失踪した聖女の行方
『私がいた所はね、キセツがあったの。
気候で4つに別れてて、そのキセツによって景色も変わるの。
植物だったり空の色だったり、体感と視覚でそのキセツを実感して、装いも食べる物も変化する。
私はね、アキが好きだった。ナツのだるい暑さが終わって過ごしやすくなるから。全ての植物が綺麗な赤や黄色に染まっていく姿はとても美しいのよ。
やがてそのアキも終わりフユ、ハル、ナツと順番にその4つのキセツが何度も巡っていくの。今は…どのキセツかしらね』
この国では珍しい黒い髪をしたその人は、空を見上げながらそう教えてくれた。
ずっとここで生まれ育った俺は、多少の気候変動はあれど年中変わらないこの世界しか知らないので、彼女の“アキ”という言葉や、見てきたその景色を理解する事は出来ない。ただ黙って聞いている俺に、彼女は淡々と話を続けた。
その瞳は微かに揺れていて、肩を抱こうと手を動かそうとしたが、出来なかった。
あの時彼女に触れられていれば、何か変わっただろうか。
「まだ見つからんのか!
騎士団は何をやっているんだ!!」
苛立ちを隠せない怒号が玉座の間に響き渡る。その声の主である国王は所在なくうろついては、こうして大声を出して臣下達を意味もなく威圧していた。
そんなに苛立った所でどうにも出来ないというのに、と飽き飽きしながらもここまで国王が焦る理由も分からなくもなかった。
3日前、突然聖女が失踪した。
この国の救世主として召喚された彼女は、厳重に保護され守られていた筈だった。何においても最優先され、絶対に逃してはいけない存在が姿を消したのだ。苛立つのも無理もない。
この国は長年不作による食糧不足に見舞われていた。更に追い討ちをかける様に疫病まで発生した事で他国からも煙たがられてしまい、滅亡の一途を辿っていた。
そこで持ち上がったのが聖女の召喚だった。様々なスキルを持つという人間を異世界から召喚し、救ってもらおうという案だ。
実際にその聖女が現れた事によって救われた国があるという話は有名だった。だがそれも何百年も前の話であり、夢物語に近い話で誰もが疑ったが、多額の資金をはたいて国王は聖女召喚に力を注いだ。
結果、それは成功した、という事だ。
異世界のニホンという所から召喚された彼女は、本当に噂通りのスキルを持っており、瞬く間に疫病を治し土を蘇らせ、この国を立て直してみせたのだ。
そんな存在がこの国にいると分かれば、他国もその恩恵に与りたくなるのも無理もない。
彼女は次第に他国へも駆り出される様になり、その際に金銭を受け取る事で更にこの国は潤った。
そうなれば一層聖女を手放す訳にはいかなくなり、国王は聖女と自身の息子である王子との結婚を決め、その子孫も代々残していく事を決定した。
その頃からだろうか、彼女の顔から笑顔が消えてしまったのは。
いや、ここに召喚されてから彼女が心から笑った事などないだろう。
『ライリー・トンプソンと申します。
本日より聖女様の護衛の任を授かりました。どうかお見知りおきを』
窓際で佇む彼女に膝をついて挨拶をするも、彼女はこちらを向かずにぼうっと外を眺めていた。召喚されて3日目の事だった。
『部屋から出る時など必ず側に仕える様にと言われていますので、どこか行かれる時はお声かけください。
近くにおりますので』
そう言い終わってもう一度深く礼をした後、そっと部屋を後にした。結局彼女がこちらを見る事はなかった。
随分と困惑されているご様子だという事は噂で知っていた。
本人によると、目が覚めたらここにいたという。それなのに突然この国を救って欲しいと言われても、簡単に受け入れる事なんて出来ないだろう。
それにこの世界と彼女がいた世界は全く異なるらしい。確かに見た事のない黒い髪と服装、“タケナカ マリ”という馴染みのない名前は、明らかに我々の世界とは違う事を表していた。
それでも彼女に全く気遣う事なく、一刻も早く救ってくれという様々な圧力をかけられて彼女は一層殻に閉じこもった。
