ユアンは買い物に出た
理不尽な差別表現があります。
苦手な方はご注意を。
「えーと、食料と紙と墨と、リョウの服の代え……」
「いや、オレの服なんて、」
「今遠慮とかいらないから。あ、ここの果物安くて美味しそう」
「聞けよ」
がくりと肩を落とすリョウなど気にも留めず、ユアンは露店に並べられた丸みのある赤い果実を一つ手に取り、色や香りを見る。
艶々として濃い赤色、豊かな甘い香り、相場よりもいくらか安い値段、そしてにこやかな男店主。
「味見してみるかい?」
「いいの? ありがと!」
手に持っていた一つを袖で拭い、小さく一口かぶりつく。
しゃくりと音を立てた果物は、爽やかな果汁を含んで瑞々しい。
「んー、おいしい」
「だろう? どうだい一つ」
「じゃあこの味見の分と、あと五つ貰おうかな」
「おっ、ありがとさん! そんなら、一個はサービスだな」
「ありがとう!」
店主が果物を包んでくれている間、味見用をもう一度齧る。
しゃくしゃくと小気味良い音を立て口の中で砕けて小さくなっていく感触を楽しみながら、ふとリョウの存在を思い出して視線を向ける。
「……なんだよ」
多すぎた果汁が果肉から零れて、手のひらと手首を濡らした。
ぺろりと舌で舐めとる。
行儀作法に厳しい父が見ていたら一時間くらい説教かな、とぼんやり考えて。
「…………っ」
バッ、と顔を背けるリョウに、首を傾げる。
「どしたの?」
「なんでもないっ!!」
「あんたも食べる?」
「誰が食うか!!」
怒鳴られた。
解せぬ。
「……青春だねぇ」
「うるせえ!!」
リョウは何故か店主にも怒鳴っていた。
解せぬ。
店主はそれでも代金の端数までサービスしてくれた。
いい人だ。
『……少し、頭を整理したい。すまないが、二人とも少しの間、外に出掛けてくれないか』
ラオインという精霊? について少し話をした途端、父はいつもの冷静さをかなぐり捨てるように頭を抱えていた。
焦っていたようにも見えた。
確かにラオインは意味わからないし、慇懃無礼だし、ふっと現れたりふっといなくなったりと不審極まりない男だが、話を聞いて冷静さを失うほどだろうか?
もしかしたら父の知り合いだったのだろうか、と内心首を傾げつつ、とりあえずユアンは父の言葉に従い、リョウと連れ立って街に繰り出して来たわけなのだが──
視界を遮るものがないことに忌避感が強いのか、首が痛くなりそうな角度で下を向きながら歩くので、リョウは何度も人にぶつかりそうになるのだ。
「帽子、いる?」
「…………いらない」
帽子に限らず、先程からリョウに必要ではないかと思う品をいくつか見ているのだが、本人の返事は「いらない」「必要ない」ばかり。
「この服は?」
「……いい」
「こっちは?」
「いらない」
「じゃあこれ」
「……さずかにこのセンスはない」
「そうよね」
帽子がダメなら、とリョウの胸にいくつかの衣服を当ててみるが、どうにも本人の了承を得られない。
ユアンの好みと違うのかと考えて、明らかにナイなと思う服も当てて見たが、センスがどうこう、という訳ではなさそうだ。
「どうしていらないの?」
「必要がない」
「服の洗い替えは必要でしょ?」
「……買ってもらっても、返せない」
風呂に入る前にも似たようなことを言っていたな、と思い立って、そこに対しての回答をしていないのを思い出した。
「今すぐ返す必要はないから、大丈夫よ」
どういうことだ、と赤い目がユアンを捉える。
偉そうに小振りの胸を張って、得意気な表情で言ってやる。
「この街にはね、貧乏だったり、理由があって仕事に就いてない住人を支援する機構があるのよ」
シン、という名のこの街は、規模もそれほど大きくないし、住人の数も多くはないが、とても住みやすい街だとユアンは思っている。
父親が役人をしているからという贔屓目を除いても、きっとここまで住み心地の良い街はそうそうないのではなかろうか。
仕事に就いていない住人には就職斡旋を、病気や怪我など、何か理由があって仕事ができない住人には治癒や問題解決までの生活保障と税金軽減または免除。
ただ闇雲に支援をするだけでなく、定期的に生活状況を調査され、その都度その都度、保障の程度や掛けられる税金の見直しがされる。
