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第四十一話 感化

 



「ねぇ鈴乃~、今日タピオカ食べに行かない? 新しいお店ができたんだって~」


「あ~ごめん、家で用事があるから無理だわ」


「え~、折角バイトが無い日を狙ったのに~」


「ごめんって、また今度付き合うから許して」


 放課後、帰りの仕度をしていると親友の真衣まいに遊びに誘われる。だけど用があったアタシは、真衣に謝りながら断った。


 彼女の言う通り今日はバイトが入っていない。だけどアタシは早く家に帰りたかった。


 その理由は勿論、新田義侠()がいるからだ。

 お父さんとお父さんの会社を助けてくれた義侠さんは、ほぼ毎日工場に来てはお父さん達の仕事を手伝っている。


 彼が会社の為に時間を削って来てくれているのに、お父さんの娘であるアタシが家に居ない訳にはいかない。


 ――っていうは建前なんだけどね。


 本当は、ただアタシが義侠さんに会いたいだけだった。

 今まで出会ってきた男性の中で、義侠さんは誰よりも誠実でかっこいい男だった。そんな素敵な男性と少しでも一緒に居たいっていうのが本音なんだ。


 だからごめん真衣、タピオカは今度行ってあげるから今は許して。


「鈴乃ってさ、何か最近変わったよね」


「なによ急に、別になにも変わってないけど」


 藪から棒にそう言ってくる真衣に何を言っているんだと返すと、彼女はじと~とアタシの顔を見て、


「い~や、変わったね。だって鈴乃、なんだかイキイキしているように見えるもん。今まではずっと「世の中って退屈だ~」みたいな顔してたんだけど、今はこう輝いている? って感じがするし」


「ふ~ん、真衣にはアタシがそんな風に見えてたって訳なんだ?」


「いつもじゃないよ? ただ時々そんな顔をしてるな~って」


「……」


 真衣の言っていることはあながち間違ってはいない。

 アタシは今まで、何かに熱中したことなんて一度だってなかった。それは家が貧乏で、習い事をしたいと言えず我慢していたっていうのもある。


 だから高校ではバイトを沢山して、オシャレとかショッピングとかランチとか自分がやってみたかったことをやってきた。スカウトされて読者モデルだって時々やっている。


 楽しかったといえば楽しかった。けど心の隙間を埋めてくれたかといえば、そうじゃなかった。それを望んでいた筈なのに、やりたかったことをしても満たされなかったんだ。


 “こんなもんなのか”って、どこか退屈していた。


 アタシには夢も希望もない。将来やりたい事なんて何一つない。ただ流されるまま適当に生きていくんだって思っている部分はあった。


 まさか能天気の真衣に見透かされているとは思ってもみなかったけどね……。

 そんな親友は、にまぁと満面な笑みを浮かべてこう言ってきた。


「あ~わかった! もしかして鈴乃、今恋してるでしょ?」


「はぁ!?」



 ――ガタガタガタガタッ!!



「「えっ?」」


 突飛なことを言う真衣に驚いていたら、周囲から大きな物音が立った。振り返ると、教室に残っている男子が全員顔を背けている。


 なんなのよ……と訝しんでいると、真衣が「モテる女は辛いねぇ」と意味深にため息を吐いている。おい、いきなりなんだお前は。


「何でいきなり恋とか出てくんの」


「だって乙女が突然輝きだす理由なんて恋以外にないでしょ?」


「恋愛脳の真衣と同じにしないでよ」


「うんうん、鈴乃は絶対に恋してるね! この恋愛探偵の真衣様がそう思うんだから間違いない」


「ええ……」


 恋……アタシが恋してる?

 仮にアタシが恋をしているとして、じゃあ相手は誰かっていうと思い当たるのは一人しか居ない。


 それは勿論義侠さんだ。男前だし、背が高いし、マッチョだし、文句の一つもない外見。だが彼は外見だけではなく、内面も素敵な男性だ。優しく社交的で、誰よりも情熱を持っている。


 まだ出会って一か月ぐらいしか経っていないけど、それでも義侠さんの人柄は大体知れた。

 真衣の言う通りアタシが恋をしている相手がいるとしたら義侠さんしか居ないだろう。


(でもこれって、恋なの?)


