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第72話 皇帝不在の皇城にて。


「ネズミが入り込んだようですね。」


 透明な水の流れを感じさせる清廉な透き通った美貌を、大変不快な匂いを嗅いだかのように顰めてアレスは突然呟いた。

 現在、アレスは常より喜々として視察に向かった甥である皇帝の代理をする為、執務室で膨大な書類の決裁中である。

 執務室内には、皇帝の側近であるマルセルしか滞在を許されておらず、広い執務室内は二人っきりだ。


 紙が擦れる音と、ペン先が紙を滑る音だけ。

 そんな限定された音だけが響く静かな部屋を、執務室に隣接されてある執務補佐室に文官は滞在して書類を持っていったり持ってきたり、ファイリングしたりして仕事をしている。

 時折頼まれた資料を皇宮にある図書館で調べ纏めたり、情報を総括して分かりやすい調査書を作成したりもしているので、仕事量は膨大であるのに残業は能力が無いと判断して一切許さないアレスが上司であるので、時間に追われるように忙しなく働いている。


 皇帝の執務室は現在アレスが居るさらに左隣にあり、現在その部屋主は視察中であった。

 その為、上司のアレスは日頃より多くの仕事量を抱えており、こちらへと処理済の書類が届けられる速さも量も大量であった。


 本日のように膨大な書類を扱っている時には、アレスは酷く集中している為、決裁の認可待ち書類をアレスに直接渡そうとすると確実に無視されるので、マルセルに直接渡している。

 その決裁待ち書類を重要度順に振り分けて重要度に合わせて用意された箱に入れていくのはマルセルがしている。


 アレスが決裁済みの箱の中からマルセルが書類の束を取り出し、入室してきた文官に渡す。それを受け取り一礼して去っていく。

 そんな一連の流れが出来上がっている。


 そんな中「ネズミが入り込んだ」発言である。

 一瞬聞き間違いか、何かのジョークかとマルセルの目も点になる。



 実は皇宮内にはアレスの魔力で編んだ糸が無数に張り巡らせてある。

 これはアレスとシュヴァリエとヴァイデンライヒ騎士団のトップしか知り得ぬこと。

 認識阻害に索敵付きの防衛や諜報に非常に長けた優秀な糸は、人の目では一切認識出来ぬ魔力糸である。

 魔力を可視化出来る鍛錬でもした者でもない限り、バレる事はない。

 が、アレスの魔力糸は特殊性が高く血縁であるシュヴァリエくらいしか鍛錬しても見る事は出来ないだろう。


 柔軟な蜘蛛の糸のように極めて細く透き通った糸は、ありとあらゆる場所に張り巡り、皇宮に出入りする者でアレスが把握していない者はなく、そしてその全員がアレスの管理下にあった。

 そこへネズミが数匹ほど引っかかった、という訳である。


「ネズミ、ですか?」


 シュヴァリエの側近でありながら、今回はクラウディアが居る為に連れてって貰えなかった不憫の子マルセル。

 陛下の叔父であるアレスの独り言に周囲を見回す。

 ネズミなんて居ないようだが……と心の中で呟く。


 マルセルの瞳は書類から離れ、手を休める事なく書類を次々と処理しているアレスを見た。


 膨大な決裁書類をあり得ないスピードで読み解き、認可の書類には玉璽を押印していく。

 玉璽を押した書類をポンポンと認可済みの箱へと放り込み、認可出来ず差し戻しの書類をそれ専用の箱へと放る。


 陛下も凄いがアレス様も凄い。

 そして陛下よりも手を抜かないので、玉璽を押して貰えるかどうかの判断は厳しく容赦ない。


(陛下はクラウディア様とお茶をする予定に合わせてスピードを早めたり緩めたりしている時があるから……。アレス様がたまに説教をしているのを見た事がある。)


 要求や予算が見合わないふざけた内容だったり、文書作成にあたり曖昧な文言を使用する事で要望の明確性をぼかした書類を作成した者は容赦なく呼び出し「現役学生の文官志望者である貴族令息の方がもっとまともな文書を作る事が出来るでしょうね。やり直せ」と嫌味交じりに吐き捨てて作成し直しを指示する。


 勿論、その瞳は手元の書類から外れる事なく素早い動きで次々に処理していく。

 アレス様は同時進行にさまざまな事を器用にこなしていく。

 会話を続けながら書類を読み解き、そうしながら別な書類の指示も出す。

 明確な指示は分かりやすいが、一切目が合う事はない。


 嫌味を言われた者が謝罪しすごすごと扉前へ移動していく。

 振り返り一礼して退室するも、目線はずっと書類から離れない。

 凄い集中力なのか「相手にする価値もない」と判断しているのか。


(アレス様に価値無しと判断されぬよう私もしっかり仕事をせねば。)


