表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

(22)天の岩戸伝説


 この頃邪馬台国と狗奴国の戦いが続き、邪馬台国は狗奴国の攻勢に晒されていた。ワヒ

国は狗奴国の占領地となり、東の丘に陣取っていたわ人の兵も大きな損害を受けて撤退し

ていた。邪馬台国の女王卑弥呼は倭族達の兵を招集したが、狗奴国の手ごわさを知る倭族

は招集になかなか応じなかった。狗奴国との戦いに苦慮する卑弥呼を助けようと、側近の

難升米は再び魏に使者を送り魏の軍事援助を求める事を提言した。


 西暦245年、難升米以下の使者五十名を乗せた大船は、漕ぎ手の兵士三十人と献上品を

載せて筑紫の浜を出港した。大船は対馬から半島沿岸を経て帯方郡の港に到着し、使者た

ちは馬に乗り換え十日後、魏の都の洛陽に到着した。魏王に拝謁した使者難升米は、邪馬

台国が南の狗奴国と交戦しており、軍事援助を依頼したい旨を願い出た。

 これに対し魏王は邪馬台国の使者難升米に「黄地に魏」の軍旗を下賜し、近々使者と兵

を送り、邪馬台国を援助する事を約束した。


 魏は曹操が後漢滅亡の混乱の中で、黄巾の乱を鎮圧しその賊徒や北の蛮族を支配下に置

いて建国した国だった。国号の「魏」は「委」と「鬼」から成り立っており「倭人の鬼の

ように強い」という命名だっただろうが、秦人(漢人)が主体で倭人との関係性は薄かった。

 魏の国は中原を支配していたものの、南には呉・蜀の強国が覇を争っており予断を許さ

ない状況が続いていた。魏は北進して来る呉・蜀と度々戦い、東方では遼東楽浪帯方玄免

四郡・韓・倭を支配した公孫氏の燕を滅ぼしたものの、高句麗との戦いは続いていた。

 魏は敵対する高句麗や呉を牽制するために、その東にある倭国・邪馬台国と友誼を結び

利用する事を考えていた。そのうえで魏は倭国内の争いを調停し、邪馬台国と狗奴国が戦

うことなく協力して半島に出兵し、高句麗やその配下の新羅と戦う事が望ましかった。

邪馬台国と対立する狗奴国は秦人が治める国であり、漢人が主体の魏はむしろ狗奴国に肩

入れしたいと考えていた。


 西暦247年、魏王から派遣された使者張政は、数百人の乗る四隻の大船で帯方郡から海を

渡り、わの国倭国の筑紫の地に到着した。船上に高くひらめく「黄地に魏」の旗で四隻の

船が魏の使者であることを知った倭人達は魏の使者と兵たちを丁重に出迎えた。

 魏の兵は倭人達よりさらに大柄で、白く輝く鎧兜姿で大きな槍刀弓矢を構えた姿は倭人

達を威圧していた。その中でもひときわ長身で白馬に乗ったきらびやかな平服を着た人物

が正使張政だった。



 魏の使者と兵達は筑紫の浜の中央に位置した伊都国に案内され、砦の中の大きな館で、

邪馬台国女王卑弥呼に拝謁した。

 使者張政は白馬から下馬し、館の中で待受ける女王卑弥呼にひざを折って拝礼した。

女王卑弥呼は配下の者に命じて、使者張政を館の表座敷に案内し、対面して使者を労った。

「偉大なる魏王の使者として遠路お越しいただいたことに感謝する」

「邪馬台国の女王卑弥呼の名声は遠く魏の地まで届いております。女王にお目にかかれて

光栄の極みです」

 しばらくの間、互いに賞賛し合う外交儀礼が続いた後、使者張政は邪馬台国と狗奴国が

戦う事の不利益を述べ始め、魏王の命令として狗奴国と戦うことを禁じた。

これを聞いた女王卑弥呼は青ざめて言葉を失った。その様子を見た使者張政は

「私の任務は邪馬台国と狗奴国双方に魏王の命を伝え、両国の和平を成し遂げる事、どう

かご理解願いたい」と述べた。

女王卑弥呼は、魏の使者張政の言葉に従う他なかった。

 その夜、魏の使者達を歓迎する宴が開かれた。賑やかな酒席で歌と踊りの趣向も催され

たが、その宴席に女王卑弥呼の姿はなかった。


 数日後、魏の使者と三百人の兵は「狗奴国にも和平を勧める」という名目で、南の狗奴

国に向けて出発した。魏の兵の堂々とした行軍に、倭人達は驚きの目で見送るだけだった。

 翌日、狗奴国の兵達の前に「黄地に魏」の旗を掲げた魏の兵が姿を現すと、狗奴国の兵

達は武器を手放して歓声を上げた。狗奴国王狗古智クコチは膝を折って魏の使者張政

を出迎えた。

「狗奴国は、偉大なる魏王の命に全て従います」

魏の使者と兵は狗奴国に数日間滞在し歓迎を受けた後、狗奴国王の長男の男児を連れて、

再び邪馬台国に向かった。


 邪馬台国に戻ってきた魏の使者張政は、病床にある女王卑弥呼の代理となった難升米に

邪馬台国と狗奴国の和議を告げた。和議の内容は「邪馬台国は戦いの起こる前の狗奴国の

地を返還する」つまり旧ワヒ国の地を狗奴国に差し出せという命令だった。

 翌日、難升米は卑弥呼が和議の内容に同意したことを張政に伝えた。邪馬台国と狗奴国

の戦いは、魏の使者の仲裁で停戦に至った。この和議以降、女王卑弥呼は館に閉じこもり、

人々の前に姿を見せる事はなくなった。倭の国の人々はまるでこの世から日の光が消えた

かのように感じていた。


 一月後、魏の使者張政の指図で、病床にある卑弥呼に替わって、狗奴国王狗古智が「倭

国王」として邪馬台国の王を兼ねる事になった。これまで戦ってきた敵狗奴国の王を迎え

る事に反発する呉系の倭族の反乱がおこり、百数十人が狗奴国兵と魏の兵によって殺害鎮

圧された。その他の倭族は静観する状況だった。これ以降、呉系の倭族は筑紫の地を離れ、

東の内海沿いの同族の居住する地に向かう事になった。


 その年に卑弥呼は病死したと伝えられ、女王の死を悼んで難升米を含む側近の数名が殉

死した。その年の冬の日、実際に太陽が光を失い辺りが夜のように暗くなる「日食」が起

こった。倭国の人々は、女王卑弥呼の死でこの世が終わるのではないかと恐れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