表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歴史とDNA

黄河新石器農耕民

作者: とびうお君

 しつこいなと思われるかもしれないけど、未だに北方ルートっぽい話が多い。東アジアで北方ルートに絡んでるのはおそらくアメリカ先住民のQだけだと思う。マンモスハンターじゃないが、純然たる北方狩猟民族である。過去のシベリアの遺跡の大半は彼らのもので、かつ人骨が出てDNAが取れた場合オールQだ。


 C2はやっと北方ルートから解放されたと思うし、Dも解放されつつある。しかしNOが未だに北方ルート気味の話が多々ある。


 私がズットやってる中国人とは何者か?でここがとても重要だから書いている。なんでそんな中国人に興味があるの?なら元々歴史が好きなので世界中の民族全てに関心がある。だが、シュメールやドラヴィダなどの謎の民族も大体解けてしまった。特に欧州はもう何の興味も無いぐらいワンパターン。細かい国もすべて3種族パターンで解ける。


 欧州で後最大の残ってる謎は今回の事と関係するのと、Qだ。欧州には北欧に謎のQの集積地がある。偶然にもこのあたりに遊牧民が奴隷になって連れてこられた話がある。アラブ商人の前はバイキングが有名な奴隷ハンターだった。これはヴィンランドサガを見て欲しい。ただし、あれ史実に忠実なわけじゃない。


 でも、そもそもその史実が言い伝え程度なのであの改変は十分ありだと思っている。クヌートとトルフィンが旧知の仲なんてのは、多分創作だ。時代も完全に一致するのか?怪しいものだ。キングダムとヴィンランドサガどっちが史実に忠実か?と言うと、それは史実の描写の量の違いに過ぎない。圧倒的にヴィンランドサガの方が創造の余地が多いってだけにすぎない。


 ただそれでも、ある程度ヴァイキングが奴隷ハンターだったのは史実どおりだったといえる。ロシア人のスラブ民族はヴァイキングの奴隷貿易で一番狩られた民族「スレイブ=奴隷の語源」だからになる。ロシアの過去の権力層はフィンランドのヴァイキングの末裔なので密接に関係している。ヴィンランドサガはノルウェーだけど。今回の主役のNの末裔だ。


 そうなってくると奴隷で狩られたなら雑多な民族になるはずじゃないか?となる。奴隷説はおかしいと見ている。戦闘奴隷なので出世して貴族になったモンゴロイドも居てこれはこれで話のネタになるなと思わせる。だから遺伝子が残りやすかったのはそうだが、多分違う。分岐年代がアメリカ先住民より古いので、ようは北方ルートを支配してたQが西に向ったグループが居たのじゃないか?と私は見てて、北欧の原住民の一人じゃないか?と見ている。ようはI2が多いクロマニヨン人の1ハプロだと見ている。他にも日本のC1A1と親戚のC1A2もいるので。


 これ意外と今回の話の1つのキーになる。Nの下位系統にN2と言うとんでもない変な系統がある。一切東アジア系統無しに突然欧州に分布がある。しかもかなり古い分岐。これやNOの分布もNOが北方ルートだったのじゃないか?といわれる原因になる。だがこれPと絡めればそれほど難しくない。


 何故か?と言うと唯一欧州以外にアルタイから出てるからだ。アルタイと言えば古いQの集積地になる。詳しいことはさっぱり分からないが。PとN2はいっしょにアルタイに旅立ったんだろうと。


 どういう事かと言うと、Kが東南アジアで誕生したことがもう分かっている。今まで中東インド生まれて東西に分かれたとなっていた。これが覆されてややインドよりの東南アジアで生まれたことが分かった。Kと言うのはNOPの先祖系統になる。パプアニューギニアのSMも含む。


 白人にアジア系統が見えないのは、おそらく混血無しに移住したからになる。アメリカ先住民は極東アジア海岸部でアジア系と混血したから顔が変わったとなる。要するに東南アジアで生まれたPはコツコツインドに向かいそこから北上して北方ルートになったというわけだ。これにN2がついていったんだろうと見ている。


 もちろんカッコたる証拠は無い。ただKPともに東南アジアで生まれた証拠があるので、その中間であるNOも当然そうなる。だからN2、1つでその土台を崩すわけに行かない。かなり強引なシナリオだが、そもそもP=QRが逆送したってのが事実から発見されて研究者も驚いたんだ。事実は小説より奇なりである。その強引なシナリオに乗っかろうというわけだし、アルタイに残ってるので説明はつく。まずここで1つ潰れる。


