110話 謎の男
イロハを主人公にして、映画を撮っている。
嫌がらせなどを受けたりしていたが、それも無難にクリアして、最後の撮影に入っていた。
場所は、俺が持ち込んだ大物の魔物を解体していた、買い取り屋の倉庫。
魔王役の姫と主人公との最後の戦闘もあるということで、魔王城のセットも組まれていた。
いよいよ最後――というときに、銃火器で武装したテロリストに襲われる。
アイテムBOXから出した岩に隠れてなんとかしのいでいると、さらなるピンチが俺たちを襲う。
湧きによって、魔物が出現したのだ。
魔物の攻撃に、テロリストたちが巻き込まれ、あえなく人間の姿ではなくなった。
俺とサナの合体攻撃によって、魔物も撃退した俺たちだが――そこに残ったのは後始末だけ。
借りていた倉庫は、魔物の襲撃によって無残な姿をさらしていた。
壁には大穴が無数に空き、屋根は半分以上が吹き飛び、梁がむき出しになって今にも崩れ落ちそうだ。
内部に積まれていた撮影機材は無惨にひしゃげ、セットの残骸が床に散乱している。
血のように黒ずんだ液体が壁を汚し、壊れた屋根から入ってきた光が、魔物の屍を照らす。
外から吹き込む風がホコリを舞い上げ、俺たちは呆然とその光景を見つめるしかなかった。
テロリストが持ち込んだ武器などは、連絡を受けてからやって来た自衛隊が回収している。
数人、生き残りもいるようだが――詳しくは解らん。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!」
叫んでいるのは、この倉庫の責任者――いつも世話になっている買い取り屋のオッサンだ。
そりゃ、映画の撮影をするからって聞いて、倉庫を貸したら半壊しているのだから、当然だろう。
「本当に申し訳ない! テロリストの襲撃と、魔物の湧きが同時にやって来てな……」
「なんで、そんなことに?!」
「いやぁ……テロリストの襲撃は、俺の客だと思うんだが……」
いや、あのボンボンの魔物も、俺を目の敵にしていたか?
姫のにおいを辿ってきた――みたいな話をしていたから、彼女が目的だったかもしれないが。
「はぁ~」
オッサンががっくりと肩を落とす。
「大丈夫。俺が弁償するよ」
「兄さんが?!」
「こう見えても、俺は金持ちなのよ? 10億でも20億でもどんと来い」
「いや、そんなにはかからねぇと思うが……」
冷凍、冷蔵設備には損傷はないようなので、1億ぐらいの損害らしい。
「見積もりができたら、俺の所に送ってくれ」
「本当にいいのか?」
「もちろんだよ!」
彼には本当に悪いことをしてしまったな。
だって、こんなことになるとは思ってもねぇじゃん。
オッサンは、あちこちに電話をかけ始めた。
早速、再建のために動き出すのかもしれない。
「わぁぁぁ!」
冒険者、映画関係者、倉庫関係者が落ち込んでいる傍らで、はしゃいでいる女性がいる。
連絡を受けて飛んできた、魔物を研究をしているセンセだ。
あちこちから、サンプルを集めている。
「センセ! 焼け焦げちゃってるけど、サンプルとして役に立つのかい?」
「もちろん! 大丈夫ですよ」
楽しそうなので、放っておこう。
それよりも――サナが姫を問い詰めている。
止めないと。
「桜姫さん! あの化け物が言ってましたよね?! あなたのにおいを辿ってきたって!」
「う、うむ……」
「やっぱり、あなたが魔物を引き寄せていたんですよ!」
「こら、サナ! 止めなさいっての」
姫とサナの間に割って入る。
「だって、ダイスケさんや皆が危険な目に遭ったのは、この人のせいなんですよ」
サナの気持ちもわからんでもないが……。
「それを言ったら、最初のテロリストは俺を目当てに襲ってきたし。俺が皆を巻き込んでしまった。みんな申し訳ない」
「そ、それは……」
サナが下を向いてしまった。
「まぁにおいの件は――姫も俺も薄々感づいていたさ。今日のあいつで決定的になっただけで。なぁ? カオルコも気づいていただろ?」
「はい」
カオルコは、今更――みたいな顔をしている。
「ダイスケさんはいいんですか?!」
「俺か? 俺は別に構わんぞ? 一番最初ににおいについて聞かされたけど、それ込みでつき合い始めたんだから」
「ダーリン!」
姫が俺に抱きついてきたので、なでなでしてやる。
「ぐぬぬ……」
俺の反応が思っていたのと違うのか、サナが悔しそうな顔をしている。
「あはは! 冒険者なら、敵とエンカウントするのはラッキーだろ? それだけ稼げるじゃねぇか」
