144話 みんなと一緒に
元世界に帰ってきた俺たちは、海底トンネルの中に出た。
世界中からダンジョンがなくなってしまったようだし、いまさら東京に戻っても仕方ない。
海底トンネルを抜けて、試される大地にある自分の家に帰ることにした。
幸い、トンネルから家は近い――と言っても100kmぐらいあるが。
近道をするために山の中を通り、ショートカットした。
これが一番近い。
以前の俺なら、こんなことはしないが、冒険者を始めて色々と経験値も積んだ。
なんと異世界にまで行ってしまったのだから、山に入るぐらいなんてことはない。
ショートカットのために山の頂上に登ると、故郷が見えた。
ビルが建ったりして、随分と様変わりしているようである。
たった2年でそこまで変わるか。
俺とテツオが東京ダンジョンの主を倒してしまったので、世界中からダンジョンがなくなってしまったらしいが、この村にも新しいダンジョンが出現した。
信徒が増えたイザルの神さまによって作られたダンジョンである。
ダンジョンができたせいで人が増え、八重樫グループの協力の下、インフラが整えられて開発が進んでいるようだ。
僻地の限界集落が、まさかこんなことになるとは……。
俺たちは、山頂から下ると道路を目指した。
「ダイスケさん、どのぐらい歩くんですか?」
「ここから500mだから、すぐそこまで舗装道路が来てる」
「わかりました」
下っていくと、すぐに道路が見えてきた。
ずっと使ってないから、草がボーボーだけどな。
俺はアイテムBOXから軽トラを出すと、皆を乗せた。
「ニーニャ、ここからは人がたくさんいるから、ローブを被っていてくれよ」
「わかったにゃ」
荷台から、ニーニャの声がする。
「……」
サナはなにか言いたそうではある。
そのまま車を走らせると、すぐに通行止めのゲートが見えてくるので、そいつを横から回避した。
ここからは、1本道である。
道をずっと下っていくと右側に川が流れている。
以前は川沿いに畑や田んぼが並んでいたのだが、こんな所まで家やマンションが建っていた。
「ここらへんは、熊が出ると思うんだがなぁ……」
さっきも遭遇したし。
「よく熊を見かけると聞きますが、他に場所がないみたいで……」
確かに、山間の盆地なので、田畑を潰さない限り土地はない。
世界が静止した食糧難から、田畑を手放さない農家も多いだろう。
「しかしまぁ、たった2年でここまで変わるかね」
「2年もたったんです!」
「ああ、すまない……俺も帰ろうとしてたんだけど、手立てがなくてな」
「……結局は、神さま次第なんですよね」
「そういうことだ」
川に沿って、道をどんどん下っていく。
両岸に連なっていた見慣れた田んぼや畑は、いつの間にか姿を変え、コンクリで固められた護岸や規則正しく並ぶ住宅やマンションに取って代わられていた。
「農地を宅地に変更するって、すごく面倒だって聞いたけど……ああ、八重樫グループの働きかけか……」
「町長さんもノリノリで……」
そりゃそうだろうなぁ。
農地を売っても安いが、宅地になると何十倍にもなる。
いや、ダンジョンという産業ができて、ここに街ができるとなると、もっと値上がるか。
まさに一攫千金だが、今の時代―― 一時の大金より、食料を生産し続けたほうがいいと思うが……。
まぁ、爺婆ばっかりなので、中々そうもいかない事情もあるのだが。
世界が静止して、食糧不足から一次産業の人口もかなり増えたとはいえ、こういう僻地に中々人は来なかった。
それよりも――ここまで開発が進んでいるのには驚いたが、本当にインフラは間に合っているのか?
とてもじゃないが、これだけの住民をさばけるインフラはないと思うのだが……。
いくら八重樫グループのバックアップがあるといっても――トイレだって、未だにボットンなんだぞ?
よくて簡易浄化槽だ。
そういえば、あちこちで重機が動いているのが解る。
まさに今、街ができ上がっている感じ。
とりあえず、下水ができてトイレは水洗になってくれたら嬉しい。
やがて視界が開けた瞬間、俺は少々困惑した。
そこにあるはずの昔からの家並みや、土埃を上げて走り回った一本道は見当たらない。
代わりに現れたのは、真新しい商店や行き交う人々のざわめきだ。
かつて夏祭りの太鼓が鳴り響いた広場には舗装された道が通り、トラックなどが絶え間なく行き来している。
以前は限界集落で、住んでいたのは爺婆だけ。
ガキの姿なんて見なかったが、道端をたくさん子どもたちが走り回っている。
ここに残されていた住民たちの願いは、村から出ていった人たちが皆戻ってきて、また一緒に暮らす――というものだったはず。
形は違うが、人は戻ってきた。
突然の変化に、地元の年寄たちの心境も複雑だろうが、人が増えれば職も増える。
そうなれば、村を出ていった連中が戻ってくる可能性もある。
廃墟になってしまった家の土地が、札束になるかもしれないし。
複雑な心境のまま川沿いにある神社を過ぎると、今まで村にはいなかった異質な格好をした若者たちが増えてきた。
様々な防具に身を包み、デカい武器を堂々と持っている冒険者たちだ。
年寄たちは、この光景をどう見ているのだろうか?
