38話 タンクでお風呂
迷宮教団の女によって、ダンジョンの深層に飛ばされた。
そこでドラゴンに襲われている2人の女性を助けたのだが、彼女たちは冒険者でも有名なトップランカー。
3人で協力して、ダンジョンの深層から脱出することになった。
2日間ダンジョンを探し回ったが、上への階層の通路は見つからず、ヤケクソで焼き肉パーティをしていたら、ハーピーがやってきた。
見覚えがあると思ったら、俺が以前に助けたハーピーだった。
これはもしかして、天の助けかもしれない。
「姫、こいつは僥倖かもしれませんよ」
「なぜ?!」
「ぎゃ!」
ハーピーがバサバサと羽ばたくと、俺の所に飛び込んできた。
やっぱり、あの子だ。
「な、なぜ魔物が懐いているんだ!」
「いやぁ、よく解らんのだが、なぜか懐かれてしまってて――甘いもの食うか?」
「ぎゃ!」
アイテムBOXからお菓子を取り出すと、食べさせてやる。
もしかして、食い物をやっているから、味をしめたのだろうか?
それにしても、よく狩られてないな――。
「ああ、もしかして――」
俺から美味いものを食わせてもらえるようになったから、あまり人を襲わなくなってしまったのかも……。
冒険者を襲わなければ、やられる心配もない。
こいつは、ポップしてから結構長生きしているんじゃないのか?
俺の言葉を理解しているっぽい感じもするし、長生きしていると知能も上昇したりして。
お菓子を食い終わると、俺にスリスリをしてくる。
これはおねだりだろうか?
パンもやってみる。
「ぎゃ!」
パンをやると、脚で掴んで器用に食べ始めた。
「その妙に馴れ馴れしい魔物のなにが僥倖だと言うのだ?」
「こいつは、いつも4層にいるんだよ――と、いうことは?」
「4層から、ここまでつながっているということですか?」
カオルコが、俺の言ったことを理解したようだ。
「そのとおり!」
「それでは、どこかに通路があるということになるのか……」
「彼女に案内してもらえばいい」
「そのハーピーにか? 魔物と意思疎通ができるのか?」
「多分、できると思うんだが――なぁ、できるよな?」
「ぎゃ!」
俺の言葉を理解したのか、ハーピーがニコニコしている。
意外と表情も豊かだ。
「……」
彼女のことをなでなでしていると、姫が不機嫌になってきた。
「姫、魔物にヤキモチを焼くのはどうかと思いますけど……」
カオルコの言葉に彼女が反論した。
「ヤキモチなど焼いていない! ただ、その畜生がむかつくだけだ!」
「ちょっと姫、ペットが気に入らないからといって、ペットを虐待するような方とはおつきあいしたくないんだけど……」
「そのとおりですよ」
「くっ!」
俺とカオルコの言葉に、姫が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ぎゃ! ぎゃ!」
姫の殺気に、ハーピーも警戒したのか、威嚇音を発している。
魔物はそういうのに敏感だろうし。
「うるさい! 細切れに切り刻まれたいか?!」
ハーピーが、姫の威嚇に反応した。
「ぎゃーっ!」
俺の肩から飛び立つと、姫に向けてなにか白いものを発射した。
白い肌と赤いビキニアーマーが、ペンキを投げつけたように白く染まる。
突然のできごとと同時に、立ち込める悪臭。
「く、くせぇぇぇぇ!」
「うぐぐぐ」
カオルコも鼻をつまんでいる。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
ダンジョンに姫の悲鳴が響いた。
輝く美しい肌を白く汚したのは、ハーピーの糞。
こいつの糞はくさいと聞いていたのだが、本当にくさい!
