第83話 収穫体験がしたいクラウディア。
姿絵への無念を引きずりながら就寝した翌日の夜明け前。
今日も晴れの様子の空模様を眺め、朝日が顔を出す直前を待つ。
夜が明け始め、朝日がまだ顔を出さない時間の空の色が大好きで、それを早起きが出来て見る事が出来れば、一日がいい日になりそうな気がして。
好きな空の色を眺めて、兄を思い出す。
そして姿絵の恨み……どうしてくれようか。
悶々としながら朝の支度をアンナに手伝って貰いながら、食堂へと向かう。
伯爵家のメイドさんに「お部屋にお運びしましょうか?」と親切に尋ねられたけど、独りで食べるより皆で食べる方が美味しいので、食堂で頂きますと話した。
ここ最近はシュヴァリエが朝の挨拶に部屋に来て、滞在先で私の部屋で一緒に食べる事が多かったけど、今日はお断りである。
待つ事なくさっさと先に行ってやるのだ! 寂しがるがいい!
クラウディアは心中で鼻息荒く拳を握っていた。
昨夜の恨みをまだ引きずっている。
全員が朝食の席についたのは、シュヴァリエが最後だった。
主役は最後に登場とばかりに食堂の扉前にただ立っているだけで、朝から美しい少年である。流石は゛ぃあ大天使。
クラウディアと目が合い、呆れたような流し目をされる。
ぐぬぬとクラウディアは思うが、皆が席を立ってシュヴァリエに一礼し「陛下、おはようございます」と朝の挨拶をしているので、クラウディアもそれに倣って挨拶する。
上座にシュヴァリエが腰を下ろし、その後、手で座れと促されてから皆が座る。
(まるでシュヴァリエがこの家の主人みたいに見えるけれど、これは帝国式の作法のひとつで身分が上の者に対して身分の下の者が行わなければいけないひとつだそう。アンナから事前に教えて貰っていたから戸惑わないけどさ……)
これより他にも色々あるらしいけど、他国には無い帝国独自の作法という事で高位貴族や名家であればこの方法を今でも取っているとの事。
下位貴族の間では少しの身分差であればする家は少なくなっているそう。
やったとしてもだいぶ簡略化されているらしい。
高位貴族と下位貴族で教育レベルが天と地ほど違うと訊いたけど、こういう所にも差が出ているのだろう。
(下位貴族が凄い身分差の上位貴族を滞在させるなんて殆ど無さそうだしね。)
今、ここに滞在しているのは帝国の皇帝、格式を重んじてこのような形にするのだという。
勿論、伯爵家が建国から続く名家だという事もある。
シュヴァリエはこういう系は普段から面倒そうにしているけど、流石に叔父様の忠臣の家を無碍には扱わないのか、そういう素振りは少しも見せてない。
朝食を食べ終え、今日の視察の準備をする為に早々と退室する。
準備と言ってもクラウディアは外出着に着替えるだけだが。
部屋に戻って乗馬服の様な動きやすい見た目と着心地の良い服に着替えさせられる。
白いジャケットには華美過ぎない装飾の金と銀の刺繍が施されていてオシャレである。下は紺色の見た目長スカートデザインに裾には二つの白いラインが横にぐるりと入っていた。
実はコレ、プリーツが細かく入ったキュロットスカートである。
移動にもたつかないように、長けはひざ下になっており、淑女として素足見せは絶対NGなので、紺色の絹の長いタイツを穿いている。
薄化粧なので時間はさほど掛からず、すぐに髪のセットに入る。
髪をセットする前に、アンナに纏めて貰った資料を手渡された。
穀倉地帯である伯爵領について情報の確認だ。
えーっと……「穀倉地帯」とは、作物の収穫量が農村消費量を大きく上回る事によって、余った収穫穀物を穀倉行きに出来る余裕が出来る程に沢山の穀物が採れる地域の事をそう呼ぶ。
穀倉行きに出来る程の作物は、王都や作物の育ち難い村や領への供給地域という事になる。
それを、穀倉地帯と呼んでいる。
ふむふむ。
たくさんの作物が収穫出来るから、自分達には満遍なく行き渡っており、それでも余ったものを保管する程に獲れる豊かな土壌を持つ地帯って意味なのねー。
そういう所は人口も多く供給より消費の方が多い街や作物の育ち難い領や村からは有難いもんね。
帝国の食を支えている穀倉地帯はいくつかある。
そのひとつをホーデンハイム伯爵家の領地が担っている。
そのひとつを担ってるのがホーデンハイム伯爵家の人達だという事が、とても安心できるなぁと思う。
欲を掻く貴族ならこれ程大きな帝国の生命線のひとつを担ってるなら、裏で供給を絞って値段を高騰させて営利を貪る操作とかしようとするかもしれないし。
そういう事をしない人柄の人達な気がする、ホーデンハイム伯爵家。
なんせアレス叔父様の忠臣であるし。
有難い事だなぁ。
シュヴァリエと私、伯爵様と嫡男のセドリック様の四人で今日は視察に行く。
馬車ひとつで緊張するなぁと思っていたら、二台で移動するらしい。
それはそれで、また別の緊張が……。
育てている作物や作業している姿を見させて貰ったり、伯爵が先導して紹介しつつお話を訊いたりするんだって。