冒険者たちを横目で見ながら小さな橋を渡る――と、そこに俺の家があるが、正面にデカいビルが建っていた。
おそらくは、役所だと思われる。
その裏が俺の畑だが、そこにダンジョンができたということなので、この場所が役所としては一番場所がいいのだろう。
たくさんの冒険者たちが出入りしている。
「なんじゃこりゃ!」
役所はいいのだが、俺が暮らしていた平屋のボロ家は、そこにはもう存在していなかった。
雨漏りのする屋根も、冬になると隙間風が容赦なく吹き込んできた歪んだ板壁も――すべてが、まるで最初からなかったかのように消え去っている。
代わりに建っていたのは、三階建ての堂々とした四角く白い壁の家。
陽の光を受けて眩しく反射する外壁は汚れ一つなく、きっちりと整えられた四角四面が、この場所に漂っていたはずの貧しさや古びた記憶を完全に塗り潰している。
小さな窓は、確実な断熱の証だろう。
かつて雑草が伸びていた庭先は綺麗に刈り取られて、玄関へ続くアプローチはコンクリートで美しく舗装されている。
同じ場所のはずなのに、まるで別の世界――住所を確認するが、ここに間違いない。
隣の農家はそのままだし。
「あの~ダイスケさん……ここで間違いないですよ」
サナが申し訳なさそうな顔をしている。
「建て替えてしまったのかい?」
まぁ、土地だけはあったからなぁ。
もう畑をする必要もないし。
「は、はい……みんなで住むとなると、狭いからと……」
そりゃそうだが、俺に確認をしてほしかった――いや、俺は異世界だったか。
やったのは姫とカオルコだろうが、俺はどうであれ、彼女たちを裏切るような行為をしてしまった。
そのまま嫌われても、仕方ないと思っていたのだが……。
ここまでして、ここに住んでいるってことは、俺は嫌われていないのだろうか。
「いきなり若い子がやってきて、家を建て替え始めて、回りの年寄たちはなにも言わなかったかい?」
「いいえ、桜姫さんがダイスケさんの嫁だと公言してましたから」
「ああ、なるほど……」
「役場に転居届けを出しにいったら、村長さんが直々に相談に乗ってくれましたし」
「姫が八重樫グループのご令嬢だとわかったからだろ?」
「多分……」
「……村長め」
村長の満面の笑みが、頭に浮かぶ。
悩んでいても仕方ない。
俺は、敷地の中に軽トラを入れて、車を降りた。
敷地を見回すが、塀や門は建てていないようだ。
ここは雪が多いので、塀をつけている家は少ない。
それらがあると、雪が降ったときに大変だからな。
俺のすぐ後ろには、ニーニャがぴったりと張り付いている。
ローブを被っていてわからないが、多分耳をくるくると回しているはず。
「ギャースケ!」「ダイスケ!」
懐かしい声に俺は右手を見た。
そこには農業用の大きな倉庫があったのだが――開いていたシャッターから大きな鳥のようなものが飛び出してきた。
「え?! ハーピー?!」
大きな翼で地面すれすれを滑空して、俺の所に飛び込んでくる。
「ふぎゃー! ハーピー!?」
叫び声を上げたのは、ニーニャだ。
異世界にもハーピーはいるので、魔物の襲撃だと思ったのかもしれない。
「ニーニャ! こいつらは大丈夫だ! 俺の仲間だ」
「ギャースケ!」「ダイスケ!」
大きな翼をバサバサさせて、喜んでいるように見える。
チチのほうは、神さまの降臨するさいの依代にされて、脚や翼が黒くなったまま。
――ということは、同じようになった迷宮教団の女も、ずっとあのままなのか。
「お前らダンジョンの崩壊によく巻き込まれなかったなぁ」
「ぎょ~」
ハーピーたちをなでていると、サナが説明をしてくれる。
「ダンジョンが崩壊したときに、吐き出されてきたんですよ。そこを私たちが保護しました」
「それで、ここまで連れてきたと」
「はい、ダンジョンで役に立ちますし」
「まぁ、そりゃそうだが……」
ハーピーたちとギャースカ騒いでいると、黒塗りの玄関扉が開いた。
「こらぁ! ハーピーたち! ご近所に迷惑でしょ!」
ドアを全開にして、長い黒髪の女性が怒鳴っている。
白いブラウスにすっきりとしたラインのパンツ。
過度に飾り立てているわけではないのに、その佇まいは妙に目を引く。
柔らかな日差しを受けて、ブラウス越しに浮かぶ肩から胸元の曲線が、以前よりもはっきりとした陰影を帯びて見えた。
久しぶりに会った彼女は、どこか落ち着きを纏っている。
たった数年だというのに無邪気さは影を潜め、その代わりに、経験を重ねた人だけが持つ余裕のようなものが、仕草の端々に滲んでいた。
――ああ、女性としての魅力が増したのが解る。
「やぁ、カオルコ。ただいま」
「……」
彼女が俺の顔を見て固まっている。
まるで信じられないものを見ているような表情だ。