 西にR東にQと言う単純な分岐だと私は見てない。Qの主たるグループは東だが、西にも薄いが大量のQが拡散している。それが欧州に向ったとしても不思議は無い。ならそれらについていった似た場所時期に分岐したNの下位系統であるN2が居たとしても不思議ではない。ただしN2の逆送の証拠は無いし、北欧のQの古い分岐の欧州移住も見つかってない。


 取りあえず先祖のNOに戻ると、南方中国人や中国南方の少数民族、マレー人にNOが低頻度ででるそうだ。南下の可能性もあるが、親であるKがそこで生まれてるのにわざわざ北方ルートを定義する必要があるか?となる。


 そもそもP系が例外なのであって、過去北部を歩いていたのはインドを北上したC1系ぐらいなもので東南アジアで生まれたなら皆逆送してインド北上ルートを辿っている。北方ルートを想定するほうがむしろおかしいんだ。


 先にO2からやろう。O1は文句なしにスンダランド北上組みとされているから。主流のO2Aとは古くに分岐したO2bは東南アジアを中心に日本まで海岸沿いに広がっている。これを見れば古いO2は東南アジアに居たとすぐ分かる。後O2と共にKが雲南省の少数民族でポチポチ出る。あそこにしこたま古い系統が居るのは北上の通り道だったと見ている。ちなみに、シナチベット語族になってからの派生民族であるビルマチベット語族の南下もあのルートが主たるルートだと見ている。


 後O2はそこら中にばら撒かれるので一旦中国西方に溜まったと見て良い。黄河にO2は居なかったと書いたが、あれは大げさだ。石器が見つかってるので、新石器時代の前後の狩猟採集民族の骨が見つからないだけだと見ている。黄河の人口増加の主たる民族じゃなかったって意味なので。その後混血して増えていくのだが、徐々に狩猟採集から移行する遺跡が多々あり、そこは中国内陸部や西方が多い。


 Nの影響を受けたO2が徐々に自己で変化したか?混血していったと見ている。他にも文明が徐々に東から西への方向性が見える。ただし西方の古い遺跡もある。だが最古か?と言うと随分後になる。1000年ぐらいのずれはどうもなんとも言えないのだ。半減期年代測定はしばしばずれるので。1000年はずれないと思うが。


 もし現代で1000年あれば全く違う文明になる。その点で1000年のずれは拡散に十分な年月なんだけど。飛びぬけた古さじゃないので、多分に推測が強い意見で言わせれ貰えば、最古の北方黄河土器は河北省から出ていて、しかも原始的、これが元になって西方にひろがっていったように自然に見える。次に見えるのはその南の河南省のはいりこう遺跡になる。


 では河北省の前は無いのか?突然河北で発明されたのか?N1a2と言う下位系統が日本と漢民族に居る。N1a1がフィンランドまで行った櫛目文土器の集団で、こちらも分岐が新しいので歴史時代の沿海州経由だと思うが日本に入ってきている。ただし、それなりには古いので、先史時代である可能性も十分があるが、それでも弥生初期、縄文後期だと思われる。韓国の櫛目文土器はおそらく国が乗ってるのでN1a2だと思われる。


 遼寧省が曲者で、おそらくここで出たハプロはすべて漢民族にされてしまう。だが過去この付近は中原では無い。後から燕を秦が征服したことによって中国になったものになる。おそらくここのグループが韓国の櫛目文土器のグループでは無いか?と思われる。満州にも突っ込んでいた可能性がある。


 遼河文明と黄河文明と系統まで分けるものじゃなかったと思う。スキタイもそうだがすべて遊牧民じゃなかった。狩猟採集も専門にしたグループと農業にいったグループに分かれたと見てる。


 N1a1が遼河で出たのは事実だが、満州民族はN1a2に多いとされている。満州民族の中に北方で支配された朝鮮民族や中国人が多かったと聞くのでそっちかもしれないけど。私は黄河文明=N1a2、遼河文明=N1a1とするのは違うと思っている。この元であるN1aが平底円筒型土器を拡散した民族とされている。


 おそらく黄河文明=N1a2は間違いないが、遼河文明=N1a1だけだったのか?は怪しいと見ている。日本を含めて新石器時代前に遼寧省あたりから東以外に拡散したグループじゃないか?と見ている。東が主にN1a1のグループだったのじゃないか?と見ている。新石器時代に突入すると拡散後であるためほとんど残ってなかったのではないか?と。