イロハが笑っているが、その横でエイトが伸びている。
おそらく、彼女にぶん殴られたせいだろう。
ドレスの裾から太ももが見えていて、普通ならラッキーといったところだが――こいつは男。
嬉しくもなんともない。
「イロハさんまで!」
「イロハも巻き込んでしまって悪いな」
「あはは! いまさらだな! それにあたいとダーリンの仲じゃないか」
イロハがにじり寄ってくるのを、姫がブロックしている。
「むう! こんなことで、ダイスケさんを諦めるつもりはありませんけど――私の後ろにはミオが控えているんですよ?!」
サナが立ち直って、再度突撃してきた。
「は? ミオちゃんが?」
「はい、ダイスケさんと一緒に冒険者になるって、毎日トレーニングを始めましたよ」
ランニングやら筋トレをしているらしい。
ダンジョンにはレベルの恩恵があるが、能力のベースになる個人のフィジカルは、生まれついての才能か、トレーニングしかない。
「ええ? 彼女が冒険者になるころには、俺は引退してそうだけどなぁ……」
「もっと、続けてください!」
「そんなことを言われてもなぁ……」
「もう!」
ミオちゃんのことも気になるが、眼の前にもっと重大なことが転がっている。
「それより、姫――」
彼女の美しい瞳をじっと覗き込むと、深い湖のように澄んだ輝きが広がる。
そこには無数の感情が映り込み、喜びや切なさ、彼女の優しさや秘めた想いが複雑に絡み合いながら、俺に語りかけてくる。
「な、なんだ?」
彼女が頬を赤くする。
「あの化け物の言葉からすると、迷宮教団のあの女はまだ生きているぞ?」
「……ち、しぶといやつだ……」
姫は下品に舌打ちをしたが、俺の言葉が彼女が望んでいたものと違ったのだろう。
もっと直截的に愛の言葉でも紡いだほうがいいのか?
そう思ったりするのだが、普通のオッサンの俺には酷な相談だ。
「五条寺さんは、私たちへの仕返しのために迷宮教団に接触したんでしょうね?」
カオルコも呆れた顔をしている。
「まったくクソすぎるぜ!」
イロハが吐き捨てた。
彼女の言うとおりだ。
嫌がらせのために、自分の身体を化け物に変えるなんて。
まったくもって理解不能――度し難い。
「あ、あの~」
そこに監督さんがやってきた。
最後の最後までカメラを構えていたが、奇跡的に無事らしい。
こちらも助ける余裕がなかったからな。
彼女になにかあれば、ここで映画のプロジェクトも終了だったかもしれない。
「監督さん、大丈夫かい? 無茶しすぎだよ」
「いやぁ――これは映像に残さないと――と、無我夢中でした」
「まぁ、普通はダンジョン内でしか撮れない映像を、外で撮れたからなぁ」
「そ、そうなんですよ!」
彼女の顔が明るくなる。
「仕事柄、それは理解できるけどさぁ」
カメラのファインダー越しだと、現実味が薄れて事故から逃げ遅れたりするらしいからな。
彼女もそういう感じだったかもしれない。
「すみません……」
彼女がしょんぼりしているのだが、すべては結果だ。
「それで、使えそうな映像は撮れたのかい?」
「それは、後で確認して見ないことには……多分、撮れているとは思うんですけど……」
「天井からやって来た、テロリストの映像は?」
「それは使えないでしょうねぇ……」
映画のストーリーは、ファンタジーだからな。
都市迷彩のテロリストが出てきたら、舞台が崩壊してしまう。
「ははは」
「あの……少々お聞きしたいことが……?」
「ん? なんでしょうか?」
「あの……もしかして――ダイスケさんとあの方が、魔法を使ってましたよね?」
彼女がサナを指した。
「うっ」
俺が言葉に詰まっていると、私服の特戦の隊長がやって来る。
「丹羽さん!」
隊員服でも、迷彩服でもない。
普通の格好で、その上から防弾ジャケットなどを装備している。
慌てて戦闘に参加したんだろう。
「特戦さん! 俺の護衛をしてくれているんじゃなかったのかよ!」
「も、申し訳ございません! 突然の襲撃に張り付いていた隊員だけでは、対応できなくて……」
彼が申し訳なさそうにしている。
彼らは、自衛隊の中でも、トップクラスの人材――それでも無理ってことは、他の人間にも無理ってことだ。
「動きは掴んでいなかったと?」
「口はばったいようですが、そのとおりで……」
「まぁ、今回は敵が1枚上手だったということか……」
「それはそうと――」
「なんだい?」
「もしかして――魔法を使われていませんでしたか?」
「う?!」
こっちもか。
前門の虎、後門の狼。
なんとか誤魔化せないか?