「……」
彼女が黙っているので、俺もなんて言っていいのか、言葉に詰まってしまう。
「ダイスケさん!?」
聡明な彼女が、色々と頭の中で一つの答えを導き出したようだ。
「はい、恥ずかしながら、異世界から戻ってまいりました」
「ダイスケさん!!」
彼女がサンダルのまま走ってくると、俺に抱きついた。
「色々すまなかったな……」
カオルコの肩を抱く。
「もう、酷いですよ……」
「でもまぁ、あまり怒っていないようで安心した」
俺の言葉に反応したのか、彼女が顔を上げた。
「怒ってないと思います?」
彼女が微笑む。
いや、笑みと呼ぶにはあまりにも温度のない――まるで凍りついた湖面に走る、細い亀裂のような表情だった。
空気が、目に見えないほどの速さで冷え込んだ気がする。
さっきまで流れていた会話の余韻が、一瞬にして凍結して、俺は後悔した。
「いや、マジでスマン」
俺は、言葉につまり、そんな単語しか口から出てこなかった。
「……それで? 後ろにいる方は?」
「ここじゃマズいから、家の中に入らせてくれ」
「……わかりました」
「ギャースケ!」「ダイスケ!」
翼を閉じたハーピーたちも、俺のあとをついてくる。
「あなたたちも、家に入るなら足を拭いてくださいよ」
「ギャースケ!」「ダイスケ!」
「家の中に入れているのか?」
「まぁ、たまにですが……ダイスケさんがいると、増えそうですね」
皆と一緒に、黒い扉を開けて家の中に入った。
もう玄関からしてホールになっていて、前の家の面影はない。
いやぁ……俺の荷物はどうしてしまったのだろう。
捨ててはないと思うのだが……。
そのまま左側の部屋に入った。
「おわぁ」
家の居間は、三階部分まで貫く大きな吹き抜けになっていた。
天井を見上げると、はるか上方まで空間が広がり、白い壁に反射した光がゆるやかに漂っている。
声を出せば、わずかに遅れて反響が返ってきそうなほどだ。
壁際には上階へと続く階段が伸びており、それぞれの部屋に繋がっているらしい。
吹き抜けの高窓から差し込む陽光は、時間とともに角度を変え、床にゆっくりと影を落としていくのだろう。
中央部分は、周囲より一段低く掘り下げられた造りになっており、そこにゆったりとしたソファーと低めのテーブルが配置されている。
その光景を目にした瞬間、胸の奥に微かな既視感がよぎる。
――特区で滞在していた、あのホテルのスィートルーム。
広さの取り方、家具の配置、よく似ていた。
多分、姫たちは、あの場所を気に入っていたのだろう。
「こんな作りにしてしまったのか……冬場寒いだろ?」
カオルコに事情を聞く。
「え~あ、はい……最初はちょっと」
これだと、暖かい空気が全部上に逃げてしまう。
「灯油代もかかると思うが……」
「え~と、月に30万円ぐらいかかってました」
「旅館かよ……」
まぁ、俺や姫たちの収入からすれば、そのぐらいの暖房費はどうってことないのだが……根っからの貧乏性の俺は――私、気になります。
「寒い地域に住んだことがなかったので……」
「ここは、試される大地でもかなり暖かい地域なんだが、この集落だけ暑くて寒くて、雪も多いんだ。そうだ――これだけの敷地だ。除雪はどうしてるんだ?」
「1年目は、近所の方が見かねて助けてくださいまして……すぐに除雪機を買いました」
「まぁ、そうだろうな~。俺がやるから重機も買ったほうがいい」
「はい」
気になる俺の家の荷物だが――裏の倉庫に全部しまわれているらしい。
よかった。
「でも、今は魔石ヒーターがありますから、魔力さえあれば暖かいですよ」
「魔石ヒーター?!」
「ほら、照明も、魔石照明です」
彼女は天井に輝くシーリングライトを指した。
あれも魔法で輝いているらしい。
俺とテツオが売った魔道具を解析して、商品化したと聞いてはいたが、すでに普通に生活に溶け込んでいるとは……。
俺がいなくなって、1年で八重樫グループが魔石の利用方法を開発したらしい。
ものすごいスピード開発だが――要は、魔石から電力を取り出す方法が解ったらしい。
それならば、魔石をバッテリー代わりにするだけだから、普通の電化製品に組み込むことができるってわけだ。
魔石もパッケージ化されていて、交換も簡単にできるという。
「ここには、大魔導師が揃っているからなぁ、魔力には困らんだろう」
「はい」
魔石への魔力の充填だけなら、俺でもできるし。
「普通に売られて、誰でも買えるのかい?」
「はい、それなりに高価な代物ですが……」
「まぁ、新しい商品の出始めだから、そんな感じだろうなぁ」
「大量生産できるようになれば、もっと安価になると思いますが……魔石の調達がダンジョンと冒険者頼みですから」
