夏の日の終わりは
あの衝撃的な逢引を目撃して以来、私は部屋からあまり出られなくなってしまった。
というのも、
廊下に出て変なものを、また目撃するのではないかと思ってしまうと、
その一歩が踏み出せないでいたから。
一応自分の屋敷のはずなんだけどな。
その間に、私は自分の部屋で、ロビンのおすすめの本を読むことにした。ロビンの置いていってくれた今回のリストはコメディ色の強い本が何冊か入っていた。相変わらずの気遣いが胸にしみる。思い出すだけで、彼にあんな所を見られてしまい恥ずかしいが、この彼の気遣いが、今の私の心を助けてもらっている。
「カメリア様、お体に障りますので、たまにはお外に出られませんか?」
と気づかわし気に聞いてくるマリー。
「ありがとう。でも、最近ちょっと体調が優れなくて。」
としか言えない私。
なんだか茶番過ぎて泣けてくる。
そういえば、マリーは私のことを一度も「奥様」と呼んでいないことに気が付いた。
この前のことを考えると「あー、なるほどな」と腑に落ちる。
そりゃあ、
「奥様」とは、呼びたくないよね。
しばらく自室に籠っていたが、ロビンお薦めの本が功を奏したのか、「このままではいけない、前向きに考えよう」と思い始めた頃、クリスからお茶のお誘いが来た。自室から出るのは、怖かったが意を決して、クリスとのキャハハ、ウフフなお茶会に出かけた。
ここトルタイム領は、北に位置しているので、夏といっても湿気もあまりないので、比較的過ごしやすい(たまたま、あの日だけ、茹だるように暑かったけど。)。という事で、今日のお茶会は外で行うことにした。
久しぶりの外は、気持ち良かった。
うん、今後少しずつ外に出てみよう!
と一人納得していると、クリスが「お待たせしました!」とやってきた。
いつもかわいいお人形さんのようなレースを、ふんだんに使っているドレスを着てきたが、今日は、長袖に首までしっかりあるような服だった。過ごしやすい夏とはいえ、それは暑いのではないだろうか。いや、きっと、深窓の令嬢は日焼けを気にする為、この格好なのかもしれない。
それにしても、相変わらず妖精のような可愛さだったが、以前にも増して顔色が悪い。
「クリス、あなた顔色がとても悪いけど、大丈夫?
少し部屋で休んだほうが、良いんじゃないかしら?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。お母様とお話したら、元気になれると思うんです!」
「そう?あまり無理はしないでね。」
「はい!そうだ。今日は、お母様のご家族のお話を聞かせてください。お母様が、私の年頃の時、どんなご家族だったのですか?」
「そうね、うちの家族はね...」
とクリスの質問に答えながら、色々話をしていったが、クリスの質問がある一点に偏っていることに、途中で気がついた。
「いや、まさかね。」と思いつつ、この空間でズバリ聞くのは侍女達の目もあるし、そもそも彼女が自分の殻に閉じこもってしまったら、元も子もない為、気が付かない振りをしつつも、何とかうまく彼女の状況を探れないか、会話に集中することにした。
誰にも聞かれないように、二人っきりで話せる場所の確保をしなくては...。
今日長袖に首までしっかり着込んだ服を着ているのは、関連するかもしれない。であれば、クリスからなるべく早く話を聞きださなくては。なるべく早く...。
「ねぇ、クリス。明日か明後日、一緒にクッキー焼いてみないかしら?そんなに難しいことないから、私から料理長に言っておくし。そして、出来上がったのを持って、お庭を散策したり、池でボートに乗ってみない?きっと楽しいと思うわ!ね!そうしましょうよ!」
きっと普通のご令嬢は、料理なんかしないだろうし、そもそも厨房になんか入らないだろう。クッキーだったら、工程も簡単だし包丁も使わない。焼く工程は、もうこれは料理長に丸投げしようと考えた。
「お義母様、お菓子をご自分で作られるのですか?」
とクリスがキラキラした目をしていた。
よしっ、釣れた!
