9.善
「なんで私たちがこんな所を掃除しなくちゃいけないんだろうね。」
「……。先輩めんどくさがりですもんね。」
「私ここに来たの初めてかもだし、汚れてても誰も気にしないでしょ?」
「しょうがないですよ。決められてるんだから。」
「だからそもそも決められてるのがおかしいって言ってるの。掃除する必要が無いもん。」
「無いもん、じゃないですよ。皆どこかしら掃除することになってるんですから。僕たちがたまたまここだっただけじゃないですか。」
「掃除が趣味の君みたいな奴ならいいかもしれないけどさあ。」
「僕は別に掃除好きってわけじゃありませんよ。」
「でも楽しそうにやってるじゃん。」
「掃除に限らず、善い事したらちょっとは気分が良くなるでしょ?一日一善とかって言うじゃないですか。」
「全然。私、善って言葉嫌いだな。」
「……。それはまた珍しいですね。」
「だってさ、善い悪いなんて人の勝手でしょ。結局人間は自分の事しか分からないんだよ。」
「善って言ったらだいたい人のためにすることじゃないですか?」
「なるほどね。じゃあ例えばなに?」
「……。ありきたりなところで、おばあさんの荷物を持ってあげたりとかですかね。」
「あー出た出た、そういうの。もうね、全然ダメ。」
「何でですか。おばあさんの助けになるのは善い事じゃないですか?」
「もし、そのおばあさんが詐欺グループの一員だったら犯罪に加担してることになるんだよ。被害者に申し訳ないと思わないの?」
「なに言ってるんですか。そんな可能性の話したらどうしょうもないじゃないですか。もし仮に本当にそうだったとしても、そのおばあさん自体は助かってるのには変わりないので行為としては善なんじゃないですか。」
「そう!そこよ。結局、ある立場の上では、っていう但し書きが必要なんだよね。ある一方には善でももう片方にとっては悪ならそれは善とは言えないと思うのね。」
「そういう難しい話ですか。哲学的ですね。」
「いやいや、難しい話じゃなくて。結局のところ、自分しか分からないっていうだけの話ね。」
「……。うーん。」
「だから電車で席を譲りなさい、とか大嫌い。あれこそ偽善の極みだね。」
「あー。え?でも、それって誰にとっても悪いことじゃなくないですか?誰にとっても悪じゃないなら、それはもう善な気がしますけどね。」
「私にとって悪いじゃん!譲りたくないもん。」
「先輩が嫌なだけじゃないですか。」
「私は何も自分で譲る人を悪いって言ってるわけじゃないよ。譲りたがる人は自分が善い事したっていう気分に浸りたいために譲ってるんだからいいの。でもそれを人に押し付けるのはダメだっていう話。」
「でも僕おじいさんが目の前に居るのに座ってるのはなんか落ち着きませんよ。」
「だからそういう人は譲ればいいけど、でもそれってやっぱり善じゃないよ。」
「え?僕は悪いと思ってないのに善じゃないんですか?さっきと言ってること違くないですか?」
「偽善ってとこだね。君がやったのは席を占領しておいて自分が認めた弱者に恩着せがましく席を明け渡したっていうだけだよ。」
「そんなの言い方次第じゃないですかー。」
「ああ、なんという驕りだろう。君に選抜された弱者しか、席に座ることを許されないなんて……。」
「…………。じゃあどうすれば善なんですか。」
「迷える子羊よ。私が真の善を教えて進ぜよう―—。それは、そもそも席に座らないことだ!」
「……。」
「席を譲るという行為は座る必要が無いのに席を占領しておいた悪者しかできないのだ!従って席を譲る者は必然的に悪者である。つまり席に座らないことのみが善となるのだ!」
「なるのだ!じゃないですよ。わけわかんないですね、それ。」
「なんでわけわかんないかなぁ~。」
「結局、みんな好きなようにしたらいいってことですよね。」
「私の話聞いてた?この世の善はほとんど偽善だから押し付けるのはやめようねってこと。」
「だから好きなようにしろってことじゃないんですか?」
「……。んー、確かに。そうだね。つまり結論としては、私はここを掃除する必要はないってこと!」
「喋ってる間にもう終わりましたよ。先輩そういうことばっかり言ってるから友達出来ないんですよ。」
「気を使わないと出来ない友達なんていらないもん。それに、友達が居なくたって君がいるでしょ。」
「……。そういうことを平気な顔して言わないでください……。」