結局1週間部屋に篭っていたある日の事、本当にこの国を救える力が自分にあるのか知りたいと彼女が言った。
やっと動きを見せてくれた彼女に国王は喜んで応じる。向かったのは近くの村。何を植えてもうまく育たず、乾き切った大地を見て、彼女は驚いた様子を見せた。
『どうしてこんな事に…?』
『分かりません。突然この様に土地が痩せ、何も育たなくなりました。
他国との貿易で何とか凌いでいましたが、疫病まで流行り始め、それすら断たれてしまいました』
言葉を失った彼女が辺りを見る。不安気な村人達がこちらを見つめていた。
『…私は、どうしたらいいの?』
『書物によると、触れる事で恩恵を授かれるとありました』
彼女が恐る恐るしゃがみ、地に触れた。
『っ!』
その瞬間、驚いた様に手を離す。
『どうされましたか!?』
『嘘…そんな』
怯えた様に自分の手を握る彼女。一体何が起こったのか分からない俺は同じく困惑している同僚に声をかける。
『おい、医者を呼んでこい』
『大丈夫』
しかしその声を彼女は止め、再び大地に触れた。
その瞬間、彼女の手から不思議な光が放たれた。そしてそれは根のように伸びていき、痩せ細った畑全体に行き渡る。
『見て!枯れていた作物が…!!』
近くにいた村人の声で顔を上げると、枯れ果てていた作物達が起き上がり、青々とした緑へと蘇っていく信じられない光景が広がっていた。
全員が言葉を失った。正直半信半疑だったのだ。
そしてそれは彼女本人もだった様で、全てを終えた後しばらく呆然とその蘇った畑を見つめていた。
彼女の力は本当だった。それが判明した事で国王はすぐに国中の土地を回る計画を立てる。彼女も大人しくそれに従ってくれた。
因果関係は不明だが、彼女が現れてからというもの崩れやすかった天気まで安定し始めた。こうなると国中の人間が彼女に感謝し始める。
しかし当の本人の浮かない表情は相変わらずだった。俺は次の村に向かう馬車の中で、思い切って声をかける事にした。
『聖女様、お疲れではございませんか』
『…大丈夫よ。あとどのくらい回ればいいの?』
『聖女様が尽力なさったおかげで、残り5箇所となりました』
『そう…』
再び沈黙が訪れる。何か声をかけようかと考えていたら、ぽつりと彼女がつぶやいた。
『これが終わったら、私は帰れる?』
その一言に俺は言葉を詰まらせた。答えは勿論否、だ。
彼女にはまだやってもらわなければならない事があったし、何より元の世界に戻す方法など俺は知らない。というより、無いだろう。
『申し訳ございません…私には分かりかねます』
何の力にもなれない自分に苛つきながら答えたが、彼女から返事はなかった。
浮かない表情の理由を知った俺は、この国が再び蘇っていく喜びと、彼女の人生を壊してしまった事実に揺れていた。
全ての土地を蘇らせた彼女の次の仕事は、疫病の治癒だった。
本当にその力があるかどうかが分からず、万が一感染してしまわない様にと後回しにされていたが、正直一刻も早く解決したい問題だった。
そして目の前でたくさんの彼女の奇跡を見てきた俺は、絶対に解決してくれるだろうと確信していた。
そしてその日がきた。疫病に苦しむ人達が集められた施設に足を運んだ彼女は、また言葉を失った。
しばらく呆然としていたが、挨拶にきた医師を振り切ってすぐに患者の元へ駆け寄る。
『せ、聖女様!危のうございます!』
制止しようとする医師の言葉に全く耳を貸さないまま、彼女は患者に触れた。再びあの時の様に彼女の手から不思議な光が放たれる。
そして見る見る内に患者の苦悶の表情が和らいでいったかと思うと、ゆっくりと目を開けた。
『女神、様…?』
突然苦しみから解放されて、ついにあの世にいってしまったのかと勘違いした患者が彼女を見てそう呟く。
彼女は本当に女神かと見紛う程の慈愛に満ちた微笑みを讃えると、そっと答えた。
『いえ、あなたは生きているわ。
