表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

赤い花の求めたものは

作者: 古口 宗

 たったひとつ欲しいものがあるの


 彼女の言葉を、良く覚えている。頭の中で劣化すること無く、鮮明に。

 僕の事をきっと、彼女は覚えていないだろう。それでも別に構わないのだけれど。時折、此方を気遣うような態度は何かを察しているようで。申し訳なくなる。


「今日は、どちらへ行かれますか?」


 僕の問いかけに、彼女は微笑んで答えた。


「そんなに毎日、出掛けないわ。貴方も休んで良いのよ?」

「いえ、これが仕事ですから。」


 出ていけ、と言われればそうするが。彼女はそんな事を口にはしない。父親の心配症を、知っているからだろう。

 親を気遣う優しさは、時には囚われた鳥の様に思える。しかし、それも彼女の優しさだと思えば、哀れに感じる事もない。

 大きな屋敷、ふわふわの床、豪華な絵画、色とりどりで整った花。

 そこそこになんでも出来た僕は、お嬢様の世話係の座を会得した。まぁ、少しの努力はあったが...泥臭い話はカッコ悪く、己の胸に仕舞っておく。


「今日はね、お勉強よ。」

「お嬢様が、ですか?」


 しまった、と思った時には遅く。機嫌を損ねたか、可愛らしく頬を膨らませる彼女。

 子供らしい表現に、そろそろ16になるのに、と思う...そこも彼女の良さではあるのだろうが。


「なに?私が勉強したら、変?」

「いえ、そのような事は...」


 振り返った彼女の顔が、目の前に大写しになる。内心の動揺を隠し、誤魔化そうと試みるが叶わなかったらしく、彼女はクスリと笑って、後ろを向いた。


「もぅ、初ね。顔が真っ赤よ。」

「そ、そのような事は...」


 確かに近づいた顔は、幼い頃よりも綺麗だと思ってはいたが...気恥ずかしさを誤魔化す様に、窓の外に目をやる。すぐに話題は見つかった。


「あ、ゼラニウム。お嬢様、好きですよね。」

「え?」

「ゼラニウムの花。この時期は、いつも探しておいででは?」

「...えぇ、そうよ。大好き。」


 花の話だ。分かっていても少し心臓が騒ぐ。喚くだけならば赤子でも出来るというのに、この心臓は言うことを聞かない。


「赤いゼラニウム、お父様が好きだったの。お母様が送っていたんですって。」

「奥様が...?」

「お父様、奥手だから。」


 クスクスと笑う彼女に、失礼ながら同意してしまう。奥様の生前は、御主人様はあまりにも臆病だった。

 まるで、壊してしまわないように、汚してしまわないように、奥様と接していた気がする。

 それは、彼女への態度に上乗せされて、今も続いているが。


「ゼラニウムはね?貴方がいる幸せって意味なのよ。お母様、大胆なの。」

「それだけ、愛されていたのでしょう。」

「うん...大好きだって、いっぱい聞いたもの。」


 彼女が幼い頃の、少ない思い出に浸っているのだろう。少し離れ、人が来ないか確認する。

 もし来たのなら、この儚い姿を見せたくはない。少しばかりの、醜い独占欲は見逃してもらおう。




 まだ、互いに幼かった頃に。彼女と僕は、一度だけ会っている。

 僕はその時、この屋敷で花の手入れを手伝っていた。子供の頃より、使い勝手の良い人間ではあったらしい。

 泣いている女の子を発見した時は、流石に勝手の良い人間では無かったが。正解なぞ分からず、背を擦ったものだ...我ながら不敬である。

 その時の彼女も、こうだった。消えてしまいそうな、そんな雰囲気。繋ぎ止めたくなる、そんな雰囲気。

 少し落ち着いた彼女に、僕はこう問うたのだった。


「なんで泣いてるの?」

「お母様が...居なくなっちゃった...」


 その時、初めてこのお屋敷のお嬢様だと知った。

 ...皆まで言わないでくれ、一使用人の子供など、御主人様を見る機会さえあまりにも無いのだ。その御息女など、分かるだろうか?


