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雨が葬式の前日の夜からぽつぽつと降り始めた。


 雨が葬式の前日の夜からぽつぽつと降り始めた。夜中には大降りになって私の部屋の窓をばつばつ叩いたりもしていた。その窓を、私の部屋のすぐ外にある街灯がぼんやりと仄白く照らしている。

 私はベッドの上で部屋の右を向いてみたり、左を向いてみたり何度も寝返りを打つ。だけど、眠気は私だけを避けて通り過ぎていってしまうように、まったく訪れてくれなかった。まるで「幸せ」のように私の頭の上を素通りしてしまうのだ。いつもそうなのだ。私は、そう思わずにはいられなかった。私は眼を見開いてじっと暗闇を見つめ続けていた。

 一階で時計の鐘の音がカーン、カーンと二回聞こえた。

 もう深夜の二時だ。

 私は、もう一度寝返りを打った。右を向いていて私の部屋の壁しか見えなかったのが、左を向くと今度は、私の部屋の内部が闇の中にゆらゆらと浮かんでいた。もう長いこと使っていない勉強机。確か、小学校に入学する時に、上京してきた祖父に買ってもらったものだ。小学校の低学年のときは、その机に座って何時間でも、何かを書いている事が好きだったのに。どうして、今はこの机と仲良くできなくなってしまったのだろう。

 私は、鉛筆やノートが散らかっている机に眼を凝らした。そうしたら、その机に一枚の白い紙が置かれているのが、見えたような気がした。私は、溜め息を一つ吐きながら、枕の上で小さく首を横に振った。どんなに関係ないことを考えようとしても、やはり、姉の姿は私をしっかりと捉えて、なかなか私の事を離してくれそうに無かった。

 その私の幻覚の中で姉は、顔を醜いくらいゆがめながら必死に「誰か、私の事を助けて!」と叫んでいた。

 警察は、姉は昨日の深夜に亡くなったようだ、と言っていた。

 姉は昨日の今頃、八重桜に縄をぶら下げている。外はまだまだ春は遠くて、とても寒い。その手は、寒さによって、病人のように大きく震えている。

 その震えに、寒さ以外の何かも混じっていたの?

 私は幻覚の中の姉に尋ねた。だけど、姉は一言も答えてくれなかった。答えてくれる代わりに、私に向かって、悲しそうに小さく笑っただけだった。


「おい! 智子! 来てくれ!」

 父は、あの朝、姉から目を離さずに叫んだ。どんなに強い声を出そうとしても、その裏側では恐れによって大きく震えているように、父の前に立っている私には聞こえた。父は、この姉の死によって、これから家族の上に降りかかる崩壊に恐れおののいていたのかも知れない。

 だって、あんなにも体裁だけでも取り繕おうとしてきた家族なのだから。私は父の顔を黙って見つめながらそう思っていた。

「そんなに大きな声を出して、どうし……ああ!」

 のんびりと外に出てきた母は、口を両手で抑えて、腰を抜かしたように玄関にへたりこんだ。そして父以上に目を外に飛び出させていた。

 母もきっと、姉の垂れ下がった頭に、自分の家族に突然取り付いた死神の姿を重ねて見ていたのかも知れない。

 私はその時、ある事が閃いた。そして、玄関に座り込んでいる母を押し退けるようにして家の中に駆け込んだ。幸運にも、父と母は姉の姿に茫然としているようで、私の慌てた姿に注意を払わずにいてくれた。

 私は、階段を一つ飛ばしでかけあがって、私の部屋の隣にある姉の部屋に飛び込んだ。

 姉の部屋は、空っぽの小さな机と、数冊の本しかない小さな本棚と、丁寧に整えられた小さなベッドがあるだけのとても質素で落ち着いた感じの部屋だった。

 私は、この部屋の変わりように驚いた。そして入った時に、この部屋に入るのはもう一、二年振りである事を思い出した。確か、前に入った時は本棚には色々な本が入っていた。机の上には漫画が何冊か置いてあって、姉と一緒に読んだような記憶もあるのに、今はそのような物は一つもなかった。全てがそぎおとされてしまったような部屋だと私は、玄関の前で茫然としている父と母とは違った意味で茫然としてしまった。

 私は、ある日突然、姉の部屋へは行かなくなったのだ。だけど、決して姉が私を自分の部屋に入れさせてくれなかった訳ではなくて、私の方が姉の部屋に入る事を嫌がったのだ。姉は、始めの頃は何度も「慶ちゃん、私の部屋で漫画でも読まない?」などと言って誘ってくれた。だけど、私は頑迷に「今忙しい」と言って断り続けた。そして、姉は私にそう言われて拒絶されるたびに、少し悲しそうな顔をして「そう」と言ったのだけど、自分の事で精一杯だった中学に進学したばかりの私は、それに気付かぬふりをし続けていた。そうしているうちに、姉は私を自分の部屋には誘わなくなっていった。

 その頃の私は、姉の部屋に入ってしまうと、妹と姉との埋めようもない差を見せつけられそうで怖かったのだから仕方がないじゃない。

 私は記憶の置くから顔を覗かせてくる、姉のあの悲しそうな顔を押さえつけるように、思った。そのように、自分を勇気づけるように自分自身に言い聞かせた。すると、突然、心に麻酔を打たれたように、何も感じなくなった。私は、ほっとしたのだけど、それによって何だか自分自身が父や母と同じ人間になってしまったようで、嫌な気分がした。

 だけど、気を取り直して、改めて姉の部屋を観察する。すると、思ったとおり、姉の空っぽな机の上に、一枚の白い紙が置かれていた。机に寄っていって見ると、几帳面な字がびっしりと書き込まれていた。姉の「遺書」だった。私はそれをもぎ取るように取って、貪るように何度も何度も読んだ。そして読み終えると、その紙を小さく折り畳んで、パジャマのズボンのポケットに押し込んだのだった。

 姉の「遺書」は、次のような言葉で始まっていた。

『私は、慶ちゃんの事がとても羨ましかった。』

 そして、その一番最後は、このように締め括られていた。

『PS

お父さん、お父さんが私に言ったことは、結局私には守る事ができませんでした。弱い私でごめんなさい』


挿絵(By みてみん)


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