カオルコの話では、八重樫グループによる人工魔石の研究も進んでいるらしい。
まさに、世界がひっくり返っている状態だ。
「へ~」
俺は感心するように、部屋の中を見回していたのだが……。
「それで?」
「はい?」
「その方の説明はないのですか?」
カオルコがローブを被ったままのニーニャを指した。
「……」
俺は覚悟を決めると、ニーニャに顔を出すように言う。
「!」
初めて獣人を見て、カオルコはかなり驚いたようである。
目を見開き、覗き込むように黒い毛皮の彼女を見て興味津々。
「じつはな……」
俺が説明しようとすると、カオルコがニーニャに抱きついた。
「きゃ~! かわいい!」
「ふぎゃ~!」
突然のできごとに、ニーニャが毛を逆立てた。
「私、おっきなニャンコ飼うの夢だったんです!」
「まてまて、彼女は猫じゃない。人間だよ」
「シャーッ!」
ニーニャがカオルコの手を振りほどくと、俺の後ろに隠れた。
完全に耳を伏せて警戒している。
「彼女は……」
「ギャースケ! ギャースケ!」「ダイスケ! ダイスケ!」
ハーピーたちもかまって欲しいのか、部屋の中でバサバサしている。
「なんだ! やかましいぞ! ハーピーども!」
勢いよく2階のドアが開き、シャツと下着姿の女性が出てきた。
髪はボサボサで、今まで寝ていたのだろう。
俺が遭いたかった彼女だが、カオルコと同じように女性らしさが増していた。
「姫! ただいま」
「!」
俺の声を聞いた彼女が、階段の欄干に掴まると、目を見開いて見下ろしていたのだが――そのまま駆け下りてきて、俺に全力でタックルしてきた。
「うおっ!」
ふっ飛ばされそうになり、かろうじて持ちこたえる。
彼女の肩を掴むと、震えているようだ。
「ごめんよ」
俺から離れると、姫のボカボカ攻撃が始まった。
膨れっ面で、目に涙を浮かべての連打である。
「あたた……」
まぁ、彼女の怒りは解る。
姫が異世界に飛ばされて、現地で世話になったからといって、男を連れて戻ってきたらどうだろう。
そりゃショックだと思う。
殴られても仕方ないので、どんな攻撃でも耐えるつもりだったが――マジで痛い。
そう思っていると、攻撃が止んだ。
「カオルコ! 剣!」
「はい」
カオルコが躊躇もなく、自分のアイテムBOXから武器を取り出すと姫に手渡した。
「きぇぇ!」
奇声とともに、姫が俺に切りかかってきた。
脅しではなくて、マジである。
俺はかろうじて、両手で彼女の刃を受け止め――白刃取りってやつだ。
「ま、待て姫! 話せばわかる!」
「問答無用!」
ギリギリと、刃が迫ってくる――マジだ。
パワーは衰えていないように感じるが……そうではない。
「君の怒りももっともだ!」
「死ぬときには、ダーリンと一緒だと決めていたのに、それを裏切られた私の気持ちが解るものか!」
「あ、そっち?!」
「ふしゃぁぁぁ!」
いきなり、黒い毛皮のキックが、姫を弾き飛ばした。
「ぎゃあ!」
姫が飛ばされると、部屋の中央にあったソファーに衝突して、縦に一回転して床に叩きつけられた。
「姫! 大丈夫か?!」
「しゃぁぁぁぁ!」
ニーニャは全身の黒い毛を逆立て、指先からは鋭く湾曲した爪が音もなく伸びていた。
かかとは浮き、つま先だけで地面を捉えながら、小刻みに体重を前後させる。
張り詰めた筋肉が波打つように動き、いつでも飛びかかれる態勢を誇示していた。
瞳は細く絞られ、相手から一瞬たりとも視線を外さない。
「おお、やんのかステップだ。初めて見た」
「な、なんなんだ! その猫は!?」
姫がソファーの裏から起きてきた。
さすがに、トップランカーの冒険者だ。
レベルがなくなったとはいえ、このぐらいじゃ、びくともしないらしい。
一応、なんか毛皮がいるとの認識はあったらしい。
「実は――カクカクシカジ~カで……」
「……ふぅ……ならば仕方ない」
「いいのか?」
「右も左も解らない異世界とやらで、ダーリンが世話になったのだろう?」
「ああ」
「ならば仕方ない」
本当に渋々って感じだな。
ニーニャにも姫のことを説明する。
「この世界の貴族のお姫様みたいな身分の人だ」
まぁ、身分制度なんてないのだが、異世界の住民にはそっちのほうがわかりやすいだろう。
「それじゃ、正室にゃ?」
「まぁ、そうだな」
「そっちやそっちは側室や、愛人かにゃ?」
「サナは、イザルの聖女だぞ」
「にゃ!」
俺の言葉を聞いたニーニャが、サナの前に跪いた。
「え?! どうしたんですか?」
「サナがイザルの聖女だと紹介したからな」
獣人たちの神さまもいるらしいのだが、加護がでかいということでイザルの信徒になっている獣人も多い。
「別に普通に接してくれれば……」
「そうもいかないと思うぞ?」
困惑しているサナを横目に、姫が俺の手を掴んだ。
