母が文豪で予言者だった件――お陰様で僕の未来は救われました!
教会の鐘の音が静かに響く。
純白の衣装を身にまとった二人の青年が神像の前に跪き、神父の言葉を受け誓いの言葉を口にした。
お互いを生涯の相手と思い、いかなる苦難に遭おうとも、共に手を携え愛し合うことを誓います、と。
青年の片側は白いベールをまとっていた。それをもう片方が持ち上げて、隠されていた顔を露わにする。輝くような金の髪の、麗しい青年が現れた。長く伸ばした髪は緩やかに編み、背へと流している。相対する青年は王家を示す藍色の髪の、こちらもまた美々しい青年だった。
式に参列した者たちが、二人の美しさに思わずほぅ……と息を吐いた。
それでは、誓いの口づけを。
お互いに表情を崩さぬまま、二人はそっと唇を重ね合わせた。
「……たかが婚約式で、なぜ口づけまでしなくちゃいけないんだ!」
「それはこちらも同じ意見ですよ、王子殿下。神父様になくすようお願いしてくださったんじゃなかったんですか?」
「あの頑固親父に何を言っても無駄だったのさ。儀式は古より定められた形式で進められるのが決まりです、の一点張りだった」
「それはなんとも。ご愁傷様です」
「本当だよ!」
いやこれ、僕も被害者だからね? と思いつつも、流石にそれは口を噤んだ。
今日は僕ことアルガード・ディアンと、王子殿下こと第二王子セレスティ・ガーバンドの婚約式だった。もう、ため息しか出ない。出来ることなら来て欲しくなかった日だったんだよな……。
僕は、伯爵家の長子にして、家の家格と年頃がそれなりに合う『男』故に第二王子の婚約者にされてしまった被害者だった。つまり第一――王太子殿下のご母堂からの嫌がらせの一環だ。ついでに僕を追い出したいうちの義母も一枚噛んでる。
僕が婚約者を逃れたかったのにはワケがある。王子の事が好きじゃないのは理由じゃない。
今から1年後、この国には聖女が現れる。第二王子は彼女が現れるやいなや、正婚約者である僕を陥れて彼女と結ばれる。その過程で僕は罪を着せられ断頭台へ。死人に口なしを実行されてしまうわけだ。冗談ではない。
なぜ僕がそんな事を知っているかと言えば、母の日記で読んだからだ。
母は文豪で予言者だった。これは僕が密かに思っているだけのことで、世に知られていることではない。
僕が母の日記と出会ったのは、それなりに長じてからだった。
やや地方な男爵家で双子の兄と母と父に囲まれ愛されて、僕は幸せに暮らしていた。――のが、7歳になったある日、突然豪奢な馬車に浚われた。なんと実家の馬車だった。そう、僕が実家と思っていた家は実家じゃなかった。乳母の家だった。
僕はそのまま王城へ連れ去られて王子の仮の婚約者にさせられた。仮婚約式が終わったらそのまま家に戻された。乳母の家の方ね。
この期間、乳母の家から王都まで片道5日、実家での滞在は王城での式も含めてやはり5日、帰りも5日で合計半月。見知らぬ大人に囲まれ、おざなりな世話をされ、怒鳴られ、無視され、殴られ、罵られ――戻った僕はボロボロだった。身も、心も。
道中で付き添ったメイド(非常に態度が悪かった)の世間話で聞く限りでは、どうやら僕は非常に性格の悪い前妻が嫌がらせとして残した子で、前妻の性質を継いで大変性質が悪いので、生まれたばかりの後妻の子を守る為に外に出されていた子ども――ということらしかった。
父母……義母かな? らしき人たちにも会った。これが初対面だった。一挙手一投足に威圧的にダメだしされ貶められ、育ての親をも愚弄された。こちらの話など一語たりとも聞こうとなんてしなかった。
戻った僕に、母は自分が乳母であること、兄は乳兄弟であることを教えてくれた。彼女は僕の本当の母の親しい友人で、僕を託されたのだという。もう少し大きくなってから事情を話すつもりだったのに、突然こんなことになってごめんなさいと抱きしめられ、泣かれてしまった。
そして、一冊の日記を手渡された。母の形見だという。
この中に、あなたのお母様が綴った言葉がたくさんあるから。あなたはお母様から愛され、望まれて生まれてきたのだと知って欲しい、と。
初めは半信半疑だったけれど、それはすぐに覆された。もちろん、良い方へ。
……まぁ、日記には大分独特な言葉も多く、理解出来ない表現も多かったけれど。
母は毎日のようにまだ生まれる前の僕に語りかけてくれていた。愛し、誕生を望んでくれた。
僕は日記で母の愛を知り、包まれ、父と義母から与えられた傷を癒やされた。
同時に。僕は母の予言を知ることになる。母は日記の中に一つの物語を記していたのだ。
可愛らしい恋愛物語だった。
市井出身の少女が聖女として立身し、やがてその国の王子の目にとまり、愛し合い結ばれるサクセスストーリーだ。
王子には大変性格の悪い婚約者がおり、聖女はその婚約者から嫌がらせを受けながらも、王子と手を取り合い困難を乗り越え結ばれる――という物語だ。なお聖女を傷つけたというふんわりした罪により、婚約者は死罪になった。
普通なら、特になにも問題のない『夢物語』だ。けれど、問題はその配役だった。
母が知らなかったはずのいくつもの名前が合致していた。王子の名前、……そして、僕の名前だ。
母は父に散々生まれてくる我が子に「アルガード」とだけは名付けないでくださいませね、とお願いし続けていた。日記の中で、これだけお願いしたらきっと大丈夫でしょう、と書かれていたから間違いない。乳母には親友だった女性をお願いすることが出来たと安堵し、彼女も丁度身ごもっているから、同い年の乳兄弟が出来るわよ、と楽しげに綴っていた。
