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第12話

 時刻は夜七時を過ぎていた。

 飯綱いづなさまは土間の作業机で私の正面に腰掛け、店の帳簿をご覧になっている。

 私はといえば、人形に綿を詰め終えたので、隣から運んできた書類束の見分をしていた。捨ててよさそうなものがかなりあるわね……

「飯綱さま、確かにお頼りしますと申し上げはしましたが、なにもお仕事を終えてお疲れの時にまでお越しにならなくても」

「やりたくてやっています」

 今日の飯綱さまは、どこというのでもないが、おぐしにわずかな乱れがあったり、目元を幾度か擦ったりしていて、うっすらくたびれて見えた。お勤め先からここまで来るのだって、それなりに距離があるだろうに。

 やはり、妖退治の依頼のことは話さない方がいい。この方は無理を押してでも手伝ってくださるだろうから。

 早く魅了の術をほどくほかない、のだろうけど……なんだか飯綱さまのご性格上、術から解放されても、始めたことは完遂すると仰りそうなのよね。

 ならば私の方が、手を離しても問題ないと判断してもらえる人間になるしかない。

 そのためにはまず稼がねば。

 どうにかしてあと一回、妖退治を成功させる。そしてその報酬で天眼通を依頼する。あの日の術力の流れを調べてもらい、解き方を考え……あとは魅了の術から飯綱さまを解放する。まだまだ道のりは長い。

「顕ヲさん、何か私に言いたいことがあるのでは?」

「エッ?!」

 しまった、まじまじ見過ぎたかしら。

「失礼しました、不躾でございましたね。エエト……お腹は空いていらっしゃいませんか? 大したものはご用意できませんが、何か召し上がられますか」

 今度は飯綱さまがじっと私の目をご覧になり……やがて小さくため息をついて帳簿を閉じた。

「いただきましょう。帳簿を改めるのも今日はこのへんにして、古いものを借りて帰っても?」

「も、勿論かまいませんが」

 もしやお家でご覧になるのかしら……


◇◇◇


 翌日。

 まだ午前も早い時刻だが既に汗ばむ陽気の中、往来は人通りで賑わっている。

 予定通り、下見のために電車に乗って出てきたのだ。背には人形を包んだ風呂敷を背負い、持ち出すか迷ったが例の父の遺した守り袋も帯に挟んである。

「おそらくこの辺りなのだけど」

 手元には、昨日聞き取りに行った不動産屋さんに書いていただいた地図があった。ささっと書いていたように見えたがわかりやすいそれには二箇所印がつけられていて、一つは妖退治の現場となる南狭間ビルヂング、もう一つは天眼堂とある。

 天眼堂。

 世にも希少な過去視の天眼通の使い手として名が通っている、浄晋尼じょうしんにさまのお店である。

 昨日聞き取りを終えたのち、不動産屋さんならご職業がらお詳しいのではと期待して、天眼堂の場所をご存知でないか尋ねてみたのだ。

 すると、南狭間ビルヂングからは意外と近く、歩いても行ける場所だとわかったので、どうせ電車賃を払うならばと、一度で用件を済ませようというわけ。


「……さあさあ、並んだ並んだ! もうすぐ浄晋尼さまが参られますよ! 予約のお客さまはこっち、まずはご相談という方はあっちに列を作ってください!」


 威勢の良い、若者というよりまだ少年の甲高さを残した声が通りの向こうから聞こえてきた。

 見れば、良家の奥様風の女性にお供の女中、前掛けをした奉公人、学生服や背広の男性方、雑多な顔ぶれの人垣ができている。その中心には、こぎれいなシャツと吊りズボンに学帽の少年がいて、何やら口上を述べていた。