「なにがどうなったのか、私の部屋でじっくりと聞こうじゃないか」
「それじゃ、私も……」
カオルコも一緒に来る気満々だ。
「え? まさか、昼間から?」
「猫や鳥に注ぐ愛情はあるが、私にそれはないと?」
「いやいや、もちろん、そんなことはないが」
「ふん」
「ダイスケさん!」
俺に話しかけるカオルコの表情が明るい。
「どうした?」
「元高レベル冒険者同士で、子どもができ始めているんですよ」
「ああ、ダンジョンの呪縛がなくなったから……」
「はい」
「能力などはどうだ? 引き継がれてたり?」
「それはないみたいですけど」
「そうか~、それじゃ姫の人類超人化計画は頓挫だな、ははは」
「そんなものはもういい!」
姫の口から意外な言葉が飛び出した。
「いいのか?」
「ダーリンと離れてみて、ふたりの間になにが足りないのかわかったからな」
「足りないもの……」
「絆だ!」
彼女はそれが子どもだと言いたいのだろうか?
いや、多分そう思っているのだろうという顔をしている。
まぁ、確かに――神さまの使徒なんてものになってしまった以上、テツオのように、あらぬ所に飛ばされて布教活動をさせられる可能性がある。
そのときに、自分たちの子どもがいれば――そう考えてしまったのかもしれない。
俺としても、子どもがいるから絶対に帰らにゃ――って話になるしなぁ。
テツオも、ロロちゃんが家で待っているから、帰ると言っていたし。
姫とカオルコに引っ張られて、姫の部屋で無制限一本勝負。
サナは参加しないようで、自室に戻って着替えるようだ。
まぁ、一緒に住んでいるらしいので、俺がいない間に、この家のルールができたのだろう。
勝負しながら、彼女たちから色々と話を聞く。
どうやら、ダンジョンのラスボスを倒してダンジョンを潰したのは俺たちだとはバレていないらしい。
いきなり皆の生活をぶっ潰してしまったので、全世界から非難されるんじゃないかと心配していたのだ。
どうやら杞憂だったらしい。
「ふう……」
夕方になり、一休み――ベッドと床には、姫とカオルコが転がっている。
軽く上着を着て部屋から出ると一息ついた。
戻ってきて俺のサイトを観てなかったのだが、スマホで確認すると――この2年間でとんでもないカウンターになっていた。
動画の編集をしてくれていた、クアドリフォリオさんたちは東京にいるようだ。
まぁ、ネットの回線があれば仕事は頼めるし……。
踊り場から居間を見下ろす――そこに薄ピンクの上着を着た黒いハーフパンツの女の子が入ってきた。
黒くて長い髪が舞って、元気いっぱいなのが解る。
俺は彼女が誰かすぐに解った。
「おかえり、ミオちゃん」
俺の声に驚いて、彼女が顔を上げると驚きの表情を浮かべた。
「あ~!」
彼女は、俺の記憶から、かなり背が伸びていた。
俺が初めてサナと会ったときとそんなに変わらないかもしれん。
やっぱり姉妹なのか、胸も……ゲフンゲフン。
「いや、俺がただいまかな?」
「ダイスケ!」
彼女が階段を駆け上ってくると、俺の所に飛び込んできた。
「あぶねぇ!」
階段の踊り場なので、思わず彼女を受け止める。
「おかえり!」
満面の笑み――それは、こちらの内心をすっかり見透かしたかのような、妙に完成された表情だった。
子ども特有の無邪気さはまだ残っているのに、その奥には「もう分かっている」という自負がきらりと光っている。
「ただいま」
「異世界に行ってたんだって?!」
「サナから聞いたのか?」
「うん! 私だって、異世界に行ったら活躍できるのに!」
言葉遣いも、仕草も、以前よりほんの少しだけ角が立っている。
露骨な反抗ではないが、相手の反応を確かめるように、あえて生意気な言い回しを選んでいる節がある。
その態度には、自分が世界の中心にいると無意識に信じている者だけが持つ、根拠のない自信――あの年頃特有の万能感が滲んでいた。
そろそろ中学生のはず。
世界は急に広がり、同時に自分も急に大きくなった気がする年齢だ。
何でも分かった気になれて、誰よりも賢く、誰よりも強いと思えてしまう。
中二病なんて軽口で片づけられることも多いが、彼女のその笑みには、まさに「自分は特別だ」という自信に満ちている。
俺は、初めて彼女に出会った頃のことを思い出していた。
不治の病で、今にも消えそうだった女の子は、もうここにはいない。
元気ハツラツ、ファイト一発! って感じだ。
――夕飯は、寿司にした。
2年ぶりの寿司だ。
どうやら、人が増えたので村の寿司屋も復活したらしい。
食堂やらコンビニもできて、ホムセンも小規模店舗でオープンしており、すでに大規模の店舗の建設予定も立っているようだ。
店が増えてありがたいが、そんな土地があるかな?
