「昼間のダムと女の子」
「ひまぁ〜……暑い〜……」
立畑トンネルの脇にある苔むした石段の上、日陰に腰を下ろしたれんが、ぼんやりと空を見上げてつぶやいた。
霊体であるはずなのに、夏の日差しのじわじわとした熱が伝わってくるような気がするのは、周囲の空気や蝉の声、まぶしさのせいか。体感はないはずなのに、暑いと錯覚してしまう。
辺りには誰の気配もない。人間はもちろん、霊たちの姿すら見当たらなかった。普段なら騒がしい剛志達も姿を見せず、大半の霊達が姿を消している。
「……みんな、日の光に弱いんだっけ」
霊力の少ない霊たちは、昼間の直射日光にさらされると負担が大きく、日向には出てこようとしない。山の斜面やトンネルの奥、草の影など、少しでも涼しくて暗い場所に潜んでいるのだ。
「夜はあんなに元気なのにな……」
独り言を呟き、退屈そうに伸びをしたところで、ふと背後に気配を感じて振り返る。そこに立っていたのは、どこか控えめな雰囲気の霊が立っていた。その姿を見て、思わず表情がやわらいだ。
「澪、来てたんだ」
「……うん。今日は、ちょっとだけ」
澪は軽く微笑んで、俺の隣に座った。
数日前"特別な場所"から帰ってきた澪は、夜を中心に姿を見せていたが、元々強めだった霊力を慣らすために、こうして昼間も、たまに顔を出すようになっていた。
帰ってきた直後と比べると随分調子がよさそうだ。そう思いながら澪の横顔を覗いていると、澪は視線をそらしながらつぶやいた。
「……静か、だね。お昼って」
「まあね。昼間に心霊スポットに来る奴なんてほぼいないし、夜は馬鹿みたいに元気な剛志達も日向はしんどいみたいだし。昼間でも活動できる霊達も、誰も来ないのにわざわざ表に出てこないよね。...あと暑いし」
「ふふ。れんちゃんって……暑がりだよね」
「感じてるわけじゃないけど、雰囲気でつられてるんだよ。霊体なのに変だよね」
そんなたわいのない会話を続けながら、ふたりは風の音を聞いていた。
しばらくして、澪がふと、ぽつりとつぶやいた。
「……ダムの方はね、昼間でもけっこうにぎやかだよ。いろんな霊がいて」
「え、そうなの?」
目を丸くして聞き返すと、澪は小さくうなずいた。
「うん。あっちは、霊力が強い子たちが多いし、人も結構来るから。暇しない...って言ってた」
「へえ。じゃあ、行ってみようかな。まだ行ったことなかったし」
俺が、ぱっと立ち上がると、澪もそっと立ち上がった。軽く頷きながら、俺の横について歩いてきた。
「……ついて行ってもいい?」
「もちろん。案内してもらえると助かるし」
出会った頃よりも、澪があまり言葉に詰まらず話してくれる事が嬉しかった。そう思いながら笑いかけると、澪は恥ずかしそうに俯いて、少し頬を赤くした。
──
"立畑ダム"はトンネルから山道を抜けた先にある大きな貯水施設だ。所々苔が混じった白いコンクリートの堤体が青い空に映え、谷にせり出すように立っていた。聞こえてくる放水の音と、水しぶきの反響が空気を震わせている。
近くには、カメラを構える人々の姿があった。ダムの放流を撮影するために訪れているらしい。望遠レンズを構える中年男性、三脚を据えている若い女性、スマホで自撮りするカップルもいる。
「みんな、ダムの写真を撮りに来てるの。ダム好きな人って多いんだって」
「ダムマニア、ってやつかな。あと写真家?」
少し様子を観察してみたが、ここにいる人達は、特に怯えている様にも、警戒している様にも見えなかった。
「なんか...霊達の気配もあまり感じないな」
首をひねったその時、背後から小さな声が聞こえた。
「ねえねえ、澪〜!」
振り返ると、澪に駆け寄ってくる女の子がいた。水玉模様の可愛らしいワンピース姿で浮き輪を抱えたその子は、満面の笑みで澪の腕を引っ張る。
「来てたんだねー、やったぁ! あれ? その人、知らない顔だ」
