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「秩序と逸脱」


──ズシリ、と重い沈黙が峠を支配していた。


しおんの声は冷静だったが、その眼差しには明らかに怒気が宿っていた。悠真も玲亜も、気まずそうに目を逸らす。ついさっきまで悪ふざけ半分で笑っていた2人が、まるで子どもみたいに固まっている。


(これが……しおんの、本気の威圧か...)

俺は身動き出来ずにその場に立ち尽くしていた。救った命。ポルターガイストがあと少しでも遅れていたら、車はガードレールに間違いなく衝突していた。なんとか──救えた、という手応えよりも、今は空気の張り詰めた緊張感にのまれていた。


「今回は見逃すわ。けど……次はないと思いなさい」

しおんがそう言った瞬間、悠真がやや不服そうに舌打ちする。


「わーったよ。悪かったって。ちょっとやりすぎたのは認めるぜ。でもよ、俺たちは怖がらせるのが仕事だろ。ギリギリの線攻めなきゃ意味ねーじゃんか」

「さっきのはギリギリを狙ってはいなかったでしょ?だってあなた達の殺気...あれで抑えてたつもりかしら。言い訳は聞きたくないわ」

言葉が刺さる。澪がそっと近寄ってきて、俺の袖を握った。


「……れんちゃん、大丈夫だった?さっき、ものすごい速さで飛んで行ってたけど……」

「あ、うん……霊力で自分にポルターガイストかけたら、めっちゃスピード出ちゃって……ちょっと怖かったかも」

苦笑まじりに言うと、澪は安心したように笑ってくれた。その小さな笑顔に、れんの張り詰めていた胸がほんの少し緩む。


だが──その束の間の静寂は、すぐに破られた。


「ふむ……緊張感のある現場ですね。非常にいい空気だ」

どこか芝居がかったような低音。声のする方を振り向いた瞬間、れんの背中にざらりとした悪寒が走る。

声のした方を見ると、トンネルの中に無数の黒い影が立っていた。その中の1つの影がこちらに歩いてくる。月明かりを背に、輪郭だけが浮かび上がる。スーツを着た男──だが、その表情は不気味なまでに整っていて、人間のそれとは思えない無機質さがあった。


「……ズマ」

しおんがぽつりと名前を呟く。あのしおんが、眉をわずかにひそめていた。


(ズマ……? 聞いたことない名前だ……でも、この空気……ただ者じゃない)

影──ズマと呼ばれた男は、ゆっくりと前に出てきた。それと同時に悠真と玲亜は、ズマの元へ向かい、隣に立った。


「ご機嫌よう、しおん。相変わらずだな。随分と熱心に"秩序"を守っておられる」

「あなたこそ、こんな場所に現れるなんて。何の用かしら?」

しおんの声は冷ややかだったが、その奥には警戒がにじんでいた。

ズマは一度だけ薄く笑い、地面に片膝をついて何かを拾い上げる。──それは、さっき車で逃げ帰った青年が落としていったスマートフォンだった。画面は割れ、霊力の干渉を受けてか電源は完全に落ちていた。


「……人間は面白いね。魂を持たない機械に、これだけの想いを詰め込むとは。もはや未練すらデータ化しているようだ」

その言葉に誰も反応できなかった。ただ、俺の中にひとつの疑問が生まれる。


「ズマさん…でいいですかね?...あなたも幽霊なんですよね?」

ズマはその問いに、面白そうに目を細めた。


「君、確か...凄い新人だって騒がれてる子だね。名前はそう...何だったかな..」

「れんだよ」

「そうそう、れんだったね。君みたいに、ここに来て日の浅い霊は知らないだろう。私も霊だよ...でも正確には"霊的存在"といった所だねえ。人間として死んだ記憶はあるが、それが本当に自分のものかどうかは分からない。なにせ、長く生き過ぎてしまってね」

ズマはまるで、人間という存在を過去の幻想のように話していた。その態度に少しだけ怖さを覚えた。


「分からないって...生前の記憶がないのか?」

「そうだね、ほとんど無いと言うより、"元"人間だったとゆう自覚も消えかけているよ」


「へえ...もう少し詳しく聞かせて欲しいな...」


ズマの言っている意味がわからなかった、ただ何故か、もう少しこの人の話を聞いてみたいとゆう気持ちに襲われた。先程までこの男に警戒していたのに、ふわっとした何とも言えない表情でズマに質問を返している自分がいた。その瞬間...


