「転生とゆうより転死」
──ホラーも観るの?神崎くん、そういうの苦手そうだけど。
カチカチとリズムを刻むハサミの音。美容室の鏡越しに、常連の女性客が軽く首をかしげた。
「いや、全然観ますよ。ジャンル問わずいけます、意外と」
「え〜、怖くないの?わたしホラーだけは無理」
「怖いっちゃ怖いですけど……ホラー映画に関しては、なんか見てたら応援したくなったりするんですよね〜…幽霊側の」
「幽霊側?……えっ、ホラー映画の幽霊を応援ってどういうこと?」
女性客は鏡越しに目を丸くした。
「だって、リンクの貞子とかも生きてるときに相当ツラい目にあってるんですよ?村ではイジメられて、挙げ句の果てには唯一の救いだった親に井戸に突き落とされて……そりゃ呪いたくなるでしょ」
「まあ……そうだけども」
「もし僕が貞子だったら、自分よりだいぶ後に産まれてきたクソガキが呪いのビデオ〜とか言って、ビデオ観て笑ってたらブチギレですよ。ただ呪うじゃなくて、超呪います」
「"そっち"目線でホラー映画観てる人初めて見たわ」
彼女は吹き出して笑った。蓮も笑う。
「最後に霊が成仏できる系とか、ボロ泣きしますから僕」
「感動しちゃうんだ……神崎くんって独特な感性してるのね」
施術が終わり、女性客が会計を済ませて帰っていくと、蓮はひとりで静かな店内を掃除し始めた。
カーテンを下ろし、フロアをモップがけして、すべての照明を落とす。
鍵をかけ、外に出ると夜風が心地よく肌を撫でた。
スマホをポケットに入れて、最寄り駅まで歩く道。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った住宅街を歩いていると、ふと、横断歩道の向こうからワンピース姿の少女が歩いてくるのが見えた。
うつむき加減で顔までは見えないが、10代後半ぐらいだろうか、時間帯も相まって少し不気味に感じる。
──さっきホラーの話とかしてなかったらなんとも思ってないんだろうな、でもなんだろう?怖いとゆうより…
「……?」
何か妙な違和感が胸に引っかかる。
彼女とすれ違う瞬間、ふわりと空気が揺れた気がして、立ち止まって振り返った。
けれど、そこにはもう誰もいなかった。
「え、うそ……?」
呆然と立ち尽くしていると、左側から車のライトの光が勢いよく飛び込んできた。
「──あっ」
ぶつかる瞬間、時の流れがスローモーションになった、運転席でスマホ片手にハンドルを握っている男と目が合った気がした。
──ながら運転かよ……
ドンッ。
衝撃と共に、世界が裏返った。
痛みすらなく、音も、空気も、すべてが遠のく。
───
次に目を開けたとき、蓮は真っ白な空間にいた。
上下も左右もない、ただ眩しい光に包まれた場所。
「……え、どこ?」
浮いているような感覚。身体はあるけれど、重力はない。
夢か、もしくは──
「……ついに俺にも異世界転生が来た……?」
呟いた声に、驚くほど感情がこもっていた。
「マジで!? スキル選べる系? チートもらえる? あれ、神様は? 」
「え、俺、どんな職業にする? 錬金術師? それとも……」
浮かれたまま数分が経過する。……が、誰も来ない。
「……あれ?」
焦り始めたとき、急に"それ"は現れた。
黒いもや。まるで靄の塊のように、空間の一部が揺れていた。
「おお……これはもしや闇属性スキルか……!」
蓮はワクワクしながら近づいていく。
「これを触ったら、闇魔法とか使えるようになっちゃったりして……」
手を伸ばした瞬間、もやが渦を巻いて彼の体を包んだ。
「ちょ、えっ──」
一瞬で視界がブラックアウトした。
───
次に意識を取り戻したとき、彼は暗い山中に立っていた。
霧が立ち込め、空は曇り、湿った空気が肌にまとわりつく。
近くには崩れかけた祠と、古びたトンネル。
トンネルのネームプレートに日本語が書いてるのが見えた。
「立畑…トンネル……異世界っていうより……ここ日本じゃない……?」
スマホを探すが、ポケットは空っぽ。
辺りを見回して、何が起きているのかを把握しようとするも、何も情報はない。
そのときだった。
「……もしかして、新人さんですか……?」
背後から、か細い声。
全身がゾワリとした。振り返ると、そこに立っていたのは──長い黒髪の少女。
一見綺麗な顔立ちだが、目元には痣、首元や腕には何本もの傷。
明らかに生きている人間ではない、だが不思議と目が離せなかった。
彼女の瞳には、底の知れない哀しみのようなものが宿っていた。
「ひぃっ!? うわあああああああっ!!」
反射的に叫んでしまった。
その瞬間、風が荒れ狂い、木々がざわざわと暴れる。自分の叫び声に反応するように、辺り一帯が揺れた。
「ひっ……ご、ごめんなさいっ! まだメイクしてなくて…傷も…いつもは隠してて……ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんです……!」
その少女は慌てて手を振った。
──ん?メイク…?
「……あの…怒ってます…か?」
「あ、ご、ごめん……びっくりしただけで……えっと……俺……」
「よかった……私、澪っていいます。あなたは……?」
名前を言おうとして──気づいた。
声が高い。違和感を覚えて自分の手を見る。
細く、白く、爪まで綺麗。そして、服装はワンピース。小さな身体。
スカートがふわりと揺れている。
思わず両手で自分の体を確かめる。
「え、なにこれ?このワンピース… 死ぬ前にすれ違った……えぇ…?」
「たぶん…亡くなったばかりだと思うから……混乱していると…思います」
「いや、なんで!? 俺なんで女の子に転生してんの!?」
「て…転生……?ごめんなさい…私にはちょっと…わからないです……。でも…とにかく一旦……落ち着いてください」
明らかに動揺している澪の姿に、蓮は少し冷静になった。
「……いや、まぁいいか。見た目がどうこうより、今は状況整理だよな」
「それにしても、あなた……霊力、すごいです……。叫んだだけで、あんな風が……」
「あれって俺のせいなの!?」
「はい……新人さんで、あれだけの影響力……今まで見たことありません……!」
そんな会話の最中、突如として空気が変わった。
冷たく、緊張感のある空気。澪の肩がピクリと震える。
「……誰か来た?」
振り返った先に、鋭い眼差しの女性が立っていた。
綺麗に着こなされた黒い着物に、後ろでまとめた髪で、凛としたその佇まいは、圧倒的な存在感を放っている。
「異常な霊力が発生したと思って来てみたけど……なるほど。あなたね」
その声は冷たく、だが美しかった。
「し、しおんさん……! この子は…あの……新人さんで…」
澪があたふたとさっきの出来事を説明している。
蓮はというと、ただ呆然としていた。
幽霊、霊力、転生、女の子の身体──すべてが現実離れしていて、でも現実だった。
──俺は死んだ。そして、多分幽霊になった。しかも女の子の姿で。
これは異世界転生じゃない。
異世界ではなく「現世」
転じているが死んでいる「転死」
「…これじゃ現世転死じゃん」
変な対義語を思い付いて少し肩の力が抜けた。
「私はしおん、あなたの名前は?」
澪のあたふたとした説明を聞き終わったしおんが訪ねてきた。
「神崎…神崎蓮です。」
「じゃあ…れんちゃんね。ようこそ日本屈指の心霊スポット"立畑峠"へ」
「れんちゃん?あぁ…今女の子だから………って、心スポ!?」
こうして俺の理想とは程遠い心スポ幽霊ライフが始まった。