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ユアンは孤児を拾った

 

 母はユアンが幼い頃に亡くなっていて、今は父親と二人で暮らしているが、ユアンは父と血の繋がっていない。

 母を喪い路頭に迷って、人買いに売られそうになったところを保護してくれたのだ。

 別の相手と結ばれた母にずっと片想いをしていて、母が亡くなったと聞いてすぐにユアンを捜してくれたのだと教えてくれたのは、役人にしてはちょっと口の軽い父の同僚だ。



 自分の本当の父親は、生きているのだろうか。

 生きているのなら、自分と母を置いて一体どこに行ってしまったのだろうか。



 別に、今の父親との暮らしに不満があるわけではない。

 しかし、一度芽生えた疑問と興味が、すぐに消えるわけでもない。


 直接父に聞けるわけもないし、それなら自分で捜しに行こうと思ったのだ。



 事件の翌日、ユアンはそんなことを考えながら、父に頼まれた蔵の掃除を行っていた。

 分厚くて重たいばかりに思える稀少本を虫干しして、何に使うのかわからない道具類の埃を柔らかい布で丁寧に拭う。



「……あ、久しぶり、母さん」



 奥へ奥へと進んでいくと、母の姿絵が置いてあった。

 この絵の中では穏やかな淑女のように微笑んでいるが、実際は快活に笑う元気な人だった。

 何か悪さをしようものなら、「アホか!」と小気味良くすぱーん! と頭を叩かれたものだ。



「掃除、掃除……んん?」



 ふと、目についたのは、姿絵の隣に置かれていた大きな刀掛け。

 そこに掛けられていたのは、少し緑がかった真鍮色の大鎌だった。


 柄の丈はユアンの身長ほどもあり、刃渡りは肩から指先を伸ばしたくらい。

 そして口金の辺りには、手のひらに収まる程度の美しい桜色の珠が嵌め込まれている。



「……なんか、綺麗」



 この大きさでは農作業に使えるわけがない。

 となれば、これは戦うための道具だ。


 町の外にいるという魔物を屠るためか、はたまた人の命を刈り取るための物か。


 しかし、どうしてもこの大鎌は武器に見えなかった。



「それの名前は、アヴィヤエ、と言います」



 聞き覚えのある声が、背後から聴こえて振り返る。



「貴女の母君が使っていた物ですよ」



 空のような青い髪、太陽のような金色の目。

 顔に浮かんでいるのは、爽やかすぎて逆に胡散臭い笑み。

 慇懃なようでいて、揶揄うような口調。



 ──間違いなく、昨日会ったあの男だった。



「あんたが勝手にいなくなるから、あたし昨日説明が大変だったのよ」

「それは失礼しました。私も心苦しかったのですが、やむを得ず」



 眉を下げて申し訳なさそうな顔をしたって、すぐに許せるものではない。



 少年を拐おうとしたチンピラ三人は、大人しく集まってきた役人に捕まってくれた。

 しかし少年の意識は戻らないわ、辺りに血飛沫は撒き散らしているわ、その割にはその場にいる誰にも大きな傷が残っていないわで、役人は大慌てだった。


 幸い、父の知り合いでユアンのことを見知っている人間が中にいたので、傷がないのは癒し手による治療の結果だと理解してくれたが、そもそも辺りに血飛沫が舞うほどの怪我をさせたのは誰か、ということになった。