なにせ山間だからな。
みんな異世界の話に興味深々である。
「魔法の資料もたくさん集めてきたから、研究も進むかもしれないぞ?」
「本当ですか?!」
異世界の理の話に、カオルコが食いついた。
「魔法といえば、幽鬼はどうした?」
「ここにギルドごと来てましたが、かなり寒さが堪えたみたいですね」
「まぁなぁ……ここは試される大地だからなぁ……」
俺のアイテムBOXから、魔導書を取り出して、カオルコに見せた。
「よ、読めません!」
「そりゃ、異世界語で書いてあるからな」
まず資料の翻訳を俺がしないと駄目だ。
えらい手間だが、研究者が集まれば、あっという間に異世界語も解読されるに違いない。
それに、こういう場面ではAIの出番だろう。
「ニーニャ、この食い物は大丈夫か? 駄目なら、他の食い物を用意するが……」
いきなりの寿司は、ハードル高かったか?
「魚は平気だけど、生で食べて大丈夫にゃ? 美味いけど……」
「大丈夫だ」
「ダイスケが言うなら大丈夫にゃ」
彼女が手づかみで、寿司をパクパク食べている。
ミオは、毛皮の彼女に目を輝かせている。
どうやら、興味があるらしい。
「ダイスケさん、彼女の言葉は解るのですか?」
カオルコが心配そうだ。
「ああ、この世界でただ一人の獣人ってことになるが――なるべく、人目に触れないようにしたほうがいいだろうか?」
「日本人は受け入れるのが早いので、大丈夫だと思いますけど。イザルの信徒だと聞きましたし」
カオルコの言うとおりかもしれないが……ニーニャとしても、あまり好奇の視線を向けられるのは嫌だろうし……。
まぁ、ちょっとずつ様子見だな。
――日本に帰ってきた次の日。
姫とカオルコに一晩中つきあわされて、眠い。
ニーニャの柔らかい毛皮がちょっと恋しいが、ここでそんなことを言えるはずもない。
ニーニャは、ミオと寝たようだ。
あまりの環境の変化の早さに居間のソファーでぐったりしている。
「キャハハ!」
家の中に甲高い笑い声が響く。
奥まで突き抜けるような甲高い笑い声が、不意に天井に反響して広がった。
それに続いて、廊下を駆け回る足音。
ドタドタと床板を叩く軽やかな衝撃が、まるで家そのものに命が宿ったかのように響いている。
今日は土曜日らしく、学校も休み。
ニーニャが背中にミオを乗せて走り回っているらしい。
言葉も通じないのに、すぐに仲良くなったようだ。
俺が一人暮らしの家は、こんな音を立てることはなかった。
風の音か、屋根のトタンを叩く雨音。
静けさが当たり前で、孤独さえも日常の一部として受け入れていた。
それが今では、笑い声があり、足音があり、予測不能な騒がしさがある。
うるさい、と感じる一方で、不思議と嫌ではない。
胸の奥が少しだけ温かくなると同時に、長年染みついた一人の時間が引き剥がされていくような、落ち着かない感覚もあった。
それでも、また奥から聞こえてくる無邪気な笑い声に、知らず知らずのうちに口元が緩んでしまう。
この騒音は、身内をすべて亡くしてしまった俺に家族ができた証なのだ。
コーヒーを飲んでいると、玄関が開いた音がした。
誰か来たのかと、腰を上げようとしたら、居間の扉が開く。
「ごらぁ! ダーリン! 帰ってきたなら、あたいに連絡ぐらい入れてくれよ!」
ドア枠を潜って入ってきたのは、イロハだった。
俺が帰ってきたと、誰かから連絡を受けたのだろう。
怒っている彼女は、黒い革の上着とパンツのへそだしルック。
ダンジョンのアイテム効果はなくなったので、あまり際どい格好はしていないようだ。
――ということは、姫もあのビキニアーマーじゃなくなったってことだな。
カオルコも乳暖簾装備を着る必要もないし、ちょっと残念ではある。
「ああ、イロハ、悪い。一晩中、姫とカオルコに質問責めに合っててな」
「なんだと!」
なにを思ったのか、彼女が革ジャンを脱ぎ始めた。
「おいおい」
「桜姫たちばっかりズルいじゃねぇか!」
「なにも俺みたいなオッサンに構わなくても、イロハぐらいいい女ならよりどりみどりだろ?」
「あたいをお姫様だっこできるのは、ダーリンしかいねぇじゃねぇか!」
彼女が拳を握って力説している。
こだわるところがそれなのか?