…遅くなってごめんなさい』
それから彼女は変わった。浮かない表情ではなく、使命感を持った様子で寝る間も惜しんで患者の治癒にあたる。
仮眠と食事は馬車の中でとり、それ以外はとにかくその力を惜しみなく使った。
『聖女様、お体は大丈夫ですか。
もう少し休まれては…』
俺は言いながらこんな言葉しかかけられない自分に辟易した。
『不思議な事に全然疲れないの。
これが私の使命だからなんだわ、きっと』
『使命、ですか?』
『ええ。
最初はね、私みたいな人間に国を救える力なんてある訳ないと思ったの。だってただのカイシャインだったんだもの』
見知らぬ言葉が彼女の口から出てくる。もう服装はこちらのものだが、やはり別世界の人間なのだと実感させられた。意外にも彼女の言葉は尚も続く。
『いっそそれを分かってもらって、さっさと元に戻してもらおうって決めて部屋を出た。
でもあの地面に触れた時、分かったの。
私にはここを再生出来るって。私はその為にここにやって来たんだって。それでもなかなか受け入れられなかったけどね。
でも今はね、少し違う』
そう言って外の景色を眺めている彼女の目は確かに初めて会った時とは違っていた。使命を持った強い瞳。
しかし、徐々に悲しい表情に変わる。そして呟いた。
『…もっと早く切り替えるべきだったのよ。
私が1週間部屋でもたついていた間に、一体何人の方が亡くなったのかしら…』
彼女が今寝る間も惜しんで動く理由は、自責の念からだと知る。その瞬間、熱い何かが俺を激らせた。
『あなたは何も悪くない!!』
聖女様の驚いた表情でハッとする。
『も、申し訳ございません…』
彼女の様な尊い存在に何を大声を出しているのか。
失礼だと分かっていても、それでも止められなかった。
『…ですが、その様にあなたに責任を感じて欲しくはないのです。突然見知らぬ場所に連れてこられたのです。受け入れられないのは当然です。
むしろ罪深いのは私の方だ。この様な現状を知りながらも、何もせずに王都でただ案じていただけでしたから…。
私も、民も、あなた様がこんなにも身を削って救おうとして下さっている事は分かっています。
お願いですから、その様に思わないで下さい…』
静まり返る馬車内。
きっと何だこいつはと思われたに違いないと俯いていたら、彼女がクスリと笑った。思わず顔を上げると、彼女は小さく肩を震わせて笑っていた。
『ご、ごめんなさい…どうしてかしら、嬉しい言葉の筈なのに、何だか可笑しくって…』
『申し訳ございません…』
『謝らないで。そう言ってもらって本当に嬉しいの。
でもその熱量が凄くて…あなたってもっとクールな人だと思っていたから』
ひとしきり笑った後、彼女はふうっと息を吐いた。
可愛らしい笑い声が止まり残念に思ってしまう。そんな自分に気付いて頬が熱くなった。
何故か顔を拭い、何とか誤魔化す。
『何だか、久しぶりに笑ったなー。
ねえ、あなた何ていう名前なの?』
『…まさか、ご存知なかったのですか?』
『あ、やばい。ばれちゃった』
そしてまた彼女が笑う。俺も一緒になって笑った。
それから彼女は俺とよく喋ってくれる様になった。
この世界の事を聞いてきたり、自分がいた世界の事を教えてくれたり。
ただ、後者の話をする時はやはり寂し気だった。ここでどんなに功績を残しても、どんなに大勢の人に感謝されても、やはり彼女の心は元いた世界の所にあった。
こんなにも尽くしてくれる彼女に何か出来ないかと、俺も聖女の召喚について調べ始めた。しかしどの記録にも、聖女が元の世界に戻ったという記載はない。
無念と同時にどこかほっとしていた。そう思ってしまう自分が情けなかった。
我が国の復興を見事果たした彼女の噂は瞬く間に広まった。当然他国も彼女の奇跡を求め始める。
正直困惑していた彼女だったが、同じ様に苦しんでいる人間がいると聞かされると無下にも出来ず、他国への斡旋を受け入れた。
その頃からまた彼女の顔が曇り始めた。