 おかしな点として何故アムール川付近で見つかる土器が日本で見つかったのか?黄河から移住したと言うのか?なら黄河では移住型狩猟採集が中心の生活でその証拠として細石器が多数見つかっている。それは遼河文明でも見つかってるが?その点は新石器と併用していたのであって、独立して細石器が見つかる遺跡は定住生活のグループではない。


 そのグループが土器文化を発達させた??私もアムール川から移住したとは思ってない。ある程度広がりを持った文化だったので、N1a2がどこに居たか?は分からないが黄河ではないと思う。それにN1a1が使っていた櫛目文土器はその後継土器だと思われている。そのためピンポイントにN1a2がどこに居たか?判別は出来ないが黄河流域ではないのは確かだと思う。当然黄河流域にその土器の系統は出てない。そもそもその時期に土器が出て居ない。


 さてここで一旦Nの北上に戻ろう。N1bと言う古い分岐もある。このグループは明らかに中国黄河以南にそのまま留まったと見られる。私が以前話したチベットには古いNと新しいNがある可能性があるだが、まさにそうなってる。このグループが農耕を始めたのじゃないか?だが、可能性として無いとは言えない。


 その点は間違いではない。ただ私は土器の流れを根拠にしている。土器には3パターンある。1つは、河北で新しく発明された。2つ目は、アムール川流域の土器文化が変化して河北省に現れた。3つ目南方の土器文化が北上した。これが河南省が最古であれば3の可能性を考えただろう。だが新石器が始まる前の河北省ってのがポイントなんだ。しかも新石器の土器の原始的なものだった。


 どういう事か?南部よりは新しく生まれたほうがまだ可能性が高いと思ってる。河北省と遼寧省なら隣同士だ。明らかに新石器時代に突然現れた北部形質を持った人骨。これらから黄河流域で進化したわけじゃないなら、遼寧省から移住したと自然だ。アワに関して以前触れたかもしれないが、アワは栽培化の時期が長い。


 ずっとアワが見つかってるが狩猟採集によるものか?栽培化なのか?は区別するのは簡単じゃないそうだ。中途半端な時期に移動から定住に生活が変わって土器を使った可能性があると見ている。だから新石器に先行した土器が見つかったと見ている。土器が河北から河南そして内陸のヤンシャオまで移動するのがわかる。


 あくまで可能性の話しだが、遼寧省移住した定住型狩猟採集グループが土器も伝播したと。そうなるとしばらくの間細石器も変化が無いのが自然に説明できる。遼河文明ではかなり後の時代まで細石器を使っていたのが確認されている。


 N1a2は兄弟系統に極北グループがごっそりいる。だがN1bは一切居ない。土器の流れから明らかに北方と黄河を深く結びつけるN1a2こそが黄河文明の担い手だと私は考える。ただし、N1bと混血したのは否定できない。O2が狩猟採集だと思うが、徐々に西方の遺跡から新石器時代の石器が混じってくるのが確認されている。


 当然N1bも同じように合流したはずなんだ。だから黄河のNは混合である可能性が高い。大事なのは遼寧省に近い古い遺跡は多分N1a2の系統が見つかるだろうと見てるんだ。下位系統までは私は知らないので真実は分からない。土器と寒冷適応が黄河流域でなされたわけじゃないだけがこれらの軸になっている。多少強引な論法だが、全く北方と繋がりが無いN1bは新石器時代を導いた黄河文明の農耕民族と思えない。


 中国人は極北系に較べたら中間系モンゴロイドらしい。それは私は新石器時代は違っただろうと見ている。寒冷適応なら遺伝的濃度勾配がある集団の中で適応的遺伝子だけが寒さによって増えて広がったと見ている。そのため初期の農耕民はかなり北部形質が強かったと見ている。最も研究者じゃない西洋人からは極北人も東北人も大差が無い同様に見られてるのだが…。私もそれほど違うとは思わない。


 さらに中国人について書く中国は羊が西方からやって来た事が分かってるのと、これはソースがあやふやだが、パキスタンにあった欧州系白人が南下しなかったイラン系民族によって発達した文化があった。この集団の農業が夏王朝が始まる前に中国に流入したとの見解がある。


 中国の中央アジア系は西方キョウ族上書きだと書いた。歴史時代にこの辺りがかなり深く関係してると見てる。後周王朝と深く関係するQ系はおそらく西方から移住してきている。どのタイミングか?は分からないが中国人と日本人が決定的に異なるのはこれらになる。漢民族と言うより、華夏人は明らかに中央アジア集団の遺伝子を受け継いでいる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