サナは俺の後ろに隠れている。
「じ~」「じ~」
2人に挟まれた。
「あ~、俺の持っているこの剣がちょっと特殊でな」
俺はアイテムBOXから剣を出した。
「さっき、雷を出した剣ですね!」
監督さんがまじまじと見ている。
「おっと、ここは特区じゃないから、本物はまずいのか」
剣をアイテムBOXに収納した。
まぁ、こんな有り様になってしまって、今更だが。
「特戦さんは、いままでのつき合いがあるだろ? ちょっと、ご内密にできませんかねぇ」
「個人的にはそうしたいんですけど、私は自衛官なので報告する義務がありますから……」
それは解る。
彼らには彼らの生活がある。
俺たちのために、無理にそいつを曲げてくれ――とは、言えん。
詳しく色々と聞かれたので、俺たちを襲った化け物のことも話してやった。
元役人のあのボンボンのことだ。
「あ~あ……」
俺は半壊して、曲がった鉄骨がむき出しになってる倉庫の天井――その先に見える青い空を見上げた。
――羽田で映画の撮影をしていて、魔物の襲撃を受けてから後日。
倉庫の修理代は、ざっと1.5億ぐらいになるらしい。
もちろん、俺が弁償する。
金はあるから問題ない。
映画をアップロードして、アクセスが増えれば広告料が入ってくるから、そのぐらいは回収できるだろう。
その映画なのだが、八重樫グループがスポンサーについたということで、広告代理店から接触があったらしい。
カコから、その旨の連絡があった。
グループとしては、金になるので、他のプラットフォームでも上映をしたいらしい。
まぁ、映画業界からの嫌がらせを躱すために、グループを利用してしまったので、カコの顔も立てないとマズいだろう。
借りを作ったら、すぐに利子をつけて返さないと、次になにかあったときに頼みづらくなる。
それが世の中の道理ってやつだ。
報告を受けたのか、国交省の役人の小野田さんが、俺たちのホテルにやってきた。
黒髪を真ん中できっちりと分けた、ダンジョン鉄道の復旧工事で一緒だった彼女だ。
俺たちが倒した魔物のことも話した。
ホテルのロビーで彼女と話す。
「誠に……」
小野田さんが謝っているのだが、彼女が悪いわけではない。
みんなあの男のせいだ。
「一応、報告はするのかい?」
「しないわけにはいきませんでしょ……」
「信じてもらえないかもよ? 俺たちへの嫌がらせのために、ダンジョンに潜って魔物になるとか……」
「報告も仕事ですので……」
彼女もゲンナリ――みたいな顔をしている。
せっかく、ダンジョン鉄道の工事を成功させたのに。
彼女の出世街道の障害になるだろうか。
まったく、はた迷惑な野郎だ。
――小野田さんと話した数日あと、スマホに連絡あり。
見れば総理だ。
『いや、まいったよ……』
総理の愚痴から始まった。
彼の話によれば、テロリストの生き残りが、映画関係者から情報をもらったと漏らしているらしい。
姫をテロに巻き込んだってことで、八重樫グループからメチャ詰められているようだ。
それを言ったら、映画関係者とトラブルになった俺にも原因がありそうではある。
あとでグループからなにか言われるのではなかろうか。
「もしかして、それでピンポイントに撮影現場を襲われたんですか?!」
『どうも、そうみたいなんだよなぁ……』
嘘か本当か解らんが、辻褄は合いそうだが……。
いずれにせよ、映画関係者への捜査や尋問は避けられないだろう。
まぁ、俺にはどうしようもないから、全部公的機関に任せるしかない。
個人的には映画の邪魔をしてくれなきゃ、どうでもいい。
――総理からの連絡を受けたあと、特区の市場で監督さんと待ち合わせをした。
俺はいつものホテルのカフェでいいかと思ったのだが、彼女が市場でいいというので、ここで待ち合わせだ。
今日は、一緒にサナがついてきている。
俺が部屋から出ると、それを察してついてきたのだ。