──パァン

!!


「れんちゃん!しっかりしなさい!」

ハッとして我に返ると、霊力を纏ったしおんが手を合わせて俺の目の前に立っていた。


「ズマの言葉を真剣に聞いちゃダメ」

「え、今...俺....」

訳が分からず動揺していると、ズマが不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。


「嗚呼残念、もう少しで"彼女"へのお土産が出来たのに」

「お互い仲間に手を出さない約束でしょ?あなた、今ここで私に消されたい?」

殺気立ったしおんがズマ達の方に歩み寄って行く。するとズマは立ち上がり、両手を広げて言った。


「いや、今日は君たちの"活動"を見に来ただけさ。トンネルでの霊活動が以前より活発になっているという噂を聞いてね。特に──期待の新人の評判は、我々の場所にも届いてきてたのでね」


「見に来ただけ?仲間に精神操作を仕掛けてる時点で敵対行動じゃないのかしら」

「いやいや、私はただ、ちゃんと目を見てお話をしただけですが?誰かと話す時は目を見て話す、子供の頃教えられませんでしたか?」


その返しにしおんが舌打ちしながら踏み出そうとしたが、澪がさっと腕を伸ばして止めた。


「しおんさん...2人とも殺気がすごいです。少し冷静になりましょう...」

そう言う彼女の声は震えていたが、いつになく本気だった。

少し間を空けて、しおんは軽く1回深呼吸をした。しおんの纏っていた禍々しい霊力がすうっと治まっていった。そして落ち着いた声のトーンでズマに問い掛けた。


「……ズマ、"あなた達"の霊としての在り方を否定するつもりは無いわ...でもね、人間を殺しても成仏はできないのよ。それでも同じ事を続けるの?」

するとズマは、相変わらず不敵な笑みを浮かべながら両隣にいる悠真と玲亜の背中に手を添えた。そして──静かに、頷いた。


「成仏できない、そんな事は知っているさ。殺した瞬間にそれは呪いに変わる。存在意義とはまるで違う。あなた達はそれを、自らの魂を腐らせていると思っている。でも……それは大きな間違いです。殺せば殺すほど魂は浄化される。そして"新たな存在"になり、次のステージにいけるのです」

「俺らもズマ達の考えに共感してるんだぜ。なあ玲亜?」

「……そうね」

ズマに続いて口を開いた悠真の目が少し濁って見えた。だが、玲亜は伏し目気味で少し脅えている様にも見えた。


「今日はただの観察ですよ。...また顔を出させていただきますね。期待の新人さんと親交を深めたいのでね」

ズマは最後にしおんを一瞥し、悠真達と一緒にトンネルの奥へとゆっくり歩き出す。


「そうそう、"彼女"もその内こちらにお邪魔すると言っていたので、その時はよろしくお願いしますね」

その言葉を残し、ズマ達は闇の中に消えていった。誰もその背中を追わなかった。

風が一度、峠を撫でて通り過ぎる。しおんが小さく息を吐いた。


「……さっき、澪が止めてくれて、本当に助かったわ。ありがとう」

「この前...暴走した私の事...止めてくれたから、こちらこそありがとう」

少し照れながら澪は笑った。


「ごめん、話の内容が全然理解出来なくて……魂の浄化、"新たな存在"って?」

俺はズマの言っていた事が理解出来ず、しおんに問い掛けた。しおんは、剛志達や周りにいた霊を集めて真剣な顔で話を始めた。


「まずは、みんなに謝らせてちょうだい。怖い思いをさせてゴメンなさい。さっきここに来ていたズマは以前、立畑トンネルで一緒に過ごしていた仲間なの。」

周りがざわつく。しおんは続けて口を開いた。


「彼の名前は東間理玖(あずまりく)、私がここに来てから1年ほど経ってやって来た、いわゆる超古参ね。来た当初は、生前の悔いや恨みからか尖っていたけれど、次第に皆と打ち解けて楽しくここで過ごしていたの。数年も経つと私なんかよりも頼り甲斐があって皆からは"ズマ"なんて愛称で呼ばれて慕われて、少し嫉妬したけれど、私も彼ほど周りをまとめられる存在はいないと思っていた...」