「これはかなり――」
「ふっ……ふふ……うくくっ……」
カオルコも臭がっていると思いきや、どうやら違うらしい。
「カオルコ! お前、笑っているだろう!」
「そ、そんなこと……くくくっ」
彼女が下を見て、必死に笑いを堪えている。
「笑いごとじゃないんだぞ!」
「あはは……わかってますけど……姫がそんなことになるのは初めてだから、おかしくて……あはは」
「くそぉぉぉ! クソ鳥がぁ! どこに行った! 降りてこい!」
彼女が剣を振り回している。
「駄目ですよ! 駄目! ハーピーには、上まで案内してもらわないと!」
「そうですよ、姫。仲良くしてもらわないと……ぷぷっ」
まだ笑っている。
「さすがに、その格好のまま移動はできないから、なんとかしないと駄目だなぁ……」
「ダイスケさん、水はありますか?」
「あるっちゃ、あるんだが――これからどうなるのか解らんし、ここで水を消費するのは……」
「そうですねぇ」
「だが、鳥の糞は強い酸性だから、早めに落とさないと肌がかぶれたりするかもしれない」
「ああ、なるほど」
それはそうなんだが、まいったな。
身体を洗うには、大量の水を使うだろうし。
「あ、そうだ」
俺はアイテムBOXに入っているもので、ひらめいた。
処理水が入っていたデカいタンクを取り出す。
白くてデカいタンクが、眼の前に出現した。
「ダイスケさん、これは?!」
「ちょっと仕事で使ったタンクなんだが――こいつの中に水が少し残っている」
バルブが側面にあるので、底にある処理水が抜けきらないので残っているのだ。
もちろん処理水なんで飲めないが、身体を洗ったりするのは大丈夫だろう。
放射能が少し残っていても、冒険者は放射線に強いって話だしな。
デカいバルブを開いてみると、中に水が見える。
ちょっと日にちがたっているが、アイテムBOXに入っていれば水が腐る心配もない。
パイプは直径1mあるので、潜り込むのも余裕だ。
「本当に水があるな!」
「これは処理施設から出た水なんで、飲料ではないんだ」
原発跡地から出た水ってのは伏せておこう。
「ああ、なるほど、工場などから出た排水か……」
姫がパイプの中を覗き込んでいる。
「そんな感じだな」
「それなら、この汚れを落とすのに丁度いいだろ」
「う~ん、高レベル冒険者は、頑丈みたいだから大丈夫だろうなぁ……」
「なにかあっても、回復魔法と回復薬で治りますしね」
「多分な……」
処理水をダンジョンに流し込んだ場所で、腐る程の回復薬を拾ったしな。
あれも換金してないし。
そうそう、回復薬があったな。
これから必要になるかもしれないし、彼女たちにも渡しておくか。
俺はアイテムBOXから、薬を出した。
「今のうちに渡しておく。まだ持っているからドンドン使ってくれ」
「え?! 回復薬を、こんなにたくさん?!」
カオルコが薬の山に驚いているのだが、姫はタンクの中に入ろうとしている。
「シャンプーやボディソープもあるよ。それからタオル」
「ありがと、ダーリン」
「毒性はないと思うけど、水を口や目に入れたりしないようにな」
「承知」
彼女に色々と渡すと、タンクの中に潜り込んでいった。
中で酸欠になるとかないよな?
姫が身体を洗っている間、カオルコと薬の話をする。
「赤と紫は回復薬って知ってるんだけど、緑や黄色ってなんなの?」
「緑は、状態異常に効く薬ですね」
「状態異常――もしかして、俺の腐敗ナイフでの、攻撃もこれで消せるのかな?」
「通常は、麻痺とか疾病とかそういう感じなのですが、もしかしたら……」
「黄色は?」
「黄色は、ステータスアップだと思います。あまり出たことがないので、よく解りませんが」
珍しい薬のようだ。
「ステータスアップすると、魔法の威力も上がったりする?」
「強化魔法を使うようなものだと思うので、上がると思いますね」
彼女も使ったことがないので、解らないらしい。
「それじゃ、2人に渡したほうがいいか」
「ありがとうございます」
「沢山あるから、あぶないと思ったら出し惜しみせずにドンドン使ってね」
「はい――あの~なんでこんな沢山の薬を?」
「ははは――ここだけの話なんだが――」
「はい」
「未整備のダンジョンに入ったら、ドロップが沢山でてね」