その調査で虚偽申告がされた場合は税金の追加がされるとのことだが、この街の住人に正直者が多いのか、ただユアンの耳に入らないだけかはわからないが、虚偽申告があったという話は聞いたことがない。
その分、住人登録の審査はとても厳しいとも言われているが、ユアンが受けたのは幼い頃なので覚えていない。
もしかすると父が役人なので、審査が免除された可能性もあるかもしれない。
「あんたの住人登録審査は三日後だって。それまでは仮登録ってことで、不自由なく暮らせるように役人が援助するって」
「……役人?」
「父さん、役人よ?」
「……あのガタイで、か?」
確かに父は大柄で筋骨隆々だし、昔徴兵された時に左目を怪我したらしく眼帯をしているし、顔は恐いし。
まあ、知らない人から見たら机で仕事する役人には見えないだろう。
むしろ、傭兵やってますとか言った方が受け入れやすい、かもしれない。
「審査に通れば家が支給されるし、仕事にも就けるから、とりあえず生きていくのには困らないわ。審査までにかかった費用は経費で落ちるから、気にしなくていいし」
審査に通らなければ、その時はその時だ。
「……ちょっと聞こえちまったんだが、あんた余所者か?」
声に振り返れば、不機嫌そうな男が腕組みをしながらこちらを見ていた。
こつこつ、と苛立ちを表すように靴の爪先が地面を叩く。
「悪いが、住人登録審査に受かってないやつは信用できないんだ。さっさと帰ってくれ」
瞬間的にカチンときたユアンが言い返そうと一歩踏み込もうとしたが、リョウが引き留めた。
「すまなかった。すぐ帰る」
「ちょっと、なにすんの!」
「いいから。服がなくても、三日くらいならなんとかなる」
ずるずるとリョウに引き摺られる形で店を出ると、通行人からも冷たい視線を浴びることになった。
早くどこかへ行ってくれないだろうか、という意志が見え透いて、ユアンは眉をしかめる。 普段善人にしか見えない住人たちの、初めて見る嫌な部分だった。
「良くも悪くも、この街は余所者には厳しいからな」
帰宅してすぐ、父に街であったことを話したが、ため息をひとつ吐いたくらいで、特に気にした様子はなかった。
たまたま余所者の知り合いのいないユアンが知らなかっただけで、シンの街の住人は“そう”らしい。
──余所者を嫌い、厭い、迫害するのだと。
「まあ、審査さえ受かればなんてことはない」
「……もし、審査に受からなかったら?」
「直ぐ様この街から叩き出される」
当然のことをただそのまま伝えただけ、というような父の声音に、ユアンは恐怖を抱いた。
こんな、たかだか十といくつか過ぎただけの子供を、審査に受からなかったというだけで放り出すのか。
街の外には野生の動物も、悪人も、魔に染まった魔物という生き物もいるという。
こんな年端も行かぬ子供など、数日と生きてはいかれまい。
万一生き残っていけたとして、食事は? 飲み水は? 寒さ暑さを凌ぐには?
街から出たことのないユアンにはわからない。
孤児になり路頭に迷った時でさえ、街から出ることはなかったのだ。
誰かの残飯を漁り、誰かの捨てた襤褸を身に纏い、誰かの家の軒下で夜を過ごした。
もちろん過酷な日々ではあったが、人の住まない所で暮らす過酷さとはあまりに違う。
「──オレがここを出ていく」
悲嘆も憤りもなく、そうするのが普通だと心底思っている表情でリョウが言う。
「そうすれば、あんたらに迷惑をかけずに済む」
「迷惑なんて、」
「買い物、できなかっただろ。それは迷惑じゃないのか?」
結局、買えた品物は露店で見かけた果物だけ。
家の備蓄は尽きかけているし、今日の夕飯はなんとかなるとしても、明日からどうするべきか。
だが、それはリョウに掛けられた迷惑だとは認めない。
「今まで通り、ユアンが一人で買い物に行けば問題はないはずだ。街の人間が嫌うのは“審査に通っていない余所者”だけだからな。明日、私も付いて行こう。荷物持ちが必要だろう」
淡々とした父の言葉に、ユアンは小さく頷いた。
不条理だ、理不尽だと心が叫んでいるのに、それを押し込めて従わなければならないのは、とても苦しかった。
「おや、センセイ! お久しぶりだねえ」
「世話になる」
「こんにちは、おばさん」
「あらユアンちゃんも。二人そろって買い物なんて珍しいねえ。今日はお休みなのかい?」