 ふと疑問を抱く。

 アタシは今まで誰かに恋をしたことがない。だから恋が何かなんて知らなかった。


 逆に恋をされたことはある。中学から高校までに、何度も男子から告白をされているからだ。恋愛なんて興味なかったから、付き合ったことは一度もないけどさ。


 そもそも人を好きになるという事自体よくわからなかった。


 だからアタシが義侠さんに抱いている“これ”が、恋なのかどうかは分からなかった。


「ああ……ようやく鈴乃にも春が来たんだね。私は嬉しいよ……」


「あ~もうこの話は終わり、帰るからね」


「待って鈴乃! 私も一緒に帰るから~!」



 ◇◆◇



「ほらポチ、何をグズグズしているんです。さっさと歩きなさい」


「は、はい……ごめんなさい」


(あれは……)


 下打箱から靴を取り出そうとしていると、廊下から叱る声が聞こえてくる。気になって振り返ると、取り巻きの女子を連れたリーダーらしき女子が、大人しそうな女子を雑に扱いながら命令していた。


 アタシはその中心人物リーダーが誰だか知っている。


帝恭華みかどきょうか……)


 アタシが通っている帝蘭高校で、帝兄妹の存在を知らない生徒は一人も居ない。


 当時三年生だった帝恭哉。アタシと同年代の帝恭華。この二人は有名人だった。けど、悪い意味で有名だった。


 というのも、この兄妹の父親はあの大企業帝国ギルドの社長で、親の力を笠に着てやりたい放題やっているからだ。


 当然のようにイジメをやっているが、咎める者は誰もいない。生徒だけではなく、教師だって見て見ぬふりをしている。


 それは二人の父が、この学校に多額の援助をしているからだった。だから教師は兄妹に逆らえないし、生徒達も自分に火の粉が降りかかるから止めたくも止められない。

 帝兄妹はまさにこの学校の王様だった。



 ――いや、たった一人だけ帝に歯向かった勇敢な生徒がいたらしい。



 その生徒は兄が行っていたイジメを目撃し、一切の躊躇をせず止めようとしたそうだ。だが結局暴力沙汰でその生徒だけが退学になってしまったらしい。勿論イジメをしていた兄はお咎め無し。


 結局、帝に歯向かったら破滅するという事実が生徒達に植え付けられてしまっただけだった。


 だけど、その生徒のお蔭か帝兄は卒業するまで悪さをしなかったらしい。名も知らぬ生徒の勇気のお蔭で、誰かが傷つくのは防がれたんだ。


 しかし、悪夢は終わらなかった。


 兄がいる手前それまで大人しくしていた恭華が、兄が卒業してから傍若無人に振る舞い出した。暴虐の王は消えたが、代わりに新しい女王が誕生してしまった。


 恭華は取り巻きと共に、気に入らない教師や生徒をイジメてきた。兄と時と同じで、誰も止める者は居ない。目をつけられないよう、できるだけ関わらないようにする。


 それはアタシも同じだった。恭華と関わらないようにしたし、イジメをしている事がわかっているのに見てみぬふりをしてきた。


 アタシには関係ない、別にどうでもいいと、他人事のように今まで過ごしてきたんだ。


 だけど――、


「ねぇ鈴乃、帰ろうよ……」


「ごめん真衣、先帰ってて……」


「ちょ、鈴乃!?」


 真衣にそう言って、恭華達を追いかけた。



 ◇◆◇



(こんなところに空き教室があったんだ……)


 後を追いかけると、恭華達は校舎の端っこにある誰も使っていない空き教室に入って行った。


 あいつら、こんな所でいったい何をするつもりなんだ?