「え?! 新しいダンジョンを発見したんですか?! すごいですね!」
「もう国の管轄になってるけど」
「それは残念です」
俺が発見したわけじゃないがな。
国の機密だし、詳しいことは伏せておこう。
カオルコと話していると、タンクの中から歌が聞こえてくる。
「カオルコ~!」
「は~い!」
「ちょっと水を温めてくれないか?」
「承知いたしました」
カオルコがタンクに頭を突っ込むと、魔法を唱えた。
バルブの所から湯気が出始める。
すっかりと風呂だ。
「カオルコ、お前も入らないか?」
「え~、入りたいのは山々なんですが……」
「私が入っている分には害はないみたいだぞ? 少々においはあるが、あのクソ鳥の糞のにおいよりはマシだ」
「まぁ、どこかに綺麗な水があるかもしれませんしねぇ」
「ええ、私はそれに賭けます!」
彼女がフンスと気合を入れている。
しばらく待っていると、裸のサクラコが出てきた。
鍛えられたアスリートのような身体は美しい。
「ふう――いいお湯だった。さすがの私も、自分でもそろそろくさいと思っていたからな」
「タオルぐらい巻いてきなさいよ」
「そうですよ、サクラコ様! はしたないです!」
「ここには、カオルコとダーリンしかいないし、いいじゃないか」
「それでも、親しき仲にも礼儀ありって言うじゃない? 俺が風呂上がりに、ぶらぶらさせて出てきたら嫌だろ?」
「む~」
俺の反応がそっけないので、彼女は不機嫌だ。
ガキじゃあるまいし、女の裸ぐらいで取り乱すわけもない。
風呂が終わったので、タンクを収納した。
「アイテムBOXに入っているってことは、次に出したときにもまだ温かいまま――ということだな」
「まぁな」
まだ髪が濡れたままで、カオルコにタオルで拭いてもらっているが、ここにはドライヤーもない。
ダンジョンで覚える魔法には乾燥の魔法もあるようだが、ウチの魔導師は使えないようだ。
姫の装備をつけて、移動を開始する。
「お~い! ハーピー!」
「ぎゃ!」
暗い上方で声がする。
「お前がいつもいる場所に案内してくれ~!」
「ぎゃっ! ぎゃっ!」
「果たして、通じているのだろうか?」
「本当にあんな魔物が役に立つのか?」
「あいつは一度捕まえて外で売り飛ばしたんだよ」
「ほう?」
「でも、しばらくすると自分のいた階層に戻ってた――ってことは、帰巣本能があるってことだ」
「ダイスケさんの言うとおりですね」
「なるほど」
姫が考え込んでいる。
「だから、いじめないでくれよ」
「それは、やつ次第だ!」
なんだろう――ウマが合わないってやつなのか?
「あんな子と張り合わないでくれよ」
「張り合っているわけじゃない!」
否定するのだが、それじゃただの嫉妬か?
「姫がこんなに嫉妬深い性格だと知りませんでした」
彼女の言葉にカオルコがつぶやいた。
「嫉妬じゃないと言っているだろ?」
「カオルコは姫といつも一緒だったのかい?」
「はい」
「彼女が男と付き合ったこともなかったから、性格も解らない部分があったとか?」
「はい――姫の示した第一条件が、『自分より強い男』だったので」
「それは、なかなかむずかしそうだなぁ」
「それはもう」
「でも、俺の力は、たまたまゲットしたダンジョンの力によるものなんだけど、それでもいいのか?」
気になることを、姫に聞いてみた。
「それを言えば、私の力もそうだし」
姫はそう言うのだが、彼女は超有名大企業グループのご令嬢だろう?
田舎のオッサンとは、元々のスペックが違う。
話をしながら上を見ていると、ハーピーが移動を始めたようだ。
話が通じたらしいので、飛んでいる彼女についていく。
「そういえば、君たちも暗闇で目が見えるのか?」
「見える」「はい」
「それじゃ、高レベルになると、夜目が利くってのはデフォルトの能力なのか……」
「全体的に身体のスペックが上昇するせいだと思いますけど」
カオルコもそれを実感しているらしい。
「確かに、目も耳もよくなって感覚も鋭くなるからな」
「はい」
俺たちの、脱出に向けての旅が始まった。
――とは言っても、普通の攻略と違って、上に行くほど楽になるからな。
ここが一番過酷な階層だ。
俺は上を見ながら進むが、2人には周囲を警戒してもらう。
