面涅将軍:狄青(てきせい)⑤
〇北宋兵士の実情
1038年。楊家将との共闘を誓い、西夏との戦いが、いよいよ本格的になろうとしていた。狄青の小隊は、来るべき(くるべき)戦に備え、訓練に励む日々(ひび)を送っていた。この日もまた、訓練の合間に、狄青は部下たちに語り(かたり)かけていた。
「我々(われわれ)北宋の兵士が、普段どのような装備で戦っているか、知っているか?」
張忠が首を傾げた。
「そりゃあ、着てる甲冑と、持ってる刀や槍くらいしか…」
狄青は、僅かに苦笑した。
「そうだな。お前たちの言う通り、基本は甲冑と武器だ。だが、その中身は様々(さまざま)だ」
李義が真剣な顔で尋ねた。
「甲冑には、どんな種類があるのですか?」
「一番多いのは、『鱗甲』と『鎖子甲』だな。鱗甲は、文字通り魚の鱗のように小さな鉄の板を縫い合わせたものだ。軽くて動きやすいが、防御力はそこそこだ。鎖子甲は、鉄の環を編み込んで作られたもので、防御力は高いが、重くて動きにくくなる。どちらも、身分や役職によって着用が許されるものが異なる」
劉慶が腕を組んで考え込んだ。
「なるほど、戦場での役割によっても違うってことか…」
「その通りだ。重装歩兵は、堅固な鎖子甲を纏い、敵の突撃を食止める役目を担う。軽装兵は、鱗甲などで身を固め、機動力を活かして敵を翻弄する」
石玉が、好奇心に満ちた目で続けた。
「武器はどうなんですか? やっぱり槍と刀が主なんですよね?」
「そうだ。長柄の槍や、刀が主な武器だ。弓や弩も重要な武器で、特に我々のような騎馬兵は、騎馬弓術が戦局を左右することもある。それに、攻城戦などでは、投石器や衝車といった攻城兵器も使われる」
攻城兵器とは、敵の城を攻め落とすための大きな道具のことだ。投石器は大きな石を飛ばし、衝車は城門を壊すのに使われる。
「じゃあ、戦い方も、西夏とは違うんですか?」張忠が尋ねた。
「ああ、西夏は騎馬隊による機動力を活かした戦法を得意とするが、我々、北宋は、歩兵を中心とした陣形を組むことが多い(おおい)。槍を持った(もった)歩兵で敵の突撃を食止め、弓兵が後方から矢を放って援護する。騎兵は、敵の側面や背面を突いたり、追撃したりする役目を担うことが多い」
「なるほど、役割分担ってわけですね」と、李義が納得したように頷いた。
「しかし、一番重要なのは、兵士の待遇だ」
狄青の言葉に、皆の表情が変わった。兵士の生活は、いつの時代も厳しいものだからだ。
「我々(われわれ)兵士は、国から俸給を与えられる。俸給というのは、給料のことだ。それに、食料や衣服なども支給される。だが、それは最低限の生活を送るためのものに過ぎない」
「だから、わしらはこんな薄汚れた恰好をしているってわけですか」張忠が苦笑する。
「ああ。それに、戦争が長引けば、物資の補給も滞りがちになる。腹を空かせることも、珍しくない」
狄青は、自分も長年、下級兵士として苦労してきた経験を思い出していた。
「それでも、我々が戦い続けるのは、何のためか。一つ(ひとつ)は、故郷の家族のため。そしてもう一つ(ひとつ)は、立身出世のためだ」
立身出世とは、地位や名声を得て、世に認められることだ。狄青自身も、まさにその途上にいた。
「功績を挙げれば、私のように昇進することもできる。そうすれば、俸給も増え、家族を楽にさせることもできるだろう。最も、私のように顔に刺青があっても、努力次第で上を目指せるのだから、お前たちも頑張れ」
狄青の言葉は、兵士たちの心に温かく響いた。特に、石玉は、憧れの眼差しで狄青を見つめていた。
「小隊長殿を見習って、僕も頑張ります!」
劉慶がニヤリと笑った。
「そいつは心強いな、石玉。だが、そのためには、生きて帰ってこなくちゃならねぇ。そのためにも、敵の装備や戦い方はもちろん、自分たちのことをよく知っておくことは重要だ」
李義が静かに頷いた。
「はい。小隊長殿のお話は、我々(われわれ)にとって大変勉強になります」
