第25話 開戦の足音。
戴冠式から半年……。
お兄様ことシュヴァリエは、この国に居ない。
居ない理由は……
――――戦が始まったから。
ヴァイデンライヒ帝国は、前皇帝から新皇帝となったばかり。
しかも前皇帝が患った病巣を徹底的に叩き潰した今、政権がまともに機能するまでに時を要する。
何もかも安定しているとは言い難い今、叩くには絶好のチャンス。
そこを狙われた。
戴冠式(天使降臨式ともいう)から2週間が過ぎた頃、シュヴァリエから「俺が即位した事で内政は取り敢えず安定はしたが、予定調和とはいえ、外交は更に荒れそうだ。」と、言われていた。
不穏な内容……けれど、私に話したシュヴァリエに、焦りは見られなかったのもあって、シュヴァリエからそれを話して貰った時にも、十歳の皇帝だもんね、外国からは舐められるよねー。なんて、結構気楽に受け止めていた。
外交が荒れるイコール侵略戦争になるかもしれないとの考えには至らなかったんだよね……。
平和ボケしてた前世日本人が抜けきらない自分を殴りたい。
それでも、戴冠式を終えての一ヶ月の間は、血生臭い話題はなかったように思う。
少なくとも平和ボケの私の耳には入らなかった。
入らないようにされていたのかもしれないけれど。
それでも、ちらほらとヒントはあった。
シュヴァリエから刺繍を施してくれと大量に色々持ち込まれた物たち。
こんなのにまで刺繍するぅ?なんてゲンナリしつつ、刺繍して渡した時の喜ぶ顔に絆されてせっせと励んでしまった数々。
その中には、武具の下に着る様な物も数種混じってたりしていた。
私は、当たり前だけれど気づかなかった。
そもそも防具の下に着る物なんて今まで見た事もない。
そんなものもあるんだ!と思った。
魔法防御を高め、魔法によるダメージを軽減する特別な糸で作られる肌着…
肌着とは言われてないけれど勝手に肌着と脳内で呼んでいる。
何故かって…?
それは見た目が、前世の私が冬に重宝していた黒のヒートテッ○みたいだから。
防具の下に着る物があると知ったのは、戦争をする事になると、シュヴァリエから聞いた時だったから、刺繍してる時に気づかなくて当然なんだけどね。
「隣国のドンデレス王国と戦争になる。」
シュヴァリエは「今からちょっと買い物に行く。」くらいの気安い態度で宣った。
「えっ………」
何言い出したのこの人…と、目がまん丸になり、きょとーんとする。
もしかしたら、だらしなく口も開いてしまったかもしれない。
「お兄様…戦争って…大丈夫なのですか?」
サーーっと血の気が引いていくのが自分でも分かった。
それに気付いたのか、シュヴァリエが慌てて私を自分の胸に引き寄せ抱きしめた。
そのまま、私の背中を上下に優しく擦り続ける。
「クラウディア、大丈夫だ。俺が前線に出て、魔法で蹴散らせばすぐ終わる。」
「……前線!?一番前って事ですか!?
何を言うのです!
お兄様は皇帝ですっ。一番最後列に居なければ!
命を大事にしてください!