使命を果たせば帰してもらえるとどこか思っていたのかもしれない。けれどその使命に終わりはなく、もっと、もっとと求められる。
決定的となったのは、国王が彼女と王子との婚約を取り決めた事だった。彼女が初めてそこで強く拒否を示したのだ。
他国と金銭の受託があったのを知った時もかなり抵抗を示していたが、ついに彼女は部屋に閉じこもってしまった。
焦る国王にどうにかしろと言われ、渋々部屋を訪れる。今はそっとしておくべきと分かっていながら、結局言いなりな自分に飽き飽きする。彼女は俺を部屋に入れてくれた。
『説得してこいって?』
『……』
何も言えず俯くと、彼女が薄く笑ったのが分かった。
『国王様だから何となく言う事聞かなきゃいけないんじゃないかと思ってたけど、結局私に強く出られないのね。
人質でもとられていれば私もまだ大人しく従うんでしょうけど、私に失うものなんてないんだもの』
再び自嘲する彼女。そんな笑顔は似合わない。
けれどそうさせているのはこの国、ひいては俺自身でもあるのだ。
『これが私の使命なのだと思っていたけれど、今じゃただのいい金づる。
終いにはここに縛り付けようだなんて…嫌よ。
絶対に嫌!!』
初めて聞いた大きな声に、彼女が心から嫌悪感を示している事を知る。そして同時に、彼女が帰りたがる理由がただの郷愁ではない事を知った。
『あちらに…想い人がいらっしゃるのですね』
俺がそう言った瞬間に、彼女が勢いよくこちらを向いた。
そして子どもの様に顔を歪めると、両手を覆い声を出して泣き始める。
ゆっくりとソファに座らせ、ハンカチを渡す。俺もその横に腰掛け、落ち着くまで黙って待った。
その想い人とは、結婚の約束もしていたらしい。
突然こんな事になって、あっちの自分は一体どうなっているのか。生きているのか、死んでいるのかも分からない。何よりもう会えないかもしれない事が辛くて悲しいと、吐露した。
確かに彼女はこの国を救ってくれた。ここに召喚されなければ、もう既に滅びていたかもしれない。
けれど、これは間違っているのは確かだった。ただ彼女の人生を犠牲にしただけだ。それは生贄と同じだ。
それから数日間部屋に篭っていた彼女は、忽然と姿を消した。
「何故こんな事になったんだ…!
くそっ…お前のせいだぞ!?」
そう言って国王が俺の背中をムチで叩く。
縄で縛られ、なすすべのない俺はただその痛みを耐え抜く。玉座の間にそぐわない音が何度も響いた。
「もういい!何か吐き出すかと生かしておいたが、これだけ痛めつけても喋らんとは…。
聖女を逃した大罪は、その命をもって償ってもらう!
おい!連れて行け!」
両腕を抱えられ、力無く立ち上がった時だった。
玉座の間の大きな扉が勢いよく開かれる。聖女を捜索中の筈の騎士団達だった。
「何だお前達…まさか見つかったのか!?」
国王の顔が綻んだ瞬間、先頭に立っていた騎士団長が国王に向かって剣を向けた。
「な…何のつもりだ」
「これを見て分かりませんか?」
見るからに青筋を立てて国王が震え始めた。
「反逆…だと?
おい!ロースベルはどうした!!」
「あなたのお仲間達はもういませんよ」
俺が静かに答えると、国王の動きが止まった。拘束していた筈の騎士はゆっくりと俺から手を離す。
「この混乱を利用させて頂きました。
慎重なあなた達にいつ気付かれるかと思っていましたが、余程聖女様の事が大事なのですね。
簡単に崩せましたよ」
そこにいる騎士達が全員ヘルムを外す。そこには国王が聖女を逃したとして死刑にした筈の騎士達が並んでいた。
「なっ…!」
「この国が急速に落ちていったのは、確かに土地が痩せた事による食糧不足です。
しかしあなたはそれでも変わらない税金の徴収と、作物の献上を命じた。逆らえばあなたのお仲間達が徴収に向かう。
疫病も流行る筈だ。衛生すら保てない状態になったのだから」
その時、国王が俺に掴みかかろうとした。そばにいた騎士達が拘束する。
「離せ!!くそ!