「ああ、久しぶりの休みだから荷物持ちに」
翌日、父娘連れだって買い物に出たわけだが、大柄でガタイがよく、片目を眼帯で覆う父は、連れているだけで人目を引いてしまう。
役人としてもそこそこ名が知れているため、こうやってあちこちから声を掛けられるのだ。
「この猪肉、オススメだよ。今朝獲れたばかりで新鮮さ」
「わ! 立派なお肉」
「……猪……」
いかにも軍人か傭兵です、みたいな体格をしている割には、どちらかといえば父は菜食主義で甘党である。
この手の野性味の強い肉類はあまり得意ではなく、むしろ職場の仕事机にこっそり小さな焼き菓子を隠していることもあるくらいだ。
「んー、美味しそうだけど、今日欲しいのは塩漬け肉とか燻製かな。家の備蓄を切らしちゃって」
「おやおや。じゃあこのあたりかねえ」
肉屋のおばさんに付いて肉の説明を聞きながら、僅かに父から離れる。
奥から出てきた店主のおじさんが父に話しかけるのを見届けてから、ユアンはおばさんにこっそりと問いかけた。
「……昨日、余所者が街を彷徨いてたらしいんだけど、おばさん知ってる?」
「ああ、知ってるとも。黒髪の男の子らしいよ。どっから入って来たんだろうねえ」
ああこわこわ、と少しばかり大袈裟に肩をすくめるおばさんにぎこちなく笑い返しながら、続きを促す。
余所者、余所者と繰り返すことが心苦しい。
「あたし、余所者のことってよくわかんなくてさ。何がそんなに恐いの?」
「この街には住人の審査があるのは知ってるかい?」
「うん」
「──審査ではね、善人か悪人かを調べるんだってさ」
「え?」
言葉はきちんと聞こえたが、脳が理解できなくて聞き返した。
善人か悪人か調べるとは、一体どうやって。
「何でもね、この街には“心を視る魔法使い”がいるって噂だ。それで、審査で善人だって証明された人間だけがこの街の住民になれるらしいよ。……ま、ほんとかどうかはアタシにもわからんがね」
へえ、といかにも興味深げに頷きながら相槌を打つが、頭の中はぐるぐると渦巻いている。
「街で悪さをするのはいつも余所者さ。この前も、外から来た商人がアコギな商売をしててねえ」
審査、善人、悪人、心を視る、住人登録、三日後、リョウ、赤い目。
単語が何度も何度も繰り返し湧いて出てきては、泡のように消えてしまって繋がらない。
「ユアン」
「……父さん」
「そろそろ次の店に行くぞ」
「うん」
おばさんありがと、またね! と、包んでもらった塩漬け肉を抱え、いつも通りのにっこり笑顔で手を振って、能天気な元気娘を必死に演じる。
普段通り、普段通りと心の中で唱えるけれど、自分の普段通りってどんなものだろうか。
突如ぐしゃり、と頭に少し乱暴な重みと、表面の硬い温かさを感じて上を見上げようとするが、そのままわしわしと撫でられて驚いた。
「疲れたか? どこかで休憩でもするか」
柔らかな低い声。
直接的な言葉ではないけれど、ちゃんと伝わる優しさと親愛。
不安、恐怖、悲哀、淋しさ、それらをユアンが感じる時、父はいつもこうやって頭を撫でてくれるのだ。
「うん」
休憩がてらに、と入った店に感じる既視感。
オススメメニューと書かれた看板に、在りし日に頼んだ食べ物が並んでいる。
「ここは桃のショートケーキがあるらしくてな」
「……ヘー、ソウナンダー……」
青髪のあいつと入った店だった。
「ユアンはどうする?」
「桃饅と杜仲茶」
「……随分と渋い選択だな」
心が自然と青髪男を連想しないようなメニューを選んだというのに、ユアンが桃饅頭と杜仲茶、父が桃のショートケーキとアイスミルクティーを頼んだ。
甘味に関して好みの合致する父親に、少し胡乱な目を向けてしまう。
「──ラオイン殿のことなのだが」
父の真剣な声色に、忘れてた、とは言いにくいが、表情にバッチリ出てしまった自覚はある。
ユアンは殊更真剣な顔をして聞くことに決めた。
「改めて、詳しく聞きたい。お前が会ったラオインという男は、どのような人物だった?」
「えーとね。髪が青空みたいな色で、目が金色で、袖がすっごいひらひらした服着てて、二十代か三十代くらいの歳で」
もちろん知っている、というような表情の父の相槌に促されて、どんどんと思い出したまま口に出していく。
