第100話 叔父と甥。②
「――――という訳ですよ。叔父上。」
不機嫌そのものといった顔つきでアレスを見つめるシュヴァリエ。
「いい加減落ち着いて貰えませんか。」
シュヴァリエの声音に剣呑さが増す。
「だ、だって、ブハッ、はははっ、シュ、シュヴァ、ティーって! ぐっ、くるしい……は、腹が捩れるっ――――」
「叔父上。」
「ご、ごめん。ヴァリーも大概だけど、シュ、くっ……はは、ふふふっ」
「……叔父上。」
「ちょ、ちょっと時間を。」
ひいひい言いながらアレスは笑いをなんとかおさめる。
シュヴァリエが魔王モードになるギリギリであった。
アレスはお茶をぐいっと飲み干し笑い過ぎて乾いた喉を潤す。
「そんなに怒るなよ。あの渾名の殺傷能力はずば抜けてるぞ。
誰でも一撃必殺出来る。間違いない。」
シュヴァリエに対しては随分と砕けた口調のいつものアレス。
シュヴァリエと二人だけの時は、いつも素のアレスなのだが、素であるぶんクラウディアの渾名候補のくだりの話をシュヴァリエから訊いて、それがグッサリとアレスの笑いのツボに深く深く突き刺さったのだった。
その笑い続ける姿が笑い死にしそうな程に続き、シュヴァリエはここまで笑い転げる叔父の姿を初めて見た。
自分の渾名でここまで笑われてる事にイラッともするし、センスは微妙とはいえ大切なクラウディアが考えてくれた渾名に対しての笑いと思うと、寒々とした冷たい気持ちにもなっていた。
愚かな父母に持つ事の無かった、親に対する思慕を叔父には感じていた。
そんな敬愛する叔父ではあるが、正直、こんな姿を見せられては、色々とドン引きである。
ムスッとする甥を見遣り、やらかしたかと頭を掻くアレス。
「それで、私はお前の事をシュヴァ、くふっ、ダメだ、まだ。」
「……その候補たちを呼ばずに“シュヴァリエ”と呼んであげたいんだと伝えて下さればいいのですよ。ディアに。」
「……あ、ああ。私も笑わずに言える自信がないしな。そう伝えておく。」
目尻に溜まった涙を指の先で拭いながらアレスが同意する。
シュヴァリエはそんな叔父を冷たい眼差しで見つめる。
「そう怒るなよ。マルセルが慌ててたのをフォローしたじゃないか。」
「政務に支障を与えた事は反省しています。私のこの態度からディアが私を揺さぶる事が出来る弱点だと判明して、ディアに危害が加えられるかもしれませんから。」
「そこだよ。我が国皇帝のお前の唯一の弱点だからな。ディアは。」
アレスの“ディア”の言葉に、シュヴァリエから物騒な殺気が漏れ出る。
「おいおい、姪だぞ。」
「それが? 姪だから何ですか。」
「そういう所が今朝の喧嘩に繋がったんじゃないのか?」
「っ……。」
「そんな顔をするな。」
「……。」
「あー、どうするか。じゃあ、双子の王子が使ってた“クラウ”にしとくか。」
甥の「あの時」を思い出したのか、その辛さの片鱗を垣間見える辛そうな顔を見てしまったら、まだ話さずに引っ張るつもりだったけれど、そんな顔を見てしまったらすぐに話す一択だ。
アレスにとって姪は勿論可愛いが。
甥も可愛い。
もしかしたら、姪よりも。
辛い境遇を耐えた甥を庇護し、自分が持つ知識を与え、皇帝の座へと導いた。
甥はアレスにとって我が子のようであり、甥でもある。
そして、国の為に共に戦った戦友でもあった。
まだ幼いが、やがて成年になる頃には今よりもずっと成長した立派な皇帝になって欲しいと思っている。
だから、今回の件はいい忍耐を覚えさせるいい機会だと思った。
手を差し伸べる事は容易いが、それだと姪の自由はなくなる。
甥が望めば何もかもその通りになる、相手の意思など不必要だと思わせるのはアレスは嫌だった。
皇帝という地位に居る者が白といえば白になり黒といえば黒になる。
全てが皇帝の意思基準で正解にも不正解にもなる。
周囲が皇帝の望みを叶えようと躍起になる。
その事に望まれた者の意思は必要ない。
皇帝が“望んだ”それが全てだ。
アレスはシュヴァリエを暴君にしたい訳ではない。
自分に何かがあって、シュヴァリエが独りになるのが心配だったが、姪がいる今はそちら方面の心配はしていない。
国としては自分の後継が育っていない為、心配だが。
それは、まあ追々考えるとして。
「いいのですか……?」
シュヴァリエが思考に沈むアレスを見つめていた。
「ああ、いいよ。お前が今までこれ程に執着し大切にする存在は居なかった。
それほどに特別な存在なら、私は“クラウ”でいい。」
「ありがとうございます……。」
ホッとしたように表情が和らぐ。
「でも、私も家族の輪には入れてくれ。二人で完結した世界は別枠でやってくれ。
私の家族はもうシュヴァリエとクラウしか居ない。
仲間外れは、もういい大人の叔父だけど寂しいもんだ。」
「はい。勿論。」
「頼むよ。」
アレスは微笑む。
シュヴァリエはその笑顔を見て、何か話そうとしたように開けた口をまた閉じる。
「ん? 何だ?」
「いえ……叔父上は、結婚願望とかないのですか?
