4話 ヒグマ戦
ある日突然、裏庭にできたダンジョンらしき穴を潰したらステータスが出た。
何を言っているのか解らねぇと思うが――。
この世界にはダンジョンというものが出現して、まるでゲームのようなシステムに組み込まれてしまったのだ。
ステータス画面に出た俺のレベルは49。
多分、この世界でもトップクラスのレベルだと思われる。
せっかく棚ぼたでゲットした能力なので、そいつを使って金儲けをしてやろうと思い立った。
もちろん、まっとうな方法でだ。
まだ正式には冒険者登録をしていないが、俺はルンルン気分で武器などを自作した。
ダンジョンがある場所でも武器は売っているのだが、だいたいがボッタクリ。
とりあえず、最初は金もないので、相棒を自作することにしたのだが――。
製作した武器を試すために山に行った俺の目の前に黒くて巨大な毛むくじゃらがいる。
「どうしてこうなったぁ!」
目の前にいるのは、巨大なヒグマ。
あと1ヶ月もすれば雪が降ってくるから、冬眠のための食料集めをしているのだろう。
山には、山栗やトチノキがたくさんあるし。
黒い獣と睨み合う――が、くせぇ!
熊から10年ぐらい洗ってない犬の臭いが漂ってくる。
これが獣臭ってやつか。
道端に熊の糞が落ちてたりするんだが、同じ臭いがする。
こちらに攻撃意思がない場合には、あまり攻撃的ではないと思ったのだが――こいつは違うようだ。
明らかにやる気満々。
こちらが下がると、距離を詰めてくる。
思うように食料が集まらなくて気が立っているのだろうか。
それとも、俺を食料にするつもりか。
俺はアイテムBOXから、投石器とコンクリの破片を取り出した。
弾をセットした状態で収納していたので、取り出すとすぐに発射態勢を取れる。
やっぱり、アイテムBOXってのは便利だ。
まさにチート。
俺は、投石器を回転させ始めた。
かなりのスピードが出ており、ロープが空気を切る音がする。
いままでの俺なら、こんな重いものをぶん回したりはできなかっただろう。
こいつも高レベルのおかけだ。
「おりゃぁ!」
俺は投石器の手を離した。
当然、敵に向かってコンクリの破片が飛んでいく。
一発で仕留められなくても、ダメージを食らったことで熊がびっくりして逃げ出すんじゃないかと――ちょっと思っていた。
そんな俺の皮算用を他所に、コンクリは熊の近くにあった木の幹にヒットした。
破裂音のあと、引き裂くような音を立てて木が倒れ始める。
幹の直径は10cmぐらいであろうか。
威力は十分だが、当てるには訓練をしなければならないようだ。
まぁ、当たり前だよな。
いくらパワーが上がってスピードボールを投げられるようになっても、コントロールするためには訓練が必要だ。
「グアァァァ!」
明らかな攻撃を受けて、黒い獣もこちらに向かって突進してきた。
まさしく猛攻――という攻撃なのだが、敵の動きがスローに見える。
事故に遭ったり、刹那のときには、動きがスローに見えるなんて話をよく聞く。
実際に、俺もそういう場面に遭遇したことがある。
熊の攻撃に慌てて横に飛んだのだが、自分の想像とはまったく違うスピードに勢い余って転げてしまう。
どうやら、武器を振り回す力だけではなくて、脚力も上がっているようだ。
その割には、普段の生活には支障がない。
コップを握り潰したり――みたいなことはなかった。
まったく望みもしなかった実戦訓練になってしまったようだ。
「グルル……」
白い牙をむき出して、敵がこちらを威嚇している。
熊の一撃は強烈で、人間なら一発でお陀仏になるぐらいの威力だ。
俺は、アイテムBOXから、単管ミサイルを取り出した。
出した時点で投槍器がセットしてあるので、そのまま投げることができる。
「まだ、試射もしてないのに……」
こいつが本当に使えるかどうか解らないのに、使わねばならない。
これが駄目なら肉弾戦だ。
レベル49で、本当に勝てるだろうか?