大将が討たれれば士気だって下がります!」
まだ少年の年で前線で戦うなんて…この皇帝は自分の命の重要さを分かっていない。
まして今回は侵略戦争だ、総大将であるシュヴァリエの首を取れば、勝利の名の元に国へと勢いよく攻め込まれる。
恩赦など有りはしない。きっと帝国は隣国に徹底的に蹂躙されるだろう。
だから、帝国民の命と尊厳を守る為にもシュヴァリエだけは死んではならない。
命は平等。重いも軽いもないなどと綺麗ごとを言うつもりはない。
身分制度があるこの世界では、命の価値が決まってしまう。
そして、この国においてシュヴァリエの命は誰よりも重い。
青褪めていた顔が、今度は怒りで真っ赤になった。
シュヴァリエの胸に寄せていた頬を離し、両手で胸を押して少し距離を取ると、シュヴァリエの顔を見上げる。
パパラチアサファイアの瞳は好戦的に輝き爛々としていた。
「俺を誰だと思っている。
最大の魔法を行使するスピードとその種類でも、何発も最大魔法を撃てる魔力量でも、どの分野においても俺に勝る者など、この世界のどこにもいない。
愚かにも侵略出来ると愚考して攻め入ろうとするドンデレス国の兵全員を、魔法で嬲り殺しにしてもいいが……。
だが、此度の侵略戦争にしても、国の愚かな上層部が決めた事。
駒として従うだけの兵に罪はない。
前線に配置された兵には少し痛い思いをして貰うがな。
開戦してすぐの初動から大きな魔法を数発撃ち、敵の混乱に乗じてドンデレスの大将を討てばすぐ終わるさ。」
「煩いのをすぐ討てば、敵は沈黙せざるを得ないだろう?それが1番早くて1番無駄がない。」
シュヴァリエは獰猛な顔付きになって嗤った。
「それに、お前は初耳だ!知らなかった!とばかりに騒ぐが、お前に刺繍を頼んでいた物の中にも、
武具に使う物や、胸当ての下に着る物も入れてたと思うが……
――――気付かなかったか?」
上目遣いで睨む様にシュヴァリエを見つめてくるクラウディアの鼻を指で摘む。
「なにふるんでふか!(なにするんですか)」
クラウディアの反応を見て、嬉しそうにくくくっと笑った。
シュヴァリエの指を鼻から外す。
「次から次へと届いてたので、どんな物かも知らないで施してましたし…
そもそも、武具や防具に使う物とかも知らなかったですし。
…というよりもですね、5才児に何を求めてるんですか!」
「お前なぁ…5才だ5才だ年ばかり強調して言うが、良くいる5才児の言動じゃないぞ。見た目と口調に違和感しかない。
時々、俺よりも年上と話してる様な気になる時すらある。
こんなに小さいのに、妙な安心感があるんだよな。
だから…ついつい甘えてしまう。
――兄なのにな。
でも、毎日とても救われてる。」
手の甲でクラウディアの頬を優しく撫でたかと思うと…
また鼻を摘んだ。
「おふぃさま……(おにいさま)」
クラウディアは胡乱な目付きで、鼻を摘むシュヴァリエの指を外した。
「私は紛れもない5才児ですが。
家族とは頼り頼られ、甘え甘えられの信頼出来る関係だと思っています。
だから、お兄様が甘えてくれているとしたら、とても嬉しいです。
この世にもう二人しか居ない家族ですもの。
私こそ毎日救われています。
だからこそ、お兄様のお命は大切にして欲しい。
帝国民の為、お兄様に忠誠を誓う家臣の為、そして貴方の妹である私の為に。
もし危険を感じたら、絶対に深入りしないと誓って頂けますか?」
伝えたい事を伝えるには5才の設定では無理がある。
シュヴァリエと話す時は19歳の私で話している時が増えていた。
この大事な時だからこそ、ちゃんと言葉にしたい。
その言葉を最後まで聞いたシュヴァリエは、フワッと花が綻ぶ様に微笑んだ。
「ああ…誓う。クラウディア、お前に誓うよ。」
そしてクラウディアの手を取り、指先に誓いのキスをした。
忠誠を誓う騎士の様な仕草に、ボッ!と顔を真っ赤にするクラウディア。
この兄は………時々心臓を潰しに来る。
「く、口で誓って貰うだけでいいです!」
クラウディアは、ぷるぷると震えながら抗議した。
絶対からかわれている。
そんなクラウディアを愛おしそうに眺めながらも、
「大人のような言葉を使うお前を、年相応に恥ずかしがらせるのが目的だから、それは出来ないな。」
と、悪い顔でからかうのだった。
翌日、クラウディアが願いを込めて縫った安全祈願なる“お守り”をシュヴァリエに手渡した。
――――どんなことがあっても無事に帰って来れますように…。
そんな願いを込めて。
シュヴァリエはそれを聞いて、大切な宝物を貰ったかの様に胸に押し当てた。