第47話『邪神』
元は土壁や木材、石垣だった瓦礫と警備兵や観光客の死体が重なり合ってできた廃墟に、しとしとと細い雨が降り注いでいる。
白百合城。国内最大の城郭にして国の内外を問わず見物客が訪れる太正国の象徴は見るも無残な姿に変わり果てていた。
眼前に広がる絶望を前に、ツバキの頬を止めどなく涙が伝い落ちた。
「私の……私の力が……私が」
「違うっての!!」
サクラはツバキの両肩を力強く掴み、前後に激しく揺さぶった。
「あんたのせいじゃない。いい?」
「でも……」
「ツバキ、サクラの言うとおりだよ」
「先生……」
ユウキは蒼脈刀を手にしている。敵意と殺意を込めて見つめる先に居るのは瓦礫の中心に立つ一人の男と一つの異形。
アザミの一族にしてキュウゴの兄であるカラスの身体に、触手が絡みついている。表皮は赤黒く煮込まれた粘液のように泡立っていた。
最も細い触手は黄之百合の糸のように、最も太いものは巨木の幹のようで、雨に濡れた部分が虹色に輝いている。
カラスはユウキと視線を合わせて微笑むと直刀を振るい、邪神を両断した。無限にも思えた触手の群れは物質という概念を焼失し、赤黒い波動となって直刀に吸い込まれていく。
刃は、乾きかけた血のような色に染まり、波刃の刃紋が絶えず口惜しそうに蠢いている。それは、もはや刀と呼べるものではなかった。
刀が邪神の力を吸い込んだのではない。邪神が刀の形になったのだ。
「なるほどなるほど。世界が変わって見える」
「邪神を食ったのか……そうか。そのために」
カラスは邪神を崇めてなんていない。単に力を得るための道具として取らえていたようである。邪神を祀り上げるアザミの一族にとって、邪神殺しは禁忌だ。
カラスはアザミの一族であることすら捨て、己の欲望のためだけに邪神を求めたのだろう。
「ああ、キュウゴロウ。愛おしい僕の弟……やっぱり来てくれたんだね」
カラスは、花を愛でるような目つきでキュウゴを見やった。一方のキュウゴに兄へ向ける愛情は欠片も残っていない。
「どれだけ……どれだけ!! 罪のない人を殺せば気がすむでありますか!?」
肉親の情は失われている。あるのは怨嗟のみだ。そんな叫び声も恐らくカラスには届いていない。
「罪のない者など居ない。神を崇めないこいつらは咎人だ」
「なに言うとんのや! 神様を喰って力を手にしたお前が一番罰当たりなんとちゃうか!?」
カラスは、キュウゴからソウスケに視線を移すと、まるで汚物を見つけたのように顔をしかめた。
「神が神を喰らっても罰など当たらん」
心底から自らを神だと思い込んでいるのだろう。自身を神だと呼ぶカラスは赤子のように無垢な顔をしていた。
サクラの背筋を嫌悪が撫でる。これほどの悪感情を他人に抱いたのは生まれて十六年の中で初めての経験であった。
「あんた異常だっての……なんでここまで」
「我らアザミの一族に対する迫害の歴史。その復讐の時が来た。この国を正す。正しい形に正すんだ」
ツバキを支配するのは、憤怒だ。人々を守るために使うと決めた力を人々の命を奪うために利用されてしまった。自分の無力さが許せないし、そう仕向けたカラスへの感情はツバキの胸の中で劫火のように燃え盛っている。
「あなたの身勝手のために私の……桜の一族の力を利用した。人々を……大切な人を守るための力で罪のない人を殺させた。あなたは許さない。私がここで倒す!」
ユウキはサクラとツバキの思いを背に受けて、カラスへ歩み寄った。
「過去の遺恨があることは分かる。でもそれは、七百年前も前のことだ」
「何年前だから忘れろは、加害者の常とう句だ!!」
「だけどカラス。君からは一族の悲願を果たそうなんて気概を感じない。君から感じるのは復讐心じゃない。虚栄心だよ」
一族のために戦う意思ではなく、己の欲のために力を求める浅ましさ。
カラスにあるのは復讐の大義ですらない。駄々をこねる子供染みた究極の利己主義だ。
「カラス。君はここで倒す」