49というレベルがどれだけ強いか、見当もつかない。
実際にダンジョンに潜ってみて、弱い敵からチマチマと段階的に力を試していくつもりだったのに……。
「グォォ!」
しびれを切らしたのか、ヒグマが立ち上がった。
デカいと思ったが、立つと3m――いや4m近くないか?
マジで大物だ。
デカいということは、それだけ的もデカいということ。
俺は投槍器を握りしめて、振りかぶった。
「うぉぉ! 当たれぇぇぇ!」
俺は渾身の力で、投槍器からミサイルを放つ。
白い軌跡を残して真っ直ぐ飛んだ単管が、立っていた熊の胴体にヒットすると、そのまま貫通した。
「ガッ!」
熊が短い叫びを上げると、横に飛ぶ――そのまま一目散に走り出した。
速い! こいつらは、山の中でも時速60kmぐらい出るからな。
木登りは上手いし、マジで人間にとっては恐怖の存在でしかない。
その山の王者だが、予想もしない攻撃の痛みに驚いたのだろう。
そのまま50mほど全力疾走したのだが、ピタリと動きが止まった。
「どうした?」
10秒ほど止まったままだったのだが、その場にゆっくりと崩れ落ちた。
しばらく構えていたのだが、もうピクリとも動かない。
「ふぅ~!」
俺は、思い切り深呼吸をした。
必死だったが、気がついたら膝がガクガクになっているし、貧血を起こしてそのまま倒れそうだ。
とりあえずしゃがむ。
「はぁ~」
俺は再び、深呼吸をした。
心臓がバクバクしているが、甘いものがほしくなってくる。
そういえば――軽トラに缶コーヒーがあるのを思い出した。
それを飲んで落ち着きたい。
俺の頭の中は缶コーヒーでいっぱいになっていた。
倒れた黒い獣をチラ見する――大丈夫だ。
軽トラに戻ると、助手席に放り投げていた缶コーヒーを手に取った。
タイヤの所に座り込むと一口飲む。
「ふう……」
ちょっと落ち着いてきた。
予想外のできごとだったが、ダンジョンに潜る前に予行練習できてよかった。
少々、獲物が大物すぎたけどな。
ぐいっと缶コーヒーを飲み干すと、俺は再び現場に向かった。
よく見れば、真っ赤な液体が大量に熊の所まで繋がっている。
つまり、失血死だな。
俺の投げたミサイルが、大きな血管を傷つけたのだろう。
そこから大量の血液が流れ出し、最後は生命活動が止まった。
――ということなのだが、致命傷を受けても数十秒は動いていた。
こちらに向かってきて体当たりとか、噛みつかれる可能性もあっただろう。
そうなれば、こちらもタダでは済まない。
そういえば――レベル49で攻撃力が上がったのは解ったのだが、防御力はどうなのだろう?
まさか試すわけにはいかないしなぁ。
少々考え込んでしまうが、冒険者のランカーがビキニ鎧ってことは、防御力も上がっているのだろうな。
俺も防具を揃えたほうがいいのだろうか?
「でも、ホムセンに防具とかないしなぁ」
そういうのは、ダンジョンがある特区で買うしかないだろう。
もしくは、武器と同じようにダンジョン内でのドロップ品をゲットするか。
例のビキニ鎧もドロップ品だというし。
いやいや、そんなことより、こいつをどうしょう。
俺は目の前の黒山を眺めた。
とりあえず、臭い――強烈だ。
通報――したら、「どうやって倒した?!」って言われるだろうなぁ。
実は冒険者で――となると、ダンジョンのことも追及されるかもしれんし……。
そもそも鳥獣保護法ってやつで、まだ狩りをしちゃ駄目な時期だし、免許もない。
「そうだ!」
俺はひらめいた。
アイテムBOXに入れればいいんじゃね?
そもそも生きものが入るか解らんが――。
「収納!」
目の前から黒い毛むくじゃらが消えた。
やった!