ここの魔物はドラゴン級なのだから、油断はできない。
戦闘はなるべく控える。
この先に、なにがあるか解らんし。
ハーピーと一緒に空を飛べるなら、すぐに上に行けそうではあるのだが……。
こっちは空を飛べない。
「ぎゃっ! ぎゃっ!」
「ちょっと、彼女の様子がおかしい――多分、敵だ」
「迂回しよう」
「そうだな」
ちょっと遠回りになるが仕方ない。
「上空から偵察をしてもらうのはいいですねぇ」
「ハーピーに感謝だ」
「ふん」
ハーピーもずっと飛んでいるわけではないから、たまに俺たちの所に戻ってきては、休んだり食べ物をもらっている。
「はぐはぐ……」
アイテムBOXに入っていたドラゴンの焼き肉を食わせてみた。
美味いのか、喜んで食べている。
――ということは、味覚もちゃんとあるってことだ。
まぁ、俺のお菓子やパンを欲しがる時点で、それは解っていたけどな。
「ギ~」
肩に載ってスリスリしてくる彼女をなでてやる。
「よしよし、俺たちを上まで連れていってくれよな」
「ギッ!」
「ぐぬぬ……」
また、姫がこちらを睨んでいる。
「そんなに睨まないでくれよ。ハーピーが怖がるから」
「睨んでない!」
「ふふふ……ダイスケさん、姫もなでてほしいんですよ」
「あ~、そうか」
「そ、そんなことはない!」
「はいはい、それじゃこっちにおいで」
ハーピーを肩から下ろすと、姫の手を取って抱き寄せた。
彼女はビキニ鎧なので、直接肌の感触が伝わる。
「ちょ……」
少し抵抗したのだが、抱かれてしまうと大人しくしている。
「大変だったね~、ここまで頑張ったね~」
「……」
彼女の頭をなでなでしてやる。
「きっと外に出られるから、もうすこし頑張ろうね~」
「うん」
「ちょっと聞きたいんだけど――このビキニ鎧って防御力あるの?」
「ドロップアイテムだから、すごいある」
「やっぱりそうなんだ」
肌が露出しているように見えるのだが、普通の攻撃は通さないらしい。
剣で切られても傷一つつかない。
ネタアイテムかと思いきや、すごい高性能のガチ装備だが、相当外見に自信がないとこいつは着こなせないのではなかろうか。
こんな格好で弱かったら、マジでネタ枠だし。
「そうだ、姫もお菓子を食べるかい?」
「うん」
彼女に食べさせてあげると、今度はハーピーがヤキモチを焼いている。
「ギャ! ギャッ!」
「お前は、さっき食べただろ?」
「ギャ!」
一休みしたので、また移動を始めた。
ひたすら暗闇の中を移動する。
「2人は、他の生存者を見たかい?」
「いいえ」
「ネットのニュースでは、結構な数の冒険者が行方不明になってるんだよね」
「飛ばされた場所が、みんな違うのでは?」
カオルコの言うことにも一理ある。
「強そうなのは、下層に飛ばしたりか?」
「はい――魔法かトラップか解りませんが、遠くに飛ばすほど魔力を消費するはずですし……」
「ああ、多分そんな感じだろうな」
それじゃ、あの女は俺を強敵だと思ったわけか。
確かに、その勘は合っているがな。
「おっと!」
ちょっと先行していた姫が立ち止まった。
「どうした?」
「地面に亀裂だ」
彼女の言うとおり、俺たちの眼の前には10mほどの真っ黒な裂け目が口を開けていた。
こんな場所が結構あるのか。
このまま下を攻撃できれば、またレベルが上がるかもしれないが、アイテムBOXの中にもう瓦礫はないしな。
だいたい、そんなことをしている時間もない。
「さて、どうやって越したものか……」
しばし考える。
アイテムBOXの中にハシゴがあるが、ちょっと長さが足りないような気がするな。
「また迂回しますか?」
「いや、このぐらいなら飛び越えられる」
姫は、ジャンプでクリアするつもりだ。
「飛んだことがあるのか?」
「ああ」
「姫がジャンプできるってことは、俺もできそうではあるが……」
俺は壁走りでクリアしたが、あの脚力があれば飛んで反対側にいけそうだ。
ドラゴンのときに使った、タンクで二段ジャンプすれば、もっと遠くに飛べるとは思う。
なにせ経験がないから、本当にできるかどうか解らん。
「そうか――平地で試してみればいいのか……」
いきなり死ぬような裂け目じゃなくて、同じ距離の平地でジャンプしてみればいい。