「どの道話していても埒は開かない。さぁキュウゴロウ、こちらへおいで。僕の邪神の力を分けてやろう。二人でこいつらをやっつけてこの国の王様になろう」
キュウゴの浮かべる軽蔑は、カラスが言葉を発する度に強まっていた。
「兄上まだそんな……自分はそんなこと望んでいないであります!!」
カラスの顔から笑みが消え失せ、代わりに黒い激情で塗りつぶされた。
「子供のころ! どれだけしいたげられたか覚えているだろう!? 追っ手を逃れるため家すらなく野山で眠り、獲物を狩り、木の実を齧る……あの恥辱に塗れた日々を!!」
「自分は幸せだったであります! 自分は、あの自給自足の生活が大好きであります。自分にとって一番幸せな時間だったであります!!」
「こいつらがふかふかの布団で寝れている時、僕たちは固い土と落ち葉の上に寝ていた!」
「自分は土の匂いが大好きだし、母上の作る落ち葉の布団はふかふかだったであります!」
「こいつらがごちそうを食べお菓子を食べている頃、僕たちは獣の肉と木の実を食べていた! まるで猿か獣のように!!」
「父上が上手く血抜きをしてくれる獣たちの肉はごちそうだったし、自然の甘みがする木の実もお菓子なんかより好きであります! 命を頂くありがたみを実感できたであります!」
「こいつらが友達とおもちゃで遊んでいる頃! 僕たちにはおもちゃをなかったし! 友達だっていなかった!」
「家族が居たであります! 父上に母上に兄上に自分が居ればどこだって楽しかったであります! おもちゃなんかいらない! 自分にとってはの山の自然が何より楽しいオモチャだったであります! たくさんのことを教えてもらったであります! 自分はあのままの生活がずっと続くのを望んでいた! 父上や母上や兄上とは、そこが違うであります!!」
カラスの動揺が目に見えて強くなっていく。
「キュウゴロウ、お前は何を言ってるんだ?」
「自分が欲しかったのは、血塗れの身勝手な革命なんかじゃなくて! 家族と過ごす幸せな時間だったであります! 王になんてなりたくない……自分は、家族と一緒に居たかった!」
「これからずっと一緒だよ。だからおいで」
カラスが左手を差し伸べると、キュウゴは蒼脈刀を鞘から抜き、横一閃に薙ぎ払った。刃に触れていた大気は刃に変えて、カラスへ撃ち放った。
カラスの剣先が微風と戯れるかのように風の刃をかき消すと、キュウゴの瞳に涙があふれた。
「もう一緒にはいられないであります兄上……いや、お前は兄上ではなく身勝手な革命家のカラス!! お前はここで討つ! お前はもう家族なんかじゃない!!」
カラスは、赤黒い刃を振るいながらゆったりと歩き出した。
「キュウゴロウ、お前はそいつらに洗脳されているんだ。そいつらを殺してしまえばお前は元に戻る。大丈夫だよ、僕がお前を助けてあげるから」
邪神を吸収した直刀は禍々しい輝きを増していき、無造作に袈裟切りを放った。斬撃の奇跡は赤黒い光の刃と化し、サクラを狙いすます。
しかしカラスとサクラの間に立つユウキ繰り出す蒼脈刀が飛翔する斬撃を一飲みにした。
「僕の魔法攻撃を喰った? 吸収魔法か」
ユウキがカラスへ、カラスがユウキへ向かって歩き、両者の間合いが縮まっていく。互いの獲物が触れ合う距離でろう者足を止めた。
「なるほどなるほど。ならば体術だ」
先に仕掛けたのはカラスだった。頸動脈を断たんとする刺突がユウキを襲う。ユウキは蒼脈刀の峰で刺突を受け流しつつ踵を返し、がら空きの左側頭部へ回し蹴りを放った。
今までのカラスであれば避け切れない一撃。しかしカラスの身体の戻しはこれまでの比ではなく速い。ユウキのブーツのかかとを刃で受け止め、強引に弾き飛ばした。
「中々の技術だが!」
ユウキの体制が崩れ、カラスに背中を向ける格好となっている。カラスは上段に構えて直刀を背中目掛けて振り落とした。
このままでは斬られる――。すぐさま回避策を思案し、実行に移した。
