面涅将軍:狄青(てきせい)⑥
〇宝元年間の激戦
1038年からの宝元年間は、北宋と西夏の国境が血と硝煙に染まった時代だった。戦場は息つく暇もなく、狄青の小隊は、その最前線で泥と汗にまみれて戦い続けていた。狄青が従軍したこの四年間で、彼は実に(じつに)二十五回もの大規模な戦闘に参加した。それは、まさに激戦の連続だった。
西夏の騎馬隊が砂塵を巻き上げながら迫ってくる。その数は、時に宋の兵をはるかに凌駕することもあった。しかし、狄青は決して(けっして)怯まなかった。
「退くな! 一歩も引くな!」
彼の声は、まるで雷鳴のように戦場に轟き渡った。彼はいつも兵士たちの先頭に立ち、敵陣へと突入した。その姿は、まさに鬼神のようだった。
「小隊長殿についていけば、大丈夫だ!」
張忠は、狄青の後ろに続き、大刀を振るって敵兵を薙ぎ倒していく。李義は冷静に弓を構え、正確に敵の指揮官を狙い撃つ。劉慶は機転を利かせ、敵の隙を突いて側面から攻撃を仕掛けた。そして、若き石玉は、狄青の勇姿を目に焼き付けながら、必死に剣を振るっていた。
ある日の戦いの後、野営地に戻った彼らは、疲れた体を休めていた。狄青の左肩からは、矢が深々(ふかぶか)と刺さっており、血が滲んでいた。
「小隊長殿、またですかい!」
張忠が驚きと呆れの混ざった声を上げた。
「全く(まったく)、小隊長殿は矢の的にでもなっているようですな」劉慶が苦笑する。
李義が手慣れた様子で、矢を抜く準備を始めた。
「もう八箇所目ですね。普通なら、とっくに戦場に出られなくなりますよ」
「これくらい、どうということはない」
狄青は、顔色一つ変えず、淡々と言った。彼の体には、すでに数多の傷痕が刻まれていた。それは、彼が常に(つねに)最前線で命を顧みずに戦い、敵の攻撃に身を晒していた証だ。彼の体に残された矢傷は、その勇猛さを物語る(ものがたる)「勲章」のようなものだった。
「しかし、小隊長殿の突撃は、凄いですね。敵が次々(つぎつぎ)と逃げ(にげ)出していく」石玉が興奮気味に言った。
「あれは、人間の技じゃない…まるで鬼か、悪魔のようだった」劉慶が呟く。
「ま、おかげで俺たちの被害は少なくて済むんだがな」張忠が笑った。
狄青の存在は、味方の士気を大いに鼓舞し、敵には恐怖を与えた。彼が先陣を切って(きって)突撃すれば、どんなに強大な敵陣でも、次々(つぎつぎ)と崩れ去っていった。
数多の死闘を潜り抜ける(ぬける)中で、彼の武勇はさらに磨かれ、その存在感は日に日に(ひに)増して(まして)いっていた。彼の背中は、もはや単なる一兵卒のものではなかった。
宝元年間の激戦は、狄青を真の猛将へと鍛え上げていた。彼は、矢傷を勲章とし、誰よりも先に敵陣へ突っ込むその姿で、味方の士気を鼓舞し続けた(つづけた)。彼の武勇は、やがて敵味方の兵士たちの間で伝説となり、彼の異名となる言葉が囁かれ始めることになる。
〇「面涅将軍」の誕生
1038年から1040年の宝元年間、西夏との戦いは苛烈を極めていた。狄青は、その最前線で戦い続ける中で、彼の戦場での姿は、次第に異様なものへと変わっていった。
ある日の(あるひの)激戦の最中だった。敵の猛攻に味方の隊列が乱れ(みだれ)かけ、士気が下がり(さがり)そうになった時、狄青は兜を脱ぎ捨て(ぬぎすて)た。そして、顔全体を覆う銅製の仮面、つまり銅面をつけ、ざんばら髪をなびかせながら、敵陣へと突進していった。
「うおおおぉぉぉっ!」
彼の絶叫は、地響きのように戦場に響き渡り、その姿はまさに野獣のようだった。兜を被らず、命の危険を顧みないその姿は、彼の並外れた胆力を示していた(しめしていた)。銅面は彼の表情を隠し(かくし)、相手に不気味な印象を与え、乱れた(みだれた)髪はさらなる威圧感を敵兵に与えた。
彼の部下である張忠は、その様子をすぐ後ろで見て(みて)いた。
「おい、ありゃ、小隊長殿か!?」
「あんな姿、見たことねえぞ…」劉慶が声を(こえを)震わせた。
李義もまた、冷静な彼にしては珍しく(めずらしく)、目を見開い(みひらい)ていた。
「まるで、鬼神だ…!人間離れしている…」
石玉は、恐怖と憧れが混じり合った眼差しで狄青を見つめていた。
「小隊長殿…怖すぎる…!」
戦場に響き渡る狄青の咆哮と、異様な姿は、味方の兵士たちに驚きと同時に、言いようのない(いいようのない)高揚感を与えた。彼らは、まるで守護神が現れ(あらわれ)たかのように奮い立ち(ふるいたち)、一気に攻勢に転じた(てんじた)。
一方、西夏の兵士たちは、狄青の異様な姿に震え上がった。
「な、なんだ、あの化け物は!?」
「顔が…顔が見えない…!」
彼らの間には、あっという間に噂が広まった。「あの顔の武将には近づくな」「近づけばたちまち命を落とす」と、狄青の姿は恐怖の象徴として、西夏軍の心を支配していった。
この銅面とざんばら髪には、単に敵を威嚇するだけではない、狄青の深い思惑があった。それは後で語ろう。
戦場の鬼神、狄青。彼の異様な姿と圧倒的な武勇は、西夏軍に深い恐怖を植え付け、その名は瞬く間に広がっていった。やがて、彼は兵士たちの間で、「顔に刺青のある将軍」という意味の「面涅将軍」と称されるようになる。この異名は、彼の勇猛さと、その背景にある一兵卒からの立身出世の物語を象徴するものとして、後世まで語り継がれていくことになるのだった。