6.音楽
朝起きると、私はベッドの脇のスマートスピーカーに話しかける。声で操作する機器なんて一昔前では考えられなかったが、今では日常に溶け込んでいる。私が時間を聞くと、彼女はすぐに教えてくれる。まだ時間がある。なにか音楽をかけて、と私は頼む。わかりました、と彼女は音楽をかける。スマートスピーカーができてからこういう音楽の使い方が増えた。適当に流してもらって、気に入った曲があればしばらく同じアーティストの曲を聴く。
ふと考えると、気に入った曲は作詞作曲が自身の曲が多い。今までもそういう傾向があって、私はいわゆるシンガーソングライターを好んでいた。なぜ好きなのか考えたが、やはり自分の色が色濃く反映されるからだと思った。自分の色がどうしても出るので、ある曲を気に入った場合に同じアーティストの別の曲を気に入る場合も多い。
音楽を自己表現の一つだと考えると、作詞も作曲も歌う人も別の曲はまるで違うジャンルだと言えるのではないのだろうか。合作は結構だが、どうしても別人の意図を過不足なく表現するのは難しいと思う。アイドルグループが握手券なんかを付けてCD売り上げランキングを駆け上がっていたが、商売としては褒められるものであっても芸術的には価値がないと思っている。彼女らはアイドル側から寄ってきただけで音楽畑ではない。ただ一つの難は音楽と同ジャンルに見なされていることだけだ。
音楽と言えば、この前言語による楽曲への影響があるのではないかと思った。日本の音楽をJ-POPと呼んだり、インド映画の音楽は全部同じに聞こえたり。何となく言語をリズムに落とし込むためのパターンがどうしても限定されるからかと思ったが、単純に同じ言語圏で広まる音楽に似るというだけだろうか。
日本で流行る曲は歌詞偏重だと思う。メッセージ性が強いなんか良いこと言ってる、という曲が持て囃される。日本ではいわゆるサビの歌詞が変わる曲は非常に多いが、英語の曲はサビの部分は全く同じの場合が多い。外国では強い一つのメッセージとリズムが重視され、日本ではストーリー性が重視されるのではないかと思う。もしかしたら言語の自由度も関係しているのかもしれない。語感を変えずに内容を変えることの難度の違いがそういった傾向の違いを生んでいるかもしれない。これ以上は他言語が堪能でないので残念ながらあまり深く考察できない。