ユウキの全身から魔力が噴出され、強烈な推進力を生み出す。崩された体制を強引に立て直してカラスを向かい合うと、打ち下ろしを蒼脈刀の鍔で受け止め、すぐさま後方へ跳んで間合いを開いた。
真正面での打ち合いはユウキが不利だ。今までとは体術の精度がまるで違う。邪神の力を直刀から絶えず補給することで仙法の出力を大幅に増強しているようだ。
「たいしたことはない。狼牙隊はこの程度か。貴様が狼なら僕は獅子だ!! 群れねば獲物も狩れぬ狼一匹で獅子に敵うわけがない!!」
愉悦に浸るカラスを巨大な氷塊が包み込んだ。しかしすぐさま赤い魔力が迸り、氷塊はかき氷のように粉微塵に砕かれる。
「すごいなキュウゴロウ。氷の干渉制御も出来るようになったのか」
感嘆するカラスの懐にユウキが飛び込み、肋骨を削ぎ取るように刀を振り上げた。けれどユウキの斬撃がたどり着くより速く、カラスの直刀に阻まれる。
ほくそ笑むカラスと視線を合わせたままユウキは両腕に力を込め、蒼脈刀と邪神の得島が擦れ合い、火花が散った。
「うおりあああああ!!」
上空からソウスケの咆哮から降り注ぎ、カラスは頭上を仰いだ。ソウスケの蒼脈刀は、落雷が如き橙色の力場に包み込まれている。
カラスの気が逸れた瞬間を見計らい、ユウキが膝蹴りをみぞおちに叩きこもうとするも、その始動速度を上回る剣捌きでユウキの吹き飛ばし、ソウスケの一撃を片手で受け止めた。
「凄まじい出力の気法だ。以前の僕なら避けなければならないだろう」
並の使い手であれば受け止めた衝撃で腕が砕けてもおかしくない一撃だ。それをカラスは涼しい顔で防いでいる。しかし片腕を封じている現状はようやく巡ってきた隙。
吹き飛ばされているユウキは、空中で一回転しつつ着地し、衝撃を殺して体勢を立て直すと間髪入れずに突進し、カラスの心臓目掛けて突きを繰り出した。
鋭利な一撃は容易く防げるものではない。なのにカラスは、左手の指先で刺突を受け止めた。
「な!?」
驚愕したユウキに生じた一瞬の怯みをカラスは見逃さない。指で蒼脈刀を掴んだままユウキをこん棒のように振り回して地面に叩き伏せると、直刀を持つ右手を軽くひねってソウスケをも木の葉のように跳ね飛ばした。
「どうした花一華ユウキ」
横たわるユウキ目掛けて直刀の切っ先が落とされる。ユウキは、背中を支点にして回転しつつ蒼脈刀を振って追撃を弾きつつ立ち上がった。
「仙法の出力が弱いな。なるほどなるほど。黄之百合と千日紅は見事に役目を果たしたようだ。貴様の蒼脈、底を尽きかけているな」
万全の状態であればもっと肉薄した接近戦を演じられただろう。けれど今のユウキの仙法の出力ではこれが精一杯だ。
最初から分かっていた。互角の戦いなど望むべくもない。だからこそ生徒を突得てくる愚を犯した。だからこそたった一つの策に賭けた。
「舐めんなやああああ!!」
ソウスケは着地するや否や、全力の気法を込めた蒼脈刀を振り回してカラスの背後から突進した。嵐のような連撃をカラスは正面を向いたまま素手でさばいている。
「見る価値すらない。お前の攻撃はな」
「私たちもいることを忘れるな!」
ツバキの声と共に蒼牙突の光がカラスの額に迫った。苦も無く直刀で打ち落とすも蒼牙突は霧散しない。すぐさま軌道を変えて再び攻撃を仕掛ける。
「この程度の蒼牙突」
何度襲ってもカラスに命中することなく、直刀に弾かれ続けている。だがツバキの蒼牙突は彼女の強い心を体現するかのように粘り強い。
そしてツバキとソウスケの攻撃を防ぎ続けることで、今カラスの両腕が封じられている。
サクラはカラスの真正面で霞の構えを取り、蒼脈刀を突き出した。
「蒼牙龍砲!!」
サクラの放った蒼牙龍砲の出力は、ユウキを比較すれば半分にも満たない代物。しかし直撃を受ければ邪神の力を得たカラスとて無事ではすまない。
しかしどんな攻撃も命中しなければないも同じ。カラスはツバキとソウスケの攻撃を弾きつつ、左に飛んで蒼牙龍砲の直撃を拒んだ。
射線上には、ソウスケが居る。このままでは見方を打ち抜いてしまう。