 護身用の短剣を持っていたせいで、ユアンは危うく“自分で相手を斬り付けておきながら治療する、ちょっと頭のおかしい癒し手”だと思われてしまう所だった。

 本当に危なかった。


 勿論、チンピラ三人は青い髪の男がいたと証言してくれたし、ユアンの証言とも食い違いはなかったので事なきを得たのだが。



「……そう言えば、あんたどうしてここにいるの?」



 ざり、と砂埃を取りきれていない床が靴底に擦れる音が響く。

 そして今更ながら、男は何処から顕れたのか気になった。

 この床を歩いてきたのなら、間違いなく足音や床の軋みで音がするはず。


 蔵の扉は閉まったまま。

 あの蝶番は錆びてしまっていて、開けるときにすごく大きな音がする。



「──あんた、何者?」



「名前はラオイン。貴女を大事に想うだけの、しがないただの精霊ですよ」



 ふわり、と優しく頭を撫でられて、男の上衣の袖が視界を遮る。

 それを振り払って前を見れば、もうそこに男の姿はなかった。



「…………精霊?」



 狸に化かされたように呆けたまま、ユアンは掃除の後片付けをし、しっかりと蔵に鍵を掛けて母屋へと向かった。






「うるせえ! オレは一人で生きて生けるって言ってんだろ!!」

「不可能だ。そもそも役人として周辺の地理に関して多少の知識を持つ私が名すら知らぬ辺境の村から出てきたばかりで、街で暮らす常識など一切知らない小僧が一人でどうやって生きていくというのだ」

「やってみなきゃわかんねえだろうが!!」

「やってみる価値もない。時間の無駄だ」



 ユアンが掃除を終えて母屋に戻ると、どこかの窓が開いているのか、そんなやり取りが聞こえてきた。

 片方は父親で間違いないが、もう片方は誰だろうか。

 聞き覚えのあるようなないような、と考えながら玄関の扉を開ければ、父と自分の靴の隣に見覚えのない靴が並べられていた。


 ユアンの物よりほんの少し大きいくらいで、買ったばかりなのか鞣した皮の表面が新品同然の男物。

 歩きやすそうなしっかりした踵、装飾の類はなくシンプルな造り。


 大きさからするに父の物ではないが、なんとなく買ったのは父なのではないか、とユアンは予想した。

 いかにも父が好きそうな、質実剛健だとか、簡明素朴だとか、そんなイメージの靴なのだ。



「ただいま、父さん」



 一声かければ、片や静かに淡々と、片や大声で感情的に、言い争う二つの声はぴたりと止んだ。

 その二つの声の持ち主がいるであろう居間に入れば、いつも通り眉間に皺を寄せ不機嫌そうな父と、肩を怒らせ今にも走り去りそうな黒髪の少年がこちらを見る。



「お帰り、ユアン。蔵の掃除は終わったのか」

「もちろんよ。……そちらはお客様?」

「むしろお前の知り合いだろう」

「え?」



 鼻や頬を覆ってしまうほどの長さ、いつ洗ったのかわからないくらいにベタベタでボサボサの黒髪。

 日に焼け、痩せこけた手足。

 ボロボロの布きれ……いや、なんとか、一応、辛うじて服だと呼べなくもない、継ぎはぎだらけの服。


 こんな知り合いいたっけ? と首を傾げた。



「あんたが、オレを人拐いから助けてくれた“癒し手”か?」

「あー」



 人拐い、助けた、癒し手。


 そのキーワードで思い浮かんだのは、先日ユアンが遭遇した事件。



 ユアンに絡んできた変な青髪の男を撒くために路地裏に入ったところ、たまたまチンピラたちが少年を痛め付けている場面に出くわしたのだ。

 そう言えば、その少年の髪は黒かった気がしなくもない。


 だが、ユアンが助けた、と言うのは少し間違いだと思う。

 実際、チンピラを大人しくさせたのはユアンではなく、ユアンが撒こうとした青髪の変な男で──


 と、そこまで考えて、ユアンは思い出した。



「そうだ父さん。蔵に変な男が──」

「よし、殺してくる」

「やめて! とりあえず身柄を拘束したら事情を聞くところから始めてあげて!!」



 表情筋があんまり仕事をしていないが、父は娘を大層可愛がってくれているらしい。

 だが行きすぎた愛情は周囲──この場合は蔵に入り込んだ不振人物──に甚大な被害を及ぼしかねないので、ユアンは必死に父を宥めた。


 いくら不法侵入者であろうとも、最低限相手の言い分を聞いてあげるくらいはしてあげないと不憫だ。

 一応、チンピラからユアンを守ってくれたような気がしないでもない奴なのだ。


 だがどちらかというと、そいつがチンピラ一人の手を(自主規制(ピー))したせいで、辺りは血まみれになっていたし、ユアンが役人に怪しまれたり捜査が一時中断したりしたりと、ただ単にいい迷惑だった気もする。