裂け目と同じぐらいの距離に印をつけると、助走をつけて飛んでみた。
ダッシュして踏み切る――放物線を描いて印を余裕で着地。
自分の能力がどのぐらいなのか、いまいち解ってないからな。
だいたい、俺はまだ冒険者になったばかりで、中身は初心者だし。
「あ、あの――私はそんなにジャンプできないと思うんですけど……」
カオルコのレベルは高いが、魔導師だし、戦闘職のようにはいかないか。
それでも、普通の人よりは能力はかなり上昇しているのだが。
「大丈夫だ。俺が担いで飛んでやるよ」
「……」
カオルコが心配そうなので、デモンストレーションをしてあげる。
アイテムBOXから土嚢を3つ出してそれを担ぐ。
「これを抱えたままジャンプできれば、納得できるだろ?」
「わ、私はそんなに重くないと思うんですけど……」
彼女は否定しているが、重さの見立ては間違っていないと思う。
――が、ここは女性を立ててあげないと。
「ちょっと多めに担いで飛べれば、余裕だろ?」
「そ、そうですけど……」
論より証拠、見せてあげれば納得するはず。
土嚢を3つ抱えると、助走をつけて再びジャンプ――余裕で印を越えた。
普通なら、こんなことは絶対にできない。
そもそも、土嚢を3つも抱えるなんてことができないからな。
いや、肩に載せて少し歩く――みたいなことならできるかもしれないが、それでジャンプなどは無理だろう。
「ほら、大丈夫だろ?」
「私は、そんなに重くないですぅ……」
まだ言ってる。
「カオルコは乳の分だけ重いのだから、仕方ないだろう」
「そ、そんなに重くないですぅ!」
「やれやれ――先に行くぞ」
呆れた姫が、裂け目をジャンプ。
しなやかな豹のような身体が暗闇に舞う――自信のとおり、余裕でクリア。
「さて、俺たちも行こう」
「は、はい」
肩に担ぐのが一番よさそうだが、ここは絵面的にお姫様だっこだろう。
首にがっちりと抱きついてもらう。
飛ぼうと思ったら、対岸でなにやら姫が慌てている。
なんだ?
「大丈夫? 離さないでな?」
彼女が俺の首に手を回すと、デカくて柔らかいものが俺に押しつけられる。
薄着や素肌だったら、もっと嬉しいのに。
一応防具をつけているからな。
「だ、大丈夫です」
「それじゃ行くぞ! おりゃぁぁぁ! とうっ!」
俺は全力で加速すると、裂け目のちょっと手前でジャンプした。
ギリギリだと崩れる可能性もあるし。
「きゃぁぁぁ!」
耳元でデカい悲鳴を上げられたので驚いたのだが、放物線を描いて宙を舞うと――。
なにやら得体の知れない気配がして、背筋が凍りつく。
「何だ?!」
一瞬のできごとに混乱したが、なんなく着地。
合わせて重さ百数十kgの重さである。
普通なら膝がぶっ壊れるところだが、なんともない。
筋力だけじゃなくて、骨格なども根本から強化されているらしい。
そんなことより――。
「姫もジャンプして、なにかを感じたか?」
「ああ、なにか恐ろしいものに見られているような……」
「俺もだ――カオルコは?」
「なにか、嫌な感じは確かにしましたけど……」
3人がそう感じているってことは、間違いないのだろう。
あの亀裂の奥底になにかが潜んでいるのかもしれない。
「ギャ! ギャッ!」
上でくるくると旋回しながら、ハーピーが呼んでいる。
あの気配の主は気になるが、嫌な予感しかしない。
「お~い! また案内を頼むぞ!」
「ギャギャッ!」
俺たちは、ハーピーの案内で再び進もうとしたのだが――ハーピーの様子がおかしい。
警戒音を発している。
俺も、ただならぬ気配に、全身の毛が逆立った。
「なんだこりゃ?!」
「ダーリン!」「わぁぁ!」
姫とカオルコも俺に抱きついてきた。
その気配の元が解った――俺たちが飛び越えた亀裂だ。
まるで、そこからなにかが這い出てくるような恐怖が背中を凍らせる。
気のせいではなく、巨大な手が暗闇の中を伸びてきた。
「うわぁぁぁぁ!」
俺は、姫とカオルコを担いで、脱兎のごとく駆け出した。
なにか解らんが、絶対にヤバいやつだ。
俺のレベルでも、なんとかなるとは思えないぐらいの、なにかがあそこにいた。
2人を抱えたまま、全力で暗闇の中を疾走する。
これは逆らうことができない本能的な恐怖。
いったい、あれはなんだったのだろうか。