そのようなお相手候補のお話も訊いた事がないなと思ったので。」
「誰もいないな。甥と姪が落ち着いたら考えてもいいかな? 程度には願望はある。」
「そうですか。私は叔父上に似合いの令嬢を一人心当たりがありますけどね。」
「ほう、参考までに教えてくれ。」
「叔父上は令嬢然とした者は嫌いでしょう? どのように美しくとも頭が悪い者も。」
「そうだな。頭が悪いのは会話が出来ないから嫌いだ。美しさなど年月と共に衰える不確かなものだしな。それよりも頭の良さはずっと楽しませてくれるからな。」
「そうですね。それらを踏まえて、アンナ・ローデヴェイク侯爵令嬢が叔父上の好みに合致するなと。」
ニヤニヤしていたアレスの表情が硬直する。
「ええー……彼女、苦手なんだよ。」
「どこら辺がですか? 叔父上好みの顔に頭脳を持ち、身分も釣りあう相手ですよ。」
「彼女の私を見る視線が――――虫を見るような、何か不思議な生き物を観察するような、そんな目なんだよ。
彼女には何もかも叶わないような、そんな強者な雰囲気があるのも苦手。」
「……。」
そんなことはないとフォローをしようと思ったが、確かにアンナがアレスを見る時の瞳はそんなだったかもしれないと思い出し、余計な事は言うまいと黙るシュヴァリエ。
「そうですか。何となく思っただけですから。
叔父上が気に入る令嬢が一番です。」
そして、無難な言葉で締めくくった。
「今、“確かにそんな目で見られてたな”と思っただろう。」
「いいえ。それより、最近は酒量をセーブされてるとか。いい事です。」
「あー、甥っ子に心配されたら叔父としては気を付けるさ。」
「続けてくれればいいんですけどね。」
この遣り取りも何度かしている。
完全に断つのは無理だろうから、チクチクと注意して控える期間を作る事で身体を酒から休ませているのだ。
「シュヴァリエが酒を共に飲む事が出来るようになったら、箍が外れてしまいそうだけどな。楽しみにしてるから。」
目を細め、少し先の未来を想像して微笑むアレスに、シュヴァリエも満更でもないように微笑み返す。
「では、そろそろ戻ります。まだ書類仕事が残っているので。」
朝のぐちゃぐちゃの思考で書類仕事が捻らず、その後はクラウディアが来て浮かれて休憩時間を多くとってしまった。
寝る前に少し書類仕事を捌いてからにしようと思っていた。
「手伝うか?」
何となく把握しているアレスが訊く。
「宰相閣下のお手を煩わせるようなものはありませんよ。では、おやすみなさい、叔父上。」
シュヴァリエは身内にだけ向ける優しい笑みを浮かべる。
「おやすみ」
アレスも同じような笑みを浮かべ送り出した。
シュヴァリエがアレスの部屋の扉を閉めた瞬間。
部屋の中から「シュ、シュヴァティーって! くくくっ」とくぐもった話し声が聞こえた。
シュヴァリエの蟀谷にピキッと青筋が浮かぶ。
アレスの部屋の扉前で中に戻るか逡巡し、ひとつ大きなため息を吐くと入る事はせずに自分の執務室へ向かうのだった。
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