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最初に沈黙を破ったのは、担任だった。


 最初に沈黙を破ったのは、担任だった。

「私はもう少し話しがあるから、お前たちはもう帰っていいよ」担任は左にかすかに顔を向けて、よく響く小さな声で言った。

 その言葉をじっと俯きながら待っていたと言うかのように、三人の生徒は私たちに小さく一回お辞儀をしてから立ち上がって一人づつ部屋から出て行く。入ってきた時とは違って、その動きには確かに躍動感があふれていた。

 ガタン、と音を立てて玄関のドアが閉まる。

「あの、先ほどの生徒さんの話ですが……」

 今まで黙っていた父が、そのドアの音によって口を開くスイッチを押してもらったように、かすれた声を出した。

「あの生徒さん、いじめられていたと言ってましたよね」

「はい」

「そのいじめられた子を、明子がかばった……」

 父は、担任の同意をもらうためなのか、そこで、沈黙を挟み込む。

 私は、もしかして、と小さな期待を抱きながら、私の左隣に座っている父の顔を、首を少し回して隠れ見るように目玉を動かして見上げる。「姉の遺書」の中の姉の悲痛な叫びのほんの少しだけであっても、父親として聞こえたのではないかと思った。

 父は、私が自分の顔を盗み見ていることに気付いていないのか、目をギョロギョロとさせて、担任の方を見つめていた。今日の朝も見せた「おもちゃの目」だった。

「はい、○○は、いじめられた子供をかばってくれました。そして、その子の相談を色々と受けてくれたようです。本当に、残念です。○○が、私になり、その生徒になり一言でも相談してくれていたのなら、こんなことにならなかったのに……」

 担任は、先ほど黒髪が言ったことと全く同じようなことを言った後、また声を詰まらせて大きな手で口をおさえる。

 私は、不思議な生き物を見るような気持ちで、この男性を見つづけていた。生徒が死んだだけなのに、この担任はなんで、姉が死んだ私よりも泣いているのだろう。そう考えると、何だか、この担任のすべてが嘘くさくなってしまった。しかしこの男性を見ている私というのは、凝視と言うよりも、傍観と言う方が近かったのかもしれない。

 私は、いつだって傍観者だった。と私はこの男性の向こう側で思った。そして、担任の嗚咽でもたらされた沈黙を私の思考の流れが埋めていく。

 家族が夕飯を食べながら楽しくおしゃべりしているのを、いつだって別の世界から傍観していた。中一の頃、休み時間に友達同士が楽しそうにおしゃべりしているのを、いつだって別の次元から傍観していた。上の次元からとも下の次元からとも違う、比較することすらできないほど相違な次元からだった。

 それはすべて、自分の身を守るためだった。人に傷つけられることにひどく臆病になってしまった私は、わざと自分を別の世界や別の次元に閉じ込めたのだ。そうすれば、敵の剣の先は、私の心までは届かなかったのだ。それと同時に、私の声までもが外の世界に届かなくなるだろうということを、その時の逃げることしか頭にない私は、考えてもみなかった。いや、たとえ考えていたとしても逃げる道を選択していただろう。それほどに、私の心の傷の痛みは、私を苦しめたのだから。

 私の思考の流れは、父の「先生……」と言う声によって止められた。父は言葉を続ける。

「明子は……、明子は、学校では、いいこだったのですね」

 私は、その「いいこ」という言葉に、ざらつくような違和感を感じた。そしてまた、パッと左を向いて父の顔を見てしまった。盗み見る動作を作る余裕は無かった。

「はい、とても真面目で、とても正義感が強くて、とてもいい生徒でした」

 私は、父の顔を凝視し続ける。そして、小さな絶望を覚えた。

 父は何かを求めるような顔をしていた。あごを少し前に突き出し、目はコンクリートで固められたように担任を見たまま動かない。そして、担任の「とてもいい生徒でした」という言葉を聞いた時、目が小さく揺れたのだ。

 私は、その時父は心の中で笑ったのだと思った。何に対して笑ったのかは分からなかったけど、絶対に笑っていたのだと思い込んだ。

「そうですか……。やっぱりいいこでしたか……」

 やっぱり?

 私は一瞬、聞き間違えたのかと思った。この文脈で「やっぱり」なんて言葉はとても場違いなものに感じられたのだ。でもやっぱり、聞き間違いなんかではなかった。

 父は、担任の言葉を聞いた時、顔をふせた。だけど私には、父の右目と唇の先だけはよく見えたのだ。そして、その目はさっき以上に大きく揺れていて、唇の先は心持ちつりあがったように感じた。

 父はホッとしたのだ、私はそう確信した。私の体は痛いほど冷たいのに、体の内側はやけどしそうなほど熱くなっていく。こんな感覚を覚えたのは、生まれて初めてだった。

 父は顔をふせたままで、言葉を続ける。

「明子は、我が家でも、とてもいいこでした。明るい子になって欲しいと願ってこの名前をつけたんです……」

「……そうでしたか」

「その通りの子になってくれました。家ではいつも明るく話しをしてくれました。この笑顔がもう見られないなんて……」

 私はうつむきながら、呼吸の間隔がどんどん短くなっていく。両手は膝の上で爪が食い込むほど強く握る。そして心の中で、そんな話ししないでよ! と叫んでいた。これ以上聞いていると、体の中の熱があまりに熱くなって、その熱を吐き出してしまいそうだった。

「私も残念です。あんないい生徒は、私が教師になって初めて見たような気がします」


挿絵(By みてみん)


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