その後私がどのような態度を取り、その男子生徒がどのようにして自分の席に戻ったのか、そのシーンだけは私の頭の中からどこかへ落としてしまったのか、全く憶えていない。
その後私がどのような態度を取り、その男子生徒がどのようにして自分の席に戻ったのか、そのシーンだけは私の頭の中からどこかへ落としてしまったのか、全く憶えていない。もしかしたら、どこかへ落としたという以前に、あの時のシーンはもともと私の頭の中へ詰め込まれなかったのかもしれない。電気のブレーカーが落ちるように、あの時の私の目や耳は働きを止めざるを得なかったのかもしれない。
だけど、ブレーカーが落ちる前の光景は何度でも私の前によみがえってきた。学校で国語の授業を受けていて教科書を音読している時も、学校から帰る途中の通学路を歩いている時も、今で家族で夕食を食べている時ですら目の前に幽霊のように姿を現した。そして、あの時のあの男子生徒の顔が、何度だって私に、「お前のめぐみなんか受けない!」と言うのだ。しかもその声は、まるでリアルタイムで吐き捨てられているかのような生々しさをいつも備えていた。
私は、人に話しかけようとする時は必ず、今話そうとしている相手の顔の前に、あの時の顔がゆらゆらと浮かぶようになってしまった。だから私は、どんな人にでも話しかけようとすると、絶対に、あの私を見下ろすような顔に対して話しかけなければならなくなってしまったのだ。
もともと人に話しかけるのが苦手な私が、人に話しかけることに対して、高層ビルの屋上から飛び降りるのと同じくらいの恐怖を感じるようになるまで時間はほとんどかからなかった。はるか下にある地面を見た時の眩暈に似た困惑がのどの奥から込み上げてきた。私はもちろん高層ビルから飛び降りた事なんて無かったけど、絶対に人に話しかける事の方が怖いに違いない、と誰もいない私の部屋でいつも確信していた。
この記憶には、ある続きがある。
私は、小学校四、五年までは、洞くつの奥のジメジメした暗くて重苦しい空気のような毎日を必死になって耐えた。学校の休み時間は誰にも話しかけられないように寝たふりをし続けて、通信簿に「睡眠不足なのか、休み時間はいつも寝ています。夜更かしなどはなるべくさせないようにして下さい」と書かれた。私は無言で怒ったような顔をつくりながら母にこの通信簿を渡すと、母は少し困ったような目を通信簿の向こう側から見せたのだけど、結局私には一言も声をかけてくれなかった。
学校でどうしてもクラスメートと話さなければならない時は、私はいつだって作り笑いを浮かべた。もし私の心をそのまま顔に出してしまったのなら、私の顔と相手の顔の間に浮かんでいるあの時のあの少年の顔に、私の裸の心が侮辱されてしまいそうで怖かった。それによって心が傷つくくらいなら、私の心の周りを「作り笑い」という壁で塗り固めてしまうほうがよっぽどましだった。
作り笑いばかりして、相手の話に相づちを打つだけの私に誰も話しかけなくなるのも当然だったし、私は私で、もっと厚く、もっと厚く、とその壁を塗り固めることに没頭していたので、引き返すことなんて考えもしなかった。そして私は、寝たふりと作り笑いをやり続けるしかなくなってしまったのだ。
家の中では、元々私はあまりしゃべらなかったので、私の変化に対して心配したりは全くしなかった。姉だけが、「慶ちゃん、一緒に遊ぼう」と心配そうに声をかけてくれたのだけど、私は、声をかけてくれたならくれたで、声をかけてくれたこと自体に腹がたった。この姉は、私のことを見下ろしているからそれが同情となって現れているんだ、と自分に言い聞かせ続けた。そして、「私にはなしかけないで!」と姉の目を見ずに強く言うと、少しの間をはさんで姉は私の前を立ち去って行った。その足音を聞きながら、私はいつも、私は姉に見捨てられたんだ、という思いに理不尽にもとらわれて、その思いがあの少年の顔と同じように、私の背後霊として取りつき、ますます私はしゃべれなくなっていった。
このような二年間を過ごすうちに、私は私のことが全く分からなくなってしまった。「私」に対して「私を見ている私」のことを近代的自我と言うらしいけど、私は、どんなに私自身を見つめようとしても、壁の向こうに立っているその輪郭ですら見えなくなった。そして、コンクリートのように私の周りに塗り固められた「壁」だけが私の心だったし、私自身のような気がして、私はそのような私でしかない私を、はっきりと見下ろすようになってしまったのだ。それは、私自身のことを、あの日の少年と同じように、ゴミを見るように見ている私だった。
小学校六年生に上がろうとしている春休み、私は、夕食後に食器を一人で洗っている母に、小さな声で「学校へ行きたくない」と言った。この夜は、父は会社から帰るのが遅く、姉は、「宿題してくる」と二階へ上がっており、キッチンと居間の空間は、珍しく私と母しかいなかった。
「学校へ行きたくない」
私はキッチンテーブルに一人座って、忙しそうに動いている母の両腕を見つめていた。そして、母の返事を待った。だけど母はフンフンフンと鼻歌を歌っているだけで私のほうを振り返ってもくれない。
私は、その母の様子を見ながら、とても寂しく思ったのをよく憶えている。
今考えてみれば、私の声が小さくて食器洗いの方が大きくて聞こえなかったのかもしれないけど、私は母の背中に尖った視線を突き刺しながら「見捨てられているんだ」と思った。いや、思ったと言うよりもむしろ、それを厳然たる事実なのだとして受け取ったのだった。