市場のオープンカフェでコーヒーを飲む。
インスタントなのだが、それなりの値段がするのは仕方ない。
今は、コーヒーの輸入など簡単にできないからな。
小笠原などで栽培はされているのだが、それとて船で長旅を経てないと、東京にはやって来ない。
いつもホテルのカフェでコーヒーを飲んでいるが、まぁ普通じゃ飲めない値段だ。
アイテムBOXに入っている缶コーヒーなど、本物じゃなくて代替コーヒーだからな。
「それで監督さん、魔物に襲われたときに撮った動画は使えそうだったかい?」
「はい! あの魔物は顔だけ替えて魔王の手先ということにして、そのまま使ってしまおうということになりました!」
「そりゃ、本物だからなぁ、リアルなのは間違いないが……」
本物だからいいというわけでもない。
本物だと逆に現実味がなくて、リアルに見えないこともあるし。
まぁ、そこらへんはプロだ。
上手くやるだろう。
「魔法を使ったのは丹羽さんとサナさんですけど――多分、AIを使ってイロハさんたちに置き換えができるので……」
「すげーな~、AI」
「そうですねぇ、あはは」
昔ながらの映画を撮っている連中には、新しい技術を嫌っている者も多いみたいだが――。
嫌がらせは、そういう勢力も絡んでいたんだろうなぁ。
「セリフのアフレコなども必要なんだろ?」
「はい、それもお願いしないとだめですねぇ」
「いっそ、声優さんに全部置き換えてしまうとか? ――あ、いや、作品のコンセプトが本当の冒険者が出演する映画だからなぁ」
「そうですねぇ。私たちも、それは考えてません」
「エイトはどうですかね? 俺は受けそうだと思って、彼に頼んだんですけど」
「は、はい! 男の子なのに、すごく可愛いですよね! 映えますし、人気出ると思いますよ!」
彼が聞いたら、頭を抱えそうではある。
「ダーリンじゃねぇか!」
突然声をかけられたので――見れば、イロハだ。
まぁ、彼女も冒険者なので、市場にいてもおかしくはない。
「あ、こんにちは~」
「監督さんも一緒で、打ち合わせかい?」
イロハも椅子を持ってきて、どっかと腰を降ろした。
「ちょうど、イロハとエイトの話をしていたところだよ」
「そうかい……」
彼女はちょっとそっけないが、映画には俺が古い証文を出して引っ張り込んだだけだしな。
元々、興味なんてないだろうが。
「エイトのやつは、君と共演できて本懐を遂げただろうけどな」
「あたいとしては、相手はダーリンがよかったんだけどな!」
「そこらへんにいるオッサンが絡む映画なんて誰も見ないだろうが。映画スターみたいなイケメンならともかく」
「あはは……」
監督さんが笑っているのだが、彼女もそう思っているだろう。
イロハも美人だし、エイトだって本物のエルフと間違うほどの美形だ。
だからこそ、価値がある。
「エイトの本懐ついでに、いいこともしてあげればよかったのに」
「あんなの、デザートにもならねぇ!」
「たまには軽いのもいいんじゃないのか?」
「……あたいはもう! デザートなんかじゃなくて、こってりステーキの大盛りのダーリンじゃないと、満足できないんだよ! こんな身体にしてくれて、どうしてくれんだよぉ!」
「こら、白昼堂々、大きな声で……!」
「じ~」
サナが白い視線で、こちらを見ている。
どうしてくれると言われても困るな。
監督さんも顔を赤くしているのだが、興味津々って顔をしている。
「お二人ってそういう関係なんですか……?」
「おう! そういう関係だぞ?! どうだい、監督さんも?」
「ええ?!」
彼女の顔が真っ赤になった。
一般人を冒険者と一緒にしちゃアカン。
「そういう関係というか、ダンジョンの戦友だからなぁ。死線をくぐり抜けたデカい家族みたいなもんだし……」
「それなら、私もそうですけどぉ」
「サナは、あの力がなくなったら困るだろ?」
「う~」
だって、聖女だよ聖女!