「ありがとう、落ち着いたわ。」


 気丈に振る舞う彼女に、何かしてあげたくて。僕は咄嗟に、近くに咲いていたゼラニウムを渡したのだ。

 切って良い程の、小振りの物だが、子供の時分にはむしろ適した大きさだった。


「...赤い、ゼラニウム。」

「今年は、綺麗に咲いたんだ。お花は気分が落ち着くから...少し、持っていって良いよ。」


 今考えれば、なんとも傲慢な発言だ。主人の花を、主人の娘に持っていって良いよ、等と。死ね、僕。

 だが、彼女は優しかった。笑顔でお礼を返して、僕と会話を続けてくれた。


「あのね、私ももう、色んな事を我慢できる年だわ。でも...ひとつだけ欲しいものがあるの。」


 今思えば、彼女は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。内容がアレなので...当時は困惑したが。

 少し、酒呑みと縁もあり、耳年増だったのは、関係無いと言っておく。それは、こんな言葉だった。


「私ね、子供が欲しいの。」


 続く言葉で、僕は大いに恥じる事になった。


「でもね、私は居なくならないの。私がお母さんになって、子供とお父様と...皆で一緒に、ずぅっと。そうしたら、お父様も泣かないですむよね?」


 早く大人になりたいなぁ、と呟く彼女には、薄く涙が滲んでいた。

 本当にお父さんの為?と聞く程、野暮でなかった事だけは、僕を誉めたい。




 そんな昔を思い出していれば、ふと後ろに温かい感触が広がる。


「ねぇ、聞いてた?」

「申し訳ありません。」

「もう。誰かさんと、お父様がそっくりって話。」

「御主人様と、ですか?...お嬢様ですか?」

「...お勉強してくる。」


 不味い、失敗したらしい。難問だろうとも、答えてこその世話係だと言うのに。

 だが、答えが分からないのはどうしようもない。くそ、彼女の話を聞き漏らした耳を、切り落としてやりたい。


「ねぇ、早く。教えてくれるんでしょ?」


 どうやら、回答のチャンスを失ったらしい。どうにかして、期待には答えたかったのに...

 あの時の消えてしまいそうな雰囲気は、既に無いが、それでも危ういと感じてしまう。

 繋ぎ止めたくて、僕はこの地位についたと言うのに。問答一つ出来ないとは。


「...はい、これ。」

「お嬢様?」

「その、受け取って、欲しいのだけど...ダメ?」


 渡されたのは、先ほど窓にかかっていたゼラニウムの花。

 そういえば、彼女に花が落ち着くと話した。それ以来、彼女は気分が落ち込むと、花を生けている。元気になる為に、花を。これは彼女の習慣だ。

 となれば、そこまで狼狽えて見えたのか、僕は。不甲斐なさを感じるが、不安を感じているであろう彼女を、待たせる選択肢だけはない。

 しかし、僕にまで優しい。自然と口角もあがってしまう。


「いえ、ありがとうございます。」

「...もぅ!」

「お嬢様!?」


 何故か怒らせてしまった。そっぽを向く彼女に、慌てて弁明しようとするが、なんとしたものか。

 彼女の事だ、僕が気に病むので、元気付けようとしたのだろう。

 僕がそれでも隠すのが、気に入らないのだろうか?しかし、僕は使用人なのだ、どうしろと。


「お嬢様!」

「...なに?」


 どうにか言葉を繋がないと。

 彼女が嫌なのは、親しい人が居なくなる事。自惚れるが、恐らく僕も含めて。

 彼女の優しさならば、疑う余地は無い。ならば、僕が消えそうに見えたのか。




 呟いた言葉は正解の様で。少し機嫌の戻った彼女に、僕はほっとした。

 僕の言葉はこの通り。少し恥ずかしい自惚れで、人に聞かれたならば、穴を掘って冬眠をしよう。


「お嬢様の隣、ここが私の帰る場所です。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