俺は1人でガッツポーズをした。
「生物も入るのか……」
ふと見上げると木の上に小鳥がいた。
今度はこいつを収納してみようとしたのだが、まったく反応がない。
虫やらカナヘビなどを色々と試してみた。
どうやら生きているものは収納できないようだが、死骸になると収納できる。
人間すらアイテムBOXに入れられるなら、誘拐でもなんでもしたい放題になっちまう。
各国の要人を収納できたりしちゃった日にゃ、第三次世界大戦まっしぐらだな。
そんなスキルが出てこない日を願うしかない。
熊をアイテムBOXに入れたので、さっきぶっ放したミサイルを回収しよう。
「う!」
結構離れた場所に落ちていたのだが、血みどろで異臭を放っている。
しまった――こういうものを使うと、汚れるのか……。
ダンジョンやらレベルやら、ゲームみたいだなと思うのだが、実際にはこうなるか。
武器を振り回している連中はどうしているのだろうなぁ。
その都度洗うのだろうか。
洗浄の魔法とやらもあるそうなので、そいつで頼んでいるのかもしれない。
魔法なぁ――そう言われると、洗浄の魔法とかは欲しくなるなぁ。
洗濯だってしなくてすむじゃん。
洗車だって苦労しなくて済む。
そんなのあるなら、絶対にほしい。
「あ、そういえば……」
自分のステータスを確認してみた――が、変化なし。
魔法を覚えてたりも――なし。
ヒグマを倒したぐらいじゃ、駄目なのか。
それとも、ダンジョン内の魔物じゃないと駄目なのか。
とりあえず、血まみれのミサイルを収納した。
こうやってしまえば、触らないで済むのはいい。
誰もいない川にでも行って、洗えばいいか。
突然のできごとに焦ってしまったが、投石器も投槍器も十分に使えることが解った。
あとは、訓練次第だな。
投擲にもスキルというのはあるのだろうか?
それをゲットできれば、どんな投擲武器でも百発百中になるとか。
俺は家に戻ると、車庫にあったバケツを持ち出し、そのまま川砂を取った川にやって来た。
河原にアイテムBOXからミサイルを出して、バケツに川の水を掬って洗う。
水はいくらでもあるし。
乾くと厄介だが、すぐに綺麗になった。
ついでにここで用事を済ます。
俺はアイテムBOXから、ケースに入れたネオジム磁石を取り出した。
そいつを川砂の所に持っていく。
砂に潜らすと、たくさんの黒いものが付着した――砂鉄だ。
それをたくさん集める。
これをなにに使うのかといえば――俺はアイテムBOXから玩具のプラバットを取り出した。
ホムセンで買ったものだが、すでに底の部分に穴を開けてある。
そこに漏斗を差し込み、取った砂鉄を流し込んだ。
こいつは対生物用の、近接武器だ。
インパクトの瞬間砂鉄が変形するので、弾かれず衝撃を内部に伝えることができる。
中身を油粘土などにしてもいいと思う。
こういう自作の武器が本当に使えるのか、それを確かめることができるなんて滅多に経験できないだろう。
こういう機会だから、色々と試してみたいことがたくさんある。
我ながら危ないやつだとは思うが。
誰かが言った――憧れは止められねぇんだ。
最後に、投石器用の大きな石を拾って試射をしてみる。
河原にある流木が吹き飛ぶぐらいの威力だ。
10cmぐらいの石が高速で衝突したら、相手が魔物だとしても、かなりのダメージを負うだろう。
もうちょっと凸凹しているほうが威力が上がりそうだが、それは仕方ない。
ここに転がっているのはロハ(死語)だからな。
たくさん入れてもアイテムBOXの変化はないので、100個ぐらい石を拾う。
これで武器は整ったので、俺は東京に行く準備を始めた。
大量に食糧を買い込み、大鍋で自宅の芋を煮まくり、カレーを作る。
大鍋も追加で購入した。
ご飯の代りに芋が大量に入っているカレーだ。
じゃがいもは、ウチの畑で大量に採れるからな、いくらでもある。
土がついた芋も、アイテムBOXに放り込んだ。
東京なら、こいつも金になるだろう。
ストックしていた米も全部炊く。
いくら炊いても、アイテムBOXに入れておけば保存できる。
別に冒険者をやらなくても、試される大地の食糧をアイテムBOXに入れて東京に持ち込むだけで、飛ぶように売れると思う。
そっちのほうが簡単そうだが――このアイテムBOXという能力は、冒険者の能力に紐付けされているものだからな。
レベルがなくなれば、消滅してしまうのだろう。
――そんなある日。
俺は裏庭で光るものを見つけた。
竪穴があった場所だ。
「なんだこりゃ……?」
拾い上げてみると、小瓶。
中にキラキラ光る金色の液体が入っている。
俺はそいつを振ってみた。
キラキラと輝く金色の液体がクルクルと回り、まるで星が踊るかのように煌めき俺の目を奪う。
こんなの見たことがないし、ここに引っ越してきて10年以上になる。
しょっちゅう草刈りはしているし、畑の面倒も見ている。
見落としていたなんて考えられない。
「あ……」
思い当たる節があった。
ダンジョンで魔物を倒すと、アイテムがドロップすることがあるらしい。
もしかして、ダンジョンがなくなったときにドロップしたのに気づかなかったのだろうか?