「大したものは作れないけどね、どうかしら?」
「あ、明後日なら、時間作れると思います!」
その後、私は厨房に行き、料理長のサムに、理由を説明。調理場の使用と窯の手伝いをお願いした。サムは先代当主の時に、見習いとして入って、長年に渡り仕えてきた壮年のおじ様で、立派な上腕二頭筋がとても眩しい。職人気質な所があり、気難しいと思われているせいか、あまり他の使用人とは群れていないようだった。その為か、数少ない比較的私に好意的な使用人である。
ついでに言うと、水差しを自分で取りに行くようになってから、だいぶ優しく接してもらえるようになった気がする。
サム曰く、最近のクリスの食事の量が減ってきているのが、気になっていたらしく、「少しでも食欲が湧けば」と、急なお願いにも関わらず、快く承知してもらえた。
クッキー作りの前の日、私は自分の読みが当たってしまった後、どうするべきか、そして、何が彼女にとって、一番幸せなのか考えを巡らせていた。
なるべく早く対処しなければならない、かといって失敗は許されない…。この事を実行するのであれば、スリンの協力は必要不可欠になってくるので、とりあえず、スリンにいくつか確認しなければ。
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「ねぇ、スリン」
「は~い、なんだいカメリア?いよいよ、聞きたいことは決まったぁ?」
「そうね。」
「もう、早く決めてよねー。僕暇だよ...えっ、決まったの?」
「まだ、聞かないけど、近々聞く可能性が出てきたかも。」
「また、ずいぶんともったいぶるね。」
「まあね。その前に何点か確認したいことがあるの。」
「なあに?」
「最初に出会った時、3回まで無料って言ってたじゃない?あれって、月3回までとかじゃないわよね。」
「いや、まさか!最初の3回までだよ!」
チッ
「えっ、今、チッて、チッて舌打ちしたよね?ね?」
「してません!はい、次!4回目以降、記憶を貰うって言ってたけど、指定は出来るのかしら?それともランダムに消えていくの?」
「う~ん、指定はできないよ。」
「そう、じゃあ、どの記憶がどの程度ないのか、私は気が付かないままなのね...。」
「そうなるね。」
「では、最後。あなたの情報って、どの程度信憑性があるのかしら?間違っているのに、気がつかないまま、私の記憶だけが、取られていくなんて、フェアじゃないわ!」
「こればっかりは、信じてとしか言いようがないかな。その為にお試し3回無料がついているわけだし。」
そういうことか...てことは、その3回生死に関わる事、聞きづらいじゃない...。
「カメリア、今日はずいぶん色々聞いてくるね。」
「やだなぁ、スリン。これは質問じゃなくて、あくまで確認よ!確認!サービスを利用する前に、用法容量は正しく把握しておかなくては!ね!」
とウィンクをしたら、スリンが引きつった顔をした気がした。
ナゼダ!
その翌日、私はクリスと厨房に降り立った。今日のクリスの恰好も、前回同様長袖首までビッチリタイプだ。厨房ではサムが準備をして待っていてくれたのだが、サムの眉間に皺がよったままだ。
しかし、あれは間違いない!クリスの天使の可愛さに顔がくずれないように、頑張っている顔だ!
「サム、顔が怖いわよ。」
「申し訳ない、奥様。」
「クリスー!サムは怖くないからね。今日は厨房を使わせてもらうから、ちゃんとご挨拶しましょうか。」
「はい、お義母様!よろしくお願いいたします!」
「ぉぉぅ、よろしく、お願いしま...」
おい、サム、しっかりしろ!
お願いしますが、最後まできちんと聞こえないではないか。
まあ、普通の貴族令嬢が、使用人に丁寧にお願いしないものね。
「はいっ!じゃあ、早速手を洗って、そしたら、バターと卵黄を泡だて器でまぜるわよ!
手を洗うのに、袖まくりしましょうね。」
「えっ」
クリスはビクっとなり、袖をまくるのを躊躇しているようだった。
「自分で捲れる?それともお母様が捲ってさしあげましょうか?」
「ぃ、ぃぇ、自分で。」
「そう、じゃあ、私、先に手を洗っているから、準備ができたらいらっしゃい。」
意を決したのか、まだ躊躇しているのか、少しだけ袖をまくったクリスが、手洗い場にやってきた。私はあまり気がつかないように、彼女の袖口をそっと見ると、
やっぱり、あった...