お前達もそのおかげで食えていたんだぞ!?
何が反逆だ!お前達も同罪だ!!」
「…そうです。私は、ただ指を咥えて見ていただけの、臆病者です。
私は今から人生をかけて、命をもって、償っていくつもりです」
拘束していた騎士達が国王を立たせて歩き始める。向かうのは牢獄だ。
「誰のおかげでここまで復興出来たと思ってる!」
「確かにあなたがあの人を召喚して下さったおかげです。
でも無理な徴収をしなければこんな事までにはならなかった。あの人は我々の尻拭いをして下さったのです。
あまつさえそれで私腹を肥やすのも、あの人を縛り続けるのも違う。あの人の人生は、あの人のものだ」
国王の断末魔と共に扉が閉まる。
俺は気力が糸を切った様に途切れ、その場に倒れた。
数時間眠っていたのだろうか。目を覚ますと慌ただしく人が動いていた。
これからは我々で新しい時代を築いていかなければならないのだ。不安と期待に満ちた空気を感じる。
「お、起きたか」
今回の作戦に多くの力を注いでくれた騎士団長のブラッドリーが俺に近づき膝を折る。
「すまんな、お前を運ぶ人材すら今は惜しいんだ。
床に転がせたままにさせてもらったぞ」
「…構わない。むしろすまない、こんな大事な時に…」
「3日も拷問に耐えたんだ。よく生きててくれたよ」
ブラッドリーの言葉に力無く微笑むと、奴は悲しそうな顔を見せた。
「…右目、見えてるか」
ブラッドリーの言葉に小さく首を横に振る。
何度か力強く殴られて、ほぼ視力は失っていた。
「この作戦を決めた時から、俺の全てを懸けると決めたんだ。むしろこれだけで済んで良かった」
「お前だけが背負い込む必要はない。俺だって所詮ただの犬だったんだ。お前の勇気のおかげだ。
これからは俺がお前の右目となり、この命を捧げるぞ」
そう言って俺達は拳を合わせた。
数日経ってようやく動ける様になった俺は、彼女を迎えに行った。
城から外れた民家に匿ってもらっていたのだ。
その小屋の横で、子ども達が誰かに群がっている。ふわりと、黒い髪が踊った。
「聖女様」
「ライリ…どうしたの!?その目…」
彼女が困惑した様に立ち上がり、俺の元に近寄る。
「その…どうかお気になさらず」
「お気になさらずって!そんな訳にはいかないわよ!
座って!もしかしたら私の力で治るかもしれない」
そう言って促そうとする彼女を止める。
「良いのです」
「どうしてなの…?この作戦だって、協力させてと言ったのに」
「あなたの神聖な力をこんな事に使わせる訳にはいきません。
それに、国王に全てを負わせて終わる問題ではないのです。
ただ憂いていた私も同じ事。これから国を引っ張る責任と、けじめの為に残しておきたいのです」
彼女はまだ納得いかない様な顔をしていたが、理解はしようとしてくれているのか、その後は何も言わなかった。
「ありがとうございます、聖女様」
「でもね、ライリー。これだけは言っておくけど、だからってあなたが全て背負い込む必要ないのよ?
