第66話 視察前準備。
誤字脱字報告助かっております。
有難うございます。
「ねっ! 見て見てアンナ!」
クラウディアの鈴の鳴るように明るい声が室内に響く。
「はい、姫様、アンナは見ておりますよ。」
それに嬉しそうに応えるアンナの声。
昼間の陽光を室内へと巧く取り入れるように設計され造られた室内はとても明るい。人工的な照明ではなく、自然の光の中で作業が出来るこの部屋を気に入ったクラウディアが、部屋に入り浸り刺繍をするようになったので、この自然光溢れるこの部屋は昼間にクラウディアが作業する刺繍専用部屋となっていた。
壁の一面を使って天井まで届く棚が備え付けられ、定番色の糸はもちろんのこと、あまり見かける事のない特別な色の刺繍糸や、質感の違う糸までさまざまな種類が取り揃えてある。
刺繍用として用意された様々な質感の布、レース、フリル、可愛い飾りボタン等々がびっしりと棚に収納されてあった。
他にもクラウディアが使うかもしれないと大量の素材が収納され、ただクラウディアに選ばれるのを待つ状態であり、裁縫を嗜む者の夢の空間である。
シュヴァリエがクラウディアの創作意欲に飽きの来ないようにと選び抜かれ揃えられた物たち。
いつものことながら少々の行き過ぎ感は否めないが、クラウディア自身は兄の愛を感じ、飛び上がって感謝したのだった。
シュヴァリエの思いが詰まった品々だが、いまのところクラウディアは針と糸と布の三点しか使用したことはない。
選ばれるのを待つものたちの出番はいつだろう。
「ほら、こうやってね、針よ早くなれーって思いながら縫うとね? ほら! 早く終わるでしょう?」
「まぁ! そうでございますね。それは姫様の腕が上がったからという事では?」
アンナがクラウディアの手元をしばらく眺めていた後、完成した刺繍を見つめ、ん? と首でも傾げそうな表情になる。
「うーん、そうかな……? でも、今までは一時間に一枚すら完成するかしないか無理そうだったのに、今回は三枚も出来たよ!? 三倍だよ!」
アンナが吃驚してくれると期待して話したのに、思ったより冷静な対応をされてクラウディアは頬を膨らませる。
「ふふっ、それは凄いですね。では、きっと姫様の言う通りなのでしょう。」
ふくれっ面になったクラウディアのあどけなさが愛おしく可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
「そうよ! 視察前までに二十枚は作ろうと思ってせっせとチクチク頑張った甲斐があったわ!」
結構な枚数に、アンナが驚く。
「姫様、あまりお無理は……」
「ううん。それがね全然疲れてないの。前は一枚チクチクするだけでもすごく疲れてたのにね。馴れて来たのもあるのだろうけれど、私ね、コツを掴んだの。
ほら、こうやって、こうするでしょ…?」
一生懸命針を動かしながら、クラウディアはアンナに作業を見せる。
手慣れた様子もそうだが凄い速さで布へと針を刺していく、中々堂に入ったものである。
「色彩が目に鮮やかで素晴らしい刺繍ばかりですね。こちらは……ネズミですか?」
「ネズミではないわ…猫よ。」
クラウディアが即座に訂正する。
その刺繍は真っ白な猫を立体的に見せたくて、灰色の糸で影を入れたのだ。
「んんっ? あ、猫ですね。よく見たら猫に見えますね。
少し歯が前にあるような気がしたような……? いいえ、気のせいでしたわ。
こちらは……なんでしょう、青い蝶? でしょうか」
綺麗な青の羽を広げた蝶が今にもひらりと飛び立ちそうである。
刺繍する対象が躍動的な図柄の刺繍を今まで見たこともないアンナには全てが新鮮で斬新に映る。
「……鳥よ、アンナ。……私、もしかしたら上達なんてしてない気がしてきたわ。
だって鳥が蝶に見えるのだもの。きっと慣れてきて速さにばかりかまけて、早く仕上げられるようになったのだって、きっと雑になっただけなのだわ……。」
シュンと落ち込むクラウディア。
大きな瞳にジワリと涙が滲む。
「なのに祈ったら針が早くなっただなんて……恥ずかしい」
ジワリジワリと涙の量が増していく。
アンナは内心で己の失態に大慌てだ。
断言などせず誘導で上手く情報を訊きだしてから、何かを発言するべきだった。
「姫様、私は昔から美しいものを見て判断するセンスがないのです。
姫様が持つ新鋭的な独特のセンスは、それを手にする者の心を鷲掴みする事でしょう。そして、何よりアンナは姫様が手ずから刺すどの刺繍も好ましく大好きですよ。」
独特のセンスで乗り切るアンナ。
嘘を吐きその場を誤魔化す事はクラウディア相手にはしたくない。
かといって直球など以ての外である。
とするなら、少し難しい言い回しを使いクラウディアが「よく分からないけれど褒められた?」と思ってくれれば御の字なのである。
(何か良く分からないけど、アンナに凄く褒められてる?)