だいぶ薄くはなってきているようだが、両手にぐるっと赤い痣が...。
次の行動に移す為にも気づかないフリをして、そのままクッキー作りを進めていった。
バターと卵黄を混ぜた後、砂糖と小麦粉を混ぜ、冷暗所で寝かせたら、型どりして、焼くだけなのだが、生粋のご令嬢クリスには、どれも新鮮だったらしく、最初こそ躊躇していたが、最後は鼻に小麦粉を乗せて楽しそうに笑っていた。
クッキーが焼けた後、サムにお礼を言って、私たちは、庭にある池を目指した。
なぜかというとボートは二人乗りであり、池の真ん中で話せば、潜んでいる人にも気づかないで話せると思ったから。そう、クリスに事実確認をする為に。
うまく話せるかしら...。
ボートが池の真ん中までくると、私はクリスの手をそっと触った。
「ねぇ、クリス。その両手にある痣なんだけど...どうしたのかしら?」
「‼」
「腕以外にもあるのかしら?
誰にやられたか、教えてもらえないかしら。
私、あなたを助けたいの。」
「...。」
「侍女の誰か?家庭教師の先生?」
フルフルと首を横に振るクリス
そして、私は核心をつく
「それとも、エドワード?」
「!!!」
エドワードの名前を出すと、俯いていたクリスが、ぱっと悲壮な顔を上げたのだった。
やっぱり...。
「ここのところ、ずっとあなた顔色悪かったでしょう。体も痩せてきて心配だったの...。ねぇ、少しでかまわないの。お母様に話してもらえないかしら?」
「わ、私が悪い子だから...。」
と弱々しい声だったが、ポツリ、ポツリと話始めてくれた。
話してくれた内容は、思ったより深刻だった。
これは、早く引き離さなくては。でもどうやって...。
「そう。クリス、話してくれてありがとう。辛かったわね。」
とそっと抱きしめると、私の胸の中でクリスは小さく震えているのが、わかった。
「これから、どうしよう、か。クリスはどうしたい?」
「わからない...です。」
だよね。
「わからないけど...ここから逃げ出したい。このままだと、私もお父様もダメだと思うから。」
「わかったわ。すぐにでも逃がしてあげたいけど、少し準備する時間を貰えるかしら。」
「はい。ありがとうございます。」
「こんな時に、こんな事を聞くのはあれなんだけど...
ところで、クリスのお母様って、何歳にあなたとお産みになったのかしら?」
「? 確か、14の歳だったと聞いてます。」
「‼」
マジか!オッサン、何やってんだよ!
てか、私に食指が動かなくて当たり前だよ!
確か、マリーも16かそこらだったかしら。
まだ、クリスに対する扱いが暴力だけで留まっているうちに
これは、何が何でも、一刻も早く引き離さなくては!
いや、暴力も駄目だから、引き離すんだけどね。
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その日の夜、朝の仕込みが終わる頃、今日のお礼も兼ねて、水を取りにサムを訪ねた。
すると、深刻な顔をしたサムが話かけてきた。
「奥様、クリスお嬢さんの手首の痣...。」
「しっ!」
サムを制し、私は誰もいないかキョロキョロと辺りを見回し確認する。
「安心してください。厨房は今、俺だけです。」
「サムも気がついた?」
「そりゃあ、まあ、あんだけ付いていれば。」
「だよねー。私がなんとかするから、他の人たちには、内緒にしていてもらえる?」」
「わかりました。」
「ちなみに、私がやったとか、サムは思わないの?私、彼女の継母だし。」
「いやだって、あんだけクリスお嬢さんになつかれていますし、今日だって、痣見られるの奥様に隠していたじゃないですか!」
「それもそっか。」
「奥様もあまり無理なさらないで下さいね。」
「ありがとう、サム。どんだけ彼女を守れるかわからないけれど、頑張ってみるわ。」