「まぁ、まぁな」
レベルはなくなってしまったため、能力は少々落ちているが、まだ力は維持している。
これは神さまの加護ってやつだろう。
「だからよぉ」
「こらぁ! 私のダーリンだぞ!
イロハが迫ってくると、上から姫の声がした。
「お前ら、散々やったあとだろ?! 今度はあたいの番だろ?!」
「それじゃ、私もするぅ!!」
さらに上から声がした。
見れば、ニーニャの背中に乗ったミオだ。
「うわ! なんだあれ!」
イロハが黒い毛皮の女の子を見て驚いている。
「あ~、ちょっと彼女のことは、黙っていてくれ」
「ダーリンは異世界に行ってたとか聞いたけど――それかい?」
半脱ぎの女戦士が大きな身体を丸めて、俺とひそひそ話をする。
イロハには説明していたらしい。
「まぁ、そんなところだが……それよりも! ミオちゃんは駄目駄目! そんなことしたら、俺が社会的に終わるだろうが!」
もうそういうのも解ってる年頃だと思うし。
「ぶ~!! なんでぇ?! ずるい!」
ミオが膨れっ面しているが、当然駄目だ。
「子どもの出番じゃない」
姫の言葉にミオが反発した。
「子どもじゃないし!」
子どもと言われて怒るのは子どもの証拠なのだ。
「「ぐぬぬ……」」
姫とイロハが掴み合っていると、玄関のベルが鳴った。
「は~い!」
近所の人だろうか?
そういえば、こんなに住民が増えて、町内会とか回覧板とかどうするんだろうか?
若い人は、そういうのはネットで見るだろうしなぁ。
「丹羽さん!」
玄関にいたのは、ちょっと厚手の上着で、下はデニムの女性。
黒くて長い髪、メガネとソバカス。
「センセ! おはようございます! センセもこちらに来ていると聞いてましたよ」
「今は、ここが魔物研究の最前線ですもの」
俺を訪ねてきたのは、大学で魔物の研究をしている先生だ。
「そういえば、ここに魔物の研究施設もあると聞いたな」
「そのとおりですよ、それより!」
センセの顔が迫ってきた。
「うわ!」
「ここに非常に興味深い生き物がいるとか?」
「ええ?」
センセと話していると、後ろから声がする。
「あ、アカリお姉ちゃん、おはよう!」
後ろからやってきたのは、ニーニャに乗ったミオだった。
「きゃぁああああ! なんですか!? なんですか?! その生き物!」
「ふぎゃぁぁぁ!」
センセが、ニーニャにかぶりついた。
目がギラギラしてて、狂気を感じる。
「センセ! その子は、魔物じゃなくて、異世界からやってきた人類なので」
「人類?! 人なんですか?!」
「人ですよ」
「ううう……」
完全にセンセの目が血走っている。
「シャァァァ!」
あまりの不気味さに、ニーニャが耳を伏せて毛を逆立てている。
「センセ! 駄目ですって! もう、出禁にしますよ!」
「ううう……」
ウチからの素材の提供がなくなれば、彼女のダメージもデカいだろう。
「調べたいのであれば、ちゃんと仲良くなってから、ニーニャに協力を仰いでください」
「わ、わかりました」
センセと玄関で話していると、再びドアが開く。
「たのもー!」
勢いよく入ってきたのは、ピンクのスーツを着た女性。
その後ろには、白衣の女性が一緒だ。
ボサボサの髪と眼鏡とソバカス――センセにそっくり。
「カコさん、おひさ」
「カコ!」
「おはようございます」
後ろの女性が挨拶をしてくれた。
「げ! 矢島博士!」
センセが、白衣の女性を見て嫌悪の叫び声を上げた。
「まぁ、実の母を呼び捨てなんて、お母さん悲しいわ……」
「私はあなたを母だと思ったことなんて、一度もありませんので」
センセが、女性に冷たい言葉を浴びせる。
「よよよ……」
女性がうそ泣きをしているのだが、白衣の女性は、八重樫グループのあの博士だ。
エリクサーを使って、若返ったまま。
センセは、博士がエリクサーで若返ったのを知っていると、サナから聞いた。
白衣のその姿を見て、平然と――しかも、呆れたような軽蔑するような視線からも、それが解る。
「それで、八重樫グループが朝からなんの用で?」
「ダーリン、異世界から魔法の資料をたくさん持ち込んだって聞いたわよ!」
「ええ」
多分、カオルコ経由だろうか?