クラウディアは難しい言葉の意味を考えつつ、きょとんとする。
溢れそうになった涙も止まってしまった。
「有り難うアンナは優しいのね。独特のセンスっていうところが良く分からなかったけれど、私の刺繍を喜んでくれる人がいるなら嬉しいな。でも作っても作ってもほぼ全部シュヴァリエお兄様に回収されていくのが納得できないのだけれど……約束だから仕方ないわ。」
それからクラウディアは、突然あっ!と声を出すと、刺繍が施されたハンカチを三枚程手に持ちアンナに差し出した。
「これは、アンナの分。またプレゼントするからちゃんと使ってね?」
アンナへ渡すハンカチはいつも花を刺繍している。
花柄がアンナにはとても似合うと思っているクラウディア。
アンナは花が大好きなようだし、仕事の合間のちょっとした休憩時間にでも刺繍された花を見て癒されて欲しいと、思いをたっぷり込めて針を刺している。
アンナへ渡す分は速さを重視せず、三枚のハンカチすべて一針一針心を込めて刺していた。
クラウディアをいつも大切にしてくれるアンナへのせめてものお礼だ。
「綺麗な花ですね、私はこの紫色の花が一番好きです。」
「それはラベンダーかな? あ、また今度香り袋作るね! 枕の隣に置いて欲しいの。ラベンダーの香りはリラックス出来て良く眠れるらしいから。」
物よりもこうしてアンナへ向けられるクラウディアの気持ちが嬉しい。
「はい、楽しみにしておりますね。」
アンナも嬉しそうにはにかんだ。
影の者に一枚あげてしまい、自分で言いだした事とはいえ惜しい思いをしていたアンナ。それからすぐに三枚も手に入れて、大変満足である。
◇◆◇◆◇◆◇
「シュヴァリエお兄様って…どうやって私が刺繍をしているのだと知ってるのかしら。何も言ってないのに、刺繍したものを仕上げた時は必ず来て回収されていくのだけれど。」
三人娘と、アンナがピシリと固まる。
クラウディアに教える事はないのだが、選ばれ配置されている護衛騎士とは他にクラウディアには二十四時間ずっと影が配置されていた。
皇族に付けられるであろう影の数の通常の二倍の数が配置されていた。
その影がクラウディアの一日の全てを逐一シュヴァリエに報告している為、クラウディアのどんな様子も全てがシュヴァリエに筒抜けである。
影を二倍も付けて報告させているというのに、アンナがクラウディアにおやすみの挨拶を済ませた後に書き足して仕上げさせられる『クラウディア姫の一日』という報告書まで提出させられている。
正直、クラウディア命のアンナでもドン引きしている。
クラウディアの全てはシュヴァリエに把握されているのだ。
可愛らしい姫様はこの事を知ったらどう思うだろう……それらを知る三人娘の胸中は複雑である。
常時護衛が張り付く生活は皇族に生まれたからには当然ある事なのだけれど、ここまで事細かに報告されているのは、まるで罪人監視のようでお労しい。
姫様は殆どこの月の宮に篭りっぱなしだ。
宮の庭なら散策できるが、規模の大きい皇宮庭園となると陛下の許可が無ければ無理である。
全てが月の宮で済ませられるようにと色々と配慮されてはいるが、窮屈ではないかと思えて仕方がない。
姫様は今の生活をどのように思われているのかしら……と、枢機卿の件を知らない三人娘は憂うのだった。
クラウディア本人は前世から引きこもり体質で、外に出かけるより家でゆっくりゴロゴロしていたいタイプなため、今の生活に何の不満もなかった。
逆に公の人の視線がたくさん集まる場で周囲をガッチガチに護衛で固められ移動させられるのは、見世物みたいで酷く辛い。
他人の目もなく、クラウディアが大分慣れてきた今の護衛騎士たちがずっと護衛している分には、起きてから寝る直前まで居座られても、然程ストレスも感じなくなっている。慣れっておそろしい。
クラウディアは一度懐に入れると身内扱いとなり、パーソナルスペースが近くなるようだった。
護衛騎士達に関しては、ときめき要員でもあるので、身内扱いにはまだなっておらず、然程ストレスを感じていないのは、イケメンを鑑賞し放題ヒャッホー! と思っている為であったりするが。
「姫様の事を何でも知っておきたい、陛下の兄心なのでしょう。姫様を大切にしているが故の事。妹思いの優しいお兄様であられますね。」
微塵もそんな事を思った事はないが、物は言いようである。
刺繍の話に乗った所で、クラウディアが作成したものの回収が無くなる訳ではないのでスルーさせて頂くアンナである。
クラウディアが三人娘の方を見て小首をコテンと傾げた。
「皆もそう思う?」
当然、三人娘に否の選択肢はない。
「ええ、羨ましい事ですわ。」