「なんのアイテムか知らんが、あとで調べてみるか」
貴重なものかもしれん。
とりあえず、アイテムBOXに収納した。
そのあと――スマホを使って、東京行きの飛行機のチケットもゲット。
昔に比べて運賃もかなり高額になってしまったが、これは致し方ない。
かつては海底トンネルで本州と繋がっていたのだが、そのトンネルがダンジョン化してしまったのだ。
飛行機を使わないとなると、船で本州に渡るしかない。
めちゃ時間がかかるしな。
その船も、世界が静止した際に不動になったまま、改修が進んでいないものが多い。
高い金を出して改修しても、元が取れるのか解らないからだ。
膨大な金と時間をかけて開通した海底トンネルがこんなことになるとは、昭和の時代には夢にも思わなかっただろうが――。
なってしまったものは仕方ない。
それを受け入れて、前に進むしかないわけだし。
まぁ、近くにダンジョンがあるなら、金をかけて東京に向かわなくても――ということになるのだが……。
海底トンネルダンジョンは、人が少なくあまり整備されていない。
もともと、過疎地帯だったわけだし。
人が一番多くて賑わって、特区なども充実しているのが東京だし。
それにランカーの人たちのほとんどのホームになっている。
有名なギルドも、東京に集中している。
やっぱり人口が多ければ、色々と充実するわけで、冒険初心者の俺にも優しいかもしれない。
それにネットでも、稼ぐなら東京のダンジョンが一番効率がいい、という意見が多かったしな。
鵜呑みにするわけではないが、そういう意見が多いってことは、理由があるのだろう。
「あれと、これを持って――」
頭の中でシミュレートを繰り返す。
普通なら、着替えやらカバンに詰めて――みたいなことになるのだが、俺にはアイテムBOXがある。
そういうのは全部アイテムBOXに入れればいい。
ただ、出し入れしているところを人にみられるわけにはいかないから、注意しなければならない。
長期間留守にするので、近所に住んでいる町内会の役員の所に挨拶に行った。
大きな家に沢山大型農業機械が並んでいるが、今は燃料が高価なので、あまり出番がない。
たくさん人を雇って人件費をかけて食料を作っても、輸入が途絶えがちな今なら十分に商売になる。
こういうときには、土地を持っている農家は強い。
「ちわ~」
「どうした? 丹羽さん」
ちょっと顔の赤い初老の男性が顔を出した。
ここは大規模農家の家だ。
「あの、ちょっと期間は不明なんですが、長期間留守にするので、挨拶にお伺いしました」
「あに? 仕事かい?」
「はは、そうなんですよ……」
「どごさ行くのよ?」
「東京です」
「あら~まんだ遠いね」
回覧板などを、回さないようにしてもらわないといかんし。
田舎だと、どうしてもこういうつき合いは避けられない。
これから雪が降るので、雪かきの心配があるが、金ができたら業者に頼めばいい。
いきなり大金を稼げればすぐに帰ってくるが、そうは問屋が卸してくれないだろうし。
挨拶から帰ってきて、俺はあることに気がついた。
「空港までどうやって行こう……」
ここはど田舎なので、ここから都市の空港まで80kmぐらいある。
1日で帰ってくるなら、軽トラに乗っていって、空港の駐車場に置いておけばいい。
もちろん料金はかかるが。
昔はハイヤーがあったんだが、廃業してしまったしなぁ。
バスも採算が採れないと、廃止されてしまった。
誰かに乗せて行ってもらうか……。
「そうだ! 俺にはアイテムBOXがあるじゃないか」
軽トラはアイテムBOXに入らないか?
