(17)ヒムカ族
秦人の侵攻により国をなくしたワヒ国の人々は、ヒタ国の地で暮らし始めた。ヒタ国の
人々はワヒ国の人々を同族として迎え入れた。しかし山の暮らしは、鹿やイノシシを追い、
根菜・果実・木の実を捜す暮しであり、海で魚や貝を取ることができない不自由なものだ
った。特に冬は少ない獲物を追い、冬眠する熊まで捕りつくす厳しいものだった。ワヒ国
の三代目の長ニカの子トカは、ニカから「生き延びてわ族の人々を守れ、先祖がこの新し
いわ国を作ったように、どこかの地で新しいわ国を作れ」と告げられていた。ニカはヒタ
国の長にもこのことを伝えていた。
厳しい冬が明け、雪が溶けだしたある日、ニカはワヒ国の人々を集めてこう言った。
「私は新しいわの国を造るため、南に向かい海のある新たな地を探したいと思う。危険な
道だが、私と共に行きたいものは三日後に集まってくれ」
ヒタ国の長もこういった。
「ワヒ国とヒタ国は同じわ人、これからもこの地にとどまってほしい。ヒタ国の長として
お願いする。だがどうしても海の近くで暮らしたいという人を止める事は出来ない。それ
でも、ワヒ国とヒタ国はこれからも一心同体だ」
三日後、ワヒ国の四代目の長トカは旧ワヒ国のわ人達五百人を率いてヒタ国を出発した。
ヒタ国の人々は、見えなくなるまで見送ってくれた。峠を越えたわ人達は、熊よけと自分
たちが他の村人に危害を加えないというしるしの歌を歌いながら山の中を進んでいく。
大漁だよ、大漁だよ、海の女神様ありがとう、たくさんの魚をありがとう
大漁だよ、大漁だよ、達者な男達ありがとう、今日も無事でありがとう
幾つもの山を越え谷を越え、煙を噴く大きな山を西に回り、さらに幾つもの峠を越えて
南へと向かい、一行は数日かけて西側の開けた土地に到着した。クマ族の集落が見えて来
て安堵した一行は集落に出向いたが、クマ族の人々は、秦人に敗れて国を失ったわ族の人
々を快く迎えようとはしなかった。以前は歓迎してくれたクマ族の集落の長たちも、手の
ひらを反すように一行に冷たい対応をした。クマ族の長に取り次いでもらう事も出来ない
と断られ、ただ早く立ち去るように言われた。
わ人達の一行はクマ族の地を離れ、山奥に入り山の果実で飢えをしのぎながら、幾つも
の険しい山を越えてさらに南に進んでいった。一行の向かう先の空には、道標の星といわ
れる南の中天に輝く大きな星が、色を変えるようにキラキラと輝いていた。
イエーーーー、イエーーーー
南風が吹いて暖かい日だ、 お日様も出て花が咲く
こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす
イエーーーー、イエーーーー
北風が吹く寒い日だ、 お日様が隠れて雪が降る
こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす
イエーーーー、イエーーーー
わ人達の熊よけの歌声はいつもより悲しげに聞こえた。わ人達は更に南に向かって何日
も何日も、山奥の人も住まない地の崖や谷を這うように進んで行った。
こうしてヒタ国を出て半月もたった頃。行く手にひと際大きな山が見えてきた。その麓
は切り立った崖の続くけもの道もない難所だった。行き止まりの深い谷を引き返し、南に
向かい急な坂を登りきったとき、山に隠れるように集落があった。その家々はわ人たちが
見慣れた藁ぶきの竪穴式住居で、ここに住んでいるのはそと人ではないと思われた。わ人
達に気付いた男達が槍を持って出てきたが、わ人達が戦う意思がないことを示すと、男達
は槍を下ろし、話を聞いてくれた。長のトカが、一行はここからひと月もかかる北の浜か
ら来たわ族で、そと人に国を奪われ、南の浜に行くために旅をしていると説明した。
ここに住む人達はヒムカ族で、そと人のヤマタイにヒムカ国を奪われこの地に逃れてき
たという。ヒムカ族の言葉はわ人達の言葉とほとんど同じだった。ワヒ国の長のトカも、
わ人達が北の浜でヤマタイと戦った事を説明すると、ヒムカ族の人達はわ人達を客として
迎え入れ、食事を出して歓迎してくれた。
ヒムカ族の長のムサロは、ヒムカ国を奪ったヤマタイについて詳しい話をしてくれた。
ヒムカ国にヤマタイが初めに来た時、ヤマタイはヒタ国の人々を連れていた。ヒタ国の人
々は、ヤマタイは良い人達で良い稲の育て方を教えてくれるといった。それで、ヒムカ国
の人々は、ヤマタイを受け入れることにした。しかし、一年二年と時が経つにつれてヤマ
タイの兵が多くなり、終にヒムカ国の王は囚われ、ヒムカ国はヤマタイ王の支配を受ける
事となった。ヤマタイはヒムカ国の人々を奴隷のように扱い、作物を横取りし女達を召使
いとして連れていくようになった。ヤマタイの命令に歯向かったヒムカ国の人々は次々と
捕らわれて殺されていった。ここに住むヒムカ族の人達は、ヤマタイの兵に捕らえられる
ところを逃れ、この山奥まで逃げてきたという。
倭族によって筑紫の地から追われ、ヒタ国へ移動していたヤマタイは、さらに南へ進出
し温暖で稲がよく育つヒムカ国に中心を置き「邪馬台国」として繁栄していった。




