第33話『修行開始』
いまだ鳥たちも微睡み、鳴き声の合唱が聞こえてこない早朝。花一華ユウキと一年一組の生徒は、訓練場に集まっていた。
ユウキとサザンカは、横一列に並んだ生徒たちと向かう合うように立っている。
「じゃあ早速脈式仙法について教えるよ。脈式仙法は、仙法の奥義なんだ。これを使えるか使えないかが、高位の蒼脈師とそれ以外を分ける指標になるんだよね」
ユウキが足を肩幅まで広げて、腰を落として構えると、全身から白い炎にも似た仙力が放出された。
「仙法の基本は、身体から戦力が溢れないように体内にとどめること」
ユウキの体表から立ち上っていた仙力は瞬く間に鎮火し、爆発的な力の全てが余すことなく体内に格納されていく。
「脈式仙法は、ここからさらに発展させて、血管や筋繊維の一本一本に仙法を流す技術なんだ。変化がないように見えるだろうけど、もう脈式仙法を使ってるんだよね」
確かにユウキの見た目には何の変化もない。
「通常の仙法は、身体全体に仙力を循環させるイメージで行うでしょ? これだと筋繊維や血管の一本一本までは強化出来ていないんだよね。だから脈式仙法は、この細かい部分を強化しつつ、さらに普段使っている仙法も併せて使う。要するに二種類の仙法を同時に行う技なんだ」
「論より証拠です。まずやってみるです」
サザンカに促されて四人の生徒たちは、ユウキと同じく肩幅まで足を開き、少し腰を落とした。
ユウキは、左手首の血管を生徒たちに向けて指でなぞる。
「まずは血管や筋繊維の一本一本を仙法で強化してみて。小さな仙力の炎を糸のように細くして管に流すイメージで」
ユウキの指導に従い、サクラ・ツバキ・ソウスケ・キュウゴはまぶたを閉じて意識を体内の血管と筋線維に集中する。
細い筋の一本一本、毛細血管をも仙力の炎で包み込む。
四人に一目で分かる変化はない。しかし、これはむしろうまく出来ている証拠だ。
「じゃあそれを維持しつつ、通常の仙法もやってみて」
燃え盛る仙力の白い炎を全身に駆け巡らせる通常の仙法を行うのは、手足を動かすように容易い芸当。
だが、四人の身体を駆け巡ったのは戦力の与えてくれる溢れるような力強さではなく、毒虫が体内をはいずるような不愉快な激痛だった。
たまらず四人は、仙法を解除し、その場にへたり込んだ。
「みんな大丈夫!?」
泣きべそをかいたユウキとツバキが四人に駆け寄ると、キュウゴは脂汗の滲んだ顔で凍えたように震える両手を見つめた。
「な……なんでありますか、これ」
サクラもあまりに想定外だったのだろう。口の端からよだれを垂らしながら、肩で息をしている。
「あ、あたしも、身体がちぎれるかと思った」
「私も、身体を……溶けた鉄が流れ……たみたい」
「せやな……こ、こりゃあ……や、やばいで」
ツバキもソウスケのダメージもただごとではない。特に仙法の技術となれば乾いた海綿が水を吸うようにして覚えてしまうソウスケですらご覧のありさまだ。
苦痛は伴う時かされていたし、難しい修業であるのも四人は理解していた。けれども、目の前に立ちはだかった壁は、予想をはるか超えて高くそびえている。
こんな技術を苦もなく使っているユウキとサザンカのすさまじさにサクラは敬服せざるをえなかった。
「て言うかさ、先生とサザンカ、こんなの普段からやってるわけ?」
「慣れれば痛みは全く感じないです。うちとユウキ君にとっては普通の仙法と変わらないです」
「これって本来高等科の二年生からやるはずの課題なんだよね。それもかなり時間をかけてゆっくりやるんだけど……身体能力の向上は戦力向上に最も有効だと俺は思ってるんだ」
カラス相手に付け焼刃の技術を覚えたところで、どこまで役に立つかは未知数だ。
それでも信じると決めた。信じてみたいと思えた。今でも自分のことは大嫌いだけれど、生徒たちのことは大好きだ。
「辛いし、大変な修行だけど、これが出来たらみんな飛躍的に強くなれる。一緒にがんばろう!」
「珍しく明るいじゃん先生」
「せやな」
サクラとソウスケの笑顔がユウキに力を与えてくれる。
「私も頑張ります」
「自分もであります」
ツバキとキュウゴの覚悟がユウキを奮い立たせてくれる。
大丈夫――。この子たちなら脈式仙法を確実に習得できる。
確かに慎重に習得しなければ大いに危険な技術ではある。体内の血管が破裂したり、筋線維が断裂したり、場合によっては脳の血管が炸裂する。
でも、きっと平気なはず。大丈夫だと思いたい。恐らくたぶん……いやでももしかしたら?