 そんな疑問を抱きながらこっそりドアの窓から教室を眺めつつ、アタシは咄嗟に“ある事”を行う。


 息を殺して見ていると、衝撃の光景が目に入ってきた。


「さぁポチ、今日も調教を始めるわよ」


「はい……」


「犬が人の言葉を喋ってはダメじゃない!」


「うっ!」


(あいつ……!)


 恭華は容赦なく女子の頬を引っぱたいた。それだけじゃない、痛がる女子の髪を鷲掴むと、嗤いながら口を開く。


「いいポチ? これは暴力ではなく躾よ。私はあなたに躾をしているの。わかって?」


「は……わん」


「いい子ね。ほらとってきなさい、勿論犬のように取ってくるのよ」


 そう言うと、取り巻きの一人が「ほら」とボールを投げる。女子は恭華に命令された通り、犬のように床を這い蹲りながらボールを口で咥えて戻ってくる。


 なんて……なんて残酷なことをしているだあいつは!

 あれが人のやる事かと、アタシは怒りと同じくらい愕然とする。


「うわ~、本当に取ってきたよ」


「私ならできないわ~」


 犬のようにボールを取ってきた女子を見ながら、取り巻きたちが面白そうに嗤う。


 お前らがやらせた癖に何を言っているんだ。恭華だけじゃない……あいつら全員狂ってる。


「良い子にはご褒美をあげないとね。ほらポチ、舐めなさい」


「えっ……」


 恭華は女子の顔の前に足を出し、舐めろと言った。

 あの女はこんな事をずっとし続けてきたのか? あの子だけじゃない、他にも恭華の被害に遭ってきた生徒は沢山いる筈だ。


 その生徒達は皆、こんな人としての尊厳を踏みにじるような事をされてきたのか。



(ふざけるな!)



 こんな事が許されていい訳がない。人を何だと思っているんだあの女は!!


 恭華のイジメを初めて目にしたアタシは、怒りが頂点に達して止めようとドアに手をかける。


 だがその直後――、


「駄目だよ鈴乃、それだけはやっちゃ駄目だよ」


「真衣……アンタなんで……」


 いつの間にかいた真衣がアタシの腕を掴んでいた。

 彼女は心配した顔を浮かべて警告してくる。


「帝さんに関わっちゃ駄目だよ。あの子を庇ったら、今度は鈴乃がイジメられちゃう」


「真衣……」


 真衣の身体が震えているのは、握られている腕から伝わって痛いほどよくわかった。


 イジメを止めようとしたら、今度はアタシが標的ターゲットにされてしまう。そうなった場合、アタシも残りの学園生活をまともに過ごすことはできないだろう。


 真衣は親友として、アタシを守ろうと止めてくれたんだ。


 ありがとう真衣。凄く嬉しいよ。でもね……。


「ごめんね……それでもアタシはやるよ」


「どうして……」


 アタシだって分かってる。恭華に関わったってろくな事にならない。だから自分には関係ないと無視をしていたと思う。


 多分、以前までのアタシだったらイジメを止めようなんて思わなかっただろう。


 でもね真衣、アタシ会っちゃったんだよ。


 あの人に……新田義侠という男に。



『“困っている人が居たら見てみぬフリをするな。自分の中の正義を貫け”。死んだ両親に教えてもらった信念なんだ。その信念を曲げない為……ていうのが三つ目の理由かな』



 そう言って、義侠さんはお父さんの工場を助けてくれた。

 困っている人を見捨てない。自分の中の正義を貫く。そんな強い信念をあの人は持っていて、本当にやってしまうかっこいい人だ。


 ここで今恭華のイジメを見て見ぬふりすれば、きっとアタシは胸を張って義侠さんに会えないだろう。


 正直柄じゃないと自分でも分かっている。でもさ、彼に感化されちゃったんだからしょうがないじゃん。


 アタシは堂々と新田義侠に会いたい。彼の信念を裏切りたくない。


 だからアタシは、真衣の手をゆっくり解いた。


「ありがとう、真衣。アンタはバレないように離れていて」


「鈴乃ぉ……」


「行ってくる」


 親友にそう言って、アタシは力強くドアを開けたのだった。



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