第90話 娘を惑わせた皇帝。枢機卿 side
――――時は、アンブロジーン枢機卿が粗相をしたバカ娘を引き取り場を辞した後まで戻る。
何かをブツブツと呟き続ける愚かな娘を引きずるように馬車停めまで連れていき、枢機卿は待機させていたままの馬車へと強引に押し込み自身も乗り込む。
傲慢で愚かで浅はかであるが美しい娘。
父親として、それなりに可愛がって来た。
美しい娘を帝国の中枢部の者と縁付かせて、根を更に張る為だ。
帝国法で皇族と縁付かせることは禁じられているが、中枢部にいる貴族とは禁じられてはいない。
その枢機卿の娘というそれなりに価値のある身分と、聖女という称号に加え母親譲りの美貌で引く手数多な娘は駒として利用価値があり使えると考えていたからこそ慈しんできた。
だというのにだ。あんな悪目立ちする公式な場所でよりにもよって皇女に――――
皇帝がすぐに側へと駆けつけるのをこの目で見てしまった。
大切にされているとは訊いていたが、あれ程とは。
確かにあの娘は非常に美しかったが……。
あれほどの美貌は中々見ないと思いながらも、何処かで見た事のあるような既視感を感じる少女。
「出せ」と御者に告げ、皴が寄り続けていた眉間を揉む。
「ヴィヴィアーナ、何故あのような振る舞いを?」
「……シュヴァリエ様は、ヴィヴィのものなのに。あんな、あんな事を言うなんて……間違えてしまったのね……あの娘と私への思いを」
「ヴィヴィアーナ?」
「きっとあの娘のせいだわ。あの娘がいるから陛下は間違えてヴィヴィを見てくれなかったの。何よ、何なのよあの髪色。美しい陛下とお揃いの……」
ヴィヴィアーナには父親の声が聴こえぬようだ。
自分だけの世界に入り込みブツブツと独り言を呟いている。
その正常とは言い難い姿に枢機卿は暗澹たる気持ちになる。
目の奥から刺すような痛みを感じ目頭を揉む。
後でヴィヴィアーナに付けている影の護衛に事情を訊くしかないようだ。
本人がコレではな……。
戴冠式の後に皇帝の美貌に見惚れ恍惚とする娘に、しっかり伝えた筈だった。
「枢機卿である私の娘であるヴィヴィと、皇帝陛下は婚姻する事は出来ない。何故なら帝国法で定められているからだ。成就することのない夢は見るだけ辛くなるからやめておきなさい。美しい男なら他に用意させようではないか。分かったね? ヴィヴィ」と。
その時は衝撃を受けたような顔をしていたが、渋々「婚姻など夢みておりませんわ。シュヴァリエ様は観賞するに値する美しい方でしょう? ただ眺めていたいだけですわ。でも、そうなのですね……法に定められておりましたのね。分かりましたわ、お父様」と答えていたのに。
あのように愚かな暴挙に出るとは思わなかった。
今日の事で皇帝のヴィヴィアーナに対する印象は最悪だろう。
本物を見つけた今、腹いせに教会にちょっかいをかけられて探られては堪らない。
ヴィヴィアーナにはしばらく謹慎して貰うしかないな。
未だ目の前で、父親など見えぬように独り言を呟く娘を見て、先ほどから頭を締め付け始めた頭痛が酷くなった気がした。
♦♢♦♢♦♢
屋敷に到着してすぐにヴィヴィアーナを私室に閉じ込めた。
ぽつりぽつりと妄想の何かを漏らす娘は素直に私室へと入っていった。
執務室へと向かいヴィヴィアーナ付きの影を呼び出し、あの場の全てを報告させた。
想定以上の愚かな振る舞いであった。
皇女を随分と大切にしている事も追加で報告を受け、弱点になるだろうか? と想定し得る奸計を頭の中で浮かべるも、今はあの皇女を手に入れる方法が欲しい
皇女の周辺を探ってみるか。
諜報を得意とするアンブロジーンが独自に持つ影の部隊に皇女に関する事なら些細な事でも全て探り報告しろと命令を下す。
あのシュヴァリエを揺さぶる何かが出てくれば、皇女を手に入れる方法に使えそうだが。
掌中の珠らしい皇女は真っ当な方法で手に入れることは難しい。
あの魔力を確実に今度こそ手に入れるには準備が必要だな。
♦♢♦♢♦♢
――――あれから。
ヴィヴィアーナの執着は中々凄まじく、枢機卿が叱っても宥めても何ひとつ譲らなかった。
シュヴァリエの姿が見たいと何度も口にする姿は、父親の目から見ても病的に感じる。
周囲にシュヴァリエに似た見目の男を侍らしている事も知っている。
似ていれば似ている程にその男達を常に傍に置いているという。
この執着が少しでも落ち着かない限り、外に出す事は出来ない為、未だに屋敷に軟禁させているのだが。
その男達も屋敷に住まわせているらしい。
勿論、私の許可は取っていない。
すぐに追い出すつもりであったが、ヴィヴィアーナの専属医師が心の病が悪化すると止められて、あれより悪化は様子見をしている所だった。
やがて少しずつ落ち着き、おかしな独り言も話さなくなった頃、
久しぶりに外出の許可を出した。
教会へも顔を出しに行きたいというので許可を出す。
娘は聖女の称号を与えられている。随分顔を出してなかったから、今後の為にも出しておいた方がいいだろう。
それからは娘も精神が安定し、聖女として教会に通うようにまで戻った。
皇女の周囲を探るが、大した事も探れずにただシュヴァリエが腹違いの妹を可愛がり溺愛しているという報告ばかり。
憎きシュヴァリエの溺愛行動など知りたくもないが、何処かで何かの情報が漏れ出る事もあるかもしれないと報告はさせていた。
万が一上手くいけば幸いと試しに拐う目的で刺客を皇女に送ってみたが、重宝していた手練れの者ですら戻ってこなかった。
相当力のある者を配置しているようだ。
攫ってどうこうする手段は、今は現在としては悪手だと判断し刺客を送るのはやめた。
季節は廻り――――
今日、教会に顔を出しに行った娘が、教会で今までより更に憎きシュヴァリエに似た男を家に連れ込んだようだ。
最近出家したというその男。
身辺は出家の際に徹底的に調べられているだろうから、心配はいらないと思うが、今までよりも似ている顔の男が家に居るというのは気に食わない。
あの男は、あまり部屋から出すなと娘に伝えておいた。
それからしばらくして、とある噂のひとつが報告される。
そして、娘が家に連れて来た男がとある噂に起因するある情報を持っている事が報告された。
それは眉唾物であった。
本当であれば、であるが――――
ある平民の少女が、私が長年求めて止まず、あと一歩の所で手に入れられずに終わった夢。
その夢そのものであった男の娘であるかもしれない、と。
あの男と同じ魔力を魔眼を使用して実際に見て感じたのは皇女であった。
だが、皇女を手に入れるには途方もない労力が必要で、一歩間違えば教会は潰されるだろう。
しかし平民の少女であれば――――
どうとでもなる。
もしあの魔力を手に入れることが出来れば、娘を惑わせた皇帝を傅かせることも出来るかもしれんな。
娘に引き渡すのは散々嬲ったあとにしよう。
今まで散々煮え湯を飲まされてきたのだ。少しばかり恨みを晴らしたところで命まで取るわけではないのだ。問題あるまい。
枢機卿は憎悪に満ちた表情を浮かべ、愉快で堪らないと哄笑したのだった。
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