 気合いを入れ直し書類に目を落としたマルセル。


「ネズミとは、間者の類いの事ですよ、おバカさん」

 フッと笑ってアレス様がこちらを見た。


「普段なら間者如きの一人や二人泳がせるんですが。タイミングが良くないな。普段であれば何処の者かと探り、偽装した情報を撒いてこちらから情報操作をしてやったりもするんですけどね? 執着の塊みたいな者の処理が大変でねぇ……色々と私も忙しいから、さっさと排除する方が時間の無駄がないんですよ。」


「そうですか。」


 シュヴァリエの側近のマルセルにもクラウディアの情報は共有されている。

 恐らく執着の塊とは枢機卿の事であろうとすぐ察しがついた。


「このタイミングであるし、念の為少し拷問して情報を吐かせておいた方がいいかもしれないね? マルセル」


 ぞっとする程冷たい目をしながら語るアレス。


「少し席を外すけど、こちらの書類の仕分け頼まれてくれる? 玉璽は流石に押させられないから仕分けだけ頼みますね。」


「承知、しました……」


 スッと立ち上がり颯爽と退室する背中を見送りながら、自分に向けられた訳でもない殺気であっても、背筋が怖る程の恐怖を感じたのだった。


(流石現皇帝の叔父のアレス様です……)


 アレスが戻る前に、アレスが要求する最低限の量の書類を仕分けていなければ、蔑むような目で嫌味のひとつふたつ言われるだろう。

「大切な甥の側近に無能はいりません」と言われる可能性もある。


 アレスやシュヴァリエ程ではなくとも、皇帝の側近とあってマルセルもまた有能であった。

 手元の書類を手際良く仕分けていく。


「陛下、今頃楽しんでるだろうな……クラウディア様が一緒だから何やったってご機嫌だろうな……俺はここでお留守番させられてさ……ズルい。」


 置いてかれた寂しさにポロリと愚痴がでたのだった。





 執務室を退室してから少しのこと。


「ここに居るネズミはどこの産地ですか?」


 間者として皇宮侵入に成功した者達をアッサリ捕縛し、その四肢を手際よく縛り上げ床に転がしたアレス。

 糸に掛かったネズミ達に質問を投げかけていた。


「「「………」」」

 侵入を果たした全員が即座に捕縛されていた。

 侵入に成功したのは、たった数分前の事であった筈。

 それが何故現在、仲良く床に転がされているのだろう……。

 その事に信じられずに皆が呆然としている。


「質問に答えられませんか? 手間をかける時間すら勿体ないので、拷問方法も振り切ったものになりそうですが」


「………っ!」

 拷問の言葉に息を呑んだ仲間に感情の無い目を向ける男。

 その男がこの国の皇帝の叔父である事は知っていた。


「仕方ありませんね。拷問に移行しますか……」

 面倒だと言わんばかりに大きなため息をついてみせる男に、自分の身体が制御出来ない程に震えてくる。


 言わなければ殺される。

 言っても殺されるかもしれない。


「んんーー!」

 だが言おうにも猿轡をされている。


 それを知っている癖に男は「言わないのなら仕方ありませんね」と意地の悪い笑みを浮かべているのだ。


 無駄な事を厭っているんですよ。といいながら、意地の悪い嫌がらせをしてくる。


 言わなければ拷問するぞと言いながら、言わせないのだ。



「さっさと殺してしまってもよいのですが……ああ、そう言えば、お前たちはアレに顔が割れていないな。外国産のネズミ……使えるかもしれないな。」


 ふと思いついたというように男は呟いた。


 思案するように目を閉じ顎下に片手を添える。


「そうだ。開発中の薬の治験も出来るな。このままバレなければアレへの間者とさせて生かしてもいいし――――」

 ぶつぶつと独り言をつぶやいたかと思えば、大天使のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「お前ら運がいいようだ。使ってやろう。」


 次々と繰り出される言葉の意味を考える前にまた次々と意味の分からない言葉を言われる為、言われた内容の意味が思考に留まらない。


 足元から這い上がってくるような恐怖に震え始める俺たちを見つめる男の瞳には得体の知れない闇が見えた。


「我が帝国の太陽の役に立てよ。」

 唇の片端を上げて嗤うその笑みは、先ほどとは真逆の感情を乗せていた。

 まるで美しい悪魔そのものの微笑みであった。

ご覧くださいまして有難うございました!

イイね、ブックマーク、評価、誤字脱字報告大変感謝しています。

ありがとうございます。


また明日もご覧頂けましたら嬉しいです。


皆様、良い夜をお過ごしください。

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