ちょっとは肩の力を抜いて」
「はは…同僚にも同じ事を言われました」
こんな大義を果たせたのは、全てあなたのお陰。
あなたという存在が俺に勇気を与えてくれた。それだけで十分なのだ。
それからは寝る間も惜しんで立て直しに力を注いだ。
国王一族の行く末は…多くを語る必要はないだろう。国を変えるという事はそういう事なのだ。
ただ最期の瞬間、彼らは抵抗する事なく凛としていた。俺が仕えていた人達は、ただの卑しい人間ではなかったと知る。
この失った右目と共に、俺は償っていく。
彼女には何もしなくていいと言ったのに、私が顔になると言ってくれた。
確かにこの国の救世主である彼女は民達からの信頼が絶大だ。困惑する民達の元へ訪れ、彼女自らが説明し、宥めてくれた。
実際に城からぎりぎりの生活を強いられていた為、国王がすげ替わる事に反論はなかったが、不安は大いにある様だった。そこからは彼女ではなく我々の仕事だ。
一刻も早く立て直し、民達に安心を与えなければならない。
そしてもう一つ、俺にはやらなければならない事があった。
「ここって…」
「あなたを召喚した神殿です」
不安げな彼女を連れてきたのは、多額の投資をして作られた神殿。全て資料の通りの材料が使われていて、あの時と様に供物も術者も用意していた。
どこか物々しい雰囲気に彼女が恐る恐る口を開く。
「どういう事?」
「帰れるのですよ、聖女様」
俺がそう言った瞬間、彼女の目が驚きで見開いた。
「な、なんで…」
「ずっと調べていたんです。あなたが帰れる方法を。
なかなか掴む事が出来なかったのですが、国王の私室に隠し部屋がある事が発覚しまして、そこに聖女の召喚についての資料が沢山ありました。
そして我々はようやく見つける事が出来た。
もう準備は出来ています。あとはあなたにあそこに立って頂くだけ」
「嘘……」
信じられないとでも言うように、彼女が小さく呟く。
「驚きましたか?」
「勿論よ!だって…もう、そんなの叶わないんじゃないかって…」
「あなたは見ず知らずの私たちの為に、たくさんの事をしてくれました。後は、あなたに幸せになってもらわなければ」
とうとう彼女の目から涙が溢れた。
拭おうとする手を止める。その役目は、俺ではない。
「ありがとう…!何とお礼を言ったらいいか」
「十分あなたはしてくれました。私に勇気を与えて下さったのはあなたです。お礼を言うのはこちらの方です」
「でもずっと心細かった私に最初に寄り添ってくれたのはあなただった。
こんなの、私にだって十分すぎるわ」
「…では、一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか」
「勿論よ!何でも言って?」
これが最後のチャンスだ。もうこれで彼女とは二度と会う事はない。
何か一つ思い出が欲しい。これから生きていく糧が、欲しい。
「握手を…して頂けませんか?」
これが、今の俺の精一杯だったとしても。
「そ、それだけ?」
「はい」
「もっとこう…どこか治してほしいとか」
「いいのです。これで十分なので」
「そうなの…?」
彼女は首を傾げながら手を差し出した。
そっとその手を握る。初めて触れた彼女の体温はとても暖かく、柔らかい。
「本当にありがとう…ライリー。
あなたの事、一生忘れない」
「…私もです」
手が離れる。彼女は素敵な黒い髪を靡かせて、紋章の真ん中に立った。
やがて術者が呪文を唱え始める。
「ライリー!さようなら!本当にありがとう!!」
「さようなら!どうかお元気で!」
そして彼女の足元が光り出したと思うと、徐々に消えていく。
やがて大きく頭の上で振っていた手の先も見えなくなり、彼女は帰って行った。
その夜、赤と黄色に染まった木々の真ん中で美しく微笑むあの人の夢を見た。
見た事のない景色の筈なのに、きっとそこが彼女が生まれ育った“アキ”の景色だと分かった。
ひらひらと落ちてくる様々な形をした葉っぱは、まるで雨の様。
その中をくるりくるりと楽しげに回りながら、心からの笑顔を見せる彼女の手を握る。そっと引き寄せて抱き締めようとした瞬間に、目が覚めた。
目の前には見覚えのある天蓋。あんなに美しい景色なんてどこにもなく、何より彼女はもうここにいないのだ。
「…マリ」
呼ぶ事の出来なかった彼女の名を呼ぶ。
せめて夢の中くらい抱き締めさせてくれよと思ったが、勇気を出せなかった己のせいだ。
唯一触れる事の出来た彼女の手の感触にすがって、俺は生きていくのだろう。
彼女は今、幸せに過ごせているだろうか。
どうかそうであって欲しいと願い、俺は再び目を瞑った。
Fin.
最後までお読み頂きありがとうございました。
ぜひ感想等お待ちしております。