聖女なんてクラスというか、職業というか、そんなものをゲットしている冒険者は今までいない。
退魔という魔法だってそうだ。
まぁ、彼女もすでに大金をゲットしてしまっている。
ここで冒険者を止めた! ――と、言い出してもおかしくはないのだが。
個人的にはもったいないと思うのだがなぁ。
なにはともあれ、撮影現場を魔物にグチャグチャにされてしまったが、そのときに撮影したものが使えるらしい。
瓢箪から駒、棚からぼた餅だ。
よくも悪くも、ダンジョンってのは、人を狂わすな。
監督さんの話では、最後の最後――主人公と魔王との戦闘シーンを撮る予定だったという。
そこを魔物に襲われてしまったからな。
最後の撮影をどこでやるのか思案中だという。
話も終了したので、監督さんと別れた。
「ダーリン! せっかくだ、これからどうだい?! 一勝負!」
「じ~っ」
サナの視線が痛い。
「姫にすぐに戻ると言ってきちゃったからさ」
「いいじゃねぇか」
「そうもいかん」
なんとかイロハを説得して別れた。
エイトのやつは、ちょっと不憫だな。
まぁ、やつもレベルを上げてトップランカーに名を連ねれば、イロハも見直すかもしれん。
サナと一緒にホテルに帰ろうと歩いていると、周りがざわついている。
「なんだ?」
人々は上を見ているようだ。
皆が指し示すほうを見てみると――黒い鳥が見える。
「ダイスケさん、鳥ですかね?」
「みたいだが……やけにデカいような……」
そう思っていると、それが降りてくるように見える。
「お、降りてくるように見えますけど……」
「デカい!」
鳥というよりは、恐竜のプテラノドンみたいな大きさ。
俺は、また魔物の襲撃かと身構えた。
マジで敵なら、アイテムBOXから武器も出さないとだめだろう。
空を覆い隠す黒い翼を広げると、巨大な鳥が音もなく着地した。
周りの人々が一斉にスマホを掲げる。
本当に、皆が一斉にするので、なにかの儀式のように見えてくる。
そんなことより――。
「なんだこりゃ?!」
その姿は、確かに巨大な鳥の形をしていた。
広げられた翼は空を覆い尽くすほどに大きく、鋭いくちばしは獲物を狙う猛禽類のそれに似ているのだが、そこには生命の鼓動が感じられない。
目があるはずの部分を見ても、そこに宿るべき生気がない。
ただの空洞か、あるいは艶のない黒曜石のようにも見える。
瞬きもせず、何かを見ているようで、何も見ていないような虚無。
「……」
皆が無言でスマホを掲げているのだが、敵対するような仕草は見えない。
どうやら魔物ではないようだ。
そういえば、ガーゴイルという鳥みたいな形をした石像が飛んでいた。
それに近いものか?
――ということは、こいつは魔法で飛んでいたことになるが……。
黒くてデカい姿ばかりに気を取られていると、鳥の背中に誰か乗っているようだった。
下からだと、よく解らない。
乗り物として利用できるということは、やはり魔法の一種なのだろうか?
「あ!」「おお……」「見て!」
周りの野次馬から、どよめきが起こる。
鳥の一部が変形し始め――それは形を変えて、階段のような形になった。
やっぱり、生物ではないのか。
「おお~、ここが特区かぁ!」
鳥からオッサンが降りてきた。
いや、俺もオッサンなのだが――俺と同じぐらいの歳の男。
この鳥は乗り物?
魔法?
突然のできごとに俺は混乱した。