張忠は、自分の持つ大刀の柄を握り締めた。
「どんな装備だろうと、どんな戦い方だろうと、俺は俺のやり方でぶち破るだけだ!」
彼らの言葉に、狄青は満足そうに頷いた。知識を与え、理解を深めること。それもまた、兵士を率いる者の重要な役目だと、狄青は考えていた。
北宋の兵士たちの実情を知った彼らは、自分たちの置かれた状況と、これから向かう戦場の厳しさを再認識した。しかし、そこには悲観の色はない。むしろ、狄青の言葉は、彼らの心に奮起を促し、戦いへの決意を固めさせたのだった。
〇大戦の幕開け
1038年、長年くすぶっていた北宋と西夏の対立は、ついに大規模な戦争へと発展した。国境沿いでは、西夏軍による度重なる侵攻が始まり、宋の都、開封にも緊張が走った。
狄青の小隊もまた、この戦の最前線へと送り出された。砂塵舞う広大な大地に、無数の兵士たちが集結する。はためく旗の数々(かずかず)、響き渡る太鼓の音、そして兵士たちのざわめきが、戦場の空気を震わせた。
狄青は、自分の部下である張忠、李義、劉慶、石玉を引き連れ、指揮所へと向かっていた。彼らの顔には、緊張と、それでもなお湧き上がる闘志が混在していた。
「いよいよか……」張忠が、手に(てに)持つ大刀の柄をぎゅっと握り締めた。
李義が冷静に周囲を見渡す。
「これほどの大軍は、見たことがありません」
劉慶は、遠くに見える西夏の陣営を睨みつけた。
「あっちも、相当な数がいそうだぜ」
石玉は、武者震いするように肩を震わせた。
「僕、頑張ります!」
狄青は、そんな部下たちを静かに見ていた。
「皆、怖いか?」
突然の問い(とい)に、彼らは一瞬戸惑った。しかし、張忠が真っ先に答えた。
「怖くないと言えば嘘になりますが、小隊長殿と一緒なら、何とかなる気がします!」
「俺もです! 小隊長殿の指揮に従います!」と李義。
劉慶も頷く。「そうだ、俺らは小隊長殿を信じてる」
石玉は、尊敬の眼差しで狄青を見つめていた。
「僕たちは、小隊長殿がいれば大丈夫です!」
狄青は、彼らの言葉に、心の底から湧き上がる温かいものを感じた。彼は、一兵卒から這い上がり、小隊長という立場を得た。だが、真に嬉しかったのは、部下たちが自分を信頼し、付いてきてくれることだった。
「よし。ならば、共に生き残ろう。そして、この戦に勝利するのだ」
指揮所に着くと、そこにはすでに先着していた楊家将の姿があった。楊文広が狄青を見つけ、笑みを浮かべた。
「狄青殿! 来られたか。貴殿の小隊も、我々楊家将と共に戦ってくれると聞き(きき)、心強く思っている」
その隣には、凛とした表情で地図を広げる穆桂英の姿があった。彼女は、視線を地図から離さずに、声をかけた。
「狄青小隊長。貴殿の知識と武勇を、存分に発揮してほしい。西夏との戦いは、一筋縄ではいかぬ」
穆桂英は、かつて宋の宿敵、遼の伝説の陣形天門陣を打ち破ったという伝説の女傑だ。彼女の言葉には、経験に裏打ちされた重みがあった。
「はっ! 楊文広殿、穆桂英将軍。我々(われわれ)は、精一杯、国のために尽力いたします!」
狄青の力強い返答に、楊文広は満足そうに頷いた。
「頼むぞ! 貴殿のような若き武将の力が、今、我々(われわれ)北宋には必要なのだ」
大規模な戦争の開幕を告げる号令が、大地に響き渡る。兵士たちの雄叫びが、空に吸い込まれていく。狄青は、胸の内に高まる高揚感を感じていた。恐れがないわけではない。だが、それよりも、この戦で自らの力を試し、国と民を守りたいという思いが勝っていた。
「皆、行くぞ! 生きて帰るぞ!」
狄青の声に、部下たちは力強く応える。彼らの前には、西夏という巨大な壁が立ちはだかっていた。しかし、狄青と、彼を信じる部下たち、そして楊家将という心強い友軍の存在が、彼らに勇気を与えた。
ここから、狄青の、武将としての真の戦いが始まる。彼は、この苛烈な戦場で、いかにして頭角を現し、「面涅将軍」としてその名を轟かせていくのだろうか。