採れたてを食べさせて貰えちゃったり、収穫体験とかさせて貰えちゃったりするのかな。
もしさせて貰える可能性があるのなら、私は是非やりたい。
アンナに髪を高い位置で纏めて貰い、ポニーテールに似た髪型にして貰った。
結んだ根本には白いリボンを結んで貰う。
「アンナ、リボン可愛いね。可愛くしてくれて有難う!」
「とてもお似合いですよ。」
動きやすい服に可愛い髪型になって、そわそわわくわくしながら出発を待つのだった。
馬車に乗って案内されたのは結構な規模の農地。
たくさんの農民がせっせと収穫作業をしていた。
収穫されているのは鮮やかなオレンジ色の人参たち。
クラウディアは「人参なら小さいし収穫体験させてもらえるのでは!?」と俄然期待値が上がる。
「ここで獲れる人参は他の領地で獲れる人参とは違い、甘味が濃くなっており―――」
伯爵様がシュヴァリエに人参について長々と説明している。
話が終われば早速提案してみようとクラウディアはソワソワしだした。
「皇女殿下、人参が気になりますかな?」
伯爵は説明を終えると、きょろきょろと視線が忙しないクラウディアに尋ねる。
「そうですね、人参を収穫体験する事は可能ですか?」
真面目くさった顔を作りながら、伯爵に質問に質問で返すクラウディア。
「はい……? 収穫体験……ですか?」
伯爵が戸惑った顔でクラウディアに確認する。
「はい! そこの人参を自分の手で収穫してみたいです!」
「……ディア、お前は変わった事に興味を持つのだな。」
シュヴァリエも目を丸くしてクラウディアを見る。
「お兄様、いえ陛下。農家の方のお仕事の邪魔は絶対に致しませんので、少しばかりやってみてもいいですか?」
「どうだ伯爵、ディアにやらせてみてもいいか?」
「皇女殿下に農作業をさせるなど大変畏れ多い事でありますが……」
「なに、それは気にせずともよい。本人がしたいと希望しているのだ。」
「陛下がそう仰って頂けるのであれば、私に否やはありません。皇女殿下、どうぞご経験下さい。」
二人に許可を得てクラウディアは颯爽と畑に足を踏み入れた。
「作業中失礼致しますね。この人参の収穫、私も少しだけお手伝いしてもいいですか?」
せっせと人参を引っこ抜いている少年の傍に近づき話しかけた。
話しかけられた少年は、遠目に居た凄い美少女がいつの間にか隣に来て手伝いを申し出られた事に目を白黒させてぶるぶる震えている。
服装から地位の高い貴族である事は間違いなく……そういえば今日は母親が「皇帝陛下と皇女殿下が農作業する私達を見にくるらしいのよ。とんでもない日だわ……」と言っていた事を思い出した。
この、とんでもなく綺麗な少女は皇女殿下では……?
極度の緊張で声が出ず、身体はぶるぶると震えて止まらない。
それでも返事をしなければと、ぶんぶんと上下に頭を振った。
「有難う! 土に近い茎の根本を持って引っこ抜けばいいのよね?」
満面の笑顔で笑いかけられ、話しかけられ、少年は顔を真っ赤にした。
聞かれた内容にすぐに上下に首を振り頷く。
クラウディアは、茎を両手でしっかりと握り、前世の芋掘り体験を思い出しつつ腰に力を入れて引っ張る。
ズボッと簡単に人参が土から抜けた。
それはもう愉快なくらいにズボッと。
自分で引っこ抜いた人参を目を丸くして見つめるクラウディア。
オレンジ色の美味しそうな人参……。
「た、た、たのしーーい!」
テンションが上がる。
大喜びのクラウディアを隣で未だ極度の緊張状態にあった少年が見ていた。
(なんて可愛いい)
少年はクラウディアから目が離せない。
人参を抜いて嬉しそうに笑うクラウディアは、生命力に満ちていつも以上に瞳が活き活きと輝いている。
少年が時間を忘れて見惚れてしまうのも仕方ない。
「あのー……もう一回してもいい?」
引っこ抜いた人参を土の上に横たえて、未だしゃがんだまま、隣に立ったままの少年に尋ねる。
人参の収穫が楽し過ぎて、もう一回やってみたくて堪らない。
「は、はい……、いいですよ。」
乾いた喉を潤すように何度もごくりと喉を鳴らして、やっと出た掠れ声を出して少年は了承する。
少年の胸の鼓動は力いっぱい全力疾走をした後のように忙しない。
話しかけられて、またもう一回と請われるまで、あっという間に過ぎ去ってしまった時間。
全て一瞬の夢のように過ぎ去り、現実に戻ってくる事も出来なかった。
けれど、もう少し夢は続いてくれるらしい。自分は平民で農民で天下の皇帝様の妹姫と今この瞬間お声を聴くだけでも畏れ多いと思っているのに、少年の心は歓喜に沸いている。
……真下から眉を下げてお願いしてきた愛らしい皇女殿下と、まだ夢のような時間を過ごせる、と。
その時クラウディアの身体に影が差す。
「私もやってみよう。」
少年は声がした方へ視線を向け、そのまま気絶しそうな衝撃を受けた。
少年の視線の先、皇女殿下の背後にいつの間にか皇帝が立っていた。