もしも入るなら、空港の近くまで行ってから、人目のない所で収納すればいい。
俺は、車庫のシャッターを閉めて試してみることにした。
「収納!」
俺の愛車である、白い軽トラが消えた。
やった! これなら車も持っていけるじゃないか。
軽トラをしまったあとは、空港まではタクシーで行くと。
「おお! 当然だが、アイテムBOXは便利過ぎる!」
まさか車まで入れられるとはなぁ……。
車なんて巨大なものが入っているのに、重さはゼロ。
本当に人知を超えている。
こういうのを見ると――神様のゲームにつき合わされているという話が、本当じゃないかと思えてくるな。
いったい、どのぐらいのものが入るんだろうか。
俺は残っていた、土嚢も入れてみた。
「入るな……」
この土嚢も、敵からの防御として使えたりしないだろうか。
まぁ、重さは感じないわけだし、このまま持っていって使わなかったらダンジョンに捨てよう。
――数日あと、最後の買い物が済んだので、それもアイテムBOXに入れた。
郵便受けには張り紙をする。
「しばらく留守にします――っと」
俺は戸締まりを確認してから、軽トラに乗り込んだ。
「出発!」
この軽トラは、CVTなので一般道でもストレスを感じることはない。
紅葉が始まった道を進んで峠を越える。
街に到着すると、人のいない場所を探すわけだが、一箇所思い当たる場所がある。
それは、軽自動車が通れるぐらいの細いアンダーパス。
知る人ぞ知る場所なので、本当に地元の人しか知らない場所だ。
その場所にたどり着くと、辺りを確認。
後続車もなし。
アンダーパスをくぐると、暗い中で車を降りた。
再度、前後を確認。
「おし、収納!」
軽自動車がアイテムBOXに吸い込まれて、目の前から消えた。
こいつは便利だぜ!
ただ、人にバレないようにするのが面倒だが。
俺は、そのまま歩いて通りに出ると、タクシーを捕まえて空港に向かった。
カウンターで手続きを済ますと、ロビーに向かう。
そのまま飛行機に搭乗して、雲の上。
久々の東京なのだが、まさかダンジョンに潜るために、行く羽目になるとは思わなかった。
1時間ほどのフライトのあと、東京上空に到着。
下に東京湾が見えるのだが、中心に小高い山が見えてその周りに街が広がっている。
すでに湾の半分ぐらいが、埋め立てられているだろうか。
たった10年でここまで広がった。
10年前には東京に住んでいたのだが、ダンジョンが出現したときのことを思い出す。
あらゆる電子機器が役に立たなくなり、乗り物も物流もストップ。
当然、外国から輸入もストップしたが、通信も止まっているので他国がどうなっているのか解らない。
コンピュータ制御だったインフラも止まり、物資不足による飢餓が東京を襲う。
インフレも起こり始めて、人々は地方へ徒歩や自転車で移動を始めた。
農業や漁業がある地方なら食料があると考えたわけだが、今の一次産業も機械化されている。
またすべてが人力の昭和の初期に逆戻りした。
なにせ、半導体が死んでしまえば、原付バイクすら動かないのだ。
その中でも動く乗り物が少ないが存在した。
昔ながらのポイント点火を使ったバイクや車、焼玉エンジンの船舶などだ。
古いものほど動くという、現代文明に対する強烈な皮肉。
そんな中、東京湾に出現した謎の穴に、決死の調査が繰り返された。
数日あとには、真空管が使えることがわかり、送信機と受信機を使った連絡網が広がり始める。
真空管といっても、昔のガラス電球みたいなものではない。
電池で動く、蛍光表示管の原理を利用した、新世代の真空管だ。
数ヶ月あとには、半導体が動かなくなった原因は出現した穴によるものと判明した。
原因が判明しても、食い物が出てくるわけではない。
食料生産するために、ほとんどの人たちが一次産業に従事した。
