が暴れちゃって大変だったんだよ」
高山が笑うと、伊佐治たち三人は何をやってるんだと大笑い。じゃあ明日からお願いしますと言い残し、高山は事務室へ戻った。
胸や股、脛に付けた防護を外し、入口の流し台で石鹸で土埃と竜の油を綺麗に洗い落とす。執務机に腰かけ、自分が不在の間の竜の状況を一頭一頭見ていった。
竜は毎日決まった時間に体重を測るようにしている。大きな体重の変化というものはそうそうあるものでは無く、徐々に減っていく、逆に徐々に増えていくという感じ。ただし、調教を施した翌日はガクッと減っている事がある。
高山は自身の調教方針として、大きな貯水池の中を引き綱を付けて走らせる水中調教を積極的に取り入れている。それと緩く長い坂を上って下らせる坂路調教。平地での追い切りは競争直前くらいしか行わない。
水中調教をさせると、体重が落ちている事が多い。だがそれは筋量ではなく脂肪が落ちていると考えており、決して悪い事とは思ってはいない。
ところが、提出された竜体重の推移を見ると、調教後から竜体重は下がり続けている。恐らく原因は疲労の蓄積。仁級の時はこのような事は無かったのに、八級になってからそういった事が明らかに増えた。
高山はぱさっと資料を机に置き、両手を頭の後ろで組んで体を背もたれにもたれかけて天井を仰ぎ見た。
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