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競竜師・外伝  作者: 敷知遠江守
八級編

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第3話 石川調教師

 八級昇級から三か月ほどが経過したある日の朝。


「どうだ? そろそろ重賞に挑戦できそうな竜はできたか?」


 そう言って一人の老調教師が厩舎を訪ねて来た。

 男の名は石川正弘。かつて高山が調教助手をしていた厩舎の調教師である。最近少し膝の調子が悪いらしく杖を持ち歩いており、応接椅子に腰かけると杖を横に立てかけた。


「まだこっちに来て半年も経ってませんよ。そう簡単に重賞なんて。そんな芸当ができるのは藤田先生や岡部先生っていう一部の天才だけですって」


 お茶を淹れながら高山は恩師を笑い飛ばした。

 盆に湯飲みを二つ乗せて、自分も応接椅子に腰かけた。

 石川がずずとお茶をすする。


「俺はお前もその天才の一人だと思ったから、この白髪頭を下げたくも無い筆頭殿に下げて、お前を伊級の、それも別会派の先生の所に研修にやったんだがなあ。そんな情けない事を言わんでくれよ」


「その件は本当に感謝しています。蒔田まきた厩舎では本当に学ぶ事が多かったですよ。おかげで新人賞も取らせてもらいましたしね。ですけど、ここは稲妻系の竜が強すぎるんですよ。下級条件でも全然歯が立たないんですもん」


「岡部は一年目の四月に『金剛賞』を取ってるぞ。十市だって、櫛橋だって、斯波だって二年で昇級しとる。彼らは稲妻系の竜なんて一頭もいなくても、ちゃんと結果を出しとるんだよ」


 その指摘で、ようは石川は自分に発破をかけにきたのだと高山は察した。


 『俺には見れそうもないから、その夢をお前に託したい』

 あの日、蒔田厩舎に転厩になる時、石川はそう言って送り出してくれた。その夢というのが何なのかは語ってはくれなかったが、何となく想像は付く。常府に行って大空を舞台に競竜をする事だろう。

 だが高山は常府はおろか、その前の幕府にもまだ行けていない。


「残念ながら俺は『競竜の神』では無いんですよ。それに、こんなに長距離の晩成竜ばっかり揃えられたら、今挙げた方々でも二年昇級は無理だと思いますよ。素質のある中距離竜、いや百歩譲って、もう少し仕上がりの早い竜を」


「お前なあ。お前には相談役も会長も期待してくれていて、なるべく良い竜をと生産監査会の競りで購入してくれたんだぞ。文句言ったら罰が当たるぞ」


「生産監査会の競りなんて、言い方は悪いですけど、処分市じゃないですか。そこで頑張ったって、たかが知れてますよ。せめて古河牧場の競りで頑張らないと」


 ああ言えばこう言うと石川はぶつぶつと文句を言って茶をすすっている。

 聞こえないふりをして高山も茶をすすった。


 すると何かを思いついたらしく、石川は両の口角を上げて、不敵な笑いを高山に浴びせた。


「ふふふ。つまりそれは、それなりに調教の目途は立っているという事だな。竜さえ変われば、お前の調教の腕で重賞に顔が出せると、そういう事だな」


「いや、あの、そこまでは……」


「いいや。ここまでの話を俺はそう理解した。言い訳は聞かん」


 そう言うと石川は杖を手に取り、「お茶ごちそうさん」と言って帰ってしまった。


 入れ替わりに主任の倉賀野くらがのが厩舎に入って来た。

 どうやら途中で石川を見たらしく、入って来るなり外を確認した。


「石川先生、ずいぶんとご機嫌でしたけど、何かあったんですか?」


「さあねえ。なんか一人で勝手に盛り上がって帰って行ったよ。まったく、二言目には『重賞はまだか』だもんなあ」


「それだけ先生に期待してるって事でしょ。先生が蒔田厩舎に行った後も石川先生、口癖のように言ってたんですよ。『あいつは薄雪会の希望』だって」


 その話は開業後に倉賀野から何度も聞いた。

 高山が転厩した後、石川は厩務員の一人であった倉賀野を呼び出し、主任として高山を支えてくれと言って毎日徹底的に教育を施していたのだとか。


「その期待に応えてやりたいのは山々なんだけどね。竜は晩成ばかり、厩務員は育っていない、おまけに敵は強大。障壁が高すぎなんだよなあ。唯一の救いは敵が長距離を苦手にしてるって事くらいか」


 高山は両手を頭の後ろで組み、応接椅子にもたれ掛かった。


「先日、最初はゆっくりでも良いから、極力腿を上げて走らせてくれって平林君に坂路調教の指示出してましたけど、それが先生が会議で言ってた『攻略法』ってやつなんですか?」


「人間だって走る時は腿を上げろって指導するでしょ。同じ二本脚で走るんだから、同じような事が言えるんじゃないかって思ってね。ものは試しだよ。それで上手くいくようなら、多分方向は合ってると思うからもう一つ試したい事がある」


 目をぱちくりさせる倉賀野に、高山はどうかしたのかとたずねた。


「いや……そんな薄い根拠で指示出したんだって思ったら急に不安が」


「こういうのはね、何が正解かなんてのは結果が出てみない事にはわからないんだよ。だから色々と試すの。情報の蓄積、その分析によってのみ方向性の正しさってのは仮定できるの。それですら仮定に過ぎないんだから」


 わかるかなと問いかける高山に、倉賀野は露骨にそれとわかる愛想笑いを返した。


 ◇◇◇


 その翌週の事であった。高山厩舎に一本の電話がかかってきた。

 非常に若い男性の声。はきはきとしていて電話越しでも非常に聞き取りやすい。男は遠山だと名乗った。現在薄雪会の会長の筆頭秘書をしている人物である。


 最初は竜たちの調子はどうですかとか、厩舎は順調ですかといった取り留めの無い話をされた。それに対し適当に返事をしていると、遠山は急に本題に入ってきたのだった。


「高山先生、申し訳ないんですけど、来週か再来週に一週間ほどお付き合いいただけませんか?」


「来週であれば構いませんけど、急にどうされたんです? まさか、相談役が?」


「あの方は嫌になるほど元気ですよ。そう簡単にはくたばりませんって。いえね、高山先生がどうも何やらご不満な事があると小耳に挟んでしまいまして」


 その遠山の発言で、石川が何か本社に言ったんだという事を高山は察した。

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