それしか仕事がないし、作らなければ食い物がない。
あらゆる場所が掘り返されて、畑や田んぼにされた。
そのとき俺はなにをしていたのかというと――。
父親の葬儀で実家に戻っていた。
田舎にいたときに、ダンジョンにより世界が静止してしまったので、その場から動くことができなくなってしまった。
外と連絡もつかない、乗り物も動かない。
地元でそのまま暮らすしかない。
外からものが入って来なければ、地産地消しかない。
幸いオラが故郷は、食料自給率が100%を越えている。
家の裏の300坪と、実家の土地300坪の土地を人力で耕し、保存が利く芋などを植えた。
いつもは採らない山栗やら、栃の実を蓄え、川辺りに生えている菊芋すら掘り起こした。
もう必死だったね。
だって、そうしないと生き残れないわけだし。
食料の自給自足を目指したが、化学肥料などの輸入はストップしているので、生産性は上がらない。
堆肥やら、山から腐葉土を運び、それを利用した。
本当に昭和の初期に戻ったようだと、年寄りたちは言っていたな。
肉が欲しいので、熊や鹿を狩りまくったり……。
本当は違法なのだが、非常時にそんなことは言ってられない。
なぁに、集落にいる駐在が目を瞑ればいいのだ。
そうしないと、集落で暮らしていけないし。
それでも、若い人たちはどうにかなったが、病院なども機能しないため集落の半分の年寄りは亡くなってしまった。
俺が買って住んでいた家も、持ち主が亡くなったものを譲り受けたものだ。
元々、値段なんてつかない土地と建物だし、身寄りがない年寄りだった。
数ヶ月すると、川には水力発電機が設置されて、役場から真空管式のラジオがやって来た。
それが振興センターに設置されると、全国に敷設されたラジオ網から情報がもたらされて、集落に回覧板が回される。
外からの情報は、それしかない。
そこで初めて、この異変の原因が各地に現れたダンジョンによるものだと解ったのだ。
人の噂も色々と入ってきたのだが、あやふやなものばかり。
やっと正確な国からの情報がもたらされた。
そして半年あとには、最新の有機化合物によるレギュレーターや整流器が出回るようになり、動く乗り物が増えてきた。
もちろん、かつてのような最新の電子制御のエンジンを使ったものは駄目。
バイクや、発電機など簡単なエンジンなら改造すれば動くようになった。
ただ、燃料の元である原油の輸入はほぼ停止している。
そのため、国内のあらゆる場所で、燃料用の芋やトウモロコシなどの植物が栽培されて、アルコールが生産されている。
ウチも食料にしている芋の他に、燃料用の芋を作って卸している。
地元には元々酒造メーカーがあった。
その施設が、燃料用のアルコールを作るために転用されて、燃料の地産地消が行われている。
日本全体では、さらに代替燃料の開発が急ピッチだ。
かつては、そういうものを開発しようとするとオイルメジャーの横槍が入るとか、黒い都市伝説があったりしたのだが、オイルメジャーなどすでに衰退してしまっている。
そうなれば、大手を振って代替燃料の開発を行えるわけだ。
世界の静止から1年あとには、ダンジョンから出る魔石が半導体に使用できることが判明。
国家プロジェクトとして、ダンジョンを鉱山として利用するための法整備がされた。
そのあと、ダンジョン産業はドンドン拡大の一途を辿って――現在に至る。
日本も復興が進み、かつての状態に戻りつつある。
日本もかなり人口が減ってしまったが、なんとかなるものだと、改めて思う。
心ない者は、穀潰しの年寄が減ってよかったなどと言うのだが、彼らが犠牲になってくれたからこそ、若い人が生き延びることができたと思う。
苦しかった思い出に浸っていると、飛行機は羽田空港に着陸した。