「姫様はこんなに可愛らしくお美しいのですもの、陛下がご心配されるのも分かりますわ! 悪い虫はどこに潜んでいるか分かりませんからね」
「うちにも兄が居ますが、鬱陶しいくらいに心配してくるのですよ。妹に過保護過ぎるのは何処も一緒でございますわね。」
ニコニコと微笑みながら肯定しておく。
「そっかぁ。正直、最近のお兄様に病的な過保護さを感じちゃって。皆こんな感じなんだねぇ……お兄様が居る所は。じゃあ、私の気にし過ぎかー」
クラウディアの発言に内心では「陛下は他に類を見たことがないほどの超絶過保護でありますよ。病的……そう思ってしまうのも仕方がありませんわ、姫様」と、四人は内心でそうクラウディアに語った。
ちなみにアンナもクラウディアには超絶過保護であると思っている事を三人娘は己の心の中だけに留め置くこととしている。
「大袈裟に考えてしまうのは私の悪い所ね? でも知らなかったんだもの……病的って心配してしまうのも仕方ないと思うのよ」と、薔薇の蕾のように可憐な唇を尖らせて拗ねたように小声で言葉にするクラウディア。
そんな可愛らしいところを愛でながら、ほっこりする四人。
ウフフ、っと女性たちの軽やかな笑い声が月の宮内に響く。
クラウディアの母親は類まれなる傾国の美貌、女の色香の塊だと言わしめた存在で、前皇帝陛下を骨抜きにしていた側妃である。
その母親に生き写しであるクラウディアは、幼い顔立ちながらもハッとして魅入られる美貌である。
幼さ特有のあどけなさすら、危うい色香として感じる変態がいるのではないか。
陛下が心配して超絶過保護になるのも致し方ないと思ってしまうのだ。
クラウディアがこれからもっと年齢を重ね、その美貌が大輪の華のように育った時、今よりもっともっと過保護になってしまうだろうことは誰も口にはしなかった。
物凄く低い可能性ではあるが、陛下にも愛する伴侶が出来て妹ばかり心配していられなくなるかもしれない未来があるかもしれない。
限りなくゼロに近い未来である。
「さぁ、準備の最終チェックをしましょう。」
アンナの呼びかけに三人娘もおのおのの作業に戻る。
「私はしなくていいの?」
クラウディアは、皆がバタバタしているのに自分だけ優雅にお茶を飲むとか出来ないと思った。
「姫様、姫様はお茶飲み刺繍を刺しおとなしく穏やかにお過ごしになることが、お仕事です。」
アンナの「余計なことしたら準備に時間がかかりますから」的な圧を感じ、クラウディアはおとなしく「はぁい」と返事をするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
アンナが「姫様、おやすみなさいませ。いい夢を」と去っていった後、クラウディアはむくりと起き上る。
ベッド横のミニチェストの引き出しを開けると、両手サイズの籠があり、そこには数種類のクッキーが。
引き出しから籠を持ち上げると、窓辺へと近づく。
窓の下に籠をおくと独り言を呟いた。
「こんな夜まで護衛有り難う。朝に誰かと交代するまでは寝ずに見守り続ける大変なお仕事お疲れ様です。これ、クッキーなんです。
甘いものは疲れた体を癒してくれるので、良かったらどうぞ。」
そう一息に言い終えると、ベッドに戻りまた横になる。
そしてすぐにスゥスゥとした寝息が聞こえた。
窓際でゆらりと何かが揺れる。
現れたのは真っ黒な姿の長身の男。
戦闘の百戦錬磨のような強者の空気が立ち姿から伝わる。
隙がなく背筋がスッと伸びた姿は美しくも見えた。
そのゆらゆらと揺れる影は、窓下にある籠を見つめフルフルと小刻みに震える。
籠に手を伸ばすが慌てて引っ込める。いや、でも、と躊躇うように何度も。
やがて壊れ物に触るようにそっと籠を持ち上げ、大切そうに腕に抱えた。
ベッドの方へ視線を見遣ると、男の持つ雰囲気がふにゃふにゃ和らぐ。
そしてまたゆらりと暗い闇の中に溶け込んで消えた。
翌朝、窓下に昨夜の籠がそのまま置いてあった。
「持っていって貰えなかったのかな…」
と、少しシュンとしたが、籠を持ち上げてカサカサという音に気付く。
あれ…? と籠の蓋を開けてみれば、中にはクラウディアの大好きなマカロンが可愛くラッピングされて置いてある。
クラウディアがニッコリ笑い、窓際に向かって「ありがとう! これ大好きなの」と小声で囁いた。
クラウディアのお礼に、部屋の隅の影が一瞬ユラリと揺れた。
「また何か差し入れするね。」
クラウディアは嬉しくてニコニコしながら、籠の中身を手にしたのだった。
いろいろ書き足していたら、ちょっと長くなってしまいました……。
ご覧頂きましてどうも有難うございます。
本日日曜日、お昼12時にも投稿します。
良い一日をお過ごし下さいますように。
有難うございました。