「丁寧なんだか小馬鹿にしてるのかわかんないような話し方してて、ごはん奢ってくれてね。あー、そもそも最初に鷹の昔話しろって言われたからしてあげたらぐっしゃぐしゃに号泣してて」
「……うん?」
「そんでヤバい奴だと思って撒こうとしたら、いつの間にか付いてきてて」
「……うむ」
「ふわっと来たと思ったらチンピラの手首をすとーん、と」
「待ちなさい」
左手をユアンの話を押し止めるように前に出し、右手で頭痛を堪えるように額を押さえる父。
沈黙を縫うようにタイミングよく来たウエイトレスだったが、見事に父の物とユアンの物とが逆に置かれた。
「ご注文は以上でお間違いないでしょうか?」
「はーい、どうもー」
ウエイトレスを見送ってからそれぞれの皿と飲み物を入れ替えてあげると、アイスミルクティーを一口飲んだ父が重苦しく切り出す。
「ラオインという男が青髪で金の目で、丁寧だが人を小馬鹿にしたような口調だというのは、私も同じ認識だが……昔話で号泣?」
「うん」
「……そしてチンピラの手首を、何と?」
「こう、するっと撫でるみたいに触ったと思ったら、すとーんと落ちちゃって、血がどばーって」
「そもそも何故急にチンピラが出てきた?」
「ええとねー」
ユアンとしては、記憶に残っていることを印象の強い順にそのまま伝えているつもりなのだが、他人には伝わりにくいとよく言われる。
特にこの父親は矛盾や、時系列の前後など、それくらいいいじゃんとユアンが思うようなことを逐一細かく説明させるから面倒くさいのだ。
四苦八苦しながら説明を終えると、父は大きく息を吐いた。
「……つまり、家出しようとした所でラオインという男に出会い、昔話をせがまれ、共に食事した後人混みに乗じて離れ、チンピラに捕まったリョウを発見、喧嘩を吹っ掛けて襲われそうになった所をラオインに助けられ、その際チンピラの手首が切り落とされ、ユアンが治した、と」
「そうそう」
「この馬鹿者」
ぺちり、と額を軽く叩かれる。
ああ、説教スイッチが入ってしまった。 これはきっと長くなる、とユアンは肩を縮こまらせた。
「まず知らない男にほいほい付いて行くのではない」
「はい」
「食事をご馳走してくれた相手を撒くなど失礼にも程がある」
「はい」
「いくら他人を助けるためとはいえ、お前一人で何とかなる相手ではなかっただろう。身の程を知れ。そういう場合は他人を頼りなさい」
「はい」
「“癒し手”の力は珍しい上に利用されやすい。外で気安く使うことは自ら危険を呼び込むのでやめなさい」
「……はーい」
「はい、は伸ばさない」
「はい」
もうそろそろ終わりかな、とちらりと父の顔を見上げると、なんとも複雑そうな表情が視線に乗っていた。
「……本当に、お前はあの人に似ているな」
ああ、これは母のことを思い出している顔なのだ、とすぐにわかった。
「あの人も、後先考えずに行動することが多かった」
くく、と喉の奥で笑う父の顔は、どこまでも優しさと愛情に溢れている。
「……母さんは、どうして父さんを選ばなかったのかな。こんなにいい男なのに」
心で思ったことが、ついポロっと口から出てしまった。
でもだって、こんなにいい人なのに。
そりゃあ、見た目はちょっと厳ついけれど、笑うとこんなにかわいいし、優しいし、目一杯大事にしてくれるのに。
もし自分が生涯の伴侶として誰か一人を選ぶとしたら、父のような優しくて頼り甲斐のある人にするのに。
「それは勿論、彼女が私よりもいい男に出逢ったからだろう」
もしかしたら、父がユアンを引き取ったのは、自分を“母の代わり”にしたいからなのだろうか、と思ったことがある。
元々体質的に子供はできないだろうとされていた両親に、奇跡的に生まれた子供。
父によれば違うのは言葉遣いくらいで、ユアンは顔も性格も髪や目の色に至るまで、まるで生き写しのように母そっくりらしいのだ。
──言ってしまえば、容姿に父親の要素が全く見当たらないくらいに。
結ばれることのなかった想い人とそっくり同じ姿の子供を引き取るということに、当初、父の同僚は何とも複雑な思いを抱いていたようだが、それは杞憂だったようだ。
だって、父はちゃんと“ユアン”を見てくれている。
家族として、父と娘として、ユアンと共に暮らしてくれている。
ユアンは今、幸せなのだ。
