「家族写真」
「……あ、今の、惜しかったよ!」
皐月の声が明るく響く。
立畑ダムの展望広場。ダムの放流を見に来た人達が思い思いに過ごしていたた。夏空の下、少し息を整えつつ皐月の言葉に耳を傾けながら、たった今撮った写真を確認している男性の横から液晶を覗き込む。
「惜しかったって……全然写ってないじゃん」
「ううん、うっすーく、右上の木の陰! ほら!」
皐月が画面の端の方を指差す。指先の所を凝視すると、薄ぼんやりとした"影のようなもの"が確認できた。
「……言われてみれば、確かに……でも、これじゃ絶対気付かれないな」
「やっぱりタイミングなんだよ〜。シャッター押す瞬間に"グッ"て力入れなきゃ!」
皐月は浮き輪を抱えたまま、勢いよく両手を上げてポーズをとる。
「言うのは簡単なんだけどな〜……」
人がシャッターを切る"その瞬間"を察知して、霊力を集中させる。想像以上に難しい。思わずため息が出た。
(霊力はあるはずなんだけど、どうにも噛み合わない……)
そこで、ふと思いついた。
「ねえ、ずっと霊力集中させてたら、撮る瞬間にちゃんと写るんじゃない?」
「え?」
「俺、霊力強いからさ、持続して集中させるのもできると思うんだ。タイミングが合わないなら、ずっと出しとけばいいんじゃないかって」
「……あ〜……」
「よし、ちょっと試してみる!」
何とも言えない顔で見つめる皐月を横目に、展望広場の奥で今まさに撮影しようとしている、若いカップルの方へ向かった。彼らがカメラを構えるのを見て、レンズの近くに移動し、全身に霊力を集中させた。
すると、カメラのファインダー越しに、女性がふと顔をしかめる。
「ん……? なんか変な感じしない?」
「え、そう? 別に……」
「いや、なんかさ……ゾワッてしたというか……やっぱやめよ、場所変えよう」
「うん……?」
カップルは撮影を中断して立ち去ってしまった。
「……え? なんでぇ〜?」
思わず天を仰ぐと、後ろから皐月がやってきて、ふふっと笑った。
「ねー、だからね? ずっと霊力出してるとね、変な見えないモヤモヤみたいなのがかかっちゃうんだよ。レンズ越しだとモヤモヤが感じやすくなっちゃうの、だからみんな写真撮らなくなっちゃうんだよ〜」
「……うそだろ」
「れんお姉ちゃんは霊力がすっごいから、うっかりしてると写真撮る前にダメーってなるの。だから、タイミング大事なの!」
皐月のざっくりとした説明に「???」という顔をしていると、澪がさりげなく補足してくれた。
「……つまり、シャッターを切る瞬間まで、出来るだけ霊力を抑えておかないとね、人は悪寒や違和感を感じるの。だから、シャッターを切るその瞬間を狙って霊力を出さないといけないって事じゃないかな」
「よく怪談話とかで、写真を撮った瞬間に違和感とか寒気を感じたとかゆうの...あれってそうゆう事?」
「多分そうだと思う」
「はは、なるほど……言ってる意味はわかるけど、やるのは難しいな……」
頭をかきながら、もう一度広場を見渡した。その後も数回チャレンジしてみたが、結果はほとんど変わらなかった。写っても端にぼんやりと、あるいは全く映らず。
半ば諦めて、近くで見ていた澪の隣に腰掛けた。
「……悔しいなあ。全然うまくいかない」
「写り込みって、実はすごく難しいらしくて...専門でやってる霊でも、ばっちり写れた時はみんなで大喜びするくらい……だから、落ち込まないで」
「……そうなんだ」
「タイミングが完璧で、霊力が強ければ強いほど、写真にはくっきり写るんだって」
しょぼくれた様子で黙っていると、皐月が急に手を引っ張った。
「れん姉ちゃん、次!ほらあそこ行こっ!」
皐月が指差したのは、広場のベンチにいる四人家族。父親がカメラを取り出してセッティングをしている様子だった。
「もう無理だって〜」
「いいからいいから、ほら、見て見てっ!」
皐月は興奮気味に、こっそり父親の後ろから液晶を覗き込んだ。
「……やっぱりそうだ!」
「えっ、なにが?」
「れんお姉ちゃん、チャンスだよ! セルフタイマー、使ってる!」
「セルフタイマー?」
「うん、あと10秒で撮影だから、今のうちに準備してカウントダウンだよ!」
「……なるほど、それならタイミング合わせられる!」
急いでカメラの前へ行き、レンズに映りそうな位置へ移動した。それと同じくして、カメラの画角を合わせ終わった父親が家族に向かって声を掛ける。
「よし...じゃあ撮るよ〜。10秒ね」
「はーい」
「いくよ、せーのっ!」
父親は、都合良くわかりやすいタイミングでシャッターを押してくれた。
目を閉じて集中して、頭の中でカウントダウンを始めた。
(10、9、8……)
「今、何秒?」
「10秒って思ったより長いな」
家族の"セルフタイマーあるある"みたいな会話に気を取られそうになるが、心を落ち着け慎重に数える。
(……3、2、1、今ッ!)
霊力を一気に集中させる。シャッター音が響いた。
「何か、今一瞬、変な感じしなかった?」
「うん、ひんやりした〜」
母親と子供が違和感を感じたようだが、さほど気にしていない様子、そして父親は、写真を確認する為、カメラの方へ歩き出した。
父親がカメラを手に液晶を確認する。その表情が一瞬にして変わる。
「……!」
目を見開き、ギョッとした顔であたりをキョロキョロと見回した。
「いけたか!?」
先程までの人達とは明らかに反応が違い、胸を踊らしながら駆け寄って行き、父親の後ろからにゅっと顔をのばして液晶を確認した。
...液晶を確認すると、なんともいえない表情になり、黙って澪たちの元へと戻って行くと、澪が心配そうに歩み寄ってきた。
「……どうだった?」
「写ってた……しかも、くっきりと」
「えっ、ほんとに!?凄いね」
「...うん...まあ……なんだろうなぁ」
歯切れの悪い返答をする俺に、澪は目を丸くして首を傾げる。
「えぇ!凄いね!皐月も見たい!」
皐月はカメラの方に走って行った。辺りを見回していた父親は、もう一度液晶に目を向けて凝視していた。
「皐月にも見せて〜」
聞こえるはずのない父親に声を掛けながら、皐月は横からするりと近づき、勢いよく画面を覗き込む。
先程まで、困惑した表情で画面を見つめていた父親が、今度はゆっくりと口元を緩めて、静かに微笑んだ。それと同時に、画面を見た皐月はパッと振り返り、れんを指差して笑った。
「あははは、れんお姉ちゃん、大成功だけど大失敗〜!」
「……そうだよね」
やっぱりかと苦笑いが出た。
「……やっぱ、笑顔……出ちゃうんだな……」
赤くなりながら呟くと、再び澪は不思議そうに首を傾げた。その後ろで、父親が談笑している家族の元に戻りながら、カメラを見せて言った。
「なんか、面白い写真が撮れたよ〜」
手に持っているカメラの液晶には──家族四人がピースで笑って並ぶ中、左端に、幽霊とはとても思えないほど自然に、無邪気な笑顔でピースするれんの姿がくっきりと写っていた。
立畑峠にはダムの放流音が遠く低く響き、蝉しぐれが木々の葉を揺らす風にそっと溶けていた。空はどこまでも澄んでいて、季節の息吹が静かにそこに満ちていた。