「でも制御に失敗すると……脳が破裂したりするんだよ脳が!!」
「あ、いつもの先生じゃん」
「せやな」
ユウキは、両手で頭を抱えて石畳の上をコマのように転がりまわった。
「破裂した脳細胞と蒼脈が合体して生まれる新生物ブレインモンスター!! いやあああああああああ!! 世界の終わりだあああ!! みんなが怪物になっちゃよおおおおおおお!!」
滑稽と呼ぶのもおこがましい妄想を見たのは久しぶりな気がする。
そういえばこんな人だったっけと、サクラの眼差しが憐憫に染まっていく。
「ンなもん誕生してたまるかっての」
「結局人はあまり変われないです。ユウキ君はどこまでいってもユウキ君です」
「どうしたらいいんだあああああああ!!」
「あたしらに聞くなっての」
サクラとサザンカを尻目に、ソウスケはのやる気は暑苦しいほどにたぎっていた。
「まぁええわ! 先生はほっといてワシはやるで!! 仙法は得意や!!」
「自分もやるであります」
「お、自分ノリええやん」
普段とは違うキュウゴの反応にソウスケが微笑む。対象的にキュウゴは、自嘲を浮かべていた。
「これも義務でありますからね」
「義務? 何の話や?」
「もう逃げちゃいけないってことであります」
「キュウゴどなした?」
「こっちの話であります。気になさらないでください」
ソウスケに呼応するかのように、サクラの強さへの欲求も膨らんでいった。
「さて、先生はサザンカに任せて」
「任せるなです!」
「ああああああああああああああああああ!! ブレインモンスタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「これどうすればいいです!?」
「あたしもやってやるっての!! ね、ツバキ」
「無視するなです!!」
喧騒が支配する訓練場において、ツバキは一人浮かない顔をしていた。
「やっぱり私のせいだ。私が命を狙われてるから無理な修行することになって……本当にごめんなさい」
「ツバキのせいじゃないっての!」
「……サクラ」
「そんなの襲ってくるやつが悪いじゃん! ツバキが気にする必要ないってば」
「せや。謝らんでええ」
「……ソウスケ」
「ツバキ! ワシはむしろ嬉しいんや! 本来二年生にならんと教えてもらわれへん技術を今から教えてもらえるんやで!? 燃えるやないけ!! ワシは誰よりも強うなりたいんや! せやけど今のワシは弱い。ものごっつ弱い。せやからこれはチャンスなんや! なによりのう!」
何よりも、もう二度とあんなみじめな姿はさらさない。
「なにより、やられっぱなしは性に合わんのや!!」
極限まで膨れ上がった脈式仙法の炎を宿していながら、ソウスケは堪えている。歯を食いしばり、その場から一歩も動けない。しかし確実にソウスケの体内で脈式仙法は完成されていた。
修業を開始して、まだ十分と経っていない。花一華ユウキを三笠サザンカに去来したのは喜びではなく戦慄であった。
「この短時間で成功するです?」
「すごい才能だ……本当に師匠を超える大器かもしれないね」
ソウスケは、額に汗をにじませながらツバキに微笑みかけた。
「ゴチャゴチャ考えんと修行しよや。襲ってくるやつより強うなればええんや。簡単やろ?」
「……うん。ありがとうソウスケ。ありがとう」
ツバキも微笑を返した。
その後、修業は夜まで休みなく続けられた。