 そして彼の背後、煉瓦造りの洒落た洋風建築、三階建のうち一階に天眼堂の看板がある。

 どうやらあちらのようね。

 建物の入り口を幾重に囲んでいた人々はのろのろと動き始めていた。言われた通りに列を作る者、野次馬らしき者、興味を失ったか歩き去る者。

 彼らを捌いていた少年がハッと顔を上げると、その視線の先、角を曲がって黒塗りのぴかぴかの自動車が現れた。

「ほらほら、道を開けて! 浄晋尼さまがお出ましだ!」

 あたりにどよめきが広がり、その中を自動車がゆっくりと進んで建物に横付けされた。少年が人々を下がらせた間を縫い、白手袋の運転手が素早く後部座席のドアを開けに行く。

 現れた尼装束の人物にますます群衆は興奮し、それを少年と運転手二人がかりでかき分け、ついにその人は数段上がったところにある建物の入り口に立った。

 浄晋尼さまは皆の方を振り向くと慈愛に満ちた微笑みで合掌し、姿勢美しく頭を下げると中に入って行かれた。

「お綺麗な方ねぇ」

 あれほど騒がしかった人々も、浄晋尼さまのご様子に毒気を抜かれたのかすっかり静まり、外に残った少年に従って行列を作り始めた。

 おっと、私も相談の列に並ばなけりゃね。


 少年は予約の列が整ったところで、今度は相談の方へやってきた。最後尾の私を含めて、二の四の……八人が並んでいる。

「ではお一人ずつお話を聞きますよ。でも手短かに! 身の上話なんか始めちゃあいけません、質問したことに答えるように!」

 そんな風に行列全員に言ってから先頭に行き、聞き取りを始めた。

 声の大きな人の相談内容が耳に入るのを、いけないと思いつつも、心の中で頷くやら驚くやらしながらしばらく待ち、私の番がまわってきた。

「お待たせしました、今日はえらく混んでいましてね。じゃあまずお名前を」

 ひどく大人びた物言いだが、見たところは尋常小学校を出るか出ないかくらいの年頃の少年だ。もしかすると術遣いで、見た目と年齢が乖離しているのかも。

登路とうろ顕ヲと申します」

 そこで、少年はパッと手元の帳面から顔を上げ、私を見た。子供らしいまん丸な目を、驚いたようにさらに丸くしている。

「なにか?」

「あっ、あー、なんでも。次に……視てもらいたい過去はいつ頃か……」


 少年は一通り聞き取りを終えると、かかる費用を教えてくれて、暦を広げて予約の取れる日時をいくつか示した。

 私の依頼の場合、場の術力の流れを視る形になるそうで、飯綱さまをここへお連れするよりは、浄晋尼さまが私の店を訪れる方が良かろうとのことだった。

 飯綱さまのご予定を塞ぐことなく視てもらえるのは良かったが、これは費用も上がるし日時も限定されるとのこと。示されたのは来月の日付ばかりだった。

「そうですね……私の方はいつでも。一番早い日にお願いいたします」

「じゃあここだ! 予約を入れますよ。先払いですから前の週までにお代を届けてください」

「わかりました、よろしくお願いいたします」

 これはいよいよ、妖退治を成功させねば。

 相談の列は私で最後だったので、少年はじゃ、と手を振り建物に入ろうとする。

「アッ……そうだ、あの、こんなこと尋ねるのは悪いのだけど、この地図の」

 不動産屋さんの書いてくれた地図を少年に見せた。

「このあとこちらへ行きたいのですが、エエト、ここが天眼堂さんで……」

 少年は快く向かうべき方向を教えてくれる。

「しかしお姉さん、こんなところへ何しに行かれるんです?」

「仕事です。妖退治を頼まれまして」

 また少年が驚いたように目を丸くした。

「妖退治もなさるんですね! そりゃあ難儀だ、お気をつけて」

 少年に礼を言って、教えられた方向へ向かうことにした。


「ははあ、成程これは……」

 南狭間ビルヂングは、着いてみると確かに不穏な場所であった。通りに入ったところから既にうっすらと空気が生臭く、正面入り口前に立てばより顕著である。

 聞いていたとおり四階建てで、そう古びては見えないのに、夏の日差しが当たっていないかのような陰気な様子だ。

 ふむ……とりあえず試してみましょ。


 閉じた瞼の裏、額の中心に灯る光を想起する。

 目を開き慎重に術の道を描けば、視界が白く眩しく輝く。

 開眼見鬼。


 途端にきりきりと目のずっと奥、頭蓋の内が痛み出した。

 閉じそうになる瞼をなんとかこじ開け、下から上階へ向かってゆっくりと視線を上げる。術のために白々と見える視界の中、四階全体を覆うように黒々ともやがかかっていた。

「確かにあそこにいそうね……」

 目を閉じると、術はほどかれどっと疲れが襲ってきた。

 実のところ、私には見鬼の術の才がない。

 ()()()()()()()と言っていた泰子さんとは反対の泰春さん寄り、つまり術や妖を視たり感じたりする力が弱いのだ。

 見鬼の術を使うにも負担が大きいし、かといって術なしでは力ある妖の詳細な居所を掴めない。強大な妖であるほど、その気配は広く大きく周囲を包むためだ。

「さて、どうしようかしら」

 所在は確かめた。少なくとも、先日お隣の町内で扱った妖よりはずっと力を持った存在だともわかった。

 選択すべき事柄はいくつかある。

 まずは自分で倒すか、他の術遣いに託すか。

 そして、挑むかどうかとは別に、下見をもう少し詳細に行うべきか。


 選んだ手段はといえば。

「四階まで行ってみて、様子を確認する。その上でできそうなら退治、まずい相手と判ったら撤退。よし!」

 不動産屋さんは三階までは何も起きなかったと話していた。ならば少なくとも彼の引き返したところまでは行き、どの程度の相手が見極めてからでないと、他の術遣いへの引き継ぎにならない。

 借りた建物の鍵を、両開きの正面扉の鍵穴に差し込む。外開きの片方を引いて開けると、隙間からはさっそくさらに強い臭気が漏れ出してくる。

「失礼しますね……」

 中に入ると、扉のガラス越しの日光がホールを照らしているのに、やはり証言通り妙に薄暗い。

 まず隠形と鉄身の術は最低限使っておこう。素早く二つ描き終え、次に風呂敷包みから人形を一つ取り出した。袂におさまらない大きさになった人形は予備としてあと一つあって、それは再び背負いなおした。

 では、進もう……


 足を踏み出そうとした、その時。

 ざわりと鳥肌が立ち、周囲の温度が急に下がったのに気づく。

 同時にずっと重苦しく粘つくように鼻を刺激していた生臭さがさらに強くなる。

 まずい、これって……!


 正面の階段が暗くなった、と思ったがそうではない。黒く禍々しいもやのようなものが、滑るように上から降りてきたのだ。

 黒いもやはやがてとぐろを巻くように寄り集まり、ずるりと立ち上がった。


 このビルに巣食う妖が姿を現したのだ……

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