8.格ゲーの街
「俺昨日ランクめっちゃ上がったぜ!」
「マジか~。俺昨日は全然だった。へこむわ~。修哉はどうだった?」
「いや、僕もいまいちだった……かな。」
「まあそんなもんだよな。安心した!」
「ハハハ……。」
朝のホームルーム前の教室は、雑多な喧噪に満ち溢れていた。僕は友人の問いに曖昧に返事をしながら、1限の授業の準備をしていた。僕の隣に座る友人、達也は大の格闘ゲーム――格ゲー――好きだった。その前の席の浩史もだ。話から察するに、どうやら浩史は昨日は調子が良かったらしい。彼らは格ゲーを常日頃から行い、ランキングを駆け上がることが生きがいのようだった。いや、彼らだけではない。このクラスのほとんどの人々はそうだ。もっと言えばこの街全体が格ゲーを愛している。この街では格ゲーが好きでない人をいくら探しても見つからないだろう。――僕以外は。僕はなんとなく昔から格ゲーを好きにはなれないのだった。僕には何故みんな格ゲーをこんなにも好きなのか分からないが、周りから見れば好きでない僕がおかしいのだろうということは分かる。だから僕はそこそこに格ゲーを好きなふりをしながら生きている。もしも、非格ゲー好きを探しても、唯一の該当者の僕は好きなふりをしてるから、結局見つからないことになる。
「はい。おはよう。席着けー。」
無秩序な教室に担任の声が響いた。教室には緩やかに秩序が充満して、生徒たちは綺麗に各々の席に着いた。
「えー、分かってる人も居るかも知れないが、センターまで今日で丁度あと3か月です。この3か月を頑張れるかどうかが……」
僕らの担任は大学受験を間近に控えた僕らに言葉をかけた。教室内の何人が真面目に聞いているのか定かではないが、説教じみたその話は長かった。格ゲーはほどほどにするようにと、含みのある事も言う。受験が終わるまではほどほどにして、終わったら思いきり格ゲーをする。これが一般的な受験生のスタンスだった。僕には理解できない。受験を差しおいて格ゲーにはまる奴も、普段よりも控えめとは言え、毎日のようにプレイする多くの同級生たちも、それをある程度はしょうがない事として受け入れる大人たちも、僕の考えとはあまりにかけ離れていた。
周りと明らかに考えが違う僕は、誰にもこの思いを打ち明けられない。こんなことを言っても親は悲しむだけだろう。教師は表面上は受け入れるだろうが、普通の人は格ゲーをするのだということを僕に分からせようとするだけだろう。友達に言っても、格ゲーが弱いから言い訳をして逃げているだけだと笑われるだろう。誰に言っても変な奴だと思われるだけだ。わざわざ言うことではない。
「浩史ってホントつえーよな。俺も強くなりてぇ~。」
「ちょっと練習して悪い所無くすように気を使えばお前もすぐ強くなるよ。簡単簡単。」
「強い奴は言うことがちげえわ。それができたら苦労しねえよ~。なあ修哉。雑魚同士仲良くしようぜ。」
「ハハハ。」
格ゲーで勝つには練習が不可欠だ。細かな練習を怠らない者が強者となる。僕は当然のように弱者だ。格ゲーをそもそもする気が無い僕は、なかなか上達できない弱者を演じておけば都合が良かった。格ゲー弱者を理由に見下されることもあったが、僕からすればそんなものにこだわる方が滑稽に見えた。もちろんそんなことを本人に言っても負け惜しみのようで嫌だった。波風を立てないために僕は笑って過ごすだけだった。格ゲー強者が勝ち組とされるこの街では弱者が何を言っても悪く取られるだけだ。ただ少しの嘘と忍耐があれば、僕はこの街で何不自由なく生きていける。
しかし、時々分からなくなる。僕は本当に周囲に小さな嘘をついているだけだろうか。本当は自分に嘘をついて格ゲー弱者である現実から逃げているだけなのだろうか。他の人たちと違うと思い込んでいるのは自分の心を守るために僕の本能が自分自身に吐いた嘘なのではないのか。この問いが頭を巡る。考えても考えても答えは出ない。僕の頭は正常だ、と自分に言い聞かせながら、終わらぬ思考のループからなんとか這い出して、僕はこの格ゲーの街に戻るのだった。




