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(18)霧山の麓


 わ人達は数日間ヒムカ族の人達の世話になり、ヒムカ族の人達に礼を言って、さらに大

きな山(キリヤマと呼ぶらしい)の向こうの南の地を目指すために出発しようとしていた。

 ワヒ国の長のトカはこう言った。

「ヒムカ族の人達には、我々ワヒ国の一行を受け入れていただき大変な世話になった。我

々わ人はもともと北の浜で魚を獲って暮らしていた。そこにヤマタイが侵攻し、戦いの末

に西の浜でワヒ国を造ることになったと伝えられている。そしていま、ヤマタイとは別の

そと人にワヒ国を追われてこの地に来ている。いつの日か再び、海のある浜で魚を獲って

暮らしたいというのが我々の希望だ。我々は南へ向かう」


 ヒムカ族の長のムサロがこう言った。

「山の向こうの南の地は、以前は人も少なくツマ族という人々が魚を獲って暮らしていた

が、最近、見たことのないヤマタイとは違ったハヤトというそと人が入って来た。そのハ

ヤトは凶暴で、その地のツマ族の人々を追い払ったらしい。ハヤトに追われて、このヒム

カ族の地に逃れてきた人達もいるという。ヒムカ族の者は山の向こうの南の地に行かない。

ワヒ国の人達も、山の向こうの南の地に行くべきではない」


 ワヒ国の人々は、ヒムカ族の長のムサロの言葉を聞いて考え込んだ。ここより南の地に、

ヤマタイとは違うそと人が入っている?倭族だろうか?それともあのワヒ国を滅ぼした秦

人達だろうか?そこでトカは、そのハヤトというそと人はどんな様子かを尋ねた。

 ヒムカ族の長のムサロはこう言った。

「南の地から逃れてきたツマ族の人たちの話では、ハヤトはクマ族やヤマタイとは言葉も

顔つきもまったく違うそと人達で、大きな身体をして鎧や兜を着け、大きな弓矢、長い槍、

鋭い刀で、見境なく襲いかかって来たという。ハヤト達は『この地は今からハヤトの地だ

!お前たち土人は出ていけ!』と叫び、抵抗した者を皆殺しにして、その死体を村の入り

口に山のように積み上げた。人々はそれを見てただ逃げるほかはなかったという事だ」


 これを聞いたトカは、ハヤトはワヒ国を滅ぼした秦人と同じ部族だと考えた。

「ワヒ国に攻め入った秦人達も、村の前に死体を山のように積み上げた。ワヒ国の人々は

それを見て、これは人間ではない、鬼だと思った。ハヤトはクマ族やヤマタイとは違う秦

人と呼ばれるそと人だと思う」(ハヤトとは秦人ハタヒトから音が変化したと言われる)

 ヒムカ族の長ムサロはこう言った。

「我々は、東のヤマタイや南のハヤトの侵攻に備える必要がある。ヤマタイやその秦人達

と戦った事のあるワヒ国の人々がこの地にとどまり、力を合わせてこの地を守ってもらい

たい。この地で我々と一緒に新しい国を造ろう!」


 しばらくして、ワヒ国の長のトカはこう言った。

「ありがたくその話をお受けする。ワヒ国の人々はヒムカ族の人々と一つになってこの国

を守ろう。ワヒ国の人々はヒムカ族の長のムサロの命に従うだろう」

 ヒムカ族の長のムサロはこう応えた。

「ここにいるヒムカ族とワヒ国の一行の人数はほぼ同じだ。だから新しい国の長はワヒ国

とヒムカ族から一人ずつ選んで、二人の長が新しい国を治める事にしたい。新しい国の名

前は、このキリ山の名をとってキリ国としよう!」


 こうしてヒムカ族とワヒ国の人々は、この大きなキリ山の麓の地にキリ国を造り、助け

合い暮らしていくことになった。ヒムカ族とワヒ国の人々は互いに知恵を出し、作物を育

て狩りをして暮らしていくことになった。畑でコメ等の作物を育てることはヒムカ族の知

恵が勝り、シカやイノシシ等の狩りについてはワヒ国の人々の知恵が勝っていた。

東のヤマタイや南のハヤトとの戦いに備えるために、キリ国のヒムカ族とわ族の人々は、

弓矢の数をそろえ、ヤマタイを二度も破った岩と丸太を落とす仕掛けを、急峻な崖を利用

して備えていった。大きな砦は目立ちすぎるので、高い崖の上にある岩陰を利用して幾つ

もの物見を配置した。その後時折、南のハヤトらしき者たちが現れることがあったが、平

地の少ない急峻な山と谷の地形に難渋し、崖の上のキリ国の存在に気付くことはなかった。


 九州の地にはいろいろなそと人が渡来して来た。数百年前、西の大陸の呉の国から渡来

したそと人達が、南九州の西の海に面して球磨国、南の海に面して投馬国という国を造っ

た。

 その後、西の大陸で呉の国を滅ぼした越の国の人々が、東夷・倭人と呼ばれて斉や燕の

家臣となり、その滅亡後西の半島から北九州に渡来し、ヤマタイ・()族となった。

 そして最後に西の大陸を統一した秦帝国崩壊後の戦乱、その後の前漢後漢末の戦乱から

逃れ秦人漢人と呼ばれる人々が大陸各地から南九州に渡来してきた。秦人(ハタヒト→ハ

ヤト)は、南九州に渡来した者たちを言う。その秦人ハヤトが元ワヒ国のわ人達の行く手

を遮っていた。

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