澪の隣にいた俺を見た女の子は、ぱっと顔を輝かせてパタパタと歩み寄ってきた。
「ねえねえ、お姉ちゃん誰? はじめまして?」
「うん、はじめまして。れんって言うんだ。君は?」
「皐月! みんなからはさっちゃんって呼ばれてるよ」
小さな手をぶんぶん振りながら、皐月は笑いかけてきた。
「皐月ちゃん、よろしくね」
「うん!れん"お姉ちゃん"もさっちゃんって呼んでいいよ!」
"お姉ちゃん"呼びに少し面食らいながらも、自然と笑ってうなずいた。澪が小さく肩をすくめるようにして微笑む。
「この子が、ここの責任者なんだよ。見た目より、ずっと前から...ここにいるの」
「...え...そうなんだ……」
れんが驚いていると、皐月がくるりと回って、両手を広げた。
「さっきまでねー、ちゃんと映ったかなーって確認してたの! 最近はカメラがいっぱいあるから、遊びやすいの!」
「映ったって……まさか心霊写真の事?」
皐月は、ふふっと笑って浮き輪をぎゅっと抱えた。
「うんっ! びっくりした顔、いっぱい見れると楽しいよー!」
霊とは思えない程の無邪気さに、口元が緩んだが、すぐに気を取り直して澪に視線を向けた。
「澪、昼間でも暇しないって……もしかして?」
「……そう。昼間は音や声は自然の音に紛れちゃうから、あまり効果がないの。だから、写真に写り込むのが一番なんだって。シャッターの一瞬に霊力を集中させると、ちゃんと映るから」
「なるほど……!」
瞬間的に霊力を集中させるから霊達の気配を感じなかったのか...ようやく合点がいった。
「ここでは昼間でも心霊現象が起こせるから、霊達が元気なのか」
「……うん。"存在意義"の証明も出来るから」
「でも、写り込めたかどうかなんて、どうやって確認するの?」
「撮った人が...モニターを確認する時に、一緒に覗き込んだり...」
その光景を想像して吹き出しそうになったが、澪は話を続けた。
「でも霊力を集中させるタイミングが難しいから、写り込めても背景に溶け込んでしまってたりして...その場で心霊写真って気付かれる事は少ないみたい」
「え、じゃあせっかく写り込めたのに、気付かれなかったら失敗って事?」
「失敗ではないけど、認識された方が"存在意義"が高まるの」
...トンネルとは勝手が違いすぎる。
唖然としていると、皐月の口から違和感しかない言葉が飛び出した。
「スマホでエゴサするの!」
我慢していたが、ついに吹き出してしまった。
「ぶっ!ちょっ…スマホって、あはははっ、さっちゃん面白い事言うね、誰に教えてもらったの?」
笑う俺をキョトンとした顔で皐月は見つめていた。
すると澪がぽつりと呟いた。
「...出来るよ」
「...え?」
「...その......本当にスマホでエゴサ...出来るよ」
「マジで!?え、だってここ来た時、自分のスマホとか、全部消えて無くなってたよ?」
「夜、立畑峠に肝試しに来て、逃げ帰った人達がたまにスマホとか...落として帰るの。それを回収して、"電磁干渉"に特化した霊に操作してもらうの」
「電磁干渉って、まさか...そんな手があったなんて...」
「うん...だからSNSで[立畑ダム 心霊写真]で検索したら、たまにバズってたりして...」
「何それ!めっちゃ面白そう!」
スマホの存在、そしてその使用方法に感動していると、皐月が手をぎゅっと握ってきた。
「じゃあ行こー! 今ね、あっちの人がパシャって撮ってたから、写りに行こう!」
「えっ...!ちょっ、そんないきなり?」
勢いに引っ張られるようにして、皐月と一緒にカメラ構えている1人の男性の方へ走り出した。
「なんか……夏休みみたい」
そんな駆けて行く後ろ姿を見送りながら、澪がそっとつぶやいた。
その声は、風の音に溶けて、涼しげな空に吸い込まれていった。