しおんの口から出てくるズマの人物像が、先程までいたその男とは違い過ぎて、まるで別人の話をしていると思う程だった。


「なんでそんな奴が、あんなヤバそうなエグい霊力纏ってんねん」

珍しくここまで黙って話を聞いていた剛志が、しおんに問い詰めた、しおんは少し眉根を寄せ俯いた。


「ある時、1人の女の子がここにやってきたの、"彼女"に出会ってからズマは変わってしまった...」

「なるほどな、わかったで、その"彼女"とやらにあの男も洗脳されとるんやな。ほな、そいつぶっ飛ばしたら解決やないか」

「無理よ。あれは霊だけど霊じゃない、この峠で自然発生した、純粋な怨霊...いわゆる"祟り神的"存在、霊への強い干渉能力があるから、多分あなただけじゃなく、大勢の霊が消されるわよ」

「くっ...」

"消される"と断言したしおんの言葉に、剛志は押し黙った。ふと疑問に思い、俺はしおんに質問した。


「霊同士は力が制限されるんだよね?なら、流石に次々に霊を消滅させるのは難しいんじゃない?」

「彼女は特殊で、霊に対して制限なしに力が使えるの、逆に人間に対しては力が制限されるみたい。さっき"祟り神的"って言ったのも、まだ祟り神になりきれてないから...そして、彼女は完全な祟り神になろうとしている。これはあくまで仮説だけれど、完全な祟り神になるのに人間の死が関わってるんじゃないかと思っているの」

「だから他の霊を精神支配して実行に移しているのか...だとしたら悠真と玲亜も...」

「恐らく支配されてるわ」

先程の悠真と玲亜の様子が頭をよぎった。悠真は明らかに支配されている様子だったが、玲亜は少し違った。

玲亜は支配されてないのかも...と思ったが、確証が無い。無責任な発言になりそうなので言葉にはしなかった。

後でしおんだけに伝えてみよう。


「あの〜...」

振り向くと、澪が控えめに手を挙げていた。


「その..."彼女"って名前は無いんですか?」

「現れた当初は、"ウラメ"と名乗っていたけれど、正直あまりその名前を聞きたくないわね。"あの日"を思い出して霊力が乱れてしまうの」

そう答えたしおんの背後で、纏っている霊力が少し揺れていた。


「あ、ごめんなさいっ!嫌な事思い出させてしまって...ごめんなさい」

澪は慌ててペコペコ頭を下げた。しおんは落ち着いた様子でクスッと笑い「大丈夫よ」と澪をなだめた。


「でも、その話はまた後日、今日は色々あって少し心の余裕が無いから...私も衰えたわね」

「そんなんいうても、その"ウラメ"ってのが攻めてきたらどないするん?悠長にしてる場合じゃないんちゃうん」

空気の読めない剛志が、聞きたくないと言っていた"ウラメ"の名前を出して喋る。俺達は一斉に剛志を睨んだ。

しおんは眉をぴくりと動かしたが、ひと呼吸おいて口を開いた。


「その心配はないわ。彼女は今、立畑峠の頂上付近にある"旧立畑神社"から出られないから」

「でも、さっきズマが"彼女"もそのうちここにお邪魔するって...」

「あれは、本体じゃなくて霊に憑依して来るって事だと思うわ。実際にズマに憑依してここに様子を見に来た事もあったわ」

霊が霊に憑依って...何かもう訳が分からなかったが、相手は普通の霊ではなく"祟り神"、霊ではない何かと思った方が理解しやすい。そんな事を思っていると、しおんが続けて口を開いた。


「憑依している時は、その憑依している霊の能力が少し使えるくらいだから、何も出来ないと思うわ。でも皆、くれぐれも気を付けておいてね」


しおんの言葉に全員が黙って頷いた。


トンネルの奥から風が吹き抜けて、しおんの髪飾りを揺らした。"心霊チートスローライフ"とゆう訳にはいかなさそうだと、俺は空を仰いだ。

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