「さて。そのラオインという男については、お前には害がないだろう、ということだけ伝えておく」
「なに、結局父さんの知り合いなの?」
「面識があるといえばあるが、話をしたことはない。一方的に嫌われていたからな」
「なんで」
「ラオイン殿は、極度の女好きで男嫌いだ」
「……は?」
「だから、生物学上女性であるお前に害は与えない。むしろ食事を奢らせるでも殴る蹴るでも好きにすればいい。お前が構ってやるだけで喜ぶはずだ」
「……は?」
「お前が構うのに疲れたら、他の女性を宛がえばいい。むしろ人間に限らず犬でも猫でも鳥でも鰐でも魔物でも、メスでありさえすれば悉く尽くすタイプだ」
「むしろそんな奴構いたくないんですけど……!?」
とりあえず、ユアンは謎の男ラオインが父の知り合いだったことに安堵しつつ、同時にそんな変な男と知り合いだという父に疑念を抱いた。
諸々の買い物を終えて家に戻ると、柱に縄でくくりつけられたリョウがじたばたと暴れていた。
「ただいまー。リョウ、いい子にしてた?」
「やっと帰って来やがったかこの馬鹿親子! 早くこの縄を外せっ!!」
「馬鹿親子とは失礼な言い種だな」
父とユアンが何度も言い聞かせても出ていくと言って聞かないので、買い物の間に勝手に出ていかれては困ると縄で縛ったのがお気に召さなかったらしい。
粗末な衣服、縄で縛られた少年、絵に描けばもしかしたらどこかのお偉いさんが耽美的とかなんとか言って誉めてくれるかもしれないのに。
「お前らが出掛けてから何時間経ってると思ってんだ! こっちはずっと……!」
「ああ、それは失敬。すぐに外そう」
「……なんのこと?」
男二人はなにやら通じあったらしい。
父は縄を解くのではなく、懐刀で一気に切り裂いた。
「厠は!?」
「部屋を出て右の突き当たりだ」
「……あー、なるほど」
どうやら、ユアンはまたもや少年の尊厳を危機に追いやっていたらしい。
バラバラと縄が落ちるや否や、勢いよく走り出すリョウの背中を見送って、ぼんやりと今日の出来事を振り返る。
審査のこと。
ラオインのこと。
考えなければならないことがぐちゃぐちゃと混ざりあって、なんとも上手く形にならない。
元々、ユアンは頭の中で何かを考えることが苦手なのだ。
「……今日の晩ごはん、どうしよっかな」
塩漬け肉の包みを開くと、中には別の小さい包みも入っていた。
どうやら肉屋のおばさんオススメの猪肉をおまけしてくれたらしい。
「父さんは猪肉苦手そうだけど、リョウは食べそう、っていうか、あの子好き嫌いなさそうよね」
別の料理にしようか、しかしユアンの料理レバートリーはそんなに多くない。
「もういっそ全部鍋に入れて煮込むか……?」
「ユアン、考えるのが苦手だからと言って、とりあえず何でも鍋にぶちこむのはやめなさい」
「はーい」
「はい、は伸ばさない」
「……はいっ」
にしし、と今まで父と何度も繰り返したやりとりに笑って、ユアンは料理に取りかかる。
塩漬け肉はそのままでは塩辛いから、今日は葱と一緒に煮込んでスープにしよう。
猪肉はどうすればいいかな、生姜と醤油と酒と砂糖のタレに漬け込んで臭みを消して、焼いたら美味しいかな。
卵料理も食べたいな、今は目玉焼きより卵焼きの気分だ。
メニューを頭で考えるのは苦手だが、その時食べたいものを作るのなら問題ない。
昨日の夕飯の時もそうだったけど、リョウは食べ盛りなのに、あんまりたくさんは食べられないみたいなのよね。
胃が小さくなってるのかしら、早く元気になるといいけど。
……リョウの審査、早く終わればいいのに。
無意識に、ユアンは考えていた。
心を視られても、リョウなら大丈夫。
リョウはいい子だから、審査に受からないはずがない。
「さっきは怒鳴って悪かった。……なんか手伝うか?」
厠から戻り、なんとか人間の矜持を守れたらしいリョウが首を傾げつつ問いかけた。
考え事をしている間に、父は自室へ戻ったようだ。
「うん。じゃあそこの猪肉、このタレに入れて混ぜてくれる?」
「わかった」
猪肉か、と少し嬉しそうに声を弾ませるリョウの、どこが悪人に見えるだろう。
施しを受けて、その恩を返せないと嘆くリョウはむしろ、心根が優しすぎるくらいだ。
だが、審査というのはそこまで単純な物ではなかったのだ。
人間の心が単純ではないように。