カラスは、こう思っているだろう。味方の位置を考えない未熟者どもと。だがこれでいい。味方の位置を考えての蒼牙龍砲だ。
ツバキの蒼牙突の光がソウスケに直撃する寸前で、サクラの蒼牙龍砲に飲み込まれる。すると蒼い光の龍はくの字を描いて方向転換。ソウスケへの直撃を避けつつカラスを追った。
蒼牙龍砲は、魔法の中でも最大級の威力持った一撃。千日紅のような異常な再生能力でも持っていない限り、直撃は死を意味する。
それは邪神の力を取り込んだカラスとて例外ではない。再生魔法は天賦の才を持つ者のみに許された魔法。邪神の力を取り込んだところで扱える代物ではない。
龍の牙は、飢えた獣のようなしつこさでカラスを追跡し、対するカラスは紙一重で避け続ける。
「桜の一族の誘導魔法。敵に回すと厄介だ。だが気にくわないんだよ!! 僕たちの祖先の犠牲なくして貴様は生まれておらん!!」
邪神の直刀が一際激しく赤黒く燃え上がり、蒼牙龍砲を一太刀で両断する。振り終りの瞬間にユウキとソウスケがカラスの懐に潜り込んだ。
「甘い!!」
カラスは吠えながら直刀を操り、ユウキとソウスケの連撃を受け止める。二人の連撃となればさすがのカラスも防御に意識が咲かれる。そのねらい目に一撃を入れたのはサザンカである。
「これならどうです!!」
武装義手が稼働し、拳打と共に暴力的な衝撃波がカラスの体内を駆け巡った。
「ぐっ!?」
「内臓の固さは人間だった頃と大差ないようです! キュウゴ今です!」
「はいであります!!」
カラスが怯んだ瞬間、キュウゴが地面に蒼脈刀を突き立てるとカラスの足元が大量の蔦が生え、その身を厳重に縛り上げた。
動きは封じた。これで倒せればありがたい。ユウキは願いつつ蒼脈刀を振り下ろしたが――。
「キュウゴロウ以外は全員死ね!!」
邪神の直刀から鮮血の色をした衝撃波が迸り、ユウキ・ソウスケ・サザンカを吹き飛ばしながら蔦を切断すると、すかさずカラスは直刀を上段に構える。
「全員俺の後ろに!!」
ユウキは空中で体勢を立て直しつつ、着地すると蒼脈刀の柄を両手で強く握りしめた。生徒たちはユウキの指示通り、ユウキの背後に回り込んだ。
カラスが一度振り下ろすと三つの斬撃が飛翔する。二度振れば六つ。三度振れば九つ。魔力斬撃の群れが押し寄せ、ユウキはその全てを無効魔法で打ち、主なき蒼脈に変えていく。
自身の技がことごとく無効化される中で、カラスは破顔した。
「吸収魔法の欠点は、一度に魔法一発分の蒼脈しか体内に吸収しておけないことだ! 大技に対して相性がいいが小技の連打は処理しきれない。だからこの状況では無効化魔法を使うしかない。ジリ貧だな!! 無効魔魔法を使うだけの蒼脈が何時まで持つかな!?」
蒼脈の残りは三十分の一以下。既に限界は超越しつつある。それでもまだ耐えられる。耐えなければならない。もう少し。もう少しのはず。
「なめんなや!! 地爆剣!!」
ソウスケがユウキの背後で蒼脈刀を地面に突き刺すと、地中を大量の魔力が移動し、カラスの足元にたどり着いた瞬間、破裂した。
魔力の衝撃波は、雲の高さに達し、旧白百合城周辺を余波で埋め尽くした。
数秒にわたって土ぼこりが周囲一帯を漂っていたが、赤色の衝撃波に蹴散らされて、上空へと舞い上げられる。
「凄まじい蒼脈を注ぎ込んだ一撃だ」
カラスは無傷である。雲の上にも達する攻撃を受けてなおダメージらしいダメージがなかった。
「だが蒼脈の殆どを無駄にしているぞ。もっと洗練すれば十分の一以下の消費量で今の威力を出せたろうに。なるほどなるほど。キュウゴロウ以外の全員も天賦の才を持つ大器だとね。だが、まだ未熟だ」
生徒たちの全力を注ぎこんでもほとんど負傷しないカラスの戦闘能力に、ユウキは内心でほくそ笑んでいた。
カラスはユウキの想定内の強さだ。それを上回る要素は何一つとしてない。この程度の強さなら、《《あの技》》を使えば仕留められるはずだ。
やるべきは、来るべき時まで生徒たちを信じて待つことだけである。