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(21)親魏倭王


 西の大陸では後漢の支配が宦官と外戚の内紛や外征の失敗で乱れ、黄巾の乱を始めとす

る戦乱が起こり、西暦220年後漢は滅びた。その後、魏・呉・蜀の三国の戦いとなり、そ

の中で後漢の地方官だった公孫度が遼東地方で勢力を拡大し、朝鮮半島で楽浪郡に代わ

る帯方郡を設置し、ついには燕を称して独立し強勢を誇っていた。


 狗奴(くど)国との戦いに難渋していた卑弥呼は、各部族の長達と策を協議し、西の大陸

の北東部で強大な力を持っていた公孫氏の燕に使者を送り、助力を求める事にした。この

ため、側近の難升米や西の大陸の言葉や地理に通じた安羅族の阿知を使者とする事にした。


 東風の吹く日、使者の乗った大船は白い帆を張り漕ぎ手の兵士30人と献上する品々を載

せて、筑紫の浜を出港した。東風に帆を張った大船は静かな海を進み、壱岐島を経て対馬

に到着した。その地からは対岸の半島が目前に見えた。風待ちで数日過ごした後、使者た

ちの船は北に流れる潮の流れを乗り越え、西の半島の船着き場に到着した。

 上陸した半島の地は、山と森の多い倭国とは違い、草木の少ない荒れ地が広がり稲など

の作物を植えている耕地は少ない。そこに色々な部族の城塞に囲まれた集落が点在してい

た。土地と作物が原因する部族間の対立が日常であり、その険悪さは海を越えて渡来した

邪馬台国の使者にも向けられた。邪馬台国の使者は、騒動を避けるため、まず倭族と同族

の伽耶族を捜し出して連絡をつけ、伽耶族の集落に行き着いた。


 伽耶族は安羅族の阿知の口上を聞き、半島での同族だった邪馬台国の使者を受け入れた。

伽耶族の歓迎を受け、主だった部族の長らに話を聞いた。すると、邪馬台国が使者を送る

予定だった公孫氏の燕が、魏という国によって前年に滅ぼされたという驚くべき事実を聞

かされた。公孫氏の王公孫淵が魏の駐留軍を攻めため、魏軍の攻撃を受けることになり、

大軍に囲まれた帯方郡の城が落ちた後、王公孫淵は捕えられ七千人の兵とともに殺され、

城の前で山積みの「京観」になっているという。


この知らせに、邪馬台国の使者達は驚き呆然とした。

「あの公孫氏が滅んだのか?」

「どうすれば良いのか?」

「公孫氏が滅んだからといって、何もせずに帰国して卑弥呼様に何とお伝えするのか?」


 話し合いの結果、邪馬台国の使者達はその魏という国に赴いて誼を通じるべきだという

結論となった。この年は西暦208年の赤壁の戦いから30年後の年で、魏は公孫氏を倒した

ものの、東の高句麗や南の呉や蜀との戦いの真っ最中だった。

 一行は魏の支配する帯方郡に向かう事になり、伽耶族の兵百人の護衛と共に出発した。

途中幾度も他の部族に行く手を遮られたが、なんとか衝突を回避し、帯方郡に到着した。

海に面した地に廃城があり、そこには伽耶族の長たちの話どおり人骨の山が築かれていた。

邪馬台国の使者達は公孫氏の王とその配下の兵達の遺骨に黙とうし、さらに西へ向かった。


 一行は畑が点在する荒れ地のなかを通り、魏の支配する帯方郡の城に到着した。安羅族

の阿知が城の守兵達に、一行が当方の海の向こうから来た邪馬台国の使者で、偉大な魏の

王に臣従するために来朝したことを伝えた。

 難升米らは城に迎え入れられ、帯方郡の太守に面会した。太守は伝令の早馬を出し、邪

馬台国の使者が都洛陽に向かう事について魏王の許しを得た。

邪馬台国の使者達は、郡の役人たちの案内で、西の大陸の中原にある魏の都を目指すこと

となった。

 一行は郡の役人が用意した馬に乗り、見渡す限りの褐色の荒地を進んでいく。行く手に

北方の凶悪な部族の騎馬集団が度々現れたが、帯方郡の役人たちが掲げる魏の文字が書か

れた黄色の旗を見ると、馬を巡らせ引いていった。


 果てしもなく続く草原を行くこと数日、行く手の南の山裾に万里の長城が見えはじめた。

近づくと人の高さの三倍はある長大な石垣が南への進路を延々と遮っている。帯方郡の役

人の案内で、使者たちは長城の下にある門を通り抜け、魏の国に到着した。

 長城の南の魏の国には、村々の黄色い大地に作物が実る畑が広がり、その中を雑多な種

族の兵達が、黄色の旗を立て隊列を組み移動していた。大きな家々が広がる街の通りには

様々な市が建ち並び、さまざまな部族の人々で賑わい活気に満ち溢れていた。


 難升米ら一行は魏の役人に案内された宿に一泊し、翌日、黄色く濁った水の流れる大き

な河に沿って、急な崖が続く岸を西へ進んでいった。途中大きな崖の淵に行き着き、役人

達から、この辺りが四百年前に楚の項羽が秦兵20万を埋めた谷だという説明を聞かされ、

難升米ら一行は身震いする思いをした。その楚を漢が滅ぼし、その漢が四百年続いた後滅

んで、いま魏の国がこの一帯を治めている。


 数日後、魏の都のある洛陽に到着した。圧倒されるほど巨大な宮殿の中に案内された邪

馬台国の使者は宮殿の前の広場に平伏した。難升米は魏王に邪馬台国女王卑弥呼からの祝

賀を言上し、邪馬台国への助力を求めた。魏王は遠路からの使者を善しとし、洛陽に滞在

することを許した。


 一月後、邪馬台国の使者達は、魏の王に許されて帰国の途に就くことになった。難升米

らは洛陽から東へ向かい、遼東半島から船で帯方郡に渡り、半島の伽耶族の地を経て倭国

へと帰還した。難升米は卑弥呼に、公孫氏が魏に滅ぼされたいきさつ、そして魏王に祝賀

言上し、邪馬台国への援助を願い出、親魏倭王の称号と金印・銅鏡百枚を下賜されたこと

を伝えた。

 女王卑弥呼はその知らせを驚きを持って聞いていたが、難升米ら一行が大役を果たして

無事に帰国した事を喜んだ。

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