「こんな儲け話を、グループとしては放っておけないわ!」
「それで、博士も一緒なんですか?」
「もちろんですよ~」
博士がやってくると、俺の首に腕を回した。
「資料は異世界語で書かれているとかぁ?」
「ええ、解読できるのは私だけでしょうね」
「それでは、公私ともに一緒に解読作業をする必要があるでしょう~?」
「私生活は関係ないと思いますけど」
「丹羽さん! 気をつけてください! 無責任にやりまくって、子どもができたりしたら、押し付けられますよ!」
センセが叫んだ。
多分、センセと彼女のお父さんもそういう目に遭ったのだろう。
「そんなこと……でへへ」
博士が舌を出している。
どうにも自分の欲望に忠実な女性らしいが、能力があるのは間違いない。
「勘弁してくださいよ」
「あらぁ、娘に手を出して、私には手を出さないんですか?」
「ええ?」
センセのほうをチラリと見ると、彼女がぶんぶんと手を振っている。
あ、これは――カマをかけられたのに、引っかかってしまったな。
「ふ~ん、やっぱり……」
「別に彼女とのあれこれと、博士とは関係ないじゃないですか」
「え~? ほらぁ、巷で流行りの親子丼も可能ですよぉ?」
「そんなの流行ってませんが……」
こんな地雷みたいな女は抱きたくないんだが……勘弁してくれ。
「それに、この身体が若返って、妊娠できるのか興味がありますし」
そういう興味は勘弁してもらいたいな。
「いやぁ、勘弁してください」
「つれないわねぇ……膜がいいなら、つけるけど……」
「年頃の女の子がたくさんいるので、そういう話は止めていただけますか?」
「そうよ! お母さん! 下品よ、下品!」
「ゲヒンゲヒン!」
彼女が嫌味な咳払いのマネをしながら、俺から離れた。
「そんな博士のご専門はなんなんです?」
「元々は遺伝子工学が専門ですが、最近は魔法工学が熱いわね」
「まさに、科学の最前線って感じですか」
「ふふ……そういうこと」
人類に残された最後のフロンティア――みたいなもんか。
八重樫グループも、魔法産業に力を入れていくようだ。
AIを使えば、魔導書の翻訳も簡単にできるかもしれないしな。
そういえば、俺が買っていた八重樫グループの株が、2年間放置している間にかなり上昇しているらしい。
インサイダーっぽいが、ギリギリだな。
「ダーリン! オガのやつをなんとかしてくれ」
「なんだよ! お前らは散々やったんだろ? あたいの番だろ?!」
姫とイロハが掴み合いながら玄関までやってきた。
「ダーリンは、グループで魔法の研究をするのよ!」
「カコは引っ込んでろ!」
姫の怒号が飛ぶ。
「なんですって! あなたたちの下品な欲望を満たすよりも、グループのために必要なことなのよ!」
女たちの侃々諤々に、俺は頭を抱えた。
「あ~もう!」
あまりのうるささに、この場から去りたい! と、ちょっと思ってしまったのだが――。
次の瞬間、音が消えた。
「なんだ?!」
顔を上げると、俺は鬱蒼とした森の中に立っていた。
頭上では幾重にも重なった枝葉が空を覆い尽くし、昼間だというのに薄暗い。
木々の隙間から漏れ落ちる光は、細い光線となって宙に漂う塵を照らし、地面にはまだら模様の影を落としている。
湿った土と腐葉土の匂いが鼻を突き、肺の奥まで重く染み込んでくる。
――しまった!
俺は後悔した。
こんなことをできるのは、神さまだろう。
俺に使徒の仕事をさせるために、これ幸いと願いを聞いてしまったに違いない。
「神さま! そりゃ、ないですよ!」
声を張り上げても、なんの返答もない。
テツオがやっていたように、放り込まれた世界で使徒の仕事をこなさないと、元世界に帰れないのだろう。
「はぁ~」
とりあえず、アイテムBOXを開いてみた。
使える。
「勘弁してくれよ……」
俺はその場にしゃがみ込むと、缶コーヒーを一口飲んだ。
END
今回で最終回です。
ご愛読ありがとうございました~。
エピローグがあります。