どうかあなたが、幸せな人生を送れますようにと。どうか「アルガード」の様にはならないでね、と。
母は産後の肥立ちが悪く、僕が生まれて間もなく亡くなった。父は僕に、母がその名だけは決して付けないでと懇願した「アルガード」の名を付けた。紛うことなき嫌がらせだ。
父は母が亡くなると、すぐに後妻を迎え入れた。それ自体は問題もない。貴族家であればよくあることだ。
僕は乳母に預けられ、家から出された。乳母も子を抱える身であるなら、その方が心やすく勤められるだろうとの配慮だ――とかお為ごかしをぬかしてくれやがって、だ。その間に後妻の手により、母の配した人間はことごとく屋敷を追われ、彼女の配下で固められた。
そう。後妻が迎え入れられたのは、母が亡くなった後なのだ。なのにその後妻の名前、そしてその息子の名までも、母の物語の登場人物と合致していた。ここまでくるともうこれはただの偶然とは言いがたい。予言だ。
3年後。そこから王子妃教育が始まった。このときも唐突に浚われそうになったが、用心をするようになっていたこともあり辛うじて難を免れた。決死の思いで猛抗議をしてくれた乳母家のおかげで、乳母子を従者として付けることを許され、……それでも実家に戻ることを拒否することは出来なかった。
以降5年、僕は散々スパルタされて、マナーも知識もたたき込まれることになった。――最も、たたき込まれはしたけれど、落第の印もずっと押され続けてきた。だって試験は手を抜いたから。
出来ることなら出来損ないだからという理由で別の人に婚約者の座を譲れたら……とずっと思っていた。けれどそれは成せないままに正式な婚約式を終えてしまった。
予言の物語では聖女が現れるのは僕らが15の歳だった――つまり、今年。
今年が勝負の年なのだ。
「アルガード様」
「ん……ああ、ガイか」
「ひどいお顔ですよ」
「分かってる」
王子とはあの後すぐに分かれた。向こうは王城へ、こちらは実家へ。道中付いてくれているのは乳母子のガイだ。
……唇を交わすなんて、最悪だった。あっちもこちらを嫌っているから、なくすように手配してくれる可能性に賭けていたのに。
ガイの手が慰めるように僕の頭を優しく撫でた。本当ならばこれだってダメなんだ。分かっているんだ。縋ってしまいそうな心を叱咤して、僕はガイへと微笑んだ。大丈夫だよ、と言う代わりに。
本当の本当に、物語通りに事が進むなぁ……。
半ば呆然と、僕は目の前の光景を眺めていた。断罪だ。聖女を害した罪とやらで、僕は兵士に捉えられた。
やっていないと、どれだけ訴えても無駄だった。聖女が「この人が私に嫌がらせをしました。酷い言葉で罵られました」とはっきり明言したからな……冗談も大概にして欲しかった。やってねーよ。
「……大丈夫かなこの国」
「どうでしょうねぇ。危うい気が致しますが」
迎えに来てくれたガイと共に牢を出る。捉えられて焦ったけれど、保釈金を積めば普通に出られた。いやもう実に『末端にまで教育が行き届いていて』助かった。ガイに礼を言えば、「お陰様ですっからかんです」と手を振られた。どうやら全財産を吐き出させてしまったらしい。……実家が僕のために金銭なんて出してくれるわけもないから、これはもう、全額ガイが手配してくれたんだな。
「よく足りたね」
「こんなこともあろうかと、母から預かっておりましたので」
「そっか」
「――預けてくださったのは、あなたのお母様ですよ」
「流石は予言者・母」
万が一の時の為にと、それなりの金子を、母は乳母に預けていたのだ。すごい。用意が凄い!
「しかし困ったね。これでもう家へは帰れない」
「それ、そんな嬉しそうなお顔で言う台詞ですか?」
「当たり前だろ? 命を拾って、実家との縁もブチ切れて、こんなに良い日は久方ぶりだよ!」
牢の人間に顔は見られなかったか? 当たり前です。それならあいつらも、僕らの行方を探ることなど出来はしないね。
乳母の家は貴族家だが、現時点で国を見限り、親族のいる隣国へ逃れたそうだ。安心安心。じゃ、僕らもそちらへ移動しようか。
晴れ晴れしている。心が軽いと、手足までもが軽くなる!
「アル」
懐かしい名でガイに呼ばれた。振り返ろうとした体を強く抱きしめられ、唇を奪われた。ゆっくりと何かを確かめるように、彼の唇が僕をついばむ。
「やっと――」
そこから先の言葉は、彼の唇からは語られなかった。代わりに、僕は彼の襟首を捕まえて、強めの力で引き寄せた。べろり、と彼の唇を嘗めて、差し出された彼のそれと重ね合わせ、己の口腔へと招き入れ、深く、深く、一ミリの隙間もないくらいに。
やっと、言える。君に言える。
7歳で浚われ、心を壊され、身分と立場にしばられた。故郷で心を癒やす間、隣にいてくれたのは君だった。
10歳で再び浚われかけた時、助けてくれたのは君だった。本来なら一人きりで立ち向かわなければならなかった場所に、他の全てを捨てて付いてきてくれたのも。いつだって君が、僕の隣にいてくれた。
「ガイ、僕は――」
「ダメですよ、アル」
楽しそうにガイが笑う。彼の手には母の日記が握られていた。自分に何かあったなら、必ずそれを持って逃げろと託していた大切な宝物だ。
母の日記は全ての指針だ。沢山のことを教えてくれた。
「そういうの、『ふらぐ』って言うんでしょう?」
勿論母の教えは絶対なので、僕らはフラグなど一切立てることなく、ちゃーんと隣国へ逃れたとも!