 とても素早いのにあんまり足音の響かない不思議な歩き方で、父はあっという間に廊下へと消えた。

 きっとあれは、犯人を捕らえるか、何らかの手がかりを見つけるまでしばらく戻って来ないだろう。


 もう少し言い方を考えるべきだった、と後悔しているユアンに向かって、傍らの少年が口を開いた。



「……おい」

「なによ」



 ──たすけてくれて、ありがとう。



 そう言って、少年がぺこりと頭を下げた。



「……へ!?」



 直前の「おい」の言い方から、「余計なことを」とか「お前が来なくてもなんとかなった」とか、そういう反感を予想していたから、急に来た素直な言葉に戸惑った声帯が変な声を出したのだ。

 ユアンのせいではない。



 だが、なんというか、きゅんときた。

 かわいいなこいつ、と思ってしまった。

 言うなれば、今まで懐かなかった猫が、おずおずと近付いてきてくれた時のような。



「今は弓がないから狩りもできないし、あんたにあげられるものが何もない。けど、いつか──借りを返しに来るから」



「いつか」という不確定な言葉に、申し訳なさそうな、でも精一杯の誠意を込めて話してくれているのがわかる表情で、少年はユアンの目を真っ直ぐに見た。


 ボサボサの髪の毛の隙間から見えた少年の目は透き通るような赤色で、ユアンはその色が髪の毛に隠れて見えにくいというのは、とても勿体ないことだと思ったのだ。



 だから、


「お風呂入って綺麗にして、そのうざったい髪の毛切るわよ」


 と、脈絡もなく言い放ったのは仕方ないのかもしれない。



 もちろん、少年が顔を真っ赤にして、


「はあ!? 何言ってんだあんた!!」


 と叫んだのも仕方ないことだが。






「──いいって言ってるだろ! 早く出ていけよ!」

「うるっさいわね! いいから目を瞑りなさい!」

「どわぁあああ!?」

「口を閉じないと泡が入るわよ!」



 風呂である。

 更に言えば、ユアンの家の。


 これ以上世話になるわけにはいかない、と頑なな少年を、服を着たままでいいからと無理やり風呂に押し込んだのがユアンだ。


 服も汚れているから一緒に洗濯もできて丁度いいと考えたのは、根が大雑把な母親に似たせいだと思う。

 下履きだけは、と少年が必死に食い下がるので、後でちゃんと洗いなさいよ! と渋々了承した。


 少年の男としての尊厳は、なんとか守られたようだ。



 黒髪少年の名は、リョウと言うらしい。


 どんな字を書くのかと聞いたら「魑魅魍魎」の「魎」だと言うから、ユアンは名付けたのは誰かと怒鳴りたくなった。



 リョウは物心ついた頃には既に両親がなく、孤児として森深くの小さな村に住んでいたらしい。


 住んでいたと言っても特定の住居があるわけではなく、夏の間は森の木の陰や岩の窪みに草や葉っぱを敷いて寝起きし、冬は村人の仕事を手伝って食べ物をもらったり、納屋や軒下を借りて寒さを凌いでいたらしい。

 村人との関係はあまり良くはなく、村の食料の備蓄が少なかった今年、「今まで助けてやった恩を返せ」と半ば無理やりに人買いのところに連れて行かれたのだと言う。


 引き渡しの途中でなんとか隙を見て逃げ出し、疲労と空腹で野垂れ死にしかかり、また別のチンピラに捕まる寸前でユアンに発見されたのだと。



 母を亡くした直後に一度路頭に迷い、人買いに売られかけたユアンには、身を切られるような話だった。



 まあ、それはそれとして。



「やめろ! 髪に触るな!」

「このボサボサの髪でまともな仕事が見つかるはずないでしょ! ザクッと切りなさいザクッと!」

「ああぁあああッッ!? 切りすぎだ馬鹿!!」



 肩まであった髪は頭の形に添うように短く、頬が隠れるほど長かった前髪は、眉が出るくらいまですっきりした。



「……………………ッッ」



 小さい頃母さんに買ってもらった手鏡を貸してあげると、リョウは言葉を失って床に倒れ付した。

 ……まあ、想定していたよりも少しだけ切りすぎたかな、とは思うけれど、ユアンとしてはそこそこセンスよく整えられたと思ったのだが。



「似合ってると思うわよ?」

「……目が、」

「?」



 目が隠れない、と消え入りそうなほど小さく小さい声。

 静かに続きを促せば、この目の色のせいで、住んでいた村では忌み嫌われていたらしい。


「血の色だ、呪われている、お前といると不幸になる。……そう、言われて」

「迷信ね」


 まだまだ続きそうな不幸な過去話を、ユアンがズバッと切り捨てた。


「そんな迷信だけで人一人を邪険に扱うなんて、ほんと無責任だわ」


 まだ水分を多く含んだリョウの黒髪にタオルをかけ、背中側から拭いてあげながらユアンは快活に笑う。



「この色を見て血しか思い浮かばない奴の想像力か貧困なのよ。しかも呪いなんて何の根拠もないし。ちゃんと見えて、色も綺麗なんだから、それでいいじゃない」



 けど、もし本当に、オレのせいで不幸になる人がいたら。



 ぽつり、と零れたのは、きっと幼い頃からしとしとと雪のように心の奥底へ積もっていた淀み。

 心無い言葉にそんなことはないと反論するすぐ横で、本当はそうなのかもしれないと、少しずつ少しずつ削り取ってしまった自己肯定感。


 自分しか自分を守るものがいないのに、その自分すら自分自身を信じきれなくて、攻撃してしまうのだ。


 この子には今、味方が必要だと思った。

 母を喪った頃のユアンに、父が居てくれたように。



「この街でそんなこと言うやつがいたら、すぐ教えなさい。あたしが飛んでいって、ぶん殴ってやるんだから」



 そう言ったら、リョウが俯き、黙り込んだ。

 表情を覗き込もうとしたら小さく肩が震えていたから、何も言わず、手拭いだけ渡して風呂場から出た。






 居間に戻ると、父が茶器の用意をして待っていてくれた。

 どうやら、蔵に侵入した不審者の手がかりはまだ掴めていないらしい。


 まあ、そもそも第一発見者であるユアンの証言すらまともに聞いていないのだから仕方ない。

 普段冷静沈着な父だが、極たまに、猪突猛進なところがあるのだ。



「……遅かったな」

「あの子の髪を切ってたの。あのボサボサ髪じゃ、仕事を探すのに不都合があるでしょ?」



 これから仕事を探すのなら、最低限の身なりは気にしなくてはならない。


 毎日服を洗濯する、までいかなくとも、臭いの目立たない程度にはこまめに洗わなくてはならないし、髭や髪は刃物で切って、ある程度形を整えなくては、客や飲食物の前に立てない。


 リョウの村ではどうだかわからないが、少なくともこの街ではそうだ。



「手っ取り早く仕事を探すなら、多分、まずは飲食店の下働きとかだし」



 飲食店、という丹後が出た瞬間、父の方向からごうっと吹雪が吹いたのかと思った。

 地獄の底、という表現ですら生ぬるいほど、父の声は冷たい。



「飲食店と言えば、ユアン。お前、先日見慣れぬ男と二人で食事をしていたそうだな?」

「え、うん。そうだけど」

「しかも、その場で手を握られていたそうだな?」

「そ、そんなこともあったわね」



 やばい。

 何が父の逆鱗に触れているのかわからない。


 家出しようとしたこと?

 他人(ひと)の金でガッツリ飲食したこと?

 それとも、その後にチンピラに喧嘩を吹っ掛けたことだろうか。

 もしかすると、無断で癒しの力を使ったことかもしれない。


 さっさと謝ってこの重い空気から逃れたいのだが、何に対しての怒りなのかわからないうちに闇雲に謝罪しても、父の怒りは治まるどころか燃え上がるだろう。


 つまり、大人しく会話の行く先を聞いていないといけないのだが……



「その男の名は?」

「ええと、……あれ?」



 ……なんだっけ?

 蔵で会ったときに聞いたはずだ。


 ええと、蔵にある母さんの肖像画を見つけて、綺麗な大鎌を見つけて、……それで。


 アヴィヤエ?

 いや、それは鎌の名前だって言ってた。


 ええと、ええと。

 あ、そうか──



「──ラオイン」




「……っどこにっ……!!」

 ちょ、父さんっ」



「──ラオイン殿は、どこに……!!」



 指先が食い込むほど強く掴まれた肩が痛む。

 こんなに取り乱した父を見たのは